第8話  敵



ぽつぽつと雨が降る音が静かに響く。

さきほどまで平和そのものだった高堂家はぴりぴりとした緊張に包まれていた。

島田祐輔は重い体をなんとか起こし、意識を失って動かない高堂志弦に駆け寄る。

大きな外傷はないようでひとまず、祐輔は安堵の息を吐いた。


「恵美に様子を見にいってくれって頼まれて来てみたんだが、これは営業をサボって正解だったな」


にっこりと笑う池田翔。いつものスーツ姿が決まっている。

彼の両手には水が纏われており、その水は網目のように黒猫と影を押さえつけていた。


「まったく、間の悪い男は嫌われるわよ」

「早々に不意打ちを仕掛けてくる黒崎家よりはましだろ」

「怖い顔ねえ。私も噂の新人の様子を見るだけのつもりだったのだけど、間抜けなことにチャンスをくれるものだから、ついね」


そこまでいったところで黒猫の姿が影に沈んだ。

合わせて這いでた影が先を鋭利に尖らせ、纏わりついていた水を切り払う。

影のなかから這い出るように出てきたのは黒いローブを着こんだ人がひとり。

そのたっぷりともりあがったボディラインからかなり豊満であることがわかる。

フードに隠れて顔は伺うことはできなかったが、代わりにフードから長い髪が垂れていた。


「ふう、やっぱり猫姿は窮屈で仕方ないね」


いたずらっぽくいう。ローブの内側の影を利用しているのだろう。同時に両袖と足元から合わせて4本の影が這い出る。


「ここで引いてくれれば助かるんだが、そうも行かないようだな」


池田は切られたことで散った水を集め手首から先を覆う。

影の刃が池田に振るわれた。

まるで鉄同士がぶつかり合ったような、硬質な甲高い音が鳴り響く。

池田の拳が影を弾く。4本の影が次々と攻め立てるが池田は難なくそれを捌ききった。

余りにも強い肌で感じとれるほどの殺気。訓練とはまるで違う命をかけられた戦いを目の前にして祐輔は思わず震え上がる。


「さすがは池田家の次期党首様はお強いね。私じゃあ敵いそうにない」


影の主は攻めあぐねているというのに焦る様子もなく、池田に語りかける。

休むことなく影の刃が振るわれる。代わらず左右の拳がそれを防いだ。


「でも私の目的はあんたに勝つことじゃあない」


フードの暗闇からさらに影の刃が飛び出る。

4本の影により池田の両手は止められている。

影は池田の脇を潜り抜け、祐輔を貫かんと飛びだし――


「それごとき俺に止められないと思ってるのか?」


すぱりとその刃先が地に落ちた。

本体から離れた影はその形を維持できなくなり、跡形もなく消え去った。

同時に切られた残り4本の影もその長さを半分ほど残して断ち切られる。

池田の拳に纏われていた水は指先に集められ、剣のように伸びて形を変えていた。

操っていた影がなくなったことで無防備になったそいつに池田は拳を叩き込む。


「悪いが敵には女性だろうが容赦はしない主義でね」


池田が女性の腕をつかむ、背負い投げが決まり影の主が床に叩きつけられ息が漏れる。

間をおかず池田は影の主を外へ投げ飛ばす。彼女は地面を転がり、庭の植え込みにぶつかってとまった。


「お前にはもう勝ち目はない。わかるな」


池田の両手に纏われた水が見る見る大きくなっていく。

外で降っている雨を取り込んでいるからだ。

そのせいか雨が降っているというのに池田の体は一切ぬれていなかった。


「はっ、能力者である誇りを捨てた男が偉そうに口をきくねえ」

「滅びを受け入れることが誇りだというのが間違いだというのがまだわからないのか」

「自然と能力が消え去るのならそれに従うのが摂理というもの。欲望に目が眩み、それがわからないから理を乱すのだ」


深いため息が池田の口から漏れる。


「これ以上話しても時間の無駄だ。さっさと黒崎家へ戻るがいい」


女性は舌打ちをひとつすると現れたときのように影に沈みこむ。そのまま植え込みの影と同化して消えていった。

雨が降る音だけが静かに辺りに響いていた。

危機がさったことで祐輔は思わず膝をついてしまう。

立ち上がろうとするが体ががくがくと震えてうまく立てず、倒れこんでしまった。


「おいおい大丈夫かよ。まあ無事でよかった」


池田は室内へ戻り、開けっ放しになっていた窓を閉めて鍵をかける。

そして動かない志弦へと駆け寄り、志弦の頬に触れ、手に纏われた水を使い、志弦を包み込む。

診断と治療を行っているのか、水は僅かに発光していた。


「どうやら気を失っているだけみたいだな。部屋に寝かせてくるからちょっと待ってろ」


池田はそういい捨て、志弦をお姫様だっこをして出て行った。

激しく鼓動する心臓を落ち着けるために祐輔は深呼吸を繰り返す。

なにもしていないのにぷるぷると小刻みに震える腕を押さえこんだ。


――なにもできなかった。


危機が去ったことで心の中にひとつ後悔が生まれる。

それは池田の助けになることでもなく、


「おい、島田。ちょっと話があるから着いて来い」


いつも優しげな表情を浮かべている池田の顔から笑みが消えていたことで祐輔は嫌な予感をぬぐえなかった。











祐輔は池田に連れられて地下にある研究室へ再び降りることとなった。

勝手知ったる他人の家といわんばかりに池田は端末を操作して一番奥の研究室へと進んでいく。

中に入るとどかりと椅子に座り込み、煙草を吸い始めた。

嫌な沈黙の間が二人の間に流れる。


「……なあ島田。俺がいまなんで怒っているかわかるか?」


二人の間に紫煙が満たされる。


「……いえ」


返答した瞬間、祐輔の体が浮いた。わけもわからぬまま体は背後にある壁に吸い込まれていき、勢いよくぶつかる。

そのまま崩れ落ち、たまらず咳き込んだ。


「なぜあのときお前はなにもしなかった?」


首元を掴み、祐輔は持ち上げられる。

背中の痛みと首元の息苦しさが祐輔を襲っていたが、それよりも池田の瞳が祐輔にはひどく恐ろしかった。


「逃げるのでもなく志弦に駆け寄るのでもなく、なぜなんの選択もしなかったと俺は聞いているんだっ」


その瞳は温度がなく、ひどく冷えきっていた。

祐輔はこれをよく知っていた、元上司の田淵から毎日のように浴びせられた視線、これを失望という。


「……こっ、怖くて動けなくて。す、すいません」


途切れ途切れに、自分でも出せない答えに、そうこぼすしか祐輔は思い浮かばなかった。

無言で池田は火を消す。そしてあらたにもう一本取り出し、つづけて火をつけた。


「今回のことはおそらく恵美は事故で片付けるだろうからいわないと思うからいうが、事務所は実は結界が張られていた」


不意に、言葉がどこか遠くから聞こえてきたような気がした。


「内側から招かれない限り外から害意ある者は入れないというものだ。つまり敵を招きいれたのはお前自身だ」


頭が真っ白になる。


「お前はもう一般人とは違う、異能者だ。危機感が足りないんじゃないか?」


どこかに行きたい。そんな思いが祐輔の胸の中をぐるぐると渦巻いていた。

話はこれ以上ないとばかりに池田は足早に地下から出ると外へ戻って行った。


「俺は仕事があるからもう戻る。そのうち恵美が来るだろうからあとはあいつの指示に従っときな」


ぷらぷらと手を振り、振り返ることなく戻っていった。

扉が閉まった後、祐輔は棒立ちとなっていた。

数分立ち尽くした後、幽鬼のようにふらふらと客間へと戻り戦闘で散らかったものを片付け始める。

言葉に言い表せない深いどんよりとした念が思考を停止させていた。

体が内側からざわめている。頭にもやがかかり、心は固まっていた。


「祐輔さん顔色悪いですよ大丈夫ですか?」


何分ほど片づけを続けていたのかは祐輔はわかっていなかったが、言葉が突然飛んできたことによってようやく思考が再起動する。

ぎょっとして声のほうに目をやると志弦がそこに立ち尽くしていた。


「え、あ、志弦さん。お、俺――」


謝罪の言葉を言おうとするが、うまく口が回らなくうわずってしまった。


「翔さんに助けてもらったんですよね? 枕元にメモが置いてありました。片付けなんて大丈夫ですから休んでいてください。今にも倒れそうな顔してますよ」

「いや、だ、大丈夫……だ」


そこで自分がひどい倦怠感を感じていることに気づく。

ふらりと思わずひざをついてしまった。

立ち上がろうとするがひざが震えてうまくいかずに、力尽きて前のめりに倒れこんでしまう。


「祐輔さんっ!?」


すかさず志弦が駆けよって支えてくれた。そのまま壁によりかけてもらいなんとかことなきを得る。


「なにからなにまでありがとう。あと、な、なにも出来なくてごめんなさい」


ようやく伝えたかったことがいえたことで、祐輔は肩の荷が降りたような気持ちになることができた。

緊張のためか強いめまいが襲ってきたため何度も深呼吸をする。同時に気が緩んだせいか、さきほどまで気にならかった背中が急に痛み出してきた。


「いえ、今回のことは注意不足だった私の責任です。ひとまず無事に終わったのでよしとしましょう」

「で……でも、志弦さんは俺のせいで怪我をして」

「大丈夫ですよ、もう直りました。祐輔さんの怪我もいま見ちゃいますね」


そういって強引に服を脱がそうとする志弦をなんとか止めようとあせる祐輔だった。











現在、祐輔は恵美の運転によって神社へ戻ろうとしていた。

その道中、車内は気まずい沈黙で満たされていた。

恵美から発せられる凄まじい不機嫌オーラによるのがおもな原因だが、その大元が祐輔自身にあるとわかっているためなにもいうことはできない。

むしろさきほどのことに対してなにも恵美から追求されることはなかった。

言葉を交わしたのは迎えに来たときに一言、気をつけろといわれたのみ。

あとは全て志弦と会話をしていて、祐輔とは目を合わせることすらなかった。


「あの……」


意を決して祐輔は恵美に声をかける。


「……なんだ?」


数秒の間を開けてようやく恵美が答えた。その声色に込められた怒りに思わず祐輔は震えてしまった。

なんとか奮起し、なかなか出てこない言葉を搾り出す。


「……すいませんでした」

「二人とも無事でよかった。こちらの落ち度もあったんだ、気を落としすぎるな」


再び沈黙が社内に満ちた。車の走る音だけが二人の間に流れる。

数十秒の間をおいて、恵美が口を開いた。


「今日襲ってきたのはおそらく黒崎家の者だな。影を触媒にしていたことから間違いないだろう」

「有名なんですか?」

「能力開発反対派の最大勢力かつ過激派だ。めんどうなことに能力者も家柄によって派閥があるのさ」


苛立ちを隠しきれないのか恵美はハンドルをいっそう強く握った。


「能力はいままで血脈によりそのチカラを受け継いできた。そのせいかアタマの堅いのが多いんだ。そういう奴に限って権力もあったりするがな」

「権力ですか?」

「ああ、おそらく今回の件もうやむやにされるだろう。だからこそ最低限の自衛手段は必要なんだ」


車が止まる。見慣れた神社にようやく戻った。

ほんの半日しか離れてないはずなのにそれはずいぶんと懐かしいように祐輔は感じた。


「今回の検査で時間はかかるかもしれないが、島田の異能の詳細が解析できる可能性が高い。それまでひとまず気をつけて生活してくれ」


念のため恵美が入り口まで同伴してそこで彼女と別れた。

降りしきる雨のなか祐輔は濡れるのも構わず、ゆっくりとした足取りで家へ進む。

志弦に直してもらったはずなのに背中が鈍い痛みを発しているような気がした。


「おっさん、おかえり! って顔真っ青だけど大丈夫なのかよ!?」


玄関に入るとスナック菓子を食べながらテレビを見ていた宏太が、祐輔の顔を見て驚いた表情を浮かべている。


「ああ、色々大変だったんだ。あとで話すからいまはちょっと休ませてくれ……」


返答を待つこともなく、足早に祐輔は自分の部屋へと戻る。

スーツを脱ぐのももどかしく、祐輔は布団へ倒れこんだ。


「くそっ ……どうしろってんだよ」


人知れず悪態をつき、電池が切れたようにそのまま祐輔は意識を失った。

そうして眠りから祐輔が覚めると雨はすでにやんでおり、窓から差し込むのは月の光に代わっていた。

時計に目をやると時間は深夜2時を過ぎている。

眠りすぎてしまったと祐輔は頭を抱えるが、このまま二度寝ももったいないので外を散歩することにした。

夜風が寝起きでぼーっとした頭を完全に覚ましてくれる。

なんとなく祐輔はいつも走っているルートを歩き始めた。


――結局俺の異能はなんなのだろうか。


歩きながらそんなことを思う。

恵美のいっていた通り今日のようなことがあったらときの自衛手段が必要だと痛感したからだ。

現在の祐輔の異能はなんの役に立たないといっても過言ではない。

現在わかっていることは五つ。


血を触媒としていること。

血が茨に変化すること。

茨は自分の意思で動かすことも動くこともない(鞭代わりにはできるが攻撃力はない)

なんらかの原因で茨が暴走して自分と周りを襲う。

他人に茨が命中するとデジャヴが起きる(暴走したときのみ? 気のせいの可能性もあり)


困ったことにいまのところ祐輔自身でコントロールできる手段がひとつもないというのがつらい。

茨を鞭代わりに使ったところで今日見た影使いに瞬殺されるのが目に見えている。

恵美の解析でなにか新しいことがわかるのを待つしかないのだろうか。

祐輔はいったん思考をとめ、あたりを見渡す。

考え事をしたまま歩き続けたせいかいつのまにか神社の入り口である鳥居のところまで歩いてきてしまったらしい。

そこで視界の端に動くものがあった。外側から小柄のなにかが鳥居の前に出てきたのだ。

月明かりで薄っすらと見えるそれは夜に溶け込むかのような黒い色をしていた。

目をこらして祐輔はそれに気づき、びくりと大きく震えてとまってしまう。

鳥居の前に居たのは、見間違えようがない祐輔を襲ったのと同じ黒猫だった。


「ちょっと待ちな。今回はあたしはあんたに話があってきたんだ。別に殺そうってわけじゃない。上からの命令でもなきゃ、そんな後味の悪いことしたくないしね」


猫が喋ったことで祐輔は思わず逃げ出そうと身構える。

黒猫の姿がほどけ、中から人が出てくる。そしてフードをとった。

彼女はとろんとした色っぽい目が特徴的で、その長い艶やかな髪と悩ましげな体も相まって妖艶さをかもしていた。

攻撃する意思がないのをあらわすためか、両手を上にあげる。同時に豊満な胸が揺れたのを祐輔は見なかったふりをした。


「あたしの名前は黒崎朱美。黒崎家の使いっぱしりみたいなものさ。別にそう身構えないで頂戴、この結界を破壊するのは無理だからさ」

「……いったいなんの用だ」


決して近づき過ぎないように少しずつ距離を置きながら祐輔は問いかける。

いきなり命を狙われているのだ、警戒されない道理はないというものである。


「まあ、そりゃあ警戒されるよねえ。黒崎家からひとつ提案があったのさ、あんたこっち側につく気はないかい?」

「そんな言葉を信用すると思っているのか」

「問答無用で殺されるよりはだいぶいい話だと思うけどねえ。それにあんたこのままじゃ死ぬよ。あの生意気なガキもね」

「――なに?」



「いままで発見された異能者はあんたをいれて五人。他の三人はもうこの世にはいない。それを知ってもあんたはここに居たいと思うのかい?」



それはまるで悪魔と取引をするかのように、朱美はにっこりと妖しく笑い問いかけた。





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