「歪み」4
――
――――
遠くの方から、ピッピッとゆっくり数秒間隔で鳴る機械音と、その音の狭間で僕の名を呼ぶ声がする。戻って来た事は理解していたけど、まだ夢心地の気分だった。
瞼を閉じていたけど光を感じたので、扉が開かれたのだなと思った。いつもだったら眩しくても何とか目を開けようとするけど、この時は開きたくなかった。このまま、そっとしておいてほしい。あの幸せな時をまだ、噛み締めていたい。
その時、誰かに体を揺すられる。
「ハル君?大丈夫かい?」
ウサミ先生の声だ。きっと今もなお、ピエロのような姿だろう。愉快なウサミ先生を見るよりも、僕はまだ脳裏にユミさんを思い浮かべていたい。そんな思いから目を開く気はなかった。
「大丈夫です」
「あともう少しで時間って時に、一気に2人の脳波が乱れたんだよ。心拍数も上がったし、何があったの?」
「ああー、あれかなー、遊園地に行ってお化け屋敷に入ったから」
早く1人になりたくて、適当な事を言ってみる。
「なんだいそれ、驚き損だよ」
「すみませんが、疲れたのでこのまま眠ってもいいですか」
「構わないよ。カルテは明日に取ろう。いつもの部屋に移動しようか」
「お願いします」
ストレッチャーに移され、恐らくいつもの部屋に通された。目を瞑っていたので正確な事は分からない。聞こえるのは、ブツブツと小声で専門用語を連発するウサミ先生の声だけ。毎回こうやって、律儀に部屋の移動にまで付いてきてくれる。
「じゃあハル君、明日起きたら呼んでくれ」
そこでハッとして、つい目を開いて呼び止めた。
「あの、今日の最後の反応が今後も出たら―― その、呼び戻さないでもらえますか?」
僕はベットの上に居て、やはりいつも泊まる部屋の一室に居る。もう一つ予想通り、ウサミ先生はピエロの様な格好のままだった。大量の紙を片手に、何故?と言わんばかりの表情で僕を見つめている。
「いや、それは難しいよ。緊急の場合との違いを見分ける判断が極めて困難だ」
「いやいや、ウサミ先生ほどの経験と能力があれば、不可能はないはずです」
そう答えると、片方の眉を上げ、目を細めながら見つめられた。
「実に可笑しい。察するに君は、戻って来たくなかったという事だね。理由は何だい?」
本当の事を言わなければならない。だけど小っ恥ずかしくて口に出来なかった。それに今は言わなくても良いのでは?とも思える。
僕はユミさんを救うべくしてマイ・レメディーに入った。だけど当の本人は死を望んでいる。今回の事で、ユミさんが生きたいと思ってくれたかはまだ分からない。次に会った時に確かめて、今日の事が救命に役立つと分かってから報告しても良いのではないだろうか。そんな考えが過り、敢えて冷静を装ってこう告げた。
「実は僕、お化け屋敷がめちゃくちゃ好きなんですよお。現実ではないあの世界でのお化け屋敷ってどんななのか、確かめたかったんですよねぇ」
ウサミ先生は瞬時に眉を顰める。
「それ、マジで言ってる?」
同級生のようなその口調に、思わず吹き出して笑った。
「マジです」
「じゃあ次はお化けの格好をしてみようかな―― いや待てよ、止めよう。この歳でそれやったら洒落にならない。患者もひっくり返る」
真剣な表情で独り言のようにして呟くと、じゃ!と手短に言い部屋を出ていった。電気が消え、僕はまたゆっくり瞼を閉じる。何かを考える余裕もなく、直ぐに眠りについてしまった。
何気なしにふっと目が覚める。ぼうっと天井を眺め、そのまま起き上がろうとしたその時、驚きで心臓が飛び出そうになった。
ベッド脇にある椅子に、誰かが座っていたのだ。前屈みに座っており、ベッドにうつ伏せ状態で眠っている。その人物を見て硬直した。
もしかして、またカシワギ?そう考えながら、目を細めてその人物を凝視する。
そこでハッとした。
「え?イッタ?」
そう問うと、イッタはうーんと
「何してんの?何で此処に居るの?てかその眼帯なに?何かあった?」
イッタは眼帯をしてない方の目を擦った後、へらっと笑う。
「やっと起きたかー。てか質問多いって。どれも頭にはいんなかった」
「な、何で此処に居るの?」
「何でって、何で?」
「おい、質問返しすんなよ」
こっちは真面目に聞いてるというのに、イッタはけらけらと笑っていた。どうやって此処に忍び込んだかは知らないけど、イッタが此処に居ることがバレたらマズイことになる。イッタが此処に居るイコール、僕がマイ・レメディーの事を友人にバラしたという事になるからだ。
いつまでも馬鹿みたいに笑うイッタに向かって、人差し指を立てシー!と注意した。
「此処にイッタが居るとマズイんだよ。分かってる?」
「ハルさー、彼女出来たんだ?」
思わず黙り込んだ。あの世界での出来事を、何で知ってるんだ?ウサミ先生にも言ってないのに。
「俺なんかホッとしたー。それに嬉しい」
「何で知ってんの?」
「お似合いだと思ってたんだよねー、実は。それにハルが1人だと俺も心配だしさあ」
僕の声など届いていないみたいにして、イッタは喋り続ける。奇妙すぎて言葉を無くした。イッタはベッドに
「なあハル、俺が居なくなっても、元気出せよな」
「――は?」
「初めて仲良くなった時さあ、実は周りから結構言われたんだよね。何で根暗の中津なんかとって。みんな分かってないんだよなー、ハルの良いところ。本当はすげぇ優しい奴なのにさあ」
何故か涙腺が緩んでくる。泣きそうになるのを堪えながら、何とか声を出した。
「イッタ―― どこか、行っちゃうの?」
そう問うと、ニカッと口を開いて元気に言う。
「そうなったらごめん!」
そこで僕の目からポロポロと涙が零れ出た。
「何で?その眼帯と、何か関係ある?」
そっと手を伸ばし、眼帯に手を掛けた。少しずらして見てみると、紫色に腫れ上がっていた。思わず手が震える。
「誰が、こんな事を。イッタは強いから、わざとやられた?」
「いや、大勢だったからさ、さすがに囲まれちゃうと無理だよねー」
「なに笑っちゃってんだよ」
「泣くなよハル、ごめんって。だって俺は普通の人間だもん。映画みたくさ、悪い奴バンバン倒せるヒーローでも何でもねぇし」
その時、廊下から足音が聞こえてきた。イッタは慌てるように立ち上がり、やべぇと声を漏らす。
「俺もう行くわ」
「イッタ、待って」
「バレたらまずいだろ?」
その言葉で何も言えなくなった。イッタは音を立てないよう扉を開き、そっと辺りを確認している。そして振り向き、僕の名を呼んだ。
「あいつには、二度と近付くなよ」
「え?どいつのこと?」
「分かるだろ?」
「いや分からないし―― ていうかイッタ、このまま居なくならないよね?」
「俺は親友を見捨てたりしねぇよ。いつも傍に居る」
その言葉を聞けてホッとした。目を瞑って深呼吸し、再び目を開けたその時には、扉が閉まりイッタが居なくなっていた。
「はや」
そう呟きながらも、そもそも此処にはどうやって入れたのだろうという疑問が残る。この隔離病棟に入るには、IDを持った医師が居なければ不可能だ。IDを何かしらの方法で入手した?いや、そもそも、僕がこの部屋に居るって何で分かったんだ?様々な疑問を抱えていると、ぱっと部屋の電気がついた。
驚いて顔を上げると、ウサミ先生が居た。今はへんてこな物を装備していない、本来あるべき姿の医者の格好だ。
「ハル君?いま誰かと喋っていたかい?」
「いや――。」
「警備員が監視カメラでこの病棟を24時間見張っているのだけど、侵入者の情報はない。なのに君が誰かと話しているような声がしてね―― って、泣いてるのかい?」
慌てて涙を拭うも、ウサミ先生は詰め寄ってきた。
「隠さないで正直に言いなさい。僕は君の健康状態を管理する立場にある。もちろん、心のケアーだって含まれるんだ」
隠せない状況だと感じたので、イッタの事ではなくカシワギの事を告げる事にした。
「そんなに親しくないんだけど―― 此処で寝泊まりすると、よく枕元に現れる奴が居る。前に先生に話した奴です。悪いのはあいつだ、あいつを殺せとか訳の分からない事を言ってきて、恐怖なんです」
ウサミ先生はさっきまでイッタが座っていた椅子に、ゆっくり腰を落とす。難しい顔をしたまま、何か納得したように頷いた。
「マイ・レメディーのせいだね」
「え?」
「脳を酷使しているから、君が幻覚を見るようになってしまったのさ。何か不安に思っている事が幻覚となって現れていると推測する。その症状はいつからだい?」
「わから、ないけど、数か月前からだと思う」
「何で言わなかったの?何かあったらちくいち報告しなさいと言ってるのに」
まだ色々と隠している事は山ほどある。それらを口に出せないのは、それぞれを想ってのことだった。
ユミさんとイッタを、守るため。
「僕、誰も傷付けたくないんです――。なんだか簡単に口に出来るような事じゃなくて、もっと根が深くて、この根を引っこ抜いたら、何処までも落ちていくような気がして、恐いんです」
「結果的に傷付いてるのは君だろう?ちゃんと僕を頼りなさい」
再び涙が零れた。
マイ・レメディーに入ってから情緒不安定なのは確かで、それでいて可笑しな事ばかりが起きる。まるで自分が異常者になったような気にもなった。
「暫くマイ・レメディーの使用は控えよう」
ウサミ先生の言葉にハッとする。あの世界に行かなければ、僕はユミさんに会う事が出来ない。現実世界ではユウダイが変だし、イッタもさっき訳の分からない事を言っていた。僕は現実に居るよりも、あの世界でユミさんと会っている方が心穏やかだ。素早く涙を拭い、気を取り戻した事を示す様に姿勢を正した。
「すみません、少し情緒不安定になってました。これからは全てきちんと報告するので大丈夫です。僕が弱音を吐いていたら、相手の命はいつまで経っても救われない。気をしっかり持ちます」
ウサミ先生は哀れむような表情で見つめてくる。
僕はまるで薬物中毒者のように、マイ・レメディーに依存していた。ユミさんを、失いたくはなかったのだ。
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