「歪み」3

――



――――




最初の頃よりは、ガツンと響く頭痛は弱まった。身体が慣れたのかもしれない。僅かな痛みを和らげるかのように眉間に力を込め、世界が切り替わるのを待つ。



徐々に音が耳に入ってきた。耳からイヤホンを外した時のように、空気が音となって通り抜ける。周囲の音がクリアーに聞こえてきた。



目を開くと、自分の学校に居る事に気が付く。校庭の裏に立っているようだ。目の前には、現実でも目にする大きな木が一本あった。



「あったね」



後ろから声が聞こえ振り向いた。制服姿のユミさんが居る。その姿を見ただけで、心臓が飛び出そうな程にドクンと大きな音を立てた。驚いたからではない。今やユミさんを見るだけで、緊張と喜びで心臓が忙しない。



ユミさんは僕を通り過ぎ、見上げたまま木をじっと見ている。その視線の先を辿ると、うちの学校のジャージがかなり上にある枝に引っ掛かっていた。こっちを見る事もなく、その場でただじっとしている。もしかしてと思い、問い掛けた。



「あれって、ユミさんの?」


「うん。あーあ、今回は面倒な所に置かれちゃったな」


「誰が一体、あんな事を?」


「知らない。私にとってイッタとハル以外の生徒は、全員敵みたいなものだから」



虐めってことかな。風に揺れるジャージを見つめながら、慣れた様子で話すユミさんを気の毒に思う。



「何であんな事されるの?」


「今回は多分、テストのせいかな」


「テスト?」


「気を抜いたつもりだけど、上位を取っちゃって。はあ、今の発言も、生意気だって言われるんだろうな。順位を貼り出すの、本当に止めて欲しい」


「凄いね――。」


「授業をちゃんと聞いてるだけだよ。私は学校でそれ以外やる事ないし。だけど、目立つとこういう目に遭うから、なるべく大人しくしようと思ってるんだけど―― 上手くいかないね」


「だけど生徒会長って、目立つ機会多くない?」


「先生に言われて断れなくて。そんな事よりも、午後の体育の授業、どうしようかな」


「イッタ探してくるよ。あいつ運動神経良いし」



ユミさんは勢い良く振り返り、真剣な表情で腕を掴んできた。



「いいの。私達の身長とあの木の高さを考えると、確率要素が低すぎる」


「確率要素って?」


「実数直線から複雑な空間への―― って、こういう所が嫌がられるんだよね。確率要素は置いといて、イッタに言うと怒りだすから止めて。チクったって言われて、もっと酷い目に遭う」



ユミさんは現実で、そんな酷い虐めに遭っていたのだろうか。可哀想だという気持ちになっていたけど、見つめ合っていたら、昨日の出来事を思い出してしまった。だけどこの様子からして、昨日この世界で起こった事は、なかった事になっているのかもしれない。そう考えていたら、ユミさんが途端に目を泳がせ顔を俯かせる。



何とも気まずい空気が流れた。お互いが、昨日の事を思い出しているのではないかと感じる。一旦この世界を出てしまったので、リセットされていたらどうしようかと思っていた。だけどこの反応は、昨日の事を覚えているように思える。



光の玉に飲み込まれる前、ユミさんが言い掛けていた言葉の続き、それが何だったのかをきちんと確かめたい。だけどもう、これ以上勇気が出なかった。



黙っていると、ユミさんが突然手を差し出してくる。そして無言で見つめてきた。謎の行動に戸惑っていると、手を引っ張られた。



「行こ」



そのまま手を引いて歩き出し、学校を出て駅の方へと足を進める。この行為は記憶なのか、それとも記憶違いの事をしているのかは分からない。女子と付き合った事のない僕は、ただ早まる鼓動を落ち着かせる事で精一杯だった。



駅に着くと改札の前で手を離される。ユミさんは物怖じせずに、改札を乗り越えていった。慌てて周りの人や駅員に目を移すも、みんな何事もなかったようにしている。改札を挟んだ向こう側から、ユミさんが手招きをしてきた。



「ここは現実じゃないから、平気だよ」


「いや、昨日と言ってること違うし」


「え?」


「無銭飲食になっちゃうって、怒ってたじゃん」



昨日の出来事を思い出したのか、ユミさんは瞬時に顔を赤らめる。そしてそれを隠す様に、眉を顰め頬を膨らませた。



「じゃあもう知らない。1人で行くもん」



そう言うと背を向け、すたすたと歩きだしてしまう。僕はただ呆然とその場に立ち尽くした。



何あの反応、可愛いんですけど。



ドキドキする中、どけよと言わんばかりにサラリーマンに弾き飛ばされた。よろけて少し改札から離れると、電車が到着したのか、改札の向こう側から大勢の人が現れる。そのせいでユミさんの姿が見えなくなった。



思い切って駅員の真ん前の改札を通り抜ける。そのまま走りながら振り返るも、駅員は僕の存在にすら気付いていない様子だった。大勢の人に揉まれながら進んでいくと、階段を上がるユミさんが目に入る。後を追っていくと、ホームにある路線図が書かれた掲示板の前で立ち止まっていた。路線図をじっと見たまま、僕を見ずに言う。



「ハルが行った事のない駅は、何処?」


「ん?」


「私はこの駅で降りた事ないな。ハルは?」



指さされた駅名を見て、首を横に振った。



「じゃあ、ここにしよっか」



ユミさんがそう呟いた瞬間、大きな音を立て電車がホームに入ってくる。僕は混乱していた。これは記憶に基づいた行動なのか、はたまた僕が知らない映画のワンシーンなのか、とりあえずどちらにしても僕の記憶にはない。



到着した電車に一緒に乗り込むと、乗っていた人達全員が電車を降りた。



「あれ?もしかして此処が終点なんじゃない?」



このまま車庫にでも行ったら困る。そう考えて慌てるも、ユミさんはあっけらかんと笑っていた。



「分かんない。でもやったね、貸し切りだ」


「いやいや、そんなお気楽なこと言っちゃって、どうなるか不安じゃないの?」


「この世界で起こる事をいちいち気にしていたら、切りがないもん」



それはそうだと納得していると、電車の扉が閉じられた。2人きりのまま発車し、何処かへ向かって走り出す。



「座ろっか」



ユミさんに促され、真ん中の席に並んで座った。目の前に見える窓の景色は、夕陽が顔を覗かせている。



今日のユミさんは、何処か落ち着いているように見えた。表情が穏やかで、のんびりしている気がする。



「学校サボっちゃったね。記憶探しからもサボったって事になるけど」


「じゃあ、今は記憶と違う行動を取ってるってこと?」


「そうだね」


「いいの?だって―― 理由はよく、分からないけど、僕が早く記憶を取り戻す事を望んでたでしょ?」



夕陽を見つめたまま何も答えてくれない。髪も瞳がオレンジ色に染まっている。ガタンゴトンと走る電車の音だけを暫く聞いた。



ユミさんはゆっくり首を傾げ、それと同時にさらっと髪の毛が横に流れた。



「よく、分からなくなってきちゃって」


「え?」


「このままでも良い気がしてきちゃったの。ハルのせいで」


「僕の、せい?」


「ハルが昨日―― あんな事を言い出すから」



俯きながらそう言う。瞬時に昨日の事を思い出し、僕の顔が熱を持ってきたのが分かる。心臓の鼓動が早まってきた。味わった事のないこの緊張感に耐えられない。



想いを告げた事に後悔はないけど、告げた後はどうしたらいいんだろう?告げた相手とどう接していけばいいんだ?息苦しくなってきたので、目を瞑って気付かれないよう深呼吸した。とにかく、何も言葉が出ない。



再び無言の時が流れる中、目を開いてみると、誰も居なかったはずの前の席に人が居た。思わずびくっと体が動き、小さな声で「びびった」と言うと、ユミさんも顔を上げ「え」と声を漏らす。



いつ現れたのか、向かいに座っていたのは、にこやかに微笑む老夫婦だった。日本人ではく、恐らく欧米の人だと思う。白い肌に彫りの深い顔は皺だらけだった。男性の手には杖が握られている。



「何かの映画に出てきた2人かな?」


「さあ―― そんな気もするし、全く知らないような気もする」



この世界では、見覚えのある映画のシーンによく出くわす。だがあの映画だと気付き登場人物に近付いてみると、知っている俳優ではなく、何処となく似たそっくりさんという場合が多い。憧れの映画のワンシーンに入れるのは嬉しいけど、有名人に会えないのが唯一残念な点だ。だから今のように登場されても、誰だか何の映画だか思い出すのに時間が掛かる。映画のシーンではないという可能性もあるので、やっかいだ。人間の夢の中ってのは、本当に訳が分からないものなのだ。



「誰かは分からないけど、なんかいいよね。ああやって、年を取っても寄り添えるのって」



その言葉に頷きながら、自分の両親のことを考えた。目の前に居る夫婦、映画の中に居る人物は、所詮虚像だ。現実はもっと冷めていて、そこに愛などは見えない。生活が出来ないからとか、自身の世間の体裁のため、男と女は共に生きていくのではないだろうか。自分の両親を見ていると、そう思わずにはいられない。



だけどもし、僕がユミさんと共に生きていくとしたら―― そう想像しかけてはいつも止める。あんな風にというお手本が居ないし、僕には自信と希望が欠けているからだ。



アナウンスも何もなく、電車が減速し出した。窓の外に、何処だか分からない駅が現れる。目の前に座っていた男性の方がゆっくり席を立ち、杖片手に近付いてきた。そしてユミさんの手を取った。



「Good Luck,Smart Girl」



そう告げると、今度は僕の目を見て言う。



「Love Is Everywhere」



“愛は何処にでもある”と言っているのだろうか。何故そんなことを伝えてきたのかは分からない。まるで、さっき僕が考えていた事が聞こえていたかのようだ。男性は席に戻り、再び満面の笑みを見せている。隣の女性が手を上げ「Bye」と言うので、ユミさんと顔を見合わせた。



「降りろ、ってことかな」


「うん、よく分からないけど、降りてみようか」



2人で恐る恐るホームに出た。電車の扉が閉められた音がし、振り返る。夫婦は僕達に向かって、いつまでも手を振ってくれていた。



到着した駅は誰1人として居なく、奇妙なほど閑散としていた。ユミさんは周囲を見ながら「さてと」と呟く。



「此処から先は、どうなるか分からないね。恐らく、来た事のない場所だし」


「見る所、他の駅と変わりないけど」


「私達の記憶にない場所のはずだから、何か可笑しな所がありそうなんだけど―― というか、どうして誰も居ないんだろう?」



電車が来るような気配もないし、駅員の姿さえなかった。2人できょろきょろしながら足を進める。階段を下っていくと、改札はあるもののその先は真っ白だった。



「なにあれ?」



ユミさんは物怖じせずに改札を乗り越え、その先にある真っ白な空間に向かって走っていく。



「ちょっと待って!もうちょっと様子を――。」



“様子を見よう”と言い切る前に、ユミさんは白い空間に包まれ姿を消してしまった。



「まじ?」



何処かに消えた。もしかしてあの先は異空間?こっちに戻って来れなくなって、おまけに現実でも目覚められなくなったらどうしよう?不安で手に汗握る。だけどこのまま、僕だけ現実に戻るわけにはいかない。意を決して改札を飛び越え、白い空間に向かってダイブした。



次の瞬間――



ドサッという音と、身体に衝撃が走る。何故か僕は、さっき居た無人のホームに戻っており、地面に倒れ込んでいた。



誰かが笑う声が聞こえる。顔を上げると、僕を指差してユミさんが笑ってた。



「何してんのハル」


「いや、あれ?戻った?何これ」


「ねぇねぇハル、見て見て!」



笑顔でそう言って走り出した。そしてまた階段を下りている。



「何やってんの!?」


「いいから、待っててー!」



叫びながら走り去っていった。辺りがシーンと静まり返る中、ゆっくり立ち上がってズボンに付いた埃を落とす。すると突然、何処からともなくユミさんがぱっと現れる。まるで魔法みたいに。



「え」


「凄くない?ワープだよワープ!」



ユミさんは偉くはしゃいでいた。その姿はイッタを思い出させる。さすが姉弟きょうだいだななんて思っていると、再び階段に向かって走り出した。



「ちょっ――。」



本当何やってんの、ユミさん。



姿が見えなくなった階段をじっと見つめていると、後ろから「わっ!」という声が聞こえた。振り返ると、満面の笑みのユミさんが居る。呆れながらも問い掛けた。



「楽しいんだ?」


「すごく!」



そう答えるとまた走り出す。



「ちょっともう、ユミさーん」



子供じゃないんだから。年上のくせにはしゃぎすぎとか思ったけど、あんな無邪気な姿は中々見られないので、嬉しい気持ちにもなっていた。察するところ、2人とも記憶にない場所には行けないようだ。こんな風に元居た場所に戻されてしまう。



腰に手を当て、次は何処から現れるのかを考える。その時、後ろ姿のユミさんが何処からともなく現れた。とりあえず落ち着かせようと思い、ゆっくり近付いて体を押さえようとしたその時、ハッとした様子で振り返り、きゃあきゃあ言いながら逃げてしまう。追い掛けるもまた階段を下ってしまった。



これを2度ほど繰り返し、疲れてきた所でやっと腕を掴んで止める事が出来た。ユミさんはぜえはあ言って息を切らしていたけど、表情は明るくとても楽しげだった。



「何で止めるの?面白いのに」


「もう疲れた。あそこ座ってちょっと休もう」



自動販売機の横に椅子があったので、手を引きながらそこまで歩く。ため息交じりに座ると、ユミさんは自動販売機の前に立った。



「喉乾いた。ハル、お金持ってない?」


「持ってない。何も持たずに出てきたから」


「えい!」



ユミさんが自動販売機のボタンをこぶしで叩く。すると、ガコンッと音を立て缶が落ちてきた。



「凄い!出てきたよ」


「え、出てきちゃんだ?」


「ハルも飲むよね?」



そう言って再びボタンを押す。ありがとうと言おうと口を開きかけたけど、言えずにそのままポカンとした。またまた楽しくなっちゃった様子のユミさんは、笑いながら色んなボタンを押して遊び出したからだ。慌てて立ち上がり止めた。



「何してんの。いくらタダだからって遊ばない」


「だってこんな自動販売機、現実では絶対にないでしょ?面白くない?」


「そうだけど――。」



ユミさんは取りだし口に手を突っ込み、1本ずつ胸に抱えだした。そして凡そ10本ほどの缶やペットボトルを抱きかかえ、笑顔で見つめてくる。



「ハルはどれがいい?」



その姿があまりにも可愛くて、女の子に免疫のない僕はくらくらしてきた。咄嗟に方向転換して椅子に座る。そして目も見ずに言った。



「じゃあコーラで」



飲み物を抱きかかえたまま僕の隣に座り、空いた席に缶やペットボトルを置いていく。その中から、ペットボトルのコーラを差し出してきた。



「ありがとう」



受け取ってキャップを捻ると、瞬時に泡が噴き出しコーラが零れてしまう。



「うわ」


「何やってんの」


「ユミさん振った?」


「違うよー、私のせいじゃないもん」



ユミさんは終始にこやかで嬉しそうだ。誰1人として居ないこのホームに取り残され、この先どうしたらいいか分からないという状況なのに、何故そんなに楽しそうなのかが理解出来ない。



「不安じゃないの?」



そう問うと、缶に口に付けながら何でと目を丸くさせる。



「だって誰も居ないしさ、電車も来る気配すらないよ」


「2人きりだし楽しいよ。デートって感じで」


「え?」


「え、違う?」


「いや、そもそもデートっていうのは一体――。」



そこまで言って言葉が詰まる。頭の中が整理出来なかった。デートってことは、ユミさんの中で付き合ってるという認識なのだろうか。だけど付き合っていなくてもデートと呼ぶ事もある、と多分だけど思う。彼女が出来た事のない僕には、この線引きが分からない。固まって考え込んでいると、ユミさんは肩を竦め手で口を押さえた。



「もしかして、引いてる?」


「引いてないけど、ちょっと意味がよく分かんない」



すると僕から目を逸らし、俯きがちに小さなため息を吐く。



「ハルってさ、私に引いてる様な行動をよく取るよね」


「そう?」


「私は孤独に負けて、好きだって言われるとすぐに付き合っちゃう。ハルはそういうタイプじゃないから、引いてるでしょ」


「いや、ただ単にモテるタイプじゃないし、何て言うか、僕なんか相手にしてもらえないって思ってるだけで、引いてはない」


「私は恋愛対象外なんだってずっと思ってたの。だから告白された時、凄くビックリしたよ」



また思い出してしまい、恥ずかしくなってくる。顔が熱くなってきたので、見られないように両手で顔を覆って前屈みになった。照れる自分など醜態なので、見せたくない。



「あー、あのさ、それ、少しの間忘れてくんないかな」


「どうして?嬉しかったのに」



状態を崩さずそのままの姿勢であれこれと考える。ユミさんに嬉しかったとフォローされ、喜んでしまいそうな自分をお馴染みの卑屈心で押さえつけた。



「いや、さっきの話からいくと、告白されたって事だけが嬉しいんじゃないの?」



そう言うと体を叩かれた。



「ハルのバカ。手出して」



顔から手を離してみると、ユミさんの手が差し出されていた。意味が分からず、その手を見つめたまま硬直する。すると、無理やり手を繋がれた。



「ちょ、なに?急に何なの?」


「その反応も引いてるっぽい」


「引いてないけど――。」



流れで繋いだ事はあったけど、その時と状況が違うので戸惑う。恋愛経験値0の僕には、あまりの展開の早さについていけない。



「ハル、何か勘違いしてない?」


「え」


「これはお互いが意地を張らない為の方法なの。手には神経がたくさん集まってるでしょ?その手に触れたり繋いだりすると、お互いの心が落ち着くんだよ。私とイッタが収集の付かない喧嘩になった時、幼い頃から母親にこうさせられてきたの」



姉弟きょうだいのイッタと同じ方法って――。僕はやっぱりユミさんにとって、弟のような頼りない存在なのかもしれない。密かに落ち込むも、ユミさんはそのままベラベラ話し出した。



「ハルっていっぱい勘違いしてる。私だってハルのちょっとした言動に怖気付くことなんてしょっちょうだし、自分に自信なんて持てない。自信がないから、好意を持ってくれる人を受け入れちゃう。そんな私を馬鹿だなと思ったことあったでしょ?」


「いや――。」


「正直に言って」



ユミさんが自分に自信がないから、相手の性格に難があっても付き合ってしまうなんて事は知らなかった。だけどダメ彼氏に振り回されるユミさんを見て、何であんな奴を好きになるんだろう?馬鹿だなぁと思った事は、確かにあるっちゃある。



「まあ、少しは」



そう答えると、正直に言えと言ったくせにムッとしたような表情を見せた。



「だったらイッタみたいにハッキリ言って欲しい。ハルっていつもそうやって心の中にしまってばかりで、たまに何を考えてるのか分からない」



ブツブツそう言うのを見つめながら、手繋ぎ効果は本当に意味があるのだろうかという事を考えていた。きっとこういう所がユミさんを怒らせているのだろう。今はそれが何となく分かるので、ただ黙って聞くに徹した。



「友達としては受け入れてくれるけど、彼女としては駄目なんだと思ってた。そもそも恋愛に興味ないって言ってたし」


「いやあの、彼女になって欲しいなんて事はおこがましくて言えないというか―― だけど惹かれちゃう自分も居て、さ、なんだか自分でもよく分からないんだ」



ユミさんは突然、瞳を潤ませながら見つめてくる。



「私がなりたいって言ったら、彼女にしてくれるの?」


「えっ――。」



なんだその、希望に満ち溢れた様な表情は。僕なんかに。こっちのが、僕なんかが高嶺の花のユミさんの彼氏でいいんですか?って思ってるのに。



恥ずかしくなってきて、ユミさんを直視する事が出来ない。嬉しいより照れが勝って、この空気に耐えられなくなってきた。だから話を少し逸らそうと思った。



「そもそもさ、この世界で付き合うとか意味ある?それに、現実とは違う行動だし――。」


「ギュってしてもいい?」


「はい?」



全く聞いてない様子だった。おまけに僕の返答を待たずにして抱き付いてくる。ふわっと花のような良い香りが近くなった。



抱き付かれたら早まる鼓動の音に気付かれるし、万が一汗臭かったらどうしようとか、色々な考えが頭の中を駆け巡った。結果パニックになりすぎて、抱き締め返す事も出来ずに固まってしまう。



ずっと想い続けていた人が、僕に抱き付いている。こんな奇跡があるのだろうか。



「私、勇気を出せば良かった。迷惑掛けちゃうと思って、諦めてた。ハルも同じ気持ちだったなんて、本当に嬉しい」



確かに恋愛なんて意味ないと、何処か冷めた考えを持っていた。付き合ったら別れる。それでまた誰かと付き合って別れるを繰り返す。時には相手に翻弄されて私生活に影響が出るなんて、とんでもなく馬鹿げていると思っていた。そうやって頭で考えた所で、不思議と心はコントロール出来ない。自然と惹かれてしまう人が居る。そしてその人と想いが通じ合った瞬間、この喜びは底知れない程のものだという事を今、初めて知った。



恋愛に興味ないなんて、何を恰好付けていたんだろう。ただの負け犬の遠吠えだ。本当は心の片隅で求めていた癖に、何かと卑屈な理由を付けて逃げてただけだった。勇気のない自分から、目を背けていただけだ。



恐る恐る、固まっていた手を動かし抱き締め返す。



「ハル、もっと強く」



歓喜で胸が押し潰れそうだった。力を込めて抱き締め、その存在を確かめる。一生このままでもいいと思える位に幸せだった。



思わずぽろっと本音が出る。



「これが、現実だったら良かったのに」


「そうだね――。現実とは違う思い出を一緒に作ってみるのはどう?」


「出来る、かな。この世界に翻弄されそうだ」


「今出来てる。だから大丈夫だよ、きっと」


「そうだね。現実で、こんな風に抱き締め合った事はないしね」



ユミさんは微笑みながら顔を上げ体を離す。ずっとこのままの状態でもいいと思ってた僕は、何となく物足りなさを感じてしまった。



「現実でした事のないこと、もう1つ」



恥ずかしそうにはにかんだ後、両手を肩に置いてきた。そして、僕にキスをした。どの位の長さだったかは分からないけど、まるで時が止まったような感覚に陥る。驚きすぎて目を開けたままだった。



ユミさんは伏し目がちに、ゆっくり顔を離す。そのまま体も離しそうだったので、包み込むように頬に触れ動きを止めた。



じっと見つめられ、その瞳を間近にすると、夢なんじゃないかと思えてきた。いや、夢なんだけど。複雑で不思議な状況だ。



唇の感触があったか分からないほど驚いてしまったので、確かめようと顔を近付ける。ユミさんが応える様に目を閉じたその時、強い光を感じ目が眩んだ。



気付いた時には、僕達はあっという間に光に呑み込まれてしまった。

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