十四章 彼岸の解釈

 風溜に残されたのは、三条とまゆら、そして坂部と火野の日奈子と宗佑。この五人だけだった。

「ここからは、普通の神経をしていれば信じられない話になります。本来ならばこれは久遠さんの領分ですが――」

「三条さんにお任せします。要所要所で、私も口を挟ませてもらいます。信じられない――この世のものではない話になりますが、どうか、最後まで聞いてください」

 まゆらは一礼し、日奈子と宗佑から離れた見物席に座る。

「久遠さんが風流しの本質に気付いたのは、無論この村や風祭に隠された符牒から導きだしたという面もありますが、実はそれより前に、この村を見て回っている間に久遠さんはまざまざと見せつけられていたのです。先程言った通り、久遠さんは本物です」

 それは坂部も薄々感じていたことだ。まゆらは普通の人間とは何かが違う。

「久遠さんには、この村中で、夥しい数の子供の霊が見えていました」

 ぞっと――背筋が冷える。

「それも、現代の概念である個人の霊ではありません。渾然一体となった、まるで子供の肉団子のような集合体。そんなものが無数にこの村中を徘徊し始めていた。そして今も、僕達には見えませんが、それらは村の中を這いずり回っているのです」

「最初は、火無川でした。あの本流を見下ろすと、すごい数の子供がいて……向こうも私に気付いて這い上がってきたんだと思います。それから、村中が――」

 まゆらは火無川を坂部に案内させた時、何か見てはいけないものを見てしまったかのような切迫した表情を見せていた。

 ――やっぱり子供か――。

 あの時の言葉の意味を、坂部はここで理解した。

「間引いた子供は川に流すのが常識でした。それ故火無川には無数の子供の霊が眠っていたのでしょう。それに先程お話した通り、風祭という儀礼そのものが、亡くなった子供達の慰霊の意味もあった。風祭になれば、亡くなった子供達は自らの慰霊を求めて帰ってくるのです。だが、ここで一つ問題が生じました。フキナラシが、樒の舞いの途中で中断されたのです」

 千葉の乱入――そして卒倒。

「これにより、風祭は本来の手順から外れてしまった。ご存知の通り、風祭では『神よばい』という神下ろしの儀式を始めに行い、祭が終わりに差しかかれば下ろした神様をきちんとお帰しする『神やらい』という儀式も存在します。言わば現在の根津村では、呼び寄せたものを戻さず、そのままにしてあるということになります。それは、子供達も同様です」

 まゆらは何度も風祭の続きをすぐに行うべきだと言っていた。それはまゆらの目に映るもの達があまりに多くなりすぎたからなのだ。そして――風祭は再開されずに今に至っている。

「今の根津村は――溢れ出した子供達の霊ですし詰めです。多分、帰すことが出来なかったことで、霊が霊を呼び、どんどん膨れ上がっていったんだと思います」

 まゆらが青い顔で言うことに、異論を唱える者はいなかった。

「さて、日奈子さんはお子さんを育てている間、坂部さんをお父さんのようだと言っていたそうですね。それくらい、お二人の関係は良好だった」

 何故そこに話が飛ぶのか、坂部にはわからない。

「だが、目の前から子供を奪われ、日奈子さんは悲しみに暮れます。そこで考えた。もう一度、同じ父親の子を産めばいいのだと」

「高山という人の子を? いや、だってそれは――」

 日奈子は高山に関する言葉を聞いただけでパニックに陥った。そんなことは到底考えられない。

「日奈子さんにとって、お子さんの父親は決して高山氏ではなかった。それは共に子供を見守り、いつも近くにいてくれた人」

「は――」

 坂部の頭の中に、熱帯夜の寝苦しい布団の中で感じた、断片的な情景が駆け巡る。荒い息遣い。甘い嬌声。揺れる身体。

 ――トシ兄ちゃん。

 翌朝の、濡れた下着。

 そんな――馬鹿な。

「あれは――夢だ。夢だったはずだ。だって、そんなことはありえない」

「いい加減にしろよ、トシ兄ちゃん」

 宗佑が思い切り坂部の胸倉を掴んだ。今までそんな攻撃的な態度を見せたことがない宗佑の行動に、坂部は面食らう。

「姉ちゃんは――姉ちゃんはなあ、ずっとトシ兄ちゃんのことが好きだったんだよ」

「ヒナが……俺を……?」

 宗佑は坂部を突き飛ばす。坂部は理解が追い付かず、受け身も取れずに無様に尻餅をついた。

 それが本当なら――あの夢が夢でないのなら――日奈子の腹の中の子は――。

「行為があったかどうか――それはここでは問題ではありません。日奈子さんが、坂部さんの子供を産みたい――子供が戻ってきてほしい――そう願うことが意味を持ちます。それはこの村に潜在的に溢れる子供の霊と強く感応した。子供のまま死んだ霊の群れは、再び母親のお腹から生まれ直したい――そう願った」

「最初に日奈子さんを見た時――」

 まゆらが躊躇いながらも口を開く。

「私に見えたのは、次々と日奈子さんの中に入っていく、子供の塊でした」

「うっ――」

 まゆらが見たものを想像し、その時のまゆらと同じように息を詰まらせる。

「あんた、言っていいことと悪いことが――」

「ごめんなさい。気分を害されることはわかってます。でも」

 見たまんまなんです――小さいが、ぐっと力を込めた声でまゆらが言う。

「日奈子さんはお腹の子供と会話をしている。しかもその声は本来わかるはずのない、久遠さんの由来を指摘しています」

「由来?」

「話して――いいかな?」

 まゆらは神妙な面持ちで、自分から話すと申し出た。

「私は――あらゆる意味で鬼子でした」

 まゆらは俯いたまま続ける。

「私は本当は堕胎させられるはずの子供でした。ただ、母が私を堕胎しようと思い立ったのは七箇月を過ぎた頃だったので、法律上中絶は出来ませんでした。そこで母は、自ら民間療法で中絶を行いました。そこまでして私を堕胎させたかったのに、私は生き残ってしまった。結局私は里子に出され――これ以上は余計ですね。とにかく、常人ではわかるはずのない私のそうした由来を、日奈子さんのお腹の中の存在は認識し、羨ましがった。当然ですよね。同じ水子になるはずだったのに、私の方はのうのうと生きているんですから」

 重苦しい雰囲気の中、三条は声の調子を前と変えずに話を引き継ぐ。

「日奈子さんのお腹の中の存在はそれを日奈子さんに伝えていた。そしてその声を、久遠さんは聞くことが出来た」

 日奈子とまゆらを会話させた時、確かにそんなことを話していた。

「これはその声が単なる日奈子さんの妄想の産物ではなく、久遠さんの目にも見えていた存在によるものであるという証左です」

「じゃ、じゃあ、一体ヒナのお腹の子は――」

 そもそもそれは胎児なのか。本当に妊娠しているのか、まゆらは疑っていた。そういうことなのか――まゆらには見えていた。

 三条は舞戸の中心の竃まで移動すると、釜の中の湯に手を入れた。樒の舞いの準備までの間に火は入れられていたが、既にかなり時間は経っている。ぬるま湯か、それ以下の温度だろう。

「水子供養には、水が付き物です。それは間引いた子供を川に流していたからか――あるいは単に『水子』という言葉からの連想か」

 いつの間にか三条の手にはキョウフリが握られている。

「今から僕が行うことは、法律上は何の問題もありません。ですがそこからもたらされるであろう結果は、ひょっとすると大きな問題を抱える恐れがあります。なのでどうか、黙っていてもらいたい」

 日奈子が座っているのは、見物席の一番前だ。

「日奈子さんを興奮させてしまった時、僕は日奈子さんにこう言いました。『すぐにお子さんをお返しします』。また、宗佑さんを落ち着かせる時に、こうも言いました」

「姉ちゃんを元に戻す方法はある――」

 宗佑が言うと、三条は頷く。

「では――いきます」

 三条は口の中で何事か唱えながら、キョウフリで釜の中の湯を跳ね上げた。

 その湯は、日奈子の身体にぶつかる。

「ぎえええええ!」

 日奈子が狂ったように叫んだ。

「な、何を!」

「日奈子さんを押さえてください!」

 いつの間にか日奈子の背後に回り込んでいたまゆらが、がっちりと日奈子の肩を掴む。

 三条が唱えているのは、風太夫が湯立ての際に上げる祭文と同じものだった。そして湯を浴びせる度、日奈子は獣のような絶叫を上げる。

「三条さんが言った通り、この湯立てには流れ灌頂の見立ても含まれています。それに用いるのは火無川の清水。亡くなり、火無川に流された子供を引き戻すのには、これが一番効果的です」

「でも、ヒナが――」

「日奈子さんは自分からお祭りに行きたいと言った――それは彼女に巣食う子供達がそれを求めたからです。生まれ直したいと願うのと同時に、あるべき場所に帰りたいとも願ったんです。三条さんは、最悪お腹の中のものを流させるつもりです。本当に胎児がいるのかもわからない。この世のものであるのかもわからない。母体に負担はかかりますが、これが一番――」

「や」

 坂部は日奈子と三条の間に飛び込んだ。

「やめろ!」

 釜の湯が身体にぶつかる。やはりすっかり冷めていた。

「坂部さん?」

 まゆらが日奈子を押さえながら困惑の声を上げる。三条は依然祭文を止めない。

「ヒナお腹の子は――俺の子かもしれないんだ!」

「何言ってるんですか! あんなことになったんです――無数の霊が渦巻いて、生まれ直そうとしているんですよ? そんなものはもう――」

「うるさい! 勝手なこと言ってんじゃねえぞ! 何が霊能者だふざけやがって!」

 坂部は激昂していた。頭ではわかっている。三条の言うことも、まゆらの見たものも、全て本当なのだと。それでも、身体は止まらない。

「――喋りすぎだね、久遠さん」

 祭文を止め、三条はそう呟いた。

「すみません――何も言わずに日奈子さんを放っておくのは気が引けて」

「ああ、まゆらちゃんに三条さん、それにその他大勢の皆さん、ここにいたんですね」

 久保がふらふらと風溜の中に入ってきた。切迫したこの場にその声は思った程違和感なく入り込んだ。それは久保の声が、明らかに切迫していたからだった。

「どうも拙いですね。やっぱりあの女の人の他にも仲間がいたっぽいです。まあ外に出てみりゃ、一目瞭然ですよ」

「これって――」

 まゆらが呆然と呟く。

 坂部は思わず外へと目を向けた。

 空が、赤い。

「なんだよ――これ」

 宗佑がその場に崩れ落ちた。

 村が燃えている。建物が、山が、どこを見ても炎と黒い煙が上がっている。今まで気付かなかったのが不思議なくらい、それはもう盛大に燃えていた。

「お望み通りになりましたね。連中、思ったよりも本気だったみたいですね。それとも仲間が捕まって吹っ切れたかな。とにかくこうなった以上逃げるが先決。あ、まゆらちゃん車借りてるよ」

「ええっ! キーは?」

「くすねた。駐車場の車は全部燃やされたみたいだから、避難させといて正解だったね」

 久保は神社の前に軽自動車を止めているらしかった。

「俺が運転でまゆらちゃんと三条さん――あと二人は乗れますよ」

 誰もその場から動かなかった。

「日奈子さんをそのままには出来ません。続きを」

「や、やめろ。ヒナの面倒は俺が見る。もうほっといてくれ」

 坂部は頑として日奈子の前から動かない。動く訳にはいかなかった。

「トシ兄ちゃん」

 穏やかな声。いつも聞いていた、遠いところへ行ってしまったとばかり思っていた、日奈子の声だった。

「ヒナ――」

 日奈子は、まるで浮かび上がるかのように立ち上がった。まゆらの拘束は今の騒ぎで解けていた。

 坂部の隣を音もなく通り過ぎる。いや、日奈子から音はしなかったが、その足元からは湿った音が響いていた。これはあの時――日奈子が部屋から出てきた時に聞いたものと同じ音だ。坂部がふと日奈子の足元に目を落とすと、それはいた。

 日奈子に追随するように地面を這っていくそれは、幼い子供くらいの大きさの、肉塊だった。それが無数に日奈子の足元に纏わり付いている。日奈子が一歩動く度、それは地面を這って後に続き、湿った音を鳴らす。

「ひっ――」

 思わず声にならない悲鳴を上げると、その肉塊はぐるりと坂部を見上げた。

 顔に当たる部位はない。それを言うならば身体に当たる部位も、腕や足に当たる部位もない。醜悪な肉塊であるのがそれの全てだった。

 だが、身体のあちこちに、無数の身体のパーツが滅茶苦茶に埋め込まれていた。小さな指がゆうに三十本は確認出来るし、身体の下には繊毛のように髪の毛がまばらに生えている。鼻が三つ密集しているかと思えば、口らしきものは身体の前後に一つずつ。

 そして坂部を見上げた――目が。身体全体にばら撒かれたような、無数の目が。瞼に覆われ、肉塊に沈んでいて確認出来なかった目が。

 一斉に――開いた。

「うわあああああ!」

 無数の視線に押し潰されそうになった坂部は絶叫することで何とか自分を保った。

「坂部さん!」

 大量の水が、地面にぶちまけられる音がした。

 坂部が気付いた時にはもう、あの肉塊達は消えていた。

 そして、日奈子がずぶ濡れで立っていた。

 足元には釜が落ちている。

 頭から、水を被ったのだ。坂部がそのことに気付いた時にはもう、日奈子は苦悶の声を上げ始めていた。

「姉ちゃん!」

「ヒナ!」

 二人の声はもう日奈子には届いていなかった。切迫した表情で天を仰ぎ、仰向けに倒れる。

 そして、日奈子の下腹部からは――。

「見ちゃ駄目です!」

 まゆらが叫ぶ。宗佑は咄嗟に目を逸らしたが、坂部はそれをまざまざと見せつけられていた。

 日奈子はそのまま、何の音も立てなかった。

「ヒナ――」

 坂部は日奈子へと駆け寄り、そっと抱き起こす。

「ヒナ?」

 息がない。脈も。

「処置を急げば助かるかもしれません。藤田先生を――」

 三条が言うが、坂部はその言葉を止めた。

「もう――いい」

 熱波がいつの間にか建物の中に吹き込んでいる。

「このままにしてくれ。俺も一緒に行くから、ヒナ」

「トシ兄ちゃん――」

「宗佑、悪かった。ヒナがこんなことになったのも、俺のせいだ。俺がヒナの気持ちに気付いてやれなかった――そのせいで、こんなことに」

 宗佑は首を横に振る。

「でも、いいんだ。もういいんだよ。これで、ヒナの傍にずっといてやれる」

 坂部は優しく日奈子を抱きしめた。

きよしを、頼んだ」

 天井が崩れた。

 宗佑が何かを叫んでいる。後はただ、建物が燃えていく音ばかり。

 坂部はきっと、あの時にもう彼岸へと渡っていた。だから聞こえた。見えた。

 日奈子の声が聞こえる。坂部はとっくに向こう側へと辿り着いていた。

「ああ、そうだな、ヒナ」

 格好だけは、幸せな家族に見えるような気もした。

 それも悪くない。

「悪くなくはなくないでしょう」

 はっと、坂部は一気に此岸へ引き戻される。

「久保さん?」

「人命救助なんてのは俺の好きな分野ではないんですけどね。死にたいなら死ねやと思う訳ですよ。でも、目の前であんなに騒がれちゃあうるさくて敵いません。それに、言いましたよね。あと二人は乗れます。二人『は』です。意識がないなら、膝の上に乗せるかトランクにでも突っ込めばいい」

「そんなことが――」

「お喋りはもういいでしょう。さっさと逃げないと、本当に退路が断たれます。日奈子さんを任せますよ、坂部さん」

「え――」

 久保は何食わぬ顔で、本来の風溜の出口とは逆方向に進む。どうやらそちらから来たらしい。

 廊下を抜けて、蹴破られたらしい窓が見えた。久保に手助けされながら、日奈子を抱えてそこを抜けると、すぐ前に軽自動車が止まっていた。

「トシ兄ちゃん!」

「坂部さん! よかった、無事で――」

 まゆらが助手席で、宗佑が三条と並んで後部座席でほっと胸を撫で下ろした。

 坂部が後部座席に詰めて入って日奈子の身体を三人の膝の上に寝かせると、久保が運転席に乗り込む。

「君らしくない無茶をしたね」

 三条が苦笑しながら言うと、久保は車を走らせながら笑った。

「なあに、どうせ死んだような命ですから。心中なんていう馬鹿馬鹿しいドラマを見せられたら、脚本を引き裂いてやりたくなるのが人情ってやつですよ」

 車は雪道だというのに法定速度など完全に無視し、肝が冷えるようなスピードで根津村から離れていく。離れた場所から見る根津村は、赤々と燃えていた。

「燃えてますねぇ。多分放火犯は捕まらないだろうなあ。色々と失策続きでした」

「そんなことはないよ。久遠さんには何が見える?」

「え? いや、これだけ離れてると、なんとも――」

「そうだなあ。水子供養という信仰は、日本で発生してから韓国にも渡ったんだ。日本では水で供養していたけれど、韓国のあるお寺では火で供養するそうだよ」

「火――ですか」

「うん。それに最近では日本でも、水に縛られず、水子という言葉も使わずに、亡くなったお子さんはお空に帰ったと表現するところもある。例のヒット曲との関連を指摘する人もいるみたいだよ」

「千の風――ですね」

 久保が外れた調子で鼻歌を口ずさむ。

「風祭に風流し。当時存在しなかった水子供養の概念を含んでいたことを考えると、この風という単語は実はそういうことなんじゃないかとも思ってしまうね」

 それに――三条は燃え盛る村を見て、呟く。

「火は災厄であるけど、煙は地と天を繋ぐ。だからこれでこの村の水子達も、お空へ帰ったと思うことにすればいいんじゃないかな」

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