「狂乱の渦中」2
***
傷だらけで帰宅するのはまずい。両親にああだこうだ言われたくないし、あのデリカシーない父親に、あれこれ詮索されるにも勘弁だ。そう考えると、こうなる前に提案された、イッタの家に泊まるというのが好都合に思えた。
イッタは全て正直に母親に告げている。僕は何も悪い事はしてないけど、なんだか申し訳ないような気持ちで様子を見守っていた。全てを聞いたイッタのお母さんは、終始呆れるような顔を見せている。そして最後にイッタの頭を叩いた。
「やっぱり昨日嘘付いてた。その目、階段から落っこちたって言ったよね?」
「ごめん」
「ごめんじゃないし!ごめんなさいでしょうが!」
そこでもう一発頭を叩く。イッタが気の毒に思え、慌てて立ち上がり間に割って入った。
「イッタは何も悪くないんです。友達想いだからこそ付いた嘘だと思うんです」
「そんな事は分かってるよ。私が1番怒ってるのは嘘を付くこと。それとね、危険を顧みず何にでも飛び込んでいくのは止めなって、何度も言ってんの」
「もう危険な事に首を突っ込むのは止める。大丈夫、ハルと約束したから」
「ハル君、ちゃんと約束守れる?」
「はい。イッタが約束を破った事ないんで、大丈夫だと思います」
そこでまさかの、僕が頭を叩かれた。イッタが口を押さえて、吹き出そうな笑いを堪えている。僕は唖然としてしまい、何も言葉が出なかった。
「イッタの事はもういい。ハル君が守れるかどうかを聞いてんの」
「は、はい―― 多分」
「多分じゃないっつの!」
更にもう一発叩かれる。
何故、他人の僕が責められ殴られないといけないんだ。
「何するんですか――。」
涙目で訴えるも、イッタのお母さんの表情が緩むことはない。両手を腰に当て、いまもなお臨戦態勢だ。
「イッタの事はもちろん、ハル君の事も心配してるんだよ。イッタ同様に、今ここでちゃんと約束しなさい」
「約束、します」
「宜しい。約束破ったらまた叩くからね?覚悟しなよ。じゃあ傷の手当するから、そこに座って」
言われるがまま、大人しく椅子に座る。手当をしてくれるイッタのお母さんを見ながら、今もなお唖然としていた。久しぶりに、ちゃんと大人に怒られた気がする。ヒステリーな母親や、人を蔑んだように説き伏せる父親に怒られた時とは、全く違う気持ちだった。こんな僕が、大人の優しさを感じた瞬間だった。
その後、イッタの部屋で宿題を終え一緒にゲームをしていると、イッタが先に寝落ちする。今やお決まりのパターンだ。あともう少しでイビキが響き渡るだろう。何をしても起きない事を知っているので、イッタを跨ぎベッドの上に移動した。
今日は心身ともに疲れた。
ユウダイの事を思い出すと、胸が痛くなる。後悔で自分を責めそうになる。ぎゅっと目を瞑り、ユミさんとのキスを思い出した。ユミさんは今日、記憶の世界で何をして過ごしていたのだろう。考えていたら、幸運な事にイッタのイビキが始まる前に眠りに付く。
だけど再び金縛りが襲った。
また幻覚でカシワギが現れるのではないだろうか。そんな不安を抱きながら、恐る恐る目を開くと、そこには意外な人物が居た。
暗い部屋で月夜の明りだけを受け、ベッド脇で僕を見下ろすようにして座っている。大きな目が数回瞬きし、血色良い唇が動き出した。
「ハル、大丈夫?」
そこで金縛りが解かれ、掛け布団を勢い良く剥いで起き上がった。
「ユミさん、何で此処に居るの?」
「何でって、此処は私の家だもん」
「いや、あれ?僕いま現実に居るんだよね?マイ・レメディーには今日――。」
ユミさんはそっと、腫れ上がった僕の頬に手を添える。
「痛そう」
「う、うん」
ユミさんが声を落とさず普通に話すので、イッタが起きるんじゃないかと思った。だけど、ガースカピースカと大きなイビキが聞こえている事から、爆睡している。全く起きる気配もない。
「此処は現実の世界だよね?もしかしてユミさん、目覚めたってこと?」
ユミさんは悲しそうな表情で、ゆっくり首を横に振る。
「心配だったから、来ちゃった。ハルが傷付いてるかと思って」
「え、そんなこと出来るの?」
僕の問いに答えず立ち上がり、そっとイッタの傍らに座った。眼帯をした目の上に手を添え、肩を揺らしながら泣き出してしまう。
「許せない―― 本当に許せない」
「ユミ、さん?」
「イッタ、ねぇ起きて」
イッタを揺さぶり出したので、ベッドから下りて慌てて止めた。
「駄目だよユミさん、こっちの世界ではイッタはユミさんを知らないんだから」
「ハルも許せないでしょ?私、酷い目に遭う2人を見てられないよ。ねぇ、3人で何処かに逃げよう?」
「逃げるって―― 何処へ?」
ユミさんは顔を両手で覆い泣き出してしまう。そっと肩に触れると、
「このままじゃハルとイッタが危険。私があいつから引き離すから」
「あいつって――?」
ユミさんが何かを憎むような目で顔を上げる。そしてゆっくり腕を上げ、僕の後ろを指差した。
「あいつの事だよ」
慌てて振り返ると、黒のパーカー姿のユウダイが、ベッドの上で胡坐(あぐら)をかいている。フードを被っており、影が掛かった無表情の顔で僕等を見ていた。
「ユウダイ、どうして此処に――。」
「やれるもんならやってみろよ」
ユミさんの体が微かに震えている。だが怯えているのではなく、怒りで体が震えているようだった。唇を噛み締め、涙を流しながらユウダイを見つめている。そっと肩を抱こうとしたその時、ユミさんが勢い良く立ち上がり、ユウダイに飛び付くようにして掴みかかった。
「イッタは友達だったのに、どうしてあんな事が出来るの?あんたなんか、あんたなんか――。」
そう言いながら、ゆっくりユウダイの首元を締めている。ユウダイはされるがままといった感じで、顔も体も動かさない。冷めた瞳だけを向けていた。
「おねーさん、その位じゃ俺は死なねーんだよ。やる気あんの」
「何やってんだよ!」
止めに入って引き離そうとするも、暴れて抵抗してくる。ユウダイは表情を変えずに鼻だけで笑った。
「くだらねぇ。殺したいなら全力でやれよ。おまえらって中途半端なんだよな。何でか分かる?自分以外に価値があると思ってるから、大事だと錯覚してっから、中途半端にしか行動できねぇ。大事だと思うもん全部捨てたら、楽になれるよ」
「勝手に思ってればいい。だけど、あんたが人から大事な物を奪う権利はない。ハルを巻き込まないで」
「あるんだよ。何かを守ろうとする奴は何も奪えない。守るもんがない俺だからこそ、人をこっちに引きずり込めんだ」
ユウダイはニッと口の端を上げ、不敵に微笑む。僕の元までやってきて、片手で首を掴んできだ。苦しくてもがくも、ユウダイの力は凄まじく、絞められたままの状態で体が宙に浮いた。
「止めて!」
ユミさんが止めようとしたが、ユウダイが空いている方の手で突き飛ばした。
「ハルには適正がある。こっちに来れば楽になるぜ?孤独、不安、悲しみから解き放たれる。胸に宿るのは怒りだけだ」
額から汗が落ち、頬を伝っていく。だんだん意識が遠のいてきた。
イッタがくだらない事を言って笑う顔、ユミさんの優しい笑顔が脳裏に過り、それらが徐々に霞んでくる。その時、ユミさんが泣き叫んだ。
大きな光が一瞬にして僕達を包み込む。
やっぱり僕は、マイ・レメディーの世界に居たのだろうか。光で何も見えなくなり、辺りはもう真っ白だった。目を細めていると、何処からともなく白衣姿のウサミ先生が現れ、手を差し伸べてきた。
「こっちだよ、ハル君」
「ウサミ、先生――。」
「手を取りなさい」
その手に触れた瞬間、体が何かに吹き飛ばされたような感覚に陥った。
掛け布団を剥ぎ取って起き上がる。汗びっしょりで、肩で息をしながら周囲を見回した。真っ暗な部屋にゲーム機と積まれた漫画、イビキをかいて眠るイッタ、何もかもがユミさんが現れる前の姿だ。そっと自分の首に手を当ててみるが、特に変化はない。
嫌な夢を、見てしまった。
***
翌朝は社会科見学で、寝不足ながらもなんとか寺院を回った。昨夜悪夢を見たせいで、視界に入った何もかもが頭に残っていない。ただ1つだけ覚えているのは、同じ班のクラスメイトが教えてくれたユウダイの話だった。
ユウダイの母親の再婚が決まったらしい。だけどその義理の父親になる男が、会う度ユウダイに暴力を振るっていたようだ。母親は見てみぬふりらしい。それは結婚が決まる前からで、その男は腹や足など見えない所を痛めつけていた。だから僕もイッタも、その事に気付かなかった。
歩き辛そうにしていたり、お腹を摩っていた姿を見て、不審に思った担任が声を掛けた事があるようだ。ユウダイが受け答えをしていたのを偶然、そのクラスメイトが聞いた。だけど隠そうとしているユウダイを見て、聞かなかった事にしようと黙っていたそうだ。
ここ最近、突然可笑しくなってしまったユウダイに耐え切れず、僕達だけにこっそりその事実を教えてくれた。全てを聞いた後のイッタの言葉数は少なく、それについて言ったのはこの言葉だけ。
『残念だけど、もう手遅れだ。俺達だけの手には負えない』
僕もそれに同調した。昨日のユウダイは、明らかに人が違っていた。本当にもう、何もかもが手遅れなんだ。
重い気持ちを抱えながらも放課後、僕はいつもの病院で白い部屋に入る。ウサミ先生はまだ居なかった。
これからユミさんに会えるというのに、心が暗く影を落としている。椅子にも座らず、気付けばただぼーっと、白い部屋で突っ立ている状態だった。
マイ・レメディーがある部屋の扉が開く。中から出てきたのはウサミ先生ではなく、女性だった。
「中津君ね?ウサミ先生から聞いてます。先生は今日不在ですが、私が状況を把握しておりますので、担当致します」
「え」
こんな事は初めてだ。今日のような心が重たい日は、可笑しな格好で可笑しな事を言うウサミ先生に会いたかった。だがそんな事を言ったら失礼だ。あからさまに落ち込みそうになったけど、なんとか気を取り直した。
「分かりました。だけど明日は戻るんですよね?」
「恐らく、戻られるかと」
「そうですか。今日は宜しくお願いします」
「こちらこそ。では、早速始めましょう」
手際良く準備がされ、マイ・レメディーの中に入る。特に何も声を掛けられる事も掛ける事もなく、僕はゆっくり目を閉じた。
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