第12話「妖女モルガン・ル・フェイ」

 モルドレッドの剣の一撃で、致命傷を負ったアーサー王は、湖へと赴く。

 

 俺の知っているアーサー王伝説では、湖の乙女に、アーサーの配下の騎士がエクスカリバーを返すはずなのだが、前世の光景に、その様子はない。


 夜の湖には、静かに、月光が照らしているのみ。

 そして、船に乗った美しい女性が現れる。


 「私は、ずっと、あなたを待っていました」

 彼女は、かつて、アーサー王の前に立ちふさがり、聖杯を持って挑発した相手……モルガン・ル・フェイ、その人であった。


 しかし、モルガンは、慈しみの表情を浮かべていた。

 「一緒に、常若とこわかの国へ行きましょう」

 モルガンは、アーサーを導き、船へと乗せると、出立する。

 横たわったアーサーは、モルガンの膝の上で目を閉じる。


 俺は、あっけにとられ、その様子を見つめた。

 あれが、あの、モルガンなのだろうか。

 本当に、同一人物なのか?

 

 俺の記憶の中では、彼女は、たしかに、アーサー王と敵対していた。

 しかし、今は、とても優しく、美しい姿だった。

 それは、人ならざるものの、神々しさゆえか。


 アーサー王の乗った船は、霧の深い、湖の彼方へと、消えて行ってしまった。

 それを追おうとするが、だんだんと、世界が霧に覆われていく。


 そして、やがて、すべてが、見えなくなった。


 これが、アーサー王伝説の最後の場面。

 アーサー王が、アヴァロンへと旅立った時の様子だったのだ。




 光が、俺の顔に当たっている。

 まぶしさを感じて、ゆっくりと目を開ける。

 すると、夕日の中、マーリンが、俺の顔を覗き込んでいた。


 「ここは?」

 見覚えのない場所。

 ゆっくりと体を起こすと、そこは、ベッドの上だった。

 学校の保健室のようだった。

 夕暮れで、あたりは、オレンジ色に染まっている。


 横たわっていたアーサー王に、優しく寄り添うモルガン・ル・フェイ。

 その姿が、マーリンとオーバーラップする。


 ふと、俺は、自分が、どうして死んだのかを思い出した。

 マーリンは、美亜みあを刺そうとして、俺が、それを、自分の身体で止めたのだった。


 「どうして、あんなことをしたんだ?」

 責める気はなかった。

 マーリンは、聖杯に注ぐために、美亜の血が必要だと言った。

 だから、短剣を美亜に向けたのだろう。


 けれど、俺には、美亜を傷つけさせるのだけは、どうしても嫌だったのだ。

 もちろん、他の誰でもそうだけど。

 美亜だけは。


 マーリンは、悲しそうな瞳で、俺を見つめた。


 どきりとする。

 彼女が、今まで、こんな表情をしたことがあっただろうか?

 

 「あなたには、美亜を殺すことはできないと思ったからよ」

 「ああ、当然じゃないか」

 答えた俺に、マーリンはうなずいた。


 「私は、本来は、この世界での生殺与奪には関与できないみたいなの」

 「それって、つまり、おまえには人を殺せないのか?」

 「ええ、そうよ。だけど、血を流させるくらいなら、って思った」

 「だからって……」


 マーリンは、俺の非難の視線を受け止め、言った。

 「大丈夫よ。もどかしいけど、あなたに期待するわ」

 「俺は、美亜を刺さない」

 「ええ、そうね。だから、本当なら、魔法を使って、全員の血を集めたかったんだけど」

 「さらっと、恐ろしいことを言うな、おまえ。……もう慣れたけど」

 いや、本当は、慣れないけど。

 「そういうわけにもいかないみたいなのよね。魔法を使って、血を集めることもできない。つまり、私は、あなたたちのことを見守るだけ」

 

 「そうか……よかった、んだよな」

 みんなの血をマーリンが集めるなんて、恐ろしすぎる。

 いったい、どうしたら、そんなことできるのか、わからないが、痛いんじゃないだろうか?

 

 そして、なによりも。

 「俺は、おまえにも、そんなことさせたくないよ」

 俺は、マーリンを真剣に見据える。

 「マーリンにだって、血なまぐさいことをさせるのは嫌だ」

 「アーサー、私は魔法使いよ。このくらいのこと」

 「俺が嫌なんだよ」

 きっぱりと、告げる。


 「これ以上、誰かが、誰かの血を流したり、流させたり、そういうのは嫌なんだ。マーリンだって、美亜だって、他のみんなにだって、こんなこと、させたくねえよ」

 「アーサー、わかってよ。聖杯には……」

 「聖杯に注ぐ血が必要なら、俺が集めてみせる」

 マーリンは、驚いたように目を見開き、沈黙した。

 

 「俺が、すべてを終わらせたい。きっと、それが、アーサー王としての、俺の役目だろ」

 ずっと逃げてきた。

 だけど、みんなが前世に振り回されるなら、俺が、終止符を打ってやる。


 「アーサー。ようやく、少しは、王らしくなってきたわね」

 マーリンが、いつもの調子で、茶化すように言った。

 「まあな」


 それでも、まだ、気がかりなことがあった。

 聖杯は、いったい、どこにあるんだろう。


 聖杯がなければ、血を集めても、願いをかなえることはできない。


 ふと、さっきの夢の中の女性の姿が、頭の片隅にひらめく。


 「モルガン・ル・フェイ!」

 人ならざるもの。

 魔女と呼ばれる女。

 そして、美しく、妖しい力を持つあの人物が……。


「あいつが、聖杯を持っていたよな?」


 俺が、マーリンに確認した時だった。

 

 カーテンが、風にそよいだ。

 そして、マーリンの金髪が、風になびいた。

 まるで、湖の上の月光のような、美しい金色だった。

 

 「マーリン、おまえ……」

 「ええ。そうよ」

 マーリンはうなずいた。

 俺が、はっきりと、言葉に出す前に。

 「モルガン・ル・フェイ」


 彼女はマーリンで、だけど、夢に出てきたのと同じ女性だと、俺にはわかる。


 「私は、古き大地母神にして、豊穣を司る、聖杯の守護者。もしくは、魔法の大釜コルドロンを使う魔女」

 聞いたことがある。

 元は、モルガン・ル・フェイが、大地母神だった、という話も。


 「聖杯と、魔法の大釜は、同じものよ。単に呼び方が違うだけで」

 マーリンは言った。

 

 それでも、まだ、俺は、問わずにはいられない。

 「どういうことだよ。いったい」

 「伝説というのは、断片的に伝わるものよ。同じ人物の別の側面を、別人のように描くことも、よくあること、でしょうね」

 「マーリンと、モルガンは、同一人物だって……?」

 「ええ」

 彼女は、はっきりとうなずいた。


 「私は、待っていた。アーサー、ずっと、あなたに、このことを告げるのを」

 俺は、気持ちが整理できないまま、マーリンを見つめ返した。

 「なあ、マーリン、ということは」

 ベッドから立ち上がり、気になることを訊ねる。


 「もしかして、おまえが、聖杯を持っているのか?」

 マーリンの手を引いた俺は、焦りのせいか、力をこめすぎていた。

 「きゃっ!」

 「うわっ」

 勢い余って、マーリンを引っ張り、俺はベッドに倒れこんでしまう。


 「マーリン」

 目の前に、彼女がいる。

 俺に覆いかぶさるように倒れたマーリンの吐息がかかる。


 「アーサー、あの時以来ね」

 マーリンは、懐かしそうに言った。

 「私が、アヴァロンにあなたを迎えに来たときも、たしか、こうして……」

 マーリンの指が、俺の額に触れた時だった。

 

 保健室のドアが開き、彼女が現れたのは。


 「美亜!」


 慌てて、飛び起きる。

 マーリンも俺から、素早くその身を引きはがす。

 

 「知っていたわ、アーサー」

 「美亜、聞いてくれ」


 今のは事故。

 単なる事故だ!

 けっして、俺は、マーリンに、そんなふうなことは、なにも!


 だが、美亜の瞳には、冷たい光が宿っていた。

 夢で見た、あの湖よりも、霧よりも、はるかに冷たい光が。


 「美亜」

 マーリンが、美亜をねめつける。


 「どういうつもりなの?」

 「どう、って? それは私の台詞じゃないの」

 美亜は、ゆっくりと、俺たちの方に近づいてくる。


 俺は、なんとか、美亜の前に進み出る。

 そして、美亜とマーリンの間に割り込む。

 もう、二人が傷つけあうのは見たくなかったから。


 「説明をさせてくれ、美亜。俺とマーリンは、ただ、話をしていたんだ」

 「たしかにね。今日は、そんなところだったみたい」

 美亜は、俺の服の上を、指ですっとなでていく。


 胸から、順番に、上に向かって。

 やがて、首から顎のところで、美亜の指は止まる。


 「信じるわ、アーサー。あなたと、彼女は、話をしていただけ、だって」

 「あ、ああ……」

 身体がうまく動かせない。

 なんとか、肯定の言葉だけ、伝えようと試みるが。


 衝撃が、俺の頬を襲った。

 美亜に平手で打たれたと気づいたのは、その少しだけ後のことだった。


 「アーサー。私のアーサー」

 美亜は、口の中で、俺の名を転がすように言った。


 「私のアーサー。誰にでも親切で、優しいアーサー」

 「美亜!」

 誤解を解かないといけない。

 彼女は、きっと、傷ついてしまうだろう。

 ……もしも、まだ、俺のことを、好きでいてくれたのなら。


 「私は知っている。あなたが、誰にでも、分け隔てなく接するのを」

 俺は、美亜の手を握る。

 「わかってくれてるんだよな。だったら……」

 「ええ、知っているわ」

 美亜が、柔らかな笑みを浮かべた。


 (よかった、やっぱり、美亜は)


 「でも、嫌なの」


 「アーサー!」

 マーリンが叫んでいる。

 俺は、マーリンの狼狽の意味がわからなかった。


 美亜の声音は、甘えるような、あるいは、愛をささやくようなものだった。

 けれど、彼女は、そんな態度のままで、俺の胸に、刃物を突き立てた。

 美亜の手を、俺は握ったままだった。

 ……つまり、美亜は、反対側の手に、短剣を持っていたのだ。


 マーリンが、なぜ、叫んでいたのか、俺はようやく理解した。


 「平等なんて、偽善なのよ、アーサー」

 俺の手から、力が抜けて、美亜の手を離れる。


 「なんでだ……俺は、美亜を」

 美亜は、すっと、俺の耳元で囁いた。

 「これは、罰なのよ。アーサー。あなたが傷つけた……のための」

 美亜の言葉の最後のほうを聞き取ることができない。

 大切なことのように思えたが、もう、俺に、確かめることはできなかった。

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