「狂乱の渦中」3
――
――――
「ハル!」
甲高い声と共に、誰かが勢い良く抱き付いてきた。
頭痛を忘れようと何度か頭を左右に振り、瞑っていた目を開く。上目遣いで僕を見つめるユミさんが抱き付いていた。
辺りを見回し何処に居るのかを確認した時、何故ここに居るんだと驚いてしまう。今日社会科見学で行ってきたばかりの寺院だった。目の前に木製の三門が
「何処行ってたの?ハル」
「えーっと、そんな事よりも、いつまでその―― くっついてんの?」
さすがに外でこの状態は恥ずかしい。だけどユミさんはニコニコしているだけで、離れる素振りが見られなかった。
「駄目?」
「外だし、人の目があるから止めようか」
「つまんないのー。せっかく両想いだって分かったのに」
ユミさんは拗ねたようにして、唇を尖らせながら離れる。抱き締め返したいのはやまやまだったけど、照れがあったのと、俗に言うリア充な状況に戸惑っていた。僕なんかがこの状況に浸っていいのだろうか。これに酔いしれた自分なんて、他人には酷く無様で滑稽に映る気がする。こんな事を考えてしまう僕にはきっと、リア充が一生似合わないのだろう。
「おいおい、おまえら、ほんっと勘弁して」
そう言いながら、うんざりした表情のイッタが現れる。
「いくら付き合ってるからってよー、弟の前でそれはマジでキモイから、吐きそうなんでご遠慮ください」
「怒ってるんだ、ハルが取られたから」
「怒ってねぇよ!」
「イッタは――その、知ってんの?僕とその、ユミさんが」
そこでユミさんが腕に手を回してきて、にこっと微笑む。
「さっき私が言った」
「超ビックリしたけど、姉貴に彼氏が出来て賛成したのは初めてだ。ハル水くせーぞ、何でもっと早く教えてくんねーんだよ!」
「反対しないんだ」
「ちょっとキモイけど、まあ、ハルなら大歓迎。言っとくけど、別れたらブチ切れっから。絶対結婚して。そしたら俺とハル兄弟になれんだぜ、凄くね?最高じゃん、毎日一緒にゲーム出来るなんて!」
イッタがいとも簡単にすんなり受け入れてくれて、相変わらずアホなことを言っているのと、現実の世界は今大変なのに、こっちは拍子抜けする程のどかだということ。それらが交ざり合って、暫く呆然とした。
「そんな事より、此処に来るとケンチン汁が食いたくなるよなー」
「もう、イッタは此処に来るとそればっかり」
「ま、とりあえず
イッタはすたすたと先を進んでしまう。その隙にユミさんに問い掛けた。
「何処から何処までが記憶か分からないんだけど。ユミさんは前に此処に来た事あんの?」
「ウソ?覚えてないの?」
ユミさんは眉を下げ、悲しむような表情を見せる。
「そっか。まあ、その内思い出せると思うよ」
そう言うと目を逸らし歩き出した。少し離れた場所で、落ち着きなく歩き回るイッタが見える。昨夜の出来事をふと思い出し、ユミさんの背中に向かって呟いた。
「昨日の夜さ、僕に会いに来てない、よね?」
「昨日?昨日は私達、会ってないはずだけど」
「うん、だよね。気にしないで」
やっぱりあれは夢だったんだと思う。だけど妙に生々しかったら、確かめてみたくなった。
「ハルの中では、此処が初めてって感じ?」
「いや、今日社会科見学で行ったよ」
「さっき知らないみたいな言い方したのに、覚えてるじゃん」
「そうじゃなくて、ユミさんと一緒に来た記憶が、ないんだよね」
「私とだけじゃなくて、私達3人」
「え―― 3人で来た事あるの?」
「うん、ハルが気に入ってる場所だから、たまに3人で来てたよ」
現実でイッタとユミさんに接点があったという言い方だ。全くないものだと思っていた。だってイッタにユミさんの事を聞いた時、知らないって言っていたし。
一体どういう事だろう?
「修行お疲れさまです!」
イッタの大声が響き渡った。
竹藪を背に座禅を組むその姿はカッコイイと思うけど、間近で見ると迫力ある顔で驚く。飛び出そうな程にギロッとした目だし、口髭とガッシリとした体には胸毛まで生えている。あんな人が現実に居て目が合ってしまったら、何も悪い事をしていなくても謝ってしまうだろう。
「ハールー、こっち来てー!」
大声で呼ばれたので、
「よーいドンで競争な!」
「はあ?あの階段何処まで続いてんの?イッタのが運動神経良いんだから、勝てる訳ないに決まってんじゃん」
「おまえ今更何を言っちゃってんの?いつも通り、ハルが見えなくなったら俺がスタートのハンデやるって」
いつも通りとは、毎回此処に来る度にこんな競争に付き合わされていたのだろうか。石段に再び目を移し、大きなため息をついた。シンドイ以外のなにものでもない。
そこへユミさんがやってきて、イッタの腕を掴む。
「大丈夫だよハル、私がこのバカをこうやって引き止めて、時間稼ぎしてあげるから」
「姉貴ズリーぞ!離せよ、バカはおまえだ!」
「うるさい!」
争う2人を見ながら、何で競争なんて無意味な事をしなければならないんだと呆れ顔を作った。
「そもそも何でやるわけ?普通に登ろうよ。体力の無駄だって」
「今日はノリがわりーぞ。彼女出来たからって、なに突然すかしちゃってんの」
「いや別に、すかしてるとかじゃなく、無意味だって言ってんの」
イッタはユミさんに掴まれてない方の手で指さしてくる。
「じゃあおまえは棄権ってことで、問答無用で罰を受けろよ」
「罰?」
するとユミさんが、くすくすと笑いながら鞄を漁りだす。そして手帳を取り出し、そこに挟まれていた何かを差し出してきた。それはプリクラだった。だがそこに写っているものに絶句してしまう。
僕が1人で、おまけにバッチリきめ顔で写っている。
「何これ」
「半年くらい前かな?その時の競争はハルが負けて、事前に決めてた、キメ顔で1人プリクラを撮るっていう罰を受けたの」
イッタは思い出すようにして大笑いし出した。
「こん時さー、超大変だったよな?おまえ全然キメ顔作れなくて、俺のOKが出るまで3回は1人で撮ってたよなあ」
3回も――。思わずシールを胸に抱いて隠す。全く記憶にないし、こんなものがこの世にある事が恥ずかしい。燃やしてしまいたい。
「返してよハル、私の」
「いや自分で持って帰る。そもそも何でユミさんが持ってんの?」
「あの時はくれたのに。返してってば」
ユミさんが僕の周りをちょこまか動き回る。よろけて抱き付いてきた時、イッタが大きく手を叩いた。
「はいはい、イチャつかない。競争の話が終わってねーから!」
「もう終わらせてくれよ」
「じゃあ今回もハルが罰ゲームって事でいいな?」
「プリクラは勘弁してほしい」
「プリクラじゃねぇよ、ここ来る前に今回の罰ゲーム決めただろ?」
ユミさんが瞬時に笑顔になり、お腹を抱えて笑い出す。
「ユミさん、何の罰ゲームなの?」
「ホームで出発した電車を追いかけるの。細かく言うと、端まで手を振りながら走って追い掛けて、大声で“元気でなー!”って叫ぶ。ちなみに全然知らない人に向かってね」
「ええ!?何だそれ、超恥ずかしいじゃん!」
落胆して隙が出来てしまった所で、ユミさんにプリクラを奪われた。
「“元気でなー!”は、ハルのアイディアーだから」
「ええ?」
「とにかくおまえ、棄権ってことはそれやるんだよな?」
「嫌だよ、絶対やらない」
「だったら競争に勝てばいいじゃん」
ユミさんは再びイッタの腕を引っ張る。そして急かすようにして言った。
「ハル早く!引き留めておくから、今の内に距離離して!早く!」
「だから卑怯だぞ姉貴、離せ!こうなったら俺も、ハンデ与えずにスタートしてやる」
「ちょっと―― ハル、早く!私が引き留められる間に。じゃないと、罰ゲームはハルがやることになるよ!」
イッタがもがき鼻息を荒くしている。今にも走り出しそうな猪のようだ。逃げるように僕は走った。
「絶対追い抜いてやるからなー!」
そう叫ぶイッタの声を背に受けながら、鳥居をくぐり無我夢中で石段を駆け上がる。だが、上っても上っても石段に終わりがない。真っ直ぐな石段、曲がりくねった石段、さまざま角度で上へ上へと続いていた。
暫く上り続け、限界だと思っていたその時、あるものに目が奪われ心臓がドクンと大きく音を立てる。それは突如現れた、翼が生えた天狗、
足を止め、肩で息をしながら辺りを見渡す。無数の
頭がズキズキしてくる。胸がギュッと締め付けられる。この症状が何を意味しているのかは分からない。分かるのは、この風景に見覚えがあるって事だ。
僕は何か、大事な事を忘れてしまっている。この無数の
その時、後ろからユミさんの笑い声が聞こえた。少し離れた下の方で、シャツを引っ張り合いながら石段に倒れこむ2人が居た。イッタは競争に必死な表情だったけど、ユミさんが心底楽しそうな笑顔を見せている。
あんな
「あー!ハルみっけたー!」
「ヤバ」
小声でそう呟き、再び石段を駆け上がった。
「ずりぃよハルー、おまえの助っ人、こなきじじい並みに背中にしがみ付いてきやがったー」
「私が好きでやったの。ハルに頼まれてないから、ズルじゃないもん」
「ほぼ姉貴背負って登ってきたんだぜ俺?勝負は負けでいいけど、褒めてくれよ。こんなん修行だよ」
「アイスでも買ってやるよ。だけど、勝負はイッタの負けだから」
「分かってるよ、約束だから罰ゲームやるよ。それよりお参りして、早くいつもの場所で涼もうぜ」
「いつもの、場所?」
何処の事だろうと頭を捻らせるも、2人とも本堂に行ってしまう。そしてお賽銭を入れ手を合わせた。一緒になってお参りしながら、さっきユミさんが言っていた言葉を思い出していた。
此処は、僕が気に入っている場所だと言っていた。さっきまでは社会科見学で来たからと思っていたけど、
「いざ出発ー」
イッタの声が聞こえたので、合わせていた手を離し目を開けた。
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