「歪み」2
***
4日ぶりの学校だった。
イッタがまるで犬のように飛びついてくる。それでどうでもいい話を永遠としてきた。学校に来るまでユウダイの事で不安を抱えていたのに、イッタのアホさ加減にそれも吹っ飛ぶ。
そのまま何事もなかったようにお昼ご飯を食べ、午後の授業が始まろうとしていたその時、のそっとユウダイが教室に入ってきた。クラスに居る皆が、息を呑んでユウダイを見つめている。僕は久しぶりに会ったユウダイに、何か違和感を抱かずにはいられなかった。
髪の毛は相変わらず金色のままだけど、ピアスが増えている。方耳に2個だけだったのに、今や面と向かって数えないと分からない位に増えていた。そんな外見の変化よりも、気になったのは表情と雰囲気だった。何となく、僕の知っているユウダイではない気がした。
ユウダイは
「久しぶり」
そう声を掛けると、目を合わせずに「おう」とだけ言った。
目がいつもと違う。鋭くて無機質な目は、何処か冷たさを感じた。イッタが自分の席から勢い良くやってきて、ユウダイの肩を揺らし出した。
「おまえマジ何やってんの?連絡も全部完全無視だしよ、このままじゃ単位落とすぞ」
ユウダイはチラッとイッタを見ただけで何も言わない。その反応に腹を立てたのか、ユウダイの胸ぐらを掴んだ。
「聞いてんのかよ!なに無視ぶっこいてんだ!」
「イッタ、落ち着けよ」
間に入って止めていると、教室の扉が開き数学の男性教師が入ってきた。
ユウダイは掴まれたイッタの手を、無言で払い除ける。
「おい、イッタ!何やってんだ、席に着け!」
多くの先生はイッタだけを名前で呼ぶ。何となくそういうキャラなのだ。愛嬌があるので叱り易い存在なんだと思う。イッタは肩を落としながら、諦めたように自分の席に戻った。
「じゃあ始めるぞ。ちゃんと宿題はやってきたか?前に出て発表してもらう」
「あ!」
イッタがそこで何かを思い出したような声を出す。そしてあっけらかんとした様子で言った。
「さっき隣の教室で宿題写させてもらってたら、ノートそのまま置いてきちまった」
「良い度胸だ。宿題をやってきていないという事を堂々と発表するとはなあ」
クラスメイトはくすくすと笑っている。
「ノート取ってきていいー?」
「早くしろ。戻ってからたっぷり罰を与える。今日はイッタを集中して当ててやるからな」
「はあー?ヤダよー、俺数学嫌いだしー」
そう言いながら教室を出て行った。先生は呆れたように首を横に振り、再び教科書に目を落とす。そして宿題に出ていた公式を黒板に書いていた時、後ろから「先生」と呼ぶユウダイの低い声がした。
「トイレ行きたいんだけど」
先生はため息交じりにそれを拒否する。
「我慢しろ。あと55分の辛抱だ」
ユウダイはゆっくり立ち上がり、無機質な目で反抗的な態度を取り出した。
「差別ですよ先生。イッタは良くて、何で俺はダメなんすか」
先生は振り返り、眉を
「イッタとは状況が違うだろ。いいから座りなさい」
前から反抗的ではあったけど、いつものユウダイならここで諦めてふて腐れるだけだ。だけど今日は違った。自分の目を疑いたくなるほどに。
ユウダイが突然、声を荒げたのだ。
「っざけんなよ!」
おまけに自分の椅子を蹴り上げたのだ。椅子は後ろにあったロッカーにぶつかり、女子がきゃあっと驚きの声を上げる。僕はあまりにも驚いてしまい、硬直したままユウダイを見つめた。
「こっちはトイレに行きてーつってんだよ!緊急事態だろ?イッタと変わりねーだろうが!くそ先公がよ、胸糞わりぃ」
そう言いながら
「ユウダイ!」
我に返ってそう叫ぶも、1度も僕を見る事なく教室を出ていった。
何あいつ?何があったんだ?
教室は騒めき出す。先生もかなり驚いたようで、呆気に取られたように口を開けぽかんとしていた。そんな中、ノートを手にしたイッタが戻ってくる。周りの様子を見て、何も知らないあいつは笑顔で言った。
「えー、何だよ皆!何か楽しい事でもあった?俺にも教えろよ!」
先生はハッと我に返ったように教室を見回し、静かにしなさいと大声で注意をし出した。イッタが首を傾げながら席に着くと、後ろに座っていたクラスメイトがイッタに耳打ちをし出す。すると、表情が一瞬にして険しくなった。
何が起こったのかを聞いたのだろう。咄嗟に僕を見た。何も出来なかったとでも言うように、イッタに向かって首を横に振った。体を前に向き直したあいつの横顔は、いつになく真剣だった。
ユウダイに何があってああなってしまったかは分からないけど、恐らくバイト先で仲良くなった人達というのが、噂通りユウダイにとって良くない連中なのだろう。ユウダイは変わってしまったのかもしれない。さっきの出来事は、その始まりにしか過ぎないのではないだろうか。そんな嫌な予感がした。
それから休憩時間、放課後が来ても、イッタは一切ユウダイの話に触れて来なかった。学校中がユウダイの良からぬ噂を立てているというのに、イッタはわざと聞いてない振りをしている。それは、正義感の強いイッタにしては不思議な行動で、僕にはその様子が妙で何か引っ掛りを感じた。だけど何も出来る事はなく、帰る時がやってきてしまう。
イッタが急ぎの用事があると先に帰ってしまい、1人で教室を後にした。廊下を出た時、隣のクラスから姿勢がやけに良い小さな男が出てくる。僕も決して長身ではないが、見下ろして話が出来る数少ない内の1人だ。
それは、揃えた前髪に丸い眼鏡が特徴のカシワギ。
こっちを見たけど、目が合ったかは分からない。窓から差し込む西日で眼鏡が光っていたからだ。生きてたんだというホッとした気持ちと、昨夜に感じた恐怖心が半々だった。
「久しぶり。元気?」
恐る恐るそう問い掛ける。カシワギは表情を一切変えずに「まあ」とだけ呟いた。カシワギとは小学生の頃に同じクラスだった名残もあり、たまにこうやって挨拶くらいはする。だけど僕よりも更に卑屈な性格で、人を小馬鹿にするような態度を取る奴だ。
僕の顔をじっと見た後に、ふんっと鼻で笑う。
「中津君、目の下にクマ出来てるよ。よっぽど勉強したんだろうね?次のテスト結果が楽しみだよ」
厭味ったらしくそう言ってきた。
よし、ある意味絶好調のカシワギだ。いつもと全く変わった様子はない。やっぱりマイ・レメディーのせいで幻覚を見たか、もしくは疲れて変な夢を見ただけだ。そう確信出来れば、こんな嫌味な男とこれ以上会話する必要がない。
僕は愛想笑いをしながら、じゃあとだけ言って学校を後にした。
病院に到着し白い部屋に入ると、既にウサミ先生が座っていた。何か分厚い本を読んでいたようだ。僕を見ると本を閉じ、ホッとするような朗らかな笑みを見せてくる。
「優秀だねハル君、今日は来ても来なくても良いって言ったじゃないか」
「そ、そういうウサミ先生だって、この部屋に居るって事は、僕を待ってたんじゃないの?」
「直感でね、来るような気がしたのだよ」
「そんな事よりも、今日の格好のコンセプトは、それ―― ピエロ?」
「当たりだ」
ウサミ先生は赤い鼻をつけており、アフロのカツラを被っていた。今やヘンテコな格好をしていても驚かなくなった。慣れってものは恐い。いつもは
まじまじと見つめていたら、考え深い気持ちになってきたのだ。
僕、何かを忘れてる?
ピエロの格好をしたウサミ先生を見て、何故こんな感情を抱くかは全く分からなかった。ピエロに何か思い入れがあっただろうか。
「今日のコンセプトは“笑い”だ。笑うという行為は、人の心と体を健康にする。ウィルスなど体に悪影響を及ぼす物質を退治しているのは、リンパ球の一種である
「はあ」
物凄く早口で言われたので、細かい事は頭に入らなかった。そんな事よりも、ピエロの格好のウサミ先生に釘付けだ。何かを思い出せそうだったから。
「道化師は、
ウサミ先生のその日の格好について触れると、いつもこんな風にマイ・レメディーとは関係のない話を聞かされる。だがそれにももう慣れた。今の話を聞きながら、何が言いたいのかを何となく察した。
「要はピエロ、つまり道化師はウサミ先生なんだね。先生は面白いし変わってるから、人からそんな風に見られている気になるんですね」
ウサミ先生は目尻のしわを増やし、にこやかに見つめてきた。その通りだと言っているように思えたが、僕をじっと見つめこう言う。
「全然違うよ」
「えええ」
「だって僕は自分が可笑しな奴だという自覚がないもの。至って普通であり人間味溢れている」
「だとしたら、一体何が言いたいのか分かりません」
「周りをよく見てご覧なさい。僕はいつも君に、ヒントを与えているのだよ」
「え?」
ウサミ先生の表情はいつものように穏やかだったけど、目の奥がとても真剣に見えた。まるで、目だけで僕に何かを訴えているかのように。
突然、ウサミ先生が白衣のポケットから何かを取りだす。そしてそれを口に咥え、ピーっと音を出した。丸まっていた紙筒が伸び、口から離すとその紙筒は再び丸まる。それはお祭りなどでよく見る“吹き戻し”というおもちゃの笛だった。
ぽかんとしていると、またピーっと音を立て吹き出す。
「はい終了。相変わらず時間がないのだよ、さっさと入っちゃって」
そう言いながら立ち上がり、マイ・レメディーが置かれた部屋の扉を開いた。そして急かすように手招きしてくる。
中に入るとあっという間に大人達に囲まれ、手早く使用の準備をさせられた。
今日学校で起きたユウダイの件で頭がいっぱいだったのと、ウサミ先生との会話のせいですっかり忘れていた。
あれがあってから、初めてユミさんに会う。
記憶の時を戻して想いを伝え、恐らく気持ちが通じ合ったであろうあれの事だ。一回マイ・レメディーを出てしまったから、無かった事になっているという可能性もある。考えていたらドキドキしてきた。
中に寝転ぶと、ウサミ先生が顔を覗かせてきて言う。
「どうしたの?初日のように心拍数が高いね」
「そう、ですか?今日学校で色々あったから、疲れてるせいかもしれません」
「今日は止めといた方がいいんじゃない?学校の後だから入れても3時間くらいだし」
「いえ、昨日相手の女性が生きたいって思いそうだったので、今日も頑張ってみたいんです」
「――そうかい。じゃあ行ってくるといい。バーイ、ハル」
そこで扉が閉じられる。
ゆっくりゆっくり、睡魔に襲われていった。
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