第二話 大都市エデン

 じいちゃんの日記帳を机の上に置き、引き出しから一枚の写真を取り出した。写真に映っているのは金髪の双子で、左側に立っている少女がオレの母親のジョアン。そして、その隣で彼女の肩に手を回し、にこやかに微笑んでいる同じ顔の少女――もとい少年が、リーブル先生の父親であるエリアス叔父さんに違いなかった。

 オレは読んでいたページに写真を挟み込むと、日記帳を閉じて椅子から立ち上がった。日が暮れる前に裏庭の草花たちに水をやらなければ。

 最近のオレの楽しみは、先日定植させたばかりの苺の苗。このあいだ聖マリア修道院へ礼拝に行ったとき、シスター・クレーネから分けてもらったのだ。苺は可憐な白い花を咲かせ、その後には赤い小さな実を結ぶ。収穫した実で苺のタルトを作る日が今から待ち遠しい。

 鼻歌交じりで裏庭へ続くアトリエの扉を開くと、そこには先客がいた。満月のようなオレンジ色の髪の毛に、光の加減によってブルーにも紫にも見える美しい瞳。リーブル先生はオレの大切な苺の植木鉢を片手に持ち、向かい合う二番弟子ににっこりと微笑んだ。

「この花を咲かせることが出来たら、今夜の夕食は君の言うとおりクリームシチューにしてあげるよ」

 そう言って、先生は植木鉢をルリアの足元に置いた。どうやら二人は魔法の授業を行っている真っ最中のようだった。

「今の言葉忘れないでね、先生」

 黒髪に瑠璃色の瞳が可愛らしい天使のような二番弟子は、自信たっぷりに微笑んだ。

「君にはまだまだ無理だろうから、今夜は僕が食べたいロールキャベツに決まりだな」

「絶対にクリームシチュー!」

「ロールキャベツだよ」

「クリームシチュー!」

「ロールキャベツ!」

 二人は互いに主張し合い、双方一歩も譲らぬ構えだ。オレから言わせてもらえば、結局のところ夕食を作るのはオレの役目なのだから、どちらが勝とうと大した変わりはないのだが。

 ルリアは鉢のそばにしゃがみ込むと、つぼみに向かって真剣な様子で魔法の呪文を唱えた。かざされた手の平からぼんやりとした光が現れて、鉢植え全体が一瞬輝きに包まれる。だが、しばらく経ってもつぼみは相変わらずつぼみのままで、これといった変化は見られない。あきらめきれずにつぼみの成長をじっと見守るルリアの横で、先生は勝利を確信したようににやりと微笑んだ。

 今のはほんの練習であったことを強調してから、ルリアはもう一度呪文を唱えた。しかし、何度やっても結果は同じで、つぼみは微塵も膨らまない。

「もう! どうして咲いてくれないの?」

 立ち上がって悔しそうに地団太を踏むルリアを見兼ね、仕方ないなと言わんばかりに先生がベルトに下げていた魔法の杖を手に取った。「可愛い可愛いルリアのために、今一度手本を見せてあげよう」

 先生は魔法の呪文を唱えると、軽く杖を一振りした。すると、花のつぼみはみるみるうちに膨らんで、あっという間に美しい真っ白な花びらを覗かせた。オレは二人には届かないくらいの小さな声で、思わず「すごい」と呟いた。

 負けず嫌いなルリアはすぐさま見よう見まねで再び呪文を唱え始める。

「えーい! 咲けーっ!」

 ポンッと小さな音がして、先生の咲かせた花の隣に新たな花が開花した。

「やったあ! 咲いた、咲いた! これで今夜はクリームシチューに決まりだからね!」

 大はしゃぎで飛び跳ねるルリアの背後で、突然ガシャンと大きな音が鳴り響いた。苺の鉢が爆発したみたいに割れ飛んで、根が土から突き出ている。それは目に見える速度でむくむくと成長し、瞬く間に庭一面を覆うように這い伸びた。二番弟子は驚きのあまり先生の首に腕を回して飛びついた。

 太く伸びた茎は蛇のようにのた打ち回り、狂ったように白い花を咲かせると、恐ろしいほどの成長ぶりで所々に巨大な赤い実を膨らませた。もはや可憐とは程遠い奇妙な植物の姿を見上げながら、リーブル先生が面白がってルリアをからかう。「あーあ。僕、知ーらない。きっとメグに怒られるよ」

 アトリエの扉近くに立っていたオレを発見するや否や、ルリアは蒼白な表情で先生の背後に身を隠す。

「ち、違うのメグ! あたしのせいじゃないの! これは事故なの!」

 二番弟子は必死で言い訳を探していたが、すぐさま糾弾の矛先を先生に向けた。

「元はといえば、先生が変な魔法を教えたからこうなっちゃったんだからね!」

「驚いたな。僕のせいにする気かい?」

「あたしがうまく魔法を使えなかったのは、きっと杖を持ってないからだよ。先生みたいに魔法の杖があれば、ちゃんと力をコントロール出来たもん!」

 先生は二番弟子に呆れたような顔を向けたが、少し間を置いてから、何やら思い直したように渋々とこう言った。「まあ、ルリアの言うことも確かに一理あるかもしれないな」

 期せずしてそんな言葉が返ってきたものだから、ルリアは自分で言っておきながら驚いたように先生を見た。

「杖、買ってくれるの?」

 ルリアだけに留まらず、オレも期待に満ちた眼差しで先生を見つめた。すると、彼はわざとらしく甘えた口調で呟いた。「ロールキャベツが食べたいなぁ」

 オレは慌ててルリアに言う。

「ルリア、今夜はロールキャベツだよね?」

「もちろん!」

 すると、満足気に微笑んだ先生は、両手で巨大な苺を収穫しながら言う。

「じゃあ、明日の朝早く大都市エデンに旅立つよ。あそこには魔法の杖をはじめ、ローブや参考書なんかもたくさん揃っているからこれを機会にひと揃えしよう」

 その言葉に、オレとルリアは手を取り合って踊りながら喜んだ。



 聖エセルバートの街から南東に位置する大都市エデンは、箒で飛べば半日くらいの場所にある。翌朝、明け方に家を出たオレたちは、深い森を飛び越え小川が流れる牧野を抜けて、昼頃にはエデン上空を飛んでいた。建ち並ぶ尖塔群が蜃気楼のように見え始めると、初めて訪れる都会に期待から胸が高鳴った。

 瀟洒なエデンの街は中央の一番街からぐるりと時計回りに十三番街まで区切られていて、それぞれ異なる様相を呈していた。オレたちは今夜泊まる宿を確保するために、まずは街の東側に位置する三番街へと向かった。三番街は旅行者向けの宿が点在する繁華街になっていた。

「一室だけならご用意出来ますが、どうなさいますか?」

 宿は予想外に混んでいて、これでかれこれ十件目だった。先生はよほど疲れていたのか、一も二もなく了解した。それを横で聞いていたルリアが慌てて先生を責め立てる。

「ちょっと先生、年頃の女の子が一緒だってこと忘れてない?」

「空いてないんだから仕方ないだろ? この間だって僕の部屋で三人仲良く眠ったばかりだし、今更恥ずかしがることないじゃないか。そもそも君みたいなお子様には誰も興味ないから大丈夫だよ」

 先生がそう言うと、ルリアは顔を真っ赤にさせて怒り出した。

「お子様じゃないもん!」

「お子様だよ」

 いつものごとく二人の言い合いが始まったので、オレはそこから逃れるように宿の亭主に話しかけた。

「どこもかしこも満室ですけど、何かあるんですか?」

 亭主は驚いたような顔をした。

「なんだ、君たちもてっきりエデンの大学に『魔法使いの試練』の申し込みに来たのかと思っていたよ」

「『魔法使いの試練』?」

 鸚鵡返しに繰り返すと、横からリーブル先生が口を挟んだ。

「聖地で行われる魔法使いの力試しの場さ」

 それから、先生は続けざまにこう言った。

「『魔法使いの試練』、受けてみる?」

「ええっ?」

 オレは驚きのあまりつい大声を出してしまった。

「君は箒に乗れるようになったし、試しに受けてみるのもいいかもしれないよ」

 オレが口ごもっていると、ルリアが意欲的に手を上げた。

「あたしも受けたい!」

 すると、先生は彼女に向かって意地悪そうに舌を出した。

「君みたいなお子様は受付でお断りされるんじゃない?」

 それを機にルリアと先生の言い合いが再び勃発した。

 じゃれ合う師弟を遠巻きに眺めながら、オレの心はあっという間に『魔法使いの試練』についての想像で満ち溢れた。ルリアの洗礼のため、近々訪れることになるであろう遥か南のセド・ル・マリア。砂漠に囲まれた聖なる異国の地で、果たしてどんな試練が待ち受けているのだろう――?



 一度宿の部屋に荷物を置いてから、オレたちは魔法の杖を買いに五番街へと赴いた。大都市エデンの五番街は長い伝統を誇る老舗が集まって出来た高級界隈で、通りには豪壮な建物が立ち並んでいる。さすがは大都市だけあって、聖エセルバートの街を貫く目抜き通りとは規模も格調高さも全く違った。

 貫禄に満ちた店々に挟まれ、杖の専門店はまるで息を潜めるみたいにひっそりと佇んでいた。

「ここは僕が学生の頃に杖を買った場所なんだ」

 先生は重厚な木で作られた店の扉を開けた。中に入ると、年老いた老人がカウンター越しに声をかけてきた。「いらっしゃい」

 彼はリーブル先生の姿を見るなり、眼鏡の奥で懐かしそうに瞳を細めた。

「やあ、誰かと思えばエデンきっての秀才坊やのおでましか」

「お久しぶりです、ウォトキン爺さん」

「本当に久しぶりだな、リーブル。杖は大事に使っとるかい?」

「愛用させてもらってます。今日はこの子たちに杖を買いに来ました」

 先生はそう言いながら、オレとルリアの肩に手を置いた。

「ふむ。おまえさんが弟子を持つ日が来るとはな。時の流れは早いものよ」

 店内にはさまざまな種類の杖があって、持ち手部分が金具で接続されているほんの少し豪華なもの、蛇の頭やマリア様の顔の形をした飾りがついている一風変わったものまで揃っていた。

「あたしこれがいい!」

 ルリアは花の飾りがついている可愛らしい杖を手に取った。踊るように一振りすると、杖の先から魔法の力がはじけ飛んで、店に並べられていたほかの杖を床の上に散乱させた。

「こらルリア、暴れるのは外に出てからにしてくれよ」

「すごいすごい! 先生今の魔法見た? 魔力が杖の先に集中してる感じがする」

「本当はそんなもの持たなくても集中出来るようになって欲しいんだけどね」

 先生の言葉にウォトキン爺さんが反応する。「これ、そんなものとはなんだ。店の中で失言するな。営業妨害はお断りだぞ」

 床に散らばっていた杖を片付けようとして、オレは近くに転がっていた一本を手に取った。すると、握った杖はほんの一瞬だけ目のくらむような眩い光を放った。

「こりゃ驚いた」

 老人はオレのことをしげしげと見つめると、心底驚いた様子で言った。

「杖は持ち主を選ぶのだ。この杖はかの偉大な魔法使い聖エセルバートが使っていたと伝えられるいにしえの杖。どうやらおまえさんの杖はこれのようだ」

「聖エセルバートの杖?」

 オレは改めて自分の手の中に収まっている杖を見つめた。持ち手の先端部分に美しい星十字の飾りがついている。

 その場にいた誰もが神妙な様子でオレの杖を見守る中、ウォトキン爺さんはおどけたように語を継いだ。

「な~んてな。マリア教徒がいかにも好みそうな星十字の杖に、たいそうな由来をつけて高値で売ろうとしたまでよ。本当はすぐそこの古市で手に入れた価値のない骨董品さ。相性がぴったりなようだから、気に入ったのなら格安でやろう」

 確かに相性はいいのかもしれない。この杖を握っていると不思議なほどにしっくりと感じられた。

「メグ、お金のことなら気にしなくていいんだよ。自分の好きな杖を選びなさい」床に散らばる残りの杖を拾い上げながら先生が言った。

「うん。でも、オレ――これにしてみようかな」

「本当に? そんな古ぼけたやつでいいのかい?」

 

 店を出ると、ルリアは買ってもらったばかりの杖を振り回しながら通りを歩いた。杖の先から生み出された小さな風が、道行くご婦人がたのスカートを捲り上げ、紳士の帽子を舞い飛ばす。オレも杖を手に入れたことが嬉しくて、自然と意気揚々とした足取りになった。


 もし、これが本当に聖エセルバートの杖だったとしたら――。


 一瞬、そんな考えが頭に浮かんだが、すぐに想像を打ち消した。聖人が使っていたいにしえの杖が、いくらなんでも大都市エデンの古市なんかに売られているわけがない。

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