第11話  修行2

祐輔は憂鬱な気持ちで朝を迎えていた。

同じく体も昨日の訓練のせいかひどく重い。

朝のランニングに向かうべくのそのそと布団から這い出る。

そのさいふと壁に下げられたカレンダーが目に入った。

そのとき一ヶ月あまりの研修期間が早くも半分を過ぎていることに気づく。


「初めはどうなるかと思ったけどもう半分しかないのか……」


なんとなく感慨深いものを感じてしまい、思わずつぶやいてしまう。

気を引き締め直しながら訓練へと向かうのだった。


――次に池田さんに会ったら黒崎朱美に言われたことを伝えないといけないよな……


走りながら祐輔はこの先にしなければならないことを想像して憂鬱になる。

明後日に外に出ていかなければならないことが確定してしまったいま、隠しておく理由もない。

一人ではなにもできない現状、助けを乞う以外に手はないように思えたからだ。

そうして思考を重ねるうちに、最近少しは慣れたような気がするメニューをいつもどおり一番最後でかつ、バテバテになりながらもこなし終える。

いつも以上にだるい体に喝をいれながら朝食を取るべく台所へ向かった。


「よお! 朝からご苦労さんだな!」


そこでなぜか池田が優雅に朝食を済ませていた。

その横に志弦が座っているが、なぜかその表情からは不機嫌さがにじみ出ておりその気まずさに思わず祐輔は後退ってしまう。

その姿はいつもにこやかで明るい志弦と同じ人物とは思えないほどだった。

宏太は少し困ったような視線を祐輔に向けるが、なにをするのでもなくそのまま朝食のウインナーにかじりついた。

嫌な予感がした祐輔は刺激しないように静かに席について食事を始めることにする。


「……おはようございます。朝早くからどうかしたんですか?」

「会議まであまり時間もないからな。今日もこっちを手伝ってやるよ。仕事は問題ないから心配無用だぜ? 田淵さんにも断っているから大丈夫だ」


その言葉で思い出さないようにしていた嫌味な上司のことが脳裏に浮かんでしまい、祐輔は思わず箸をとめ、うずく胸を押さえた。

そんな祐輔の様子に気づいた様子もなく池田は静かに味噌汁をすする。


「今日も一日異能の維持訓練だな。しんどい一日になる予定だから覚悟しとけよ」


そのときだった。

志弦は食事の手をとめ、池田へと身を乗り出す。


「池田さん。昨日のことは私は一切な・に・も聞いていませんが、私もついていっていいんですよね?」


まるで有無をいわさないように恐ろしい視線が池田に錯綜する。

池田は我関せずと言った様子でさして気にしてないようにいつも通りに答えた。


「俺からはなにもいえないな。総代に聞いてみないとどうにもならないな」

「そうやっていつもごまかして! 昨日だってわかってて私を早く帰らせたんでしょ。どうしていつも私を連れて行ってくれないんですか!? もう知らないっ!」


涙を浮かべながら外へ出て行く。祐輔は突然の事態に困惑するが、言葉を飲み込む事しか出来なかった。


「……宏太、追って慰めてこい」

「ったく、貸しひとつだからな!」


仕方ないなといった感じで宏太は志弦を追って外へと出て行く。

そして台所には祐輔と池田の二人が残された。

祐輔はなんとなく気まずさを感じながら、味噌汁をすする。志弦が作ってくれる食事は非常に美味しいのだが、今回はうまく味を感じることが出来なかった。


「……総代、まあ能力者の家をまとめる代表ってのが志弦の祖父だっていってたことは覚えてるか?」

「えっ? ええ昨日いわれてましたね」

「総代といえば聞こえはいいが、じいさんも色々としがらみがあってな。志弦を連れて行くのはなかなか難しいんだが……どうしたもんだか」

「……そうだったんですか」


なんと言葉を返すせばいいのかわからずただ頷く。

同時に池田と二人きりになれた今が黒田朱美のことを伝えるチャンスではないかと思った。


「あの池田さん、実は大事な話があるのですが……」

「なんだ、どうしたいきなり?」


訝しげな池田の表情に言いそびれていたことが胸によしかかり、祐輔は気が重くなった。

意を決して祐輔は重い口を開く。


「実は先日の夜のことなんですが……」













「話は分かった。いいたいことは色々あるが、正直に話してくれたから今回は特別に不問にしてやろう」


話を全て聞き終えた池田はそういって、煙草を取り出した。


「おっと、家のなかは禁煙だったな。考え事をするときはどうしても煙草が欲しくなってな、すまない」

「いえ、報告が遅くなってすいません」

「いや、今回はあいつらに言わずに俺に報告したのは正しい判断だと思うぜ。やっぱりあいつらはまだ子供だからな、無駄な心配はかけさせたくない」


残念そうに池田は煙草をしまい直す。


「この件は俺が預かろう。もちろん他言無用で頼むぜ?」

「はい、了解です」


秘密の会話が終わって数分も立たないうちに二人が戻ってきた。

しかも仲睦まじく手をつないで。祐輔は二人がひどく眩しく感じられた。


「……朝から迷惑かけてごめんなさい」


泣いていたのだろう、そういって謝る志弦の目は赤い。


「あまり気にしすぎるな。俺も……なんだその、悪かったな」


しょげかえる志弦の頭にそっと池田は手を載せた。


「さて、気を取り直して今日も訓練を始めるから気合をいれろよ。島田の訓練は昨日と同じ! ひたすら練習しろ。お前ら二人は別メニューだ、これをこなしたら二人を会議に連れていけるように特別に便宜をはかってやってもいい」


驚きで志弦と宏太は一瞬固まったあと、互いに見つめ合って満面の笑みを浮かべた。


「喜んでばかりいるなよ、あくまでできたらだからな。当然ながら俺の訓練は厳しいぞ?」

「やった! 翔さん、私今いったこと絶対忘れませんからね!」

「よっしゃ、志弦姉ちゃん絶対やってやろうぜ!」

「みんなやる気まんまんだな、俺も気合いれなきゃ」

「俺と志弦姉ちゃんとおっさん全員揃って必ず会議にでてやるからな!」

「おうおう、気合充分だな。その調子で頑張ってくれよ」


志弦は嬉しそうな表情を浮かべながら宏太と手を組み、そのやる気を露わにする。

そうして池田は訓練のメニューを二人に説明した。

専門用語が多く、祐輔にはどんなものなのかいまいち想像はつかなかったが、訓練内容を聞いて顔をひきつらせている二人の様子を見るとそうとう恐ろしいものだということはわかった。

説明後二人と別々の訓練することになり、先にそちらの様子を見るために池田が二人についていったために祐輔は一人になる。

そのため一人寂しく訓練を始めることになるのだった。

準備を終えた祐輔は持っていた果物ナイフで指先を切る。


「痛っ!」


誤っていつもより随分深く切ってしまったらしく、瞬く間に血があふれる。

その血が珠になり、指先から離れようとする瞬間、血がうねり茨となった。

血の量がいつもより多いせいなのか気持ちいつもよりサイズが長い。

それを自分の腕に巻きつけ走りこみを始めるのだった。










祐輔は地獄のごとき苦しみを味わっていた。

その原因は訓練の途中で池田に渡された薬が関係する。

一時間ほど走り続け、祐輔のスタミナも切れかけたころに池田は戻ってきた。

てっきり昨日のように疲労転移の能力を使ってくれるだろうと思ったところに渡されたのがこの薬だった。


「俺の能力と似たような効果がある薬だから無理だと思ったらこれを一錠ずつ飲んで訓練を続けてくれ」


池田はそういって錠剤の入った小瓶を渡してすぐ戻っていった。

そしてその薬を飲んだまではよかった。

体から力が溢れてくるような感覚を覚えながら、もうひと踏ん張りと走り続けた。

そうして三錠ほど飲んだ後で違和感に気づいた。

薬を飲むことで確かにスタミナは回復する。

しかし渇きにも似た疲労感が消えることなく増してくるのだ。

体は元気だというのに心は今すぐにでも倒れこみたいほど苦痛に満ちている。

そのせいか新たにポケットから薬を取り出そうとするが、蓋をうまく開けられずポケットの中にこぼしてしまった。

もどかしさを感じながら祐輔は薬を取り出し飲み込んだ。


――いったいいつまで続ければいいのだろうか。


走り続けるうちに時間感覚を失ってしまい、時間を把握できていない。そのこともあって祐輔には今日の訓練は苦痛でしかなかった。

一人でいつ終わるのもわからず苦しいことを続けるのはひどく厳しい。


――誰も見てないなら少しくらい休憩しても大丈夫じゃないか。これほど頑張ったんだし。


そんな思考が脳裏をよぎる。

息が苦しい、心臓がきしみをあげている。体の内側から焼かれているかのような苦痛の塊が消えることなくどんどんと膨れ上がっていく。


「……っ!」


それだけはゴメンだと体が震えた。

理由は分からないが嫌だと思った。

別の場所でがんばっているだろう、志弦と宏太の顔がなぜか浮かんだ。

祐輔はポケットから薬を適当に鷲掴んで口に放り込む。

噛み砕けばきつい苦味が口の中に広がった。

苦痛は増すばかりだが体が動くようになる。祐輔はひたすらに走り続けた。

誰に強制されるのでもなくただ走った。

走って走って走り抜ける。

体の全てが融け合うようなそんな感覚を祐輔は覚えた。

そんな自我すらもさだかでないなかそれでも祐輔は走りつづけて、



やがて見知らぬ場所に立っていた。



一面の草原が見渡す限りに広がっている。

水平線の果てまでそれは広がっていた。


「あれ?」


わけもわからずつぶやいてしまう。

走っていたら草原に立っていたなんてわけがわからない。

夢かと思って祐輔は思わず頬をつねった。

痛みはなかった。

なるほど、これは夢に違いないと場違いながら納得してそこで腕から茨が消えていることに気づいた。

夢ならしょうがないと地面に座り込む。

不思議とその草原は見覚えがあった。

しかし喉元まででかかったそれはどうしても思い出すことが出来なかった。


――なんだ、結局諦めるのかよ。やっぱりお前は何も出来ないんだな。


そのときだった。地面から自分そっくりの声が響いてきたのだ。

地面についていた手のひらに痛みが走る。

思わず手を引くと血が滲んでいた。

風もないのになぜか草原が揺らぐ。

祐輔は草原が見慣れていた理由を悟る。

その草原は草ではなく全て茨だったからだ。

茨が波のように成長して祐輔に向かって殺到する。

水に溺れるように祐輔は茨の海に沈んでいった。

そこには絶望しかなかった。

いや絶望という名をつけるのはふさわしくない。

絶望できるほど自分のなかには何もないからだ。

空っぽな自分にはそんな感情を持つことすらおこがましい。


――俺には何もない。


ぽつりとこぼしながら祐輔は茨の海に深く溺れていく。

それはただひたすら虚無だった。












「…っ! ……い! ……おいっ! 大丈夫かっ?」


誰かの声が聞こえた。

しばらくしてそれが池田の声だと気づいた祐輔はこみ上げる吐き気をこらえきれずに嘔吐する。

そのなか祐輔は自分が走っている最中に倒れてしまっていたことに気づいた。


――なんだったんだろうあの夢は。


思い出すことで茨の感触が蘇ってきそうでなんとか記憶を振り払う。

しかしその恐ろしい夢を祐輔は不思議と何度も見た時があるような、そんな感覚があった。


「よかった。様子を見に来たら倒れてたから心配したぞ。もしかしてお前薬を一度に大量に飲んだりしたんじゃないだろうな?」

「ええと、いまいち覚えてないのですがそうかもしれなせん」


息もたえたえに言葉を返す。

実際、走っているときの記憶が曖昧でいまいち自信はなかった。

ポケットから薬の入った小瓶を取り出す。

うっかり蓋を外した際にポケットの中にこぼしてしまったようで瓶のなかはほぼ空っぽ。

飲み干してしまったのかポケットの中にもほとんど薬は残ってなかった。


「ほぼ飲み干すとはな。無事だったからいいが、危険だから次は飲み過ぎんなよ」


言葉が脳内で反響して再び吐き気がぶり返す。

再び胃の中を全てひっくり返して祐輔はようやく人心地つくことが出来た。


「……志弦と宏太はどうだったんですか?」

「ああ訓練のことか? あいつらなら無事に課題をこなせそうだな。かなりキツめにしてやったんだが、さすがあいつらだ」


立ち上がろうとするが、うまくいかず倒れこんでしまう。



――なんだ、結局諦めるのかよ。やっぱりお前は何も出来ないんだな。



なぜか夢のなかの言葉が脳内で反響していた。


――また何も出来なかった。


結局その日は体の不調によりそれ以上訓練を続けることは出来なかった。

そうして祐輔はこれといった手強えもなく六大会議を迎えることとなるのだった。


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