第13話  会議2



甘ったるい香りとやわらかな人肌の感触が祐輔の思考を麻痺させていく

その刺激的な光景を目にするたびに理性がガリガリと削られていった。


「あら? 黙ったままなんて卑怯な男ね」

「俺は……」


言葉の続きを紡ごうとする前に覆いかぶさられた朱美によってその声はでどころを失ってしまう。

もはや抑えきれなくなりつつある衝動とは裏腹に祐輔の心のなかには一つの言葉が浮かんでいた。



――また流されてしまうのか。



思い出されるのは異能者であることを選択したあの時の自分。

ここで快楽に流されれば確かに今後の人生は楽かもしれない。

辛いことなどありもせず、気持ちの良いことばかりで何も思い悩むことなく人生を終わらせられるかもしれない。

それでも、こんな場だというのになぜか今朝起きたばかりの光景が祐輔は頭から浮かんで消えてくれなかった。



――祐輔さんは頑張り屋さんなんです。どんなに辛くても諦めない。あなたがどなたか知りませんが、何も見ていないあなたにそんなことをいわれる筋合いはありません。



なんでもないの一コマのはずだ。

志弦にとってはただ思っていたことをいっただけで、おそらくいった本人はその言葉すら覚えていないかもしれない。

それでもなぜかあの一言は祐輔を大きく震わせたのだ。


「ああ……そうか、そうだったんだ」


不意にでた答えに祐輔は思わず言葉を漏らしてしまう。

探していた言葉が見つかったことによる嬉しさのあまり、祐輔は朱美の手を握ってしまった。


「あら、嬉しいわ。ようやくやる気になってくれたのね」


朱美が重なった手に指を絡めてくる。

否定する言葉ももどかしく、祐輔は心のなかで返事を返した。

そんなたいそうなものではないのだ。

いつも誰かの足を引っ張ってばかりで、何も出来なくて、そんなちっぽけな自分だからこその願い。




――俺はちっとは……




言葉にすればするほど実に大したことのない願いだと祐輔は思う。

思いを言葉にしようとする瞬間、なぜか腕輪をつけた方の手がひどく疼いた。

そのことに疑問を抱く前に自分が何かに引っ張られているような感覚を覚える。

同時になぜかわからないがその行き先を祐輔は不思議と悟っていた。

この腕輪の繋がる先に朱美がいる。

そして祐輔はなすすべもなくその何かに引っ張られ、深く沈んだ。











能力者であることに誇りを。

一族に繁栄を。

黒崎は能力者の最たる者であれ。



黒崎朱美は小さなころから両親からそういい聞かされて育った。

同時に自分は到底、何かを為せるような器ではなく。精々、当主の一助になれればいい程度のことしか出来ないだろうと思っていた。

なぜなら上には現当主の黒崎冬厳。

下には幼い頃から池田家、次期当主と言われていた池田翔。

その二人の圧倒的な才を見せつけられ、その現実を見せつけられすぎていたからだ。

元々、他の家とくらべて構成員の多い黒崎家で朱美は能力にそれほど秀でているわけでもない。

ほかよりいいといえるのはこの発育のよい躰と顔の見栄えがいいということだけだ。



――そんなもの、ここではあまり意味なんてないっていうのにね。



あのときのことはいつまでたっても忘れることができない。

あれは幼少のころの能力を競うために六家総出での試合。

結果はあっけないものだった。

最年少の池田翔と次期当主の有力候補として名を上げていた黒崎冬厳。

その二人の独壇場だった。

生まれついての格の差というものを思い知らされ、朱美はなんの役に立つこともなく惨敗した。

そして華麗に戦う池田翔の姿に恋をした。

しかし隣には異能を開発した若き天才、高堂恵美がいることを知り朱美は黒崎家の者として自分の立場を思い知った。


能力者の出生率が年々、減少している。

それは朱美が生まれたときからすでに問題となり初めていて原因の究明が急がれていたが、その問題が解決される兆しは一切ない。

ゆえに能力者としては対処療法を取らざるを得なかった。

結果として黒崎家はその勢力をさらに大きくすることとなるのだが、どちらにせよ能力を持つ者は限られていた。

一族のために朱美の自由というものは存在しなかったのだ。

一族がその力を保持するためには能力者の存在が必要不可欠。

そして比較的に高い確率で能力を持つ子供をもうける方法と言われるのが母親が能力者であることだ。

それが意味すること――


「朱美、君には次の任務を命ずる」


黒崎家当主、黒崎冬厳がにこやかなそれでいて冷め切った瞳で淡々と言葉を放つ。


「高堂家で新たな異能者の存在が確認された。可能であれば籠絡、不可能なら排除せよ」


そしてぽつりと小さな声でつぶやいた。

異能者の子は能力者をどれほど輩出できるだろうね。


「この任務がうまくいけば、君に長い休暇と自由を与えよう。ではよろしく頼むよ」


――つまりはそういうことなのだ。

しかしその力にあがらうすべを朱美は知らない。

そんなことをする気も毛頭もない、むしろ今までその立場を最大限に利用することで朱美はこの人生を好きな様に生きてきた。

だからこれは仕方ないことなのだ。

しかしそれでも叶うのであれば――













一滴の涙が祐輔の頬に当たる。

その感触で祐輔は目の前に朱美がいることに気づいた。

喉がからからに乾いている。さっき見たものの影響か頭痛がひどい。

それよりも困ってしまうのが、朱美がさきほどまでの雰囲気とは打って変わって涙をぽろぽろとこぼしていることだ。


「あの……」

「うるさいわね。どうしてあたし、平気なのにこんなのどうってことなかったのに……」


言葉とは裏腹にぽろぽろと涙がこぼれる。

どう対処したらいいものかわからず狼狽していると朱美は涙をぬぐい、機敏な動きで祐輔の上から飛び去る。


「もう意味分かんない。お前みたいな情けない男なんて知るかっ!!」


服装を正すのももどかしいのか、シャツのボタンもところどころで上着をひっかけ嵐のように部屋から走り去っていった。

さきほどの出来事が幻であったかのように部屋は静寂に満たされた。


「……た、助かったのか?」


その言葉に応える者はいない。

代わりに頭のなかから刺すような痛みが返ってきた。

そしてその痛みによって祐輔は思い出すことになる。

先ほど見た朱美のこと、その生い立ちを。

そのことについて考えを巡らせようとすると廊下からこちらに走ってくる足音が聞こえた。


「おっさん! そこにいるのか?!」


入ってきたのは宏太と志弦の二人だった。

見知った二人であったことに安心した祐輔だったが、自分の状況に思い至り顔を青くした。

ベットに寝転び衣服は盛大に乱れている。

加えてさきほど涙を流しながら廊下を走り去っていく朱美を目撃したのは間違いないだろう。


「……最低ですね」


今までに聞いたことがないような恐ろしげな声が志弦から漏れる。

その視線は祐輔のつけられている盟約の腕輪に向けられていた。


「いや、これは本当にちがうんだ。事故みたいなもので、なんともないし、その……」


いくら言葉をかさねようがその視線は冷たくなるばかりだった。














その後、なんとか二人に話しをきいてもらうことになり、志弦が案内された部屋へ移動する。

祐輔が案内された部屋と同じような豪華な部屋だった。


「それで私たちになんの言い訳があるんですか?」


相変わらず冷えきった志弦の視線が祐輔に突き刺さる。

宏太は我関せずと言った様子で備え付けれていた飲み物を取り出していた。

祐輔は意を決してさきほどの状況を説明し始めた。


「あれは変なことがあったというわけではなくてなんというか――押し倒されたんだ」


言葉を選び間違えた。余計なことをいってしまったとさらに顔を青くしていると祐輔の顔に冷たいものがかかった。

宏太が口に含んだ飲み物を吹き出し、むせ返っていた。


「あははっ、いや無理だって意味分かんないし、だったらなんで逃げられてるんだよ」


陽気な笑い声が部屋に響く。


「いや、なんと説明したらいいかわからないけど――」

「その腕輪を使って何もしていないという証拠がどこにあるというですか?」

「まあまあ、ここはおっさんを信じてやろうよ志弦姉ちゃん。それにおっさんがそんなに手が早いはずないって」

「それで実はそのときの話なんだけど」


話を蒸し返したことで白い目で見られながらもあのときの話を始める。

見てしまった朱美のことを、その一端ともいえるものを語り始めた。

あらかた起きたことを語り終えたあと宏太が口を開いた。


「恵美姉ちゃんに相談してみよう」

「私も同感です。また何か起こる前に対策しておいたほうがいいと思います」


そういう話になり、祐輔はすかさず携帯を取り出すが残念ながら圏外の表示が光る。

結界の中は外界からの影響も取り去ってしまうらしい。

二人揃って難しい顔をした。


「ただ問題はすぐにはここをでれそうにないってことだよなあ」

「そうね。会議はもう始まってしまったし、長引けば終わるのは夜になる可能性が高い」


まだ昼を回ったばかりで、ただ夜を待つには中々長い時間だった。


「でもそこまでして急ぐ必要があるのか。とりあえず待ってればいいんじゃないか?」

「まあ、その可能性もあるんだけどさ。ただこの結界内でもおっさんがチカラを使えたってのが問題なんだよね」

「そうなんです。普通はこの結界では翔さんがしていた腕輪がない限り、ほんの些細な能力しか使えないんです」

「しかも発動機なしでできたってのがさらに問題だね」


しかし現状、池田の力を頼ることも出来ない。


「でも俺らは異能者だろ? 一部には結構嫌われてるからあんまり騒ぎになるのはまずいんだよね」

「確かロビーに電話があったはずです。そこからなら姉さんに電話出来ると思います」

「そっか、それじゃあ――」


唐突な浮遊感が祐輔を襲う。

まるで吸い込まれるようだと祐輔は思った。

なすすべもなく祐輔の体は力を失い、倒れこんだ。











あたり一面、真っ暗な空間が広がっている。

そんな暗闇のなかでもなぜか目の前に黒崎朱美がさっきの格好のまま立っていることだけはわかった。


「やっぱり呼び出せたのね。別に怖がらなくてもいいわ、あなたが本気で拒否すればこれはすぐに消えてしまうものだし」

「こんどはいきなりなんだよこれ……」

「ちょっと用事があって呼ばせてもらったの、たいしたことではないわ。気分は過去にないくらい最悪だけどね、思わず死にたくなるくらい」

「…………」

「まあそれはいいわ。それで頼みなんだけど――あなたにあたしと同じことをしてもらいたい人がいるの」


朱美は腕輪がついている右手を祐輔に差し出す。

腕にはついているはずの腕輪にはそれを覆い隠すよう複雑に茨が巻き付いていた。




「池田家の次期当主、池田翔にね」




含みをもたせた笑みを浮かべる朱美はなんとも美しくも恐ろしいと祐輔は思った。

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