第四話 マーラ・セ・ゼラの宝石店

 マーラ・セ・ゼラの本店へと足を踏み入れたオレとルリアは、深い感嘆の溜息をついた。そこはまるで貴族の館のようだった。広々としたサロンは滑らかな白い石の梁で支えられ、高い天井にはシャンデリアと植物模様の見事なレリーフがきらめき、床は金の刺繍がほどこされた青い絨毯が敷かれている。

 展示された宝石たちは豪奢な館を引き立てるように、内外から降り注がれる光を反射してそれぞれ魅惑的な輝きを放っていた。

 すでに閉店時間を過ぎていたため、店の中にはお仕着せに身を包んだ初老の執事以外、オレたちのほかに客はいない。表通りに面したショーウィンドウを眺めていたルリアが、突然手招きしてオレを呼んだ。

「見て、メグ! あの指輪だ!」

 それはルリアが魔法祭のときに気に入っていた、瑠璃色の宝石のついた指輪だった。対照的な色合いの真紅の布に覆われて、指輪は実に美しい輝きを放っている。うっとりとした表情で宝石を見つめていたルリアは、やがてリーブル先生の腕にしがみつくと甘えるように懇願した。

「先生、お願い。これ買って」

「はあ?」

「一生のお願い!」

 先生は彼女が指差す指輪を見ると、値札に視線を移して呆れたような顔をした。

「君みたいなお子様がするような指輪じゃないよ」

「もう大人だもん! 立派な淑女レディだもん!」

「一体どこに淑女レディがいるっていうのさ?」

 先生がわざと辺りを見回して探すような素振りをしたものだから、ルリアは再び機嫌を損ねて膨れっ面になってしまった。マーラさんがその場の空気を取り持つようにしてルリアに言う。

「魔力を増幅させる素敵な魔法の石があるんですよ。ご覧になりますか?」

 執事から鍵束を受け取りショーケースの鍵を開けると、マーラさんはきらきら光る小さな石を取り出した。繊細な虹色の光を放つ見事なカットの宝石だ。

「わあ、きれい!」

「気に入ったのなら差し上げましょう」

 マーラさんの突然の申し出に、ルリアは顔を輝かせた。「いいの!?」

「いいわけないだろ!」

 リーブル先生がすかさずルリアの頭を杖で小突いた。だが、マーラさんは先生に向かって「いいんですよ。君のお弟子さんだから特別です」と微笑んだ。

「この石は魔法の杖に取り付けると効果があるんです――たとえば、ルリアさんの杖でしたら花飾りの中央の窪みに埋め込んではいかがでしょう? もし今晩杖をお預かりしてもよろしければ、私の方でやらせていただきますよ」

 ルリアは先程買ってもらったばかりの杖を手渡すと、大喜びでマーラさんに抱きついた。

「ありがとう、マーラさん!」

「ひっ……」

 奇妙な声を発したマーラさんは、それっきり彫像みたいに固まって動かなくなってしまった。リーブル先生が慌てた様子で二番弟子の腕を引っ張って自分の方に引き寄せる。

「駄目じゃないか、ルリア」

「何が?」

「マーラは女の子が苦手なんだよ」

 宝石店のあるじは硬直したままわずかながらに震えていた。見事なまでに真っ青になってしまった顔を覗き込み「大丈夫ですか?」と尋ねると、彼は目深に下がったシルクハットの位置を直しつつ、平静を取り繕いながら返事を返す。

「大丈夫。大丈夫ですルリアさん。どうか気にしないでください」

「ルリアはあっち。オレはメグです」

「ああ、すみません。気が動転して何がなんだか……」

 マーラさんがようやく落ち着きを取り戻したのは、店の一角に置かれたソファに腰を掛け、執事がお茶を運んで来た頃だった。

「お恥ずかしいところをお見せしました」

 彼は弱々しくオレとルリアに微笑むと、幼少期のトラウマが原因で女性恐怖症になってしまったことを説明してくれた。

「私には四人の姉がいるのですが、私が一番年下で唯一の男ということもあって、子供の頃に異常なほど構われていたんです。人形のように扱われ、口答えなどしようものならそれは大変な仕打ちがありました。幼い姉弟の世界にはありがちな事なのだと思います。でも、それがこうして自分の心の傷になってしまったのは、きっと私が弱い人間だからなのでしょう」

 それから、彼は無理矢理話題を変えるようにして、オレにもルリアと同じような魔法の石を薦めてくれた。オレが握り締めていた杖を目に留めたマーラさんは、星十字の飾りを見て驚いたような顔をした。

「それは……聖エセルバートの杖ではありませんか?」

「え?」

 マーラさんの言葉に先生が笑った。

「ウォトキンじいさんも君と同じようなことを言ってたな。ほら、君も知ってるだろう? 杖の専門店のじいさんだよ。古市で手に入れた杖にたいそうな由来をつけて高値で売りつけようとしてたんだ」

「星十字の宝石が文献に載っていたものと似ていると思ったんですが、よく考えてみれば聖人の杖が実際に存在していたとしても、市場に出回っているはずがありませんよね」

 そのとき、執事と入れ替わるようにして輝くばかりの宝石を身につけた四人の女性が、まるで小鳥が囀るような騒がしさでサロンに姿を現した。

「あらまあ、本当にいらしたわよお姉さま!」

「お久しぶりね、リーブルさん!」

「すっかり立派になられて!」

「まあまあ、こちらがお弟子さんですの?」

 リーブル先生は「お久しぶりです。レディ・セ・ゼラたち」と愛想良く微笑んだ。色とりどりのドレスに取り囲まれたオレとルリアは、その勢いの凄さにどうしてよいかわからずソファの上で縮こまった。

 マーラさんがオレとルリアにレディたちを紹介してくれた。

「私の姉たちです。左から長女のアイリス、次女のローズ、三女のダリア、四女のデイジーです。姉さん、こちらはリーブルのお弟子さんで、メグさんとルリアさんです」

「どちらも可愛いらしいお嬢さんですこと!」

 レディ・アイリスのその発言に、先生が飲んでいた紅茶を噴き出した。そして、ルリアと二人で腹を抱えてげらげらと笑い始めた。オレはそんな彼らを横目で軽く睨みつけながら、自分が男であることを告げようとソファから立ち上がった――まさにそのとき、突然背後の窓ガラスが大きな音を立てて粉々に割れ散った。

「きゃあああ!」

 レディたちが揃って悲鳴を上げ、床の上には大きな石が転がった。物音に気がついたセ・ゼラ家の執事が慌ててサロンに戻って来る。

「大丈夫ですか、お嬢様がた! どなた様もお怪我はございませんか?」

 レディたちは興奮状態で口々に喚き立てた。

「ああ驚いた! あたくし、気絶してしまいそう!」

「きっと赤髪盗賊団の仕業ですわよ、お姉様!」

「ええ、ええ。間違いありませんわ!」

「なんて野蛮な連中でしょう!」

 赤髪盗賊団とはマリア教の聖遺物を狙う盗賊団のことであると、昔リーブル先生から聞いたことがある。全員燃えるような赤い髪の毛をしていることから、いつからか人々にそう呼ばれるようになったらしい。神出鬼没で人数もはっきりしない盗賊団は、悪魔の手先であるとか、子供を食べる野蛮人であるとか、とにかく噂話に色々な尾ひれがついて人々から恐れられていた。

「どうして赤髪盗賊団の仕業だと思うんです?」

 リーブル先生が尋ねると、怯えるレディたちの代わりにマーラさんが経緯を説明してくれた。

「実は、先日赤髪盗賊団から予告状が届いたのです」

「なんだって?」

 先生は驚いたように店の中を見回した。「君の店には赤髪盗賊団に狙われるような宝石があるのかい?」

 マーラさんは割れた窓ガラスに視線を落として呟いた。

「ここには星の数ほどの宝石がありますから、中には彼らのお目当てのものがあるのかもしれません」

 その返答を受け、先生は何かを考え込むようにしばらく黙っていたが、やがて、落ちていた石粒を拾い上げ、神妙な顔つきで言った。「まあ、何にしろ警戒するに越したことはなさそうだ」

 外にはたくさんの人々が集まってきていた。皆何が起こっているのか知りたそうに興味津々な様子で店の中を覗き込んでいる。割れたガラスを片付けに階上から使用人たちも下りて来て、店はてんやわんやと騒がしくなった。

 先生はマーラさんに、明日ルリアの杖を取りに再び店を訪れることを約束をした。そうして、オレたち三人はマーラ・セ・ゼラの宝石店を後にするのだった。



 その晩、宿のベッドに横になった先生は、枕を叩きながらルリアに向かって皮肉たっぷりに微笑んだ。

「おいで、立派な淑女レディ。僕の隣に寝かせてあげるよ」

 しかし、ルリアは先生の言葉を無視すると、視線を合わさないようにしてオレを挟んでベッドの端に潜り込んだ。

「なんだいその可愛くない態度は。僕がわざわざ『おいで』って言ってやってるのに」

「本物の淑女レディは下心のある男性の隣でなんか眠りません!」

 そのやりとりをきっかけにして、先生とルリアの攻防戦が始まった。二人の争いに巻き込まれたくなかったオレは、じいちゃんの日記の続きに目を通そうと読みかけのページを開いた。だが、ルリアに背中を踏みつけられたり、先生の肘が偶然腹部を直撃したりと、果てしなく読書を妨げられた。

 先生は憤然たる表情で二番弟子の腕をつかみ上げる。

「君はそんなにしてまで僕の隣が嫌なのかい?」

「触らないでよ、変態師匠!」

 ルリアは先生に向かって大きな枕を投げつけた。腕に当たって跳ね返った枕は、その後オレの脳天を直撃した。

「あー、もう! いいかげんにしてよ、二人とも!!」

 怒ってその場に立ち上がると、二人は驚いたように目を丸くした。

「そんなに騒いでたら隣の部屋から苦情が来るよ! 先生、いい大人がいつまで弟子をからかってるの! それから、ルリアも子供じゃないんだから黙ってさっさと寝る!」

 二人は咄嗟に「はい」と答えると、オレを真ん中にしてそれぞれおとなしく布団に潜り込んだ。オレが怒ることは滅多にないだけに、その効果は予想以上に絶大だった。

 ようやく部屋に静かな夜が訪れて、ベッドに仰向けになったオレは再びじいちゃんの日記帳を手に取った。

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