第三話 魔女の家

 五番街を歩いていると、突き当たりに建つひときわ大きな建物の前でルリアがふいに足を止めた。可愛らしいローブや帽子を取り揃えた魔法使いの高級ブティックだ。二番弟子はきらきらと瞳を輝かせて瞬く間に店の中へと飛び込んでゆく。

「あ、こら、待ちなさいルリア!」

 先生の呼びかけもむなしく、ルリアの姿はすでに店の奥深くに消えてしまった。深い溜息をついてから、先生はオレに尋ねた。

「メグ、君はこれからどうしたい?」

「本屋へ行きたい。大都市でしか手に入らない園芸書や、アンナおばさんの料理本の新刊を買いたいな」

「本屋はそこの角を曲がって三つ目の通りを左に入ったところにあるよ。ルリアの買い物が終わったら僕らもそっちに向かうから」

「うん」

 オレは一旦先生たちと別行動をとることになり、ひとりで本屋へと向かった。

 先生が教えてくれたとおり角を曲がって三つ目の通りを左に入り、しばらく歩き続けていたのだが、本屋はいつになっても現れない。おかしい。どこかで道を間違えてしまったのだろうか。

 小さな通りに入ると、五番街にはいささか不似合いな古びた一軒の家があった。向日葵みたいな黄色い壁に、急勾配の屋根から大きな煙突が突き出ている。門に掛けられた蔓草絡まる看板には、消えかかった文字で『魔女の家 園芸店(ガーデナーズショップ)』と書かれていた。オレは好奇心にかられ、オールドローズが咲き乱れるアーチをくぐり抜け、手入れの行き届いた前庭から開け放たれた店内に足を踏み入れた。

 可愛らしい店の中には真鍮のジョウロや鉢植えをはじめ、見たこともないような花の種や球根が所狭しと並んでいた。呪術用の薬草棚を食い入るように見つめていると、突然背後から声がした。

「いらっしゃい」

 驚いて振り返り、辺りを見回してみたが人影は見当たらない。気のせいだったのかと思い、再び薬草棚と向き合うと、目の前に枯れ枝のように痩せた魔女が箒に跨って浮いていた。

「わあっ!?」

 オレは驚いて思わず近くに置いてあったドワーフの置物に抱きついた。そして、そのドワーフの不細工さに気がついてその場からのけぞった。

「何もそんなに驚くこともないだろうに」

 魔女は箒に乗ったままふわりふわりと近づいて来ると、縦に長い三角の瞳でオレの顔をまじまじと見つめ、胸の辺りで仰々しく星十字を切った。

「驚いたね。あんたのご先祖様は実にたいしたお方だよ」

 その突然の発言に、オレはちょっぴり面食らう。

 魔女は箒を入り口近くに立てかけると、小花模様のドレスに巻いていたエプロンの結び目を解きながら、面白そうにこちらに視線を向けた。

 膝の辺りまである銀灰色の髪の毛がまるで爆発した綿菓子のようにふわふわと揺れている。年齢はさだかではないが、もしかしたら意外に若いのかもしれない。顔に表れている皺は、歳を重ねて出来たというよりも何か苦労によって刻み込まれたもののように感じられた。

 魔女は肘掛け椅子にエプロンをかけ、再び同じ言葉を繰り返す。「いやいや、まったくたいしたご先祖様だよ」

「もしかして、それってマリア様のことですか?」

 口に出してから、すぐに「しまった」と思った。魔女がひときわ目を見開いて見返してきたからだ。

 オレは急激に恥ずかしくなって俯いた。聖女マリアの末裔かもしれないだなんて大それたことは、軽々しく人前で口にすべきことではなかったのだ。今のオレの発言は敬虔なマリア教徒からしてみれば、神を冒涜する不届き者のひとりとしか映らなかったことだろう。それだけ世の中には、『自称・暁の魔法使い』が溢れているのだ。


『おまえはマリア様の血を引く暁の魔法使いなのだから、自分に自信と誇りを持ちなさい』


 子供の頃、幾度となく聞かされた魔法の言葉。オレは心のどこかでばあちゃんがいつも話して聞かせてくれたこの昔話を信じているのだと思う。神の存在に疑問を感じていた時ですら……。それはあまりにも身勝手で気ままな信仰だが、悲しいことやつらいことがあったとき、幼いオレはばあちゃんのこの言葉に励まされ続けてきた。

 リーブル先生はといえば、いつもばあちゃんがこの言葉を口にするたびに、なんとも言えない微笑を傾けてきたものだが、目の前にいる魔女もまた、複雑な表情でオレのことを見つめていた。まるで、普通の人には見えない特別な何かを見ているみたいに、奇妙な眼差しが三角の瞳から食い入るように注がれる。

 魔女は「ふふふ」と肩を揺らした。

「誰とは言わないが、あんたのご先祖様はとても偉大な聖人さ」

 それはつまり、オレの先祖はマリア様ではないと言うことなのだろうか? もしそうだとしたら、オレにとっては幼い頃から密かに大切にしてきた心の支えが崩壊した瞬間だった。

「どうしてそんなことがわかるんですか?」

 オレの口調はちょっぴりふむくれていたと思う。 

 魔女は意味ありげに微笑んだ。

「私は少しだけ人に見えないことが見えるのさ」

 そのとき、奥の部屋から赤ちゃんの泣き声が聞こえてきて、魔女は大慌てで扉の向こうに引っ込んでしまった。

 オレはしばらく店の中をうろついて魔女が戻って来るのを待っていたが、彼女はいつまで経っても姿を現さなかった。それで、あきらめて仕方なく店を後にすることにした。



 元来た道を辿って行くと、不思議なことに今度は本屋を見つけることが出来た。店頭に山積みになっていたアンナおばさんシリーズの新書『アンナおばさんの魔法のお菓子』を確保してから、店をぐるりと取り巻く螺旋階段を上がり、料理本や園芸書を片っ端から手に取った。さすがは大都市エデンの本屋だけあって、聖エセルバートの街では売っていないようなめずらしい本もたくさん揃っている。

 塔のようになってしまった本たちを抱えながら、棚の上に並んでいた参考書を取ろうと背伸びをしたとき、誰かがひょいとそれを手に取り渡してくれた。振り返ると、いくつもの紙袋を腕に提げたリーブル先生が、ひどく疲れた様子で立っていた。

 先生の隣には手を繋がれたルリアもいたが、かなり不機嫌な顔つきだ。きっともっと買い物をしたかったのに、無理矢理手を引かれてここまで連れて来られたといったところだろう。

「遅くなってごめんメグ。ずいぶん待っただろう?」

「ううん。それが道に迷っちゃって、実はついさっき着いたばかりなんだ」

 会計を済ませて本屋から出たオレたちは、宿に向かって帰路についた。歩きながら、オレはリーブル先生にさっそく『魔女の家』の話をした。

「それでね、その魔女がオレのご先祖様は偉大な聖人だったって言うんだよ」

 先生はひどく呆れたような、哀れみにも似たような表情を携えて、オレの言葉の続きをあらかじめ制した。

「聖女マリアの話なら以前から何度も言ってるとおり、あれは年寄りのデタラメだよ。メグ、まさかとは思うけど、君はハリエットのお伽噺を未だに信じたりしてるんじゃないだろうね?」

 オレは両腕で抱えていた本に隠れるようにして、そのまま押し黙ってしまった。

 別に自分が聖女の末裔なんかじゃないということは、オレだってきちんとわかっている。ランズ・エンドが滅亡することになってしまった神のいかづちは、偶然から引き起こされた単なる結果であり、オレ自身が『暁の魔法使い』だったわけではないのだ。でも、先生にどう思われようとも、オレは心の底ではばあちゃんの話を信じたいと思ってる――いや、信じてる。ばあちゃんが幼いオレにデタラメを言ったりするはずがない。重要なのはほかでもなく、まさしくそこなのだ。

 オレたちが話をしている最中、ルリアはずっとご機嫌斜めで一言も口をきかなかった。薔薇色の頬を膨らませたままつんとそっぽを向いている。

「ルリア、そろそろ機嫌を直したらどうだい? まったくお子様なんだから」

 先生がぽんぽんとルリアの頭に手を置いた。

「子供扱いしないでよ!」

 事態がますます険悪になり始めたとき、突然見知らぬ男の声が先生の名を呼んだ。

「リーブル……?」

 振り向くと、店から出たばかりの背の高い男性が、ひどく驚いた顔をしてこちらを見ていた。三つ揃えのスーツにコートを羽織り、頭に煙突みたいな立派な帽子シルクハットを乗せている。指にはきらびやかな指輪をいくつもはめ、豪華な宝石のついた杖を手にしていた。見るからに金持ちそうな青年紳士だ。

 リーブル先生はここで彼に遭遇するかもしれないことをあらかじめ予想していたようだった。落ち着いた物腰でゆっくりと片手を挙げると、「やあ、マーラ。久しぶりだね」と微笑んだ。

 紳士はがばりと先生に抱きついた。帽子シルクハットから栗色の長髪が肩の上にこぼれ落ち、緩やかな曲線を描き出す。彼は喉の奥から搾り出したような声で、きれぎれに言葉を紡いだ。

「君に……会いたかったんだ。ずっと」

 先生は少しだけ困ったような悲しいような顔をして、小さな声で「うん」と言った。それから、驚いて立ち尽くしていたオレとルリアの存在に気がついて、改めてこの紳士が何者なのかを教えてくれた。

「紹介するよ。彼は僕の学生時代の友人で、名前はマーラ・セ・ゼラ。君たちも知ってのとおり、かの有名な宝石商さ」

 紳士は慌てて先生から離れると、照れたようにオレたちに微笑んだ。そんな彼の後ろに建っていた店は、王室御用達の高級宝石店『マーラ・セ・ゼラ』だった。

 先生は続けてオレたちを紳士に紹介した。

「この子らは僕の弟子で、金髪の方が一番弟子のメグ。それに、こっちの黒髪の方が二番弟子のルリアだよ」

 マーラさんはオレと目が合うと、「あれ?」と小首を傾げた。「以前にどこかでお会いしませんでしたか?」

 彼は少し考え込んでから、思い出したと言わんばかりに手を打った。

「そうだ。確か聖エセルバートの街で、魔法祭のときに石を見せに来てくれた子だ」

 オレは何のことかわからず一瞬ぽかんとしてしまったが、そのあとすぐに思い出して、大きな声で叫んでしまった。「あのときの……!?」

 リーブル先生が驚いたようにマーラさんに尋ねた。

「君、魔法祭のとき聖エセルバートに来てたのかい?」

「出店していた店の奥で、宝石鑑定をしていたんです」

「ああ、あの宝石店か! 君の店だったとは全然気づかなかったな」

 オレは服の下から数珠に繋げてもらった『星の欠片』を取り出した。魔法祭のとき、マーラさんはひっそりと店の奥にたたずみ、小さな眼鏡から熱心に石を覗き込んでいた。初対面にもかかわらず、そのほのぼのとした雰囲気に流されて、オレは魔法教徒の子供たちからもらったこの石を見せたのだった。

「エデンには買い物に来たんだよ。君のところには明日改めて顔を出そうと思っていたんだけど……」

 先生の言葉にマーラさんは顔をほころばせた。

「せっかくこうして会えたのだから、今少し店に立ち寄って行きませんか? お茶でもどうです?」

 疲れ果てていた先生は、マーラさんの申し出を有難く受け、オレたちは宝石店に足を踏み入れるのだった。

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