終章 親戚

「日奈子さんは――残念だったね」

 まゆらがそう言うと、興味がないようにぼんやりとした声を出す。

「聞いてるの? 久保君」

「おいおいまゆらちゃん、家でまでペンネームで呼ぶ必要はないんじゃないかい」

「家って、ここは私の家なんだけどね。長七ちょうしち君」

 まあいいじゃないか――と久保若葉こと川島かわしま長七は大仰に肩を竦めてみせた。

 久保若葉というのは無論ペンネームで、根津村にいる間は絶対に本名を呼ばないようにと釘を刺されていた。その時の感覚がまだ残っているらしい。

 長七はまゆらのある時期における義理の従弟に当たる。ある時期というのは、まゆらが里子に出されて以降、様々な家を転々としてきた一時期ということだ。

 まゆらはその力から、当然のごとく周囲の人間から気味悪がられてきた。それが原因で色んな家をたらい回しにされてきたのだが、その一時期に従弟として出会ったのが長七だった。

 長七はやむを得ず奇異の目で見られてしまったまゆらに輪をかけておかしな人物で、まゆらはそんな長七と出会ったことでおかしいのは自分だけではないのだと妙に救われたことを覚えている。

 長七と従弟としての関係が続いたのは幼い頃のほんのわずかな間だけだったが、高校に進学するとそこで再会を果たした。長七は進学せず、まゆらは大学に進んだので今度こそ関係は断たれたと思っていたのだが、まゆらが三条から仕事を受け始めると、何故かライターの仕事で三条と知り合いになっていた長七とまた再会することとなった。

 従姉だからと言って男女の関係を迫ることは全くない長七だが、ちょくちょくこうしてまゆらの家を訪ねては手料理や酒を要求してくる。なんだかヒモを養っているようでまゆらとしては微妙な感覚なのだが、害はないことはわかっているのでそのままにしている。

 今日長七がまゆらの家を訪れているのは、長七曰く少し遅れた正月の挨拶だそうだが、本当の目的は明白だ。まゆらもそのつもりで話をしかけている。

 根津村を抜け出したまゆら達は、まず119番をして日奈子を病院に担ぎ込んでもらった。

 結果として、日奈子は助からなかった。宗佑は泣いていたが、坂部は全てを悟っていたかのように無言だった。

「長七君は――」

 どうして――と訊こうとしたが、あまりにも愚問に過ぎたのでまゆらは途中で口を噤んだ。

 長七が火に包まれた神社の中に突っ込んでいった時は、本当に驚いた。抜け出す見込みがあってこその行動だったと長七は言うが、平気で他人の命を見捨てられないその人間性に、まゆらは今までの長七のイメージを覆された気分だった。それは長七が、あんなものを見ずにすむ人間だからだろうか。なんだかどんどん自分が厭になっていく。

 根津村の大火災と呼ばれることになったあの火事では、多くの死者が出ることとなった。村は殆ど崩壊し、村人も散り散りとなっていた。

「そうだねえ、何もかも有耶無耶になっちゃたのは、ちょっと残念だけど」

 根津村の大火災の原因は、全くの不明ということになっている。それだけ火災の規模が大きくなりすぎたという面もあるが、火清会から何らかの圧力がかかったと見るのがあの場にいた者からすれば普通だろう。

 長七はそもそも記事の裏取りのために根津村を訪れたはずだが、あそこで起こったことを記事にする気を全く失っていた。長七曰く騒ぎが大きくなりすぎたせいだということだが、やはり思うところがあったのだろう。

 長七にはそれを明らかにするだけの根拠がある。だがここまで騒ぎが大きくなってしまえば、長七の書く記事が載るような雑誌でいくら騒いだところでよくて陰謀論にしかならないだろう。

 結局、自分達では火清会にはとても敵わないのだ。まゆらは痛感した。

 それでも、ほんの少しの希望はあった。

 あの夜から一週間後、坂部と宗佑は混乱の中にあった村人の生き残りの中から、日奈子の子供――清の居場所を知っている者を何とか見つけだし、その居場所――大太良市内のマンションへと向かった。そこで無事清を藤田の知人の女性から引き取ることが出来た。

 藤田は火災に巻き込まれて死んでいた。長七の話では、焼死体の中には自殺したと思われる遺体があり、それが藤田である可能性が高いという。二人に全てが知られたことで自責の念に駆られて命を絶ったのだろうか。そんな責任の取り方はないだろうに――などとまゆらは思ってしまう。

 長七の計らいか、あるいは単なる興味本位か、清はその後一時的に長七の『師匠』、安中栄一郎が預かることになった。

 坂部が実家を引き払って大太良市に出てくるまで。あるいは宗佑が落ち着くまで。そしてこの二人が互いに協力し合えるようになるまで。その間だけ、安中は清を預かることにしたという。

 確かに清はいつ火清会に狙われるかわからない。そういう意味では火清会と対立し、対処の仕方を心得ている安中は適任と言えた。

 坂部の家は家族こそ無事だったが全焼しており、この機会にと両親が坂部の勤務先のある大太良市への転居を勧めたという。あんなことがあった後でも根津村へ愛着を持っていた坂部は最初は渋ったが、清を育てるのには元から預けられていたこの市内の方が適していると諭されるとそれに従った。

 宗佑は姉を亡くし、両親には完全に絶望した。卒業までに必要なだけの学費を受け取ると、二度と実家には戻らないと宣言して大太良市の下宿でアルバイトをしながら暮らすことにしたようだ。

 無論、宗佑が情報を流したことによって根津村の大火災の間接的な原因を作ったことに対する負い目もあったのだろう。平気な顔をして村に帰る訳にはいかないということだ。

 二人は最終的には一緒に清を育てていく決意を固めたようで、安中もそれに賛成していた。その準備が整うまでの間だけ安中に清を任せる――勿論清はその間にも二人と会うようにしている。

「師匠は信用していいと思うよ。なにも火清会への恨みを吹き込んだりはしないから」

 長七が言うと、まゆらは思わず笑っていた。

「そうだね――清君には、何にも縛られないでほしいな」

「うん。それはまともな神経をしてる人間なら、みんなそう思うよ」

 歌うように言った長七の言葉に一抹の不安を覚える。きっと清の未来は生易しいものではないはずだ。それでも、まゆらは清の未来に少しでも幸多からんことを願うのであった。

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風流しの村 久佐馬野景 @nokagekusaba

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