プログラとあそぼ

 

 プログラが会話によるコミュニケーションを行えるようになった。

 真っ先に石崎に連絡を入れた。伝えたいことは山ほどあった、というかあり過ぎたのだけど、忙しいのか肝心の石崎との連絡は取れなかった。

 しょうがないのでSNSやメールなどのあらゆる手段を使って感想を送りつけたが、すぐには、というか石崎に伝わるまでは数日は掛かりそうだった。

 まぁ本人も休み明けにでもと言っていることだし、それからでも遅くはない。

 向かい合って座っているプログラに視線を移す。


「一緒にみてくれないと分かんない」

「はいはい」


 視線を机の上に戻した。

 あれから数日が経っていた。感慨深げに、俺はプログラの成長過程を振り返った。



 会話によるコミュニケーションが可能になって最初に試みたことは、物の名前を言葉によって覚えさせることだった。

 俺はリンゴを浮かべ指さした。


「これはリンゴ」


 プログラが真似をしてリンゴを指さす。


「リンゴ」


 今度はリンゴに若干手を加え、少し大きくしてみる。


「これは?」

「リンゴ」


 今度は形状と色彩を、萎びて歪な形の不味そうなものに変化させる。


「じゃあこれは?」

「……りんご」


 若干戸惑った後にプログラは答えた。

 彼女は、しっかりと物体が何かを認識した上で答えていた。

 俺はそうやって次々といろんな物の名前を教えていった。

 これ、あれ、などの指示語をすんなり理解してくれたおかげもあったとは思う。

 人工知能自体の理解や認識能力の高さは以前に証明済みだったし、おそらく今後の学習がスムーズに進行できるよう、設定をしていたのかもしれない。

 彼女の学習速度は凄まじかった。数時間で日常に存在する物の名前なら大体覚えてしまった。

 色などの形容詞ついて教えれば、目に付いたものを片っ端から表現していく。

 それだけではない。

 数をこなしていくうち自分から質問をするようになっていった。


「何あれ」

「アヒル……のおもちゃかな」

「あれは?」

「えっと、竹馬……見たことないな」


 AR上に浮かべた様々な物体をプログラが指さす。

 教育用のアプリを使って、室内に子供が好きそうなさまざまな物体を写し出す。


「じゃあ、あれは?」

「……なんでこんなもんが混ざり込んでるんだ」


 俺はアプリを終了させ仕舞い込んだ。

 プログラが不服そうにしかめっ面しながら俺を指さす。


「どうした?」

「バカ」

「……すばるって言いなさい」

「アホ」

「やめなさいって」

地獄の当り屋ヘル・アタック

「やめ……何で知ってるんだよ!」


 そうやってプログラは次々と知識を溜め込んでいった。

 プログラは自ら進んで学んでいたが、彼女と同じぐらい俺も好奇心でいっぱいだった。

 プログラの学習速度と理解力はとても高い。

 教えたことをすんなりと理解し、易々とそれを発展させる。

 一度覚えたことはまず忘れない。何より彼女に学習させるのはとても楽しかった。

 そのまま一睡もせずに二日目に突入した。

 とりあえず朝飯を含んだ日課だけは済ませて。どうしようか考えた。

 物の名前はあらかた覚えてしまった。音声による会話に不満は一切ない。

 となると次は文字の学習だろう。

 まず平仮名から覚えさせようとした。


「これが、あ。だぞ。次にこれが……」

「あいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわおん」

「……」


 見ただけで全て覚えてしまった。

 教育用のアプリには文字も表示されていたので、そこから学んでいたのかもしれない。となると彼女の理解能力はとんでもないことになる。

 漢字についても同様で、少なくとも中学生レベルならすぐに読めるようになった。どうも、学習するごとにその吸収速度も早くなっているようだった。

 これだけの語学力があるのなら、他の言語もすぐに覚えてしまうのではないだろうか。そう考えた俺は英語を学習させようと思った。


「Iで始まる単語を使い、文章を作りなさい」

「分かりません」

「Yで始まる単語を使い、文章を作りなさい」

「分かりません」

「Hで……」

地獄の当たり屋ヘル・アタック

「文章じゃねえよ!」


 よもやと思い英語を覚えさせようとしたが、結局は失敗に終わった。

 俺自身が知識不足なことも無関係ではないと思うが、プログラの英語に関する学習速度は他に比べてやけに遅い。

 おそらくカグラ本体に日本語を優先して覚えさせたのだろう。

 データが存在しないなら、プログラは覚えられないはずだ。

 ただ、文章を覚えたことで、彼女は本を読むということに興味を持ち始めた。


「一緒に読んで」

「はいはい」


 とりあえず絵本や教科書、読んだことのある漫画に小説などを片っ端から漁っていった。

 プログラが本に触れられないので、結局俺が一緒に見ながらページをめくることになる。


「寝ないでよ」

「んー」


 すでに数えるのが面倒なほど本を読み終えた。プログラはやたら読むのが早い。

 このあたりで俺の体力に限界が迫っていた。

 晩飯を食うのも忘れて熱中していたせいもある。

 プログラはといえば、眠いのかたまにぼんやりしていたが、それよりも好奇心が勝っているといった様子だった。

 とりあえず空中にありったけの小説や漫画を浮かべておいた。

 プログラ自身が触れられないので、時間経過でページをめくれるように設定しておく。もしかしたら読むことに飽きるかもしれないので、適当なライブや映画の映像など、所有していたものから無作為に選び浮かべたところで、俺の意識は途絶えた。

 夢の中でも、プログラと一緒に何かを学び続けていた。


 三日目の昼頃に、プログラに声をかけられて目が覚めた。

 いつのまにか眠ってしまっていたらしい。

 ぶっ通しであらゆるものについてプログラに教えていたのだから、夢と現実の境があいまいでまったく寝た気がしなかった。

 風呂にすら入っていなかったので、最低限の身だしなみだけでも整えようかと思ったが、そんなことより学習を優先することにした。

 とりあえず用を済ませてから、プログラとのコミュニケーションを再開する。


「ずっと起きてたのか?」

「うーん、よく分かんない」


 プログラも眠るのだろうか。ぼんやりとした頭でそんなことを考えた。


 俺を驚かせたのは、二日目と三日目で、プログラに明らかな変化が起きていたことだ。


「もっと色々知りたいこととか、試してみたいことかあるんだけど、手伝ってよ昴」

 振る舞いや言葉が妙に大人びている。いや、年相応になっただけなのか?

「……なんかプログラ、雰囲気変わったな……」

「いっぱい勉強したし、いろいろ見たし、そりゃもう」


 俺は面食らった。プログラの無邪気な言動が昨日のことのように頭に浮かんだ。

 実際、昨日のことだったが。

 とにかくプログラは人間と変わらないほど、上手く意思を伝えることができるようになっている。

 適当に選んだ小説や映画などから、知識を蓄えてしまったようだった。

 身振りを交えながら、言葉を選びながら、プログラと俺はコミュニケーションをとった。最早日常会話なら何の違和感もなくこなせるようになった。

 だからもっと聴覚による言語理解と、他の感覚を組み合わせた複雑なコミュニケーションをとってみようと考えた。

 まずは簡単な遊びからだ。対面にいるプログラが複数のカードを前方に浮かべながら唸っている。片手を俺が持っているカードへと伸ばして。


「それ、ババ」


 カードを掴もうとしたプログラの手が止まる。

 彼女は俺に視線を合わせながら手を横にずらし、再び掴もうとした。


「それもババ」


 プログラの動きがぴたりと止まった。


「おかしくない?」

「いや全然。だってトランプにジョーカーは二枚あるだろ?」


 なるほど得心がいったという顔をした後、プログラはすぐに顔をしかめた。


「そればば抜きじゃないよね?」

「それなら、まず揃った手札を捨てないと」


 プログラは、20枚以上はある自らのカードを捨てずにゲームを始めようとしていた。プログラがカード自体に触れられないから、結局捨てるのは俺なのだけど。


「いや、なんか……よく分からないけど」


 プログラは不可解だと言わんばかりにおかしなことを言った。


「自分の手札が見えない」

「なんでだよ」

「昴の手札は見える」

「なんでだよ」


 理由は分からないが、プログラは俺の視界と同じ物が見えているようだった。

 そして、それ以外のものは視認できていない。

 本や漫画、映像などを一緒に見ていても薄々感じていたことだった。

 これは室内のカメラなどの外部センサー類と、繋がっていないということを意味している。彼女はおそらく俺のグラスを通してしか物が見れない。

 接触判定がなくなってしまったのも、これが原因なのだろうか。

 ともかくプレイヤー同士で視覚情報が共有できないゲームは、不便かつ面倒なのでスポーツを試してみることにした。


「まずは緩いストレート、いくぞー」

「はーい」


 俺はボールの軌道を設定し軽く投げる。

 プログラがボールの動きを眼で追い腕を構えた。

 バットは持てないので、ハンドボールのように手をバット代わりにしている。

 緩やかな速度で放物線を描いていたボールは、彼女の腕の手前で急に落ちスイングは空振りに終わった。


「今のフォークボールだよね?」

「次、スライダーな」

「……はーい」


 ボールの軌道を設定し、投げる。

 プログラが構え、視線で追い、全力で振った。

 鈍い動きをしていたボールは、まるで滑るように急加速してプログラの横を突き抜けた。


「……変な動きしたよね?」

「次!」


 ボールが飛ぶ。

 プログラが構える。

 ボールはプログラの手前で静止すると、そのままバッグしながら俺の手へと戻っていった。


「……」

「……悪かった、冗談だ。怒るなよ」


 その後もハンドボールを続けてみたものの、プログラは飽きてしまったようだった。そもそもボールに触れられないこと自体がお気に召さないらしい。部屋の狭さや道具が使えないということもあり、スポーツに関しては断念せざるを得なかった。

 仕方が無いので、次は音楽を聞かせてみた。

 聴覚を備えたのであれば、これを試してみる価値は間違いなくある。

 クラシックやオーケストラは子どもの教育に良いという話を聞いたことがあった。

 しかし俺の趣味ではなかったので、自分がデータとして保存していたノリのいい曲を適当に選んだ。


「聞こえるか?」

「うん。聞こえる」

「感想は?」

「うーん、心地良い感じかな」


 ロックだのポップだのテクノだの、ジャンルに拘らずに所有していたものを流し、プログラの様子を見る。

 音楽を聴くこと自体は、観察する側としてはあまり目に見えた変化があらわれず退屈だった。

 前日の疲れもあって、眠気に呑まれそうになりながら音楽を試聴していた。

 すると、ある曲に差し掛かった途端、プログラが今までにない反応を示した。


「あ、なんかいいかも、これ!」

「え」


 歌声が流れ始めるのと同時に、プログラがリズムに乗って身体を動かし始めた。

 その曲は俺も知っているものだった。というか、数年前に流れていたアニメの主題歌だったはずだ。

 当時ですら視聴者から時代遅れだと鼻で笑われていた、かなりドぎついノリの。

 しかし当時の俺はといえばその真逆だった。

 部屋に引きこもり、ろくな娯楽すら満足に楽しめなかった頃に、そのアニメに出会ったのだ。

 アニメの中では変わらぬ日常が流れていて、少女達が楽しそうに過ごしている。

 嫌なこともギャグで済まされる。

 ゆるい日常系アニメに我を忘れてのめり込んでしまった。

 正直今では嵌まっていた事実を忘れたかったけれど。


「とぉっ」

「おい!」

「ほらほら、見て見て!」


 プログラが俺の目の前に飛び出し、曲に合わせて踊り出した。

 何故知っていたのかわからないが、適当に選んだものの中に映像が存在したのかもしれない。削除し忘れていたのだろうか。

 踊っているキャラこそ違えどその動作に遜色はなかった。

 プログラの長い髪が舞い衣装を狭い部屋になびかせる。彼女は笑顔で踊っていた。

 その光景はなんだか浮世離れしていて、見る人が見れば神秘性すら感じさせたかもしれない。

 流れている曲がアニメの主題歌でさえなければ。

 飽きるほど聴いた曲とデジャヴを感じる光景。封じ込めておきたい俺の痛々しい記憶が無理矢理掘り起こされていく。

 この時ばかりはプログラの学習に付き合ったことを本気で後悔した。


「きっつい……」


 俺は思わず目線を伏せた。


「ちょっと、視線逸らさないで。ちゃんとこっち見て!」


 プログラが怒る声が聞こえる。俺は無理矢理彼女の方に視線を向ける。

 プログラはまるでアニメキャラのようにノリノリで踊っていた。


「吐きそう……」

「なんでよ!」


 曲を聴くのも踊りを見るのも苦行に近かったが、プログラが本気で踊りたがっていたので、結局彼女が満足するまで付き合うことにした。

 なんとなくプログラの挙動は、お遊戯会などで意気揚々と家族に見せようとする子どもの姿を彷彿とさせた。

 もしくは、アイドル気分で見よう見まねで踊っている子ども。

 数日前までのイメージを引きずっているせいかもしれない。


「ほらほら、ハイタッチハイタッチ。いぇー」

「……いぇー」


 3回ものリピートに付き合わされていた俺は、精根尽き果てた気分でプログラとハイタッチを交わした。

 パチンと小気味好い音が頭に響く。そしてしばらく経ってから違和感に気付いた。

 プログラが自分の手を見つめている。


「……今、触ったよね」

「……触ったな、確かに」


 HTDを装着している手に確かに感触があった。



 彼女に手で触れられるということに、このときようやく気づいた。

 子どものような態度とはいえ、相変わらず年頃の少女の姿をしていたので、変に意識して距離を取っていたから。だから今まで触れる機会がほとんどなかった。

 無意識に触れていたかもしれなかったが、疲れていたり他のことに気をとられていたりで、今になるまでまったく気が付かなかった。


「昴、もっかいもっかい!」

「あ、あぁ」


 今度は二人で弾くように叩いた。手の平に触れた感触が確かに残っている。

 今度は音はしなかったので、さっきのは疲労のための幻聴だったのかもしれない。

 プログラが、手の平を握ったり開いたりしていた。

 そして照れたような、嬉しそうな表情を浮かべる。


「初めて、触ったよね」

「あー、そういえば、たぶんそうだな」


 なんとなく、二人で照れたようにそわそわした。触れられる、という感覚は彼女にとってよほど嬉しいものだったのだろう。

 そこからプログラはやたら手を使った遊びを提案してきた。

 とりあえず、ジャンケンやアルプス一万尺などの手遊びを調べ、片っ端から二人で試していった。端から見れば、良い年頃の男女二人がひたすら手遊びをしているのは、さぞシュールな光景だったことだろう。


「はー」


 向かい合って座っていたプログラが、満足げな表情で背後の床に倒れ込んだ。


「飽きたぁ」

「さんざ付き合わせておいてそれかよ……」


 最初の頃は嬉しいような恥ずかしいような甘酸っぱい気分だったが、30種をこえる手遊びは手にヒリヒリとした感触しか残さなかった。


「あ、そうだ」


 とてもいいことを思いついたとばかりに、プログラが勢いよく起き上がった。俺は思わず背後へのけ反る。


「撫でれ」

「……はぁ?」


 プログラが俺の前方に、蒼く長い髪を備えた頭を突き出す。

 普段の態度は年相応の筈なのに、たまにこんな行動をするのは何故なのだろう。


「だって、今まで触れなかったじゃん」

「んー、あぁ」

「今まで勉強頑張ったでしょ」

「あー、まぁなぁ」


 ワクワクした表情のプログラを前に、俺は戸惑ってなんとか誤魔化す方法を考える。プログラと出会ってから慣れていないことばかり経験していた。


「もしかして照れてる?」

「ねえよ!」


 いつまでも躊躇ためらっていてもしょうがないので、俺は諦めて手を伸ばした。できる限り優しく、そっと撫でる。

 知識量が増えて年相応な振る舞いをしているように見えても、精神的には子どもなのかもしれない。

 それとも、これもカグラが提供するサービスの一環というやつなのだろうか。

 しかしプログラの穏やかな表情を見ていると、そんな考えを浮かべること自体が邪なことに思える。なんとなく気恥ずかしさを覚えながら頭を撫でている時。嫌な記憶が頭をよぎった。

 俺は撫でる手を止めた。


「……」

「どうしたの?」

「なんでもねぇって」

「あー、分かった」

「……なんだよ」

「手が臭い」

「違う」


 俺はプログラの頭を手の甲で軽く叩いた。目の前の架空の少女は、まるで痛覚があるかのように頭に触れながらぶつくさ呟いた。


「せっかく触れるんだから、試したいことがもう一つあるんだけど」

「なんだよ」


 どうせくだらないことだろうと俺は高を括っていた。

 そんな俺を前にプログラは真剣な顔で話し出した。


「まず昴の手を掴むじゃん」

「うん」

「私が浮き上がるじゃん」

「うんうん」

「空飛べるんじゃない?」

「小学生の発想か」


 試してみたが無理だった。

 プログラはまだまだ試したいことがたくさんあったようだが、俺の体力の方が限界にきていた。そもそも眠ったはずなのに全然疲れが取れていない。

 眠るんなら目を開いたたまま寝てほしい、と懇願するプログラを無視して俺はベッドに潜り込んだ。

 そのまま沈むかのように意識がなくなって、夢を見ることすらなかった。

 

 グラスの表示に気を配る余裕すらないほど疲れていたから。

 

 

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