「狂乱の渦中」4

黙ってついていくと、土に刺さった看板が目に付く。天園ハイキングコースと書かれていた。それを見て、何故か更に心が重たくなる。そしてその気持ちに拍車を掛けるかのように、上り坂が現れた。2人は当たり前のようにして上っていく。



階段を上り切ってもまだまだ道が続き、険しい山道と岩場の中をひたすら歩く羽目になった。体力が限界の僕は、1番後ろからゆっくり後を追う。緑が多いので、森林浴を楽しめそうな道なのに、それを堪能することなくひたすら歩いてしまった。イッタが競争なんてさせるから、疲れていて堪能出来ない。だから無意味だって言ったのに。心の中で不満を呟いていたその時、少し開けた場所に出た。



その風景に呆然とする。



木で作られた見晴台が視界に入った。その先が絶景なのは確かなんだけど、僕が呆然としたのは違う理由だ。



此処――。



『私を、殺してほしいの』



この世界でそう言われた時に居た場所だ。その後、更に奥の山道を進んで2人で崖から飛び降りた。場面が変わっただけだったけど。



ゆっくり足を進める。見晴台からは、街と海が一望できた。心地良い風が通り抜け、木の葉が揺れながら騒めき出す。“天気のよい日にはこのように富士山が見えます”と書かれた、写真付きの小さなパネルがぶら下げてあった。ユミさんは側にある木のベンチに腰掛け、イッタは僕の隣に立ち街に向かって大声を上げる。



「姉貴おめでとうー!!」


「え?」



思わずイッタの横顔を眺めた。もしかして今日、ユミさんの誕生日?そう思いながらユミさんに目を移すと、小さく微笑む。



「もうすぐ私の卒業式。サンキュ、イッタ」



僕が分かっていない事を察してか、そんな風に言った。もうすぐユミさんの卒業式―― これは、現実にあった記憶なのだろうか?聞きたくても、イッタが傍に居るので何となく聞き辛い。ユミさんは苦笑いで、何かを隠すように僕から目を逸らした。



「今日は誰も居ないね。ラッキーだね」


「珍しいよなー、いつもは誰かしら居んのにさあ」



イッタがそう言うと、ユミさんが嬉しそうに微笑みながら立ち上がり、僕達の間に割って入ってくる。



「なんだよ割り込みババア」


「うるさい」



イッタの肩を拳で叩きながらも、やっぱり何処か嬉しそうだ。ユミさんは、僕とイッタの腰に手を回し引き寄せてくる。



「なんだかこうしてると、この世界に3人しか居ないみたいじゃない?」



目を閉じていても感じるのは、ユミさんとイッタの存在だけだ。喧騒とは無縁のこの場所は、心を一息つけるような癒しの場所かもしれない。そう考えていたその時、イッタがあっけらかんとした声で言う。



「そうか?だって鳥が居るし、ほら、目細めてよく見てみると、車が動いてんのも見えるだろ?」


「イッタって、本当に無神経なんだから」



ユミさんは呆れるようにそう言って、再びベンチに戻ってしまった。イッタは向かいにあるベンチに寝っ転がる。



「そう思ったんだから仕方ねーじゃん」



僕だけがまだその場から動けず、再び景色を一望した。初めて見た気がしないのは、この間もこの世界でユミさんと一緒に来たからなのだろうか。そういえばあの時、そしてさっきも、此処は僕のお気に入りの場所だと言われた。ユミさんが言っている事が本当だとしたら、何回も此処に来てこの景色を見ているという事になる。



何かを自力で思い出せるかもしれない。そう思っていると、背中からイッタの声が聞こえてきた。



「あ、そうだ!此処に来る途中、烏天狗からすてんぐちゃんと見んの忘れた」



思わず振り返ってイッタを凝視する。



烏天狗からすてんぐ、好きなんだっけ」


「好きっつーか、ハルが言ったんじゃん?俺に似てるって」


「え?」


「何かカッコイイ事言ってくれたじゃんかー。何かを守っている様な勇ましい佇まいが似てる、だっけ?」



その瞬間、眩暈のようにぐらんと頭が揺れる。頭を押さえながらその場に座り込むと、ユミさんが駆け寄ってきた。



「ハル、この後のイッタの罰ゲーム、面白かったよね?」


「――え?」


「私達、駅のホームから見てたじゃない。2人でお腹抱えて笑ったよね。また見ようよ」


「何を言って」



そこでぎゅっと抱き締められた。



視界が遮られ、何も見えなくなる。次の瞬間、耳に入ってきたのは電車の発車音だった。思わず体を離し辺りを見ると、人が大勢居る駅のホームに居た。瞬時に場面が切り替わったようだ。



唖然としながら立ち上がると、僕達から離れた場所にイッタが佇んでいた。そして振り返り、見てろよとでも言うようにガッツポーズを作る。電車の扉が閉まり動き出すと、イッタも一緒になって走り出した。



笑い声が聞こえ振り返ると、ユミさんが手で口を押さえながら肩を揺らしていた。



「ハル、ちゃんと見てよ。笑えるから」



再びイッタに視線を戻すと、大きく手を振りながら、誰でもない誰かを見送っている。周りの人達、電車の中の人達が、きょとん顔でイッタを見ていた。



イッタは大声を上げる。



「元気でなー!俺の事忘れるなよー!!」



台詞盛ってるしと思い、吹き出して笑ってしまった。周囲の人達の唖然とした表情も見ものだ。イッタのアホさ加減に付随して笑いを助長させる。姿が見えなくなっても、その叫び声は聞こえていた。



「ボリビア着いたら連絡してー!!」



ユミさんと一緒になってお腹を抱えて笑う。ユミさんは立っている事がやっとな位で、僕の手を掴んで体を支えていた。



「何でボリビア。世界観が謎」


「ボリビアなんて遠い場所なら、電車じゃなくて空港で見送れよ」



こんなに笑ったのは久しぶりだ。現実は今、笑えるような状況ではない。だからこそこの世界は、僕にとって居心地が良く思えた。ユミさんとイッタさえ居れば、不満な事は何もない。むしろ完璧だ。



ユミさんは笑いすぎて出た涙を拭いながら言う。



「卒業したくないな。学校に2人が居ないと思うと、やっていける自信がない」


「それは、現実でも僕に言った言葉?」


「多分」


「僕がそれに対して何を答えたかは分からないけど、何か面白いことを計画して、卒業式の後にぱーっと遊ぼうよ」


「うん、そうしよう。だけど日本はつまらないよね。欧米の映画とか観ると、卒業前にパーティーしてるじゃない?ああいうのやってみたかった」


「ああ、プロムパーティーってやつ?」


「そう!あれに凄く憧れるんだー。楽しそうじゃない?」


「そう?一緒に行く相手捜さないといけないんでしょ、あれ。考えるとしんどくなる」


「そんな事ない。だって私にはハルが居るもん。プロムパーティーがあったら、一緒に行けるし」



はにかみながらそう言われると、途端に存在しないプロムパーティーに参加してみたくなった。イメージでは、体育館のような場所でバンドが歌う中、卒業生達がカップルで踊っているような感じ。男はスーツ、女はドレス姿。



「そしたらユミさん、ドレス着るんだね」


「楽しそう!どんなの着ていこう?ハルはどんなのが好き?」


「いや、な、何でも」



ユミさんが何を着ていても、目が奪われるだろう。しいていうならば、他の男の目を奪わないよう、露出を控えたものがいい。



「ああでも、ドレス着るなら髪が長い方が良かったな。今の髪型は短くて、ドレスに合わなそうだもん」



そう言いながら、肩ほどの長さの髪を弄っていた。その位の長さのユミさんしか知らない。ロングヘアーのユミさんってどんなだろうと、ついじっと顔を見て想像した。



「ハルは長いのと短いの、どっちが好き?」


「え?いや、どっちもいいと思うよ。まあ、ロングのユミさん見た事ないから、見てみたいとは思うけど」



そこで何故か、ユミさんが落ち込むように顔を俯かせる。



「長い髪の子の方が、好きなんだ」


「違う違う、そういう意味で言ったんじゃなくて――。」


「おまえ達、ちゃんと見てた!?」



そこでイッタが腕で汗を拭いながら戻ってくる。その顔を見たら、思い出し笑いしそうになった。



「端の方で駅員に怒られたんですけど」


「まじで?こっちは最高だったよ。イッタの迫真の演技にやられた」


「ねぇ、何でボリビアなの?」



そう言ったユミさんに目を移し、ギョッとした。何と、髪が伸びていたのだ。ウェーブ掛かっていて、胸の辺りまで長さがある。



「ユミさん、それ」



指差すと、驚いたように目を大きくさせ自分の髪を掴んだ。イッタは変化に気付いていないようで、僕達を交互に見ている。



「なんだよおまえら」


「だってほら見て、ユミさんがロングヘアーになってんじゃん」


「はあ?姉貴はもともと髪が長いだろ」



前からだったような物言いをするので、思わずユミさんと顔を見合わせた。



「イッタ、ちょっと待ってて。ハルと話がある」



ユミさんは僕を強引に引っ張り、少し離れた場所で興奮気味に言う。



「覚えてる?私にファミレスの前で、もう一度あの記憶に戻って欲しいって言ってきた時のこと」


「う、うん」



映画を2人で観た帰り道、こっちの世界でも告白する事が出来なくて、もう一度やり直したいと思った。出来るかどうか分からなかったけど、ユミさんにお願いしてやり直させてもらった。



「あの時に思ったの。もしかしてこの世界って、自分がしたい様な世界を描けるんじゃないかって」


「どういう事?」



ユミさんは自分の長い髪を掴み上げる。



「これだよ!長い髪を望んだらこうなったんだもん。きっとプロムを2人一緒に望めば、記憶が融合されでもして、実際にあった事のようにプロムパーティーの場面に行けるんじゃないかな?」



そう言いながら僕の手を取った。



「この間、映画館を出た時の記憶に戻れたように、プロムを思い描いてみようよ」


「現実で行った事ないのに?」


「うーん、映画で観たような場面を想像してみるの。どう?」


「どうと言われても」


「どんな映画の記憶でもいいから。はい、スタート」



ユミさんは僕の手を握ったまま目を閉じる。記憶にない場所に、まるでタイムスリップかのように移動できるのだろうか。だけど考えてみると、確かに今まで突然映画で観た場面に切り替わることがあった。2人で同時に思い描いたら、行ける確率が確かに上がるような気がする。



目を閉じて、映画で観たプロムのシーンを思い出した。僕の場合、未来にトリップするSF映画に出てきた。あの映画では確か、プロムダンス「魅惑の深海パーティー」という名だった。あの映画は確かに面白かったなんて、他の場面も考えそうになったけど、そっちに切り替わったらマズイので、何度もプロムのシーンを頭の中で繰り返す。



暫く経つと、一瞬だけ周囲の音が消え無音になった。だけど直ぐに音は戻ってくる。ホームで聞こえていたものとは違うと感じ、そっと目を開いた。

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