すばる

 

 ある一定以上の面積を含む区域に、国内外を問わず企業を呼び込む特区を作ろうという計画があった。

 他よりも低い税制、緩い規制、複雑な手続きの簡略化。

 各地に存在する活用されていない大規模な土地も積極的に参加できるように、申請するためのハードル自体かなり低く設定されていた。

 地方自治体の参入を積極的に促すためでもあった。

 それは、俺達が現在住んでいる区域だけでなく、全国的に様々な箇所で実施されることになった。

 都市や地域の活性化に。開いた土地の利用に。

 利害が一致した地方と国が積極的に導入した制度だった。

 企業側も話が挙がった当初は乗り気だった。

 ただ、いざ実際に申請された土地の蓋を開けてみれば問題が山積みだった。

 対象となった地区のほとんどの場所は人口も少なく無人の場所もザラで、流通も、交通も、あらゆるものが不便な言ってしまえば辺鄙な土地がほとんどだった。

 当然といえば当然だ。

 利用価値のある土地はもうすでに開発され切ってしまっているのだから。

 それに優遇制度は何もこの国だけでなく、すでに各国が積極的に推進していた。

 税制や規制の壁も遙かに低く設定され、整備と管理が行われている区域は、この国に限らなければ他にも数多く存在していた。

 だから実施された大規模な未開発の土地に、企業が投資をすることは珍しく効果は限定的だった。

 結局都市部やその周辺の地域に企業や人が集中し、国もやむなくそこへ注力せざるを得なかった。

 だから、都市部への集約の流れは変わらなかった。

 ほとんどの田舎は寂れていく道しか残されていなかった。

 尖山もそんな田舎の一つだった。

 その筈だった。


 警告音が、アラームの音が手首からけたたましく部屋中に鳴り響いている。俺はベッドから慌てて飛び起きた。

 ここのところずっと付けっぱなしだった両手のHTDを外し、リストバンドを確かめる。機器に何か異常があったわけではないようだ。

 極小群体駆動機械:稼働状況19%

 グラスにそう大きく表示されていた。

 疲れていれば消費が激しくなるとはいえ、この数値は明らかにおかしい。

 俺は混乱しながら日付を確認する。いつの間にか5日目の朝になっていた。

 丸一日半、ぐっすりと眠っていたことになる。それでもこんな数値は初めて見た。

 俺は胸に手を当て、なんとか落ち着こうとした。

 とりあえず洗面所に向かい熱いシャワーを思いっ切り浴びてから用を済ませて、すぐに冷凍食品で朝食を摂った。

 焦げた僅かな苦味とその香ばしい匂いを、口内で堪能しながら貪るようにグラタンを食べていると、今にも涎を垂らしそうな表情のプログラが現れた。


「おいしい」

「疑問符を付けろ」


 食べ終えたあとに俺は薬を飲んだ。じっと興味深そうに見てくるプログラに、俺は手を振ってあっちを向いてろと無言で合図した。

 しばらくして、グラスに表示されている数値が上昇し始めた。

 そのうち落ち着くだろう。

 気が付けばもう連休も最終日だ。何ができるか考えてみたが、プログラはすでに五感のほとんどを体験してしまっている。

 嗅覚と味覚はともかく、あとできそうなことは……

 何も思い浮かばない。ARにもリアルにも接触がおこなえない以上、出来ないことが多く手詰まりだった。


「何か、したいこととかあるか?」


 さんざん考えた挙句に、本人に聞いてみるのが一番だと結論付けた。


「昴が住んでる街についてもっと知りたい」


 ということで、ネット上の資料と実物の資料両方を用意して、プログラと一緒に書類とにらめっこしているのだった。

 すぐに見つかるネット上のものは宣伝用に作成されたものがほとんどで、結局手元にある紙の資料に頼った方が早かった。

 パンフレットなども含めた、数々の書類を片っ端から引っ張りだしていく。

 そんな俺をまるで遠足に出かける子どものように、プログラはワクワクした様子で急かした。

 彼女は遊ぶことよりも新しい知識を欲していたようだ。

 プログラの振る舞いについても、俺は十分過ぎるほど見てきたのでこれは良い気分転換だと考えた。俺自身も尖山について詳しい知識を持っているわけではない。

 彼女が学習すれば、俺の街への理解も深まるに違いなかった。

 だが、そう易々と事は運ばなかった。

 当初はプログラの学習能力であれば、もっと早く学べると想定していた。

 知識の吸収速度も上がっているし、一時間もかかることはないだろうと。

 急にプログラの物覚えが悪くなった。

 これ以上学べなくなったわけではない。しかしわからないところについては、俺がいちいち教えてやらなければならなかった。


「エムエスビーって会社が開発の切っ掛けなんだよね?」

「ああ、そうそう……立役者というか」

「つまり悪の企業ってことでしょ?」

「お前の論理回路どうなってんだ」


 二人で頭を捻りながら、この街の歴史や現在に至るまでの道筋を辿っていく。

 子供に教育をしているというよりは、課題の勉強を学生が一緒にしているような気分、というかそのものだ。なんとなく違和感を覚える。

 カグラがこの街についてのデータを持ち合わせていないというのは、不自然な気がしたからだ。それとも何かの意図で制限されているのだろうか。

 もしくはアップデートによって、学習速度などを含んだパラメーターも事細かに調整できるようになったということなのだろうか。俺とプログラが同程度の知識量になったので、以降は一緒に学びながら成長できます、みたいな。

 プログラが急かすから、我が街の学習に集中することにした。


「えーと、私たちが住んでいるこの街は、現在も開発が進行中で、国内外問わず続々と企業が設備を投資し、住民が移住してきています。えー、開発のそもそもの経緯についてですが……」

「あまり固くならなくていいぞ、何かのプレゼンテーション見てるみたいだ」

「そんなこと言うなら、昴がやってよ」

「いや、俺もあまりこういうの得意じゃないし……ていうか、プログラの学習のためなんだから、ほらほら続けて」


 言い訳をする俺に明らかに不満そうな顔を向けながら、プログラは尖山とMSB(エムエスビー)社との関わりについての説明を続けた。


「えー、むかしむかし尖山には、山の中にお宝が眠っていると噂されていました。でも、そのお宝を手にするにはとても大変な苦労をしなければならなかったので、誰も手にすることはなかったのです。しかしえむえすびーちゃんは違いました。えむえすびーちゃんは誰よりも苦労して道路を作り、掘るためやの道具を作り、財宝を利用するための場所を作りました。そして数年でえむえすびーちゃんは尖山に眠っているお宝を発掘し、莫大な富を得ました。それだけでなく、なんとそのお宝を独占せずに、皆にばらまきました。皆はその行動にとても感動し感銘を受け、自分たちがもっと自由に暮らせる街を作ろうと、協力することになったのです。私はお金を独り占めしないえむえすびーちゃんは本当にえらいと思いました。おわり」


 固くならずにとは言ったが、昔話のようにしろと言ったつもりはなかった。


「……どこから突っ込んだらいいのか分からん」

「だいたい間違ってないでしょ?」

「間違ってるよ!なんで資源開発が宝探しになってんだよ!しかもばらまいてねぇ!そもそも、肝心の資源も尖山固有のものでもないし……」

「間違ってないじゃん」

「間違って……!んん?いや、とにかく違う!」


 俺含めて本当に理解しているか怪しいので、ひとまず二人で協力して発表できるような説明資料を作成する作業に移った。


「疲れたぁ」


 向かい合って座っているプログラが、椅子にもたれかかった。

 実際にはそう見えるだけのようだが。


「プログラが知りたいって言いだしたんだろ……。ほら、集中集中」


 学習速度が遅くなった途端に飽きっぽくなった気がする。調べている最中にも落ち着き無くそわそわしていたし、やはり精神的には子どもなのか。


「あ、そうだ!」


 目の前にいる少女が、突如起き上がり満面の笑みを浮かべた。


「アルプス一万尺しようぜ!」

「……」

「じゃあ、あれ!二人で手で押し合うやつ!ハイタッチでもいいよ!」

「そんなに嬉しそうに手遊び推してくるのお前が初めてだよ」


 満足するまで叩き合って、二人で手を擦りながら引き続き街について調べていった。その真っ只中に、待ち人からの連絡が届いた。

 石崎だった。

 俺は席を離れ、プログラに背を向けて石崎と話し出した。

 背後では作業を急に中断したことに、プログラが文句を言っているようだった。


「石崎、送ったメッセージ見てると思うけど、ほんとすげぇなこれ。いや、驚いたよ」


 俺は開口一番、今まで抑えていたものを吐き出すかのように捲し立てた。


「まずこんな短期間で言語を認識できるようになったのも凄いし、聴覚入力についても完璧。マジで人間そのものにしか思えねぇ。とりあえず接触判定が仕様なのかどうかってことと、あと一部の感覚が上手く機能してないみたいだ。これはこっちの環境のせいかな?」


 早口で思うがままに喋り倒す俺の感想を石崎は黙って聞いていた。

 とりあえず一通り話し終えてから、石崎はこんなことを言い出した。


「あー、そのことなんだけどさ。一つ頼みたいことがあるんだけど。君の部屋のカメラを僕にも見えるようにしてほしい。設定方法が分からないのなら、僕が教えるから……」

「別に構わないけど……それがどうかしたのか?今回の不具合に関係してることか?」

「……まぁ、そんな感じ」


 尖山は独自のローカルネットを形成しているが、その中にも閉じたネットを形成している設備は数多く存在する。

 ただ、少なくとも寮に関しては居住者が許せばアクセスすることもできる。

 俺は石崎に指示された通り、室内に存在する各デバイスに石崎がアクセスできるようにした。

 友人は溜息を吐いた。やや間を置いてから、石崎は口を開いた。


「プログラは元気にしてる?」

「ん、ああ。今もなんかぶつくさ言ってるしな」


 後ろを振り返りちらりとプログラに視線をやる。彼女は口を尖らせ何かしら非難しているようだ。見なかったことにして再び背を向けた。


「もう一ついいかな。グラスで今走ってるアプリを確認して」

「いいけど。やっぱバグに関係してるのか」


 石崎は何もいわなかった。

 端末設定画面から、現在動作しているプログラムを調べていく。

 オペレーションシステム、カメラやセンサーなどの外部デバイス。

 ブラウザや、友人との連絡用のもの、バックグラウンドで稼働している多種多様なアプリケーション……


「調べたけど、それが?」

「僕が渡したプログラに関するアプリは、動いてる?分からないなら僕が……」



 瞳と手を動かし、石崎から受け取ったプログラムを探し出す。

 なんとなく違和感があった。何かおかしい。

 その違和感に気が付くより早く、プログラムを見つけた。


 石崎が何を言いたいのか分かった。

 俺は言い知れぬ不安と、徐々に大きくなっていく心臓の鼓動を感じていた。


「……動いてない」


 俺は唾を飲み込んだ。一体これは何を意味している?

 いや、待て。違う。まだ別の可能性がある。


「あぁ、もしかして、不具合か何かで端末に正しくアプリのステータスが表示されないのか?それとも、別のアプリに偽装してる?もしかして俺を騙そうとしてるんじゃないだろうな」


 動揺を悟られないように、裏返りそうな声を必死で抑えた。


「昴君」

「……なんだよ」

「アプリを、動かしてみて」


 石崎の口調は、真剣そのものだった。いつもの人をからかうような態度が微塵も感じられない。友人に言われる通り、俺は端末画面から直接プログラムを起動させる。

 サーバーとの接続が出来ないという趣の、エラーメッセージが視界に現れた。

 やはり動作しない。


「動いてない」

「……だろうね」


 石崎が淡々とした口調で言い放った。


「だって、プログラを動かしてるサーバー自体が動いていないんだから」


 血の気が引き心拍数が早まっていく。


「色々な可能性を考えた。カグラのデータが盗用されて、いつのまにか別のサーバーと接続してるとか。もしかしたらプログラのフリをした誰かが君の室内にいるのかもしれないとか。でも、どれもありえない。そもそもプログラを動かすだけでも大規模な設備が必要だ。そんな場所は限られるんだよ。それに……」


 誰かの、唾を飲み込む音が聞こえた。

 しばらくして、それが自分のものであることに気付いた。


「そもそも聴覚認識なんて導入してない」


 それなら。

 それなら俺は、一体誰と会話していたんだ?


 すばる。


 背後から、誰かの呼び声が聞こえる。

 それに笑い声が。

 くっくと声を潜めた、忍び笑いが聞こえる。

 誰が笑っているんだろう。

 それは

 


 石崎のものだった。

 グラスを通して、石崎の笑い声が俺の耳に入ってくる。


「……いっ、石崎!?」

「いやいや、ちょっと何マジになってんの。分からない?まだ気付いてないの?」

「お前……また」

「遅いって」


 石崎が、堪えられないといった様子で笑い続けている。


「ふざけんなよお前……」

「あ、ビビった?ちょっと悪趣味過ぎたかな」

「プログラムにまで仕掛けるとか、どんだけ手が込んでるんだよ。ていうか冗談になってねぇ」

「ごめんごめん。」


呆れる俺に石崎はさも楽しそうな明るい口調で続ける。ノリの軽いお調子者だとは思っていたが、こんな悪質なジョークを披露するとは思わなかった。


「ただ、ちょっと提案したいことがあるんだ」

「なんだよ」

「かなり長期間プログラと遊んでるみたいだけど、いったん止めた方がいいと思う。君の身体のこともあるし、僕ももう少し配慮すべきだったんだけどさ。健康診断でも受けた方がいいかもね」


 石崎はまるで肉親に優しく諭すかのように、一つ一つ言葉を選びながら慎重に話しているようだった。


「お前が休日遊んでもいいって連絡よこしたんじゃないか。つーか健康的にやばいのかこれ」

「そうじゃないよ。少なくとも開発者の中には君よりも遊んでいる人だっているし、度が過ぎなきゃARのやり過ぎで健康面で問題がでるわけないじゃん。ただ遊んでると疲れるだろうし、プログラは高いレベルでコミュニケーションできるから、ずっと遊んでると精神面で影響があるかもしれない。一度担当の先生と相談して……」

「それ完全に病人扱いしてるぞ。まぁ確かに休みの間ずっと接続してたけど、寝落ちしてただけだし……ってこっちからじゃ接続時間みれねぇ。いしざ……」


 言いながらアプリを確認していると、妙なものが目に入った。HTDがプログラムを停止していた。朝に外したときに自動で停止したのだろうか。


「あれ?俺……」


 ゆっくりと、手を目の前にもってくる。

 何も装着していない俺の手が見える。

 あれ。

 さっき触ったよな。

 プログラに、デバイスを付けていない素手で。

 冷や水をかけられたかのように寒気が走り、全身から血の気が引いていくのが分かった。

 違う、俺はリングを装着している。あれはリングが生み出した触覚だ。だから……

 冷汗がわきの下を流れる。

 あの感触はリングの錯覚とは比べものにならなかった。

 まるで本当に触ったかのように。


 すばる。


 誰かの呼び声が背後から聞こえている。

 俺は装着しているグラスを、慎重に外しにかかった。

 手が震えグラスの表示が振動でぶれる。

 仮想のグラフィックの表示が晴れた。

 視界にはAR上のものは何も映っていない。

 そして緩慢な動作で振り返った。



 グラスを通してしか存在しない筈の少女が。

 プログラがいた。

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尖山街の人工少女 東京 東 @fondan623kai

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