第13話 思い出

 しんしんと雪が海に降っていた。

 黒い大き目のコートに、マフラーをぐるぐる巻かれ、歩いていた。

 ミオはまだ幼く、でもしっかりと歩いていた。

 自然は強い風を連れてくる。

 海に住む水棲人たちはこの湾には入ってこなかったので、ミオがそういったこの惑星特有の知性生物に会うにはもっと長い時間がかかる。

 そのとき空は鈍色に深く垂れこめ、海はどおん、どおんと、怒るように岩にたたきつけていた。

 近くの魚を売る店で大きな干した魚を買った。

 手がかじかんで、姉が手をつないでくれた。

 姉は野菜を入れた籠を持っていた。

 それから。

 それから……。

 ミオが最初に覚えているのは、そういったふだんは静かな海に面した小さな町だった。

 冬になると波が荒れたが、魚を獲ったり育てている町だった。

 そこで、ミオは姉と両親と暮らしていた。

 両親のことはよく覚えていない。

 なぜか笑いもしなければ、しゃべりもしなかった親だった。

 もしかしたら親だったかどうかもわからない。

 ミオは叱られた覚えも、褒められた覚えもない。

 両親はほとんど家にいなかった。

 姉と二人遊ぶこともせず、ただぼんやりとミオはまわりを見ていた。

 ものごとの道理はすぐにわかるようになった。

 どこか、彼らと自分が違うことに気付いていた。

 大きな傷を負ってもミオはすぐに回復した。

 だが、親たちはそれを不思議とかそういったことは思っていないようだった。

 今考えれば、あれはもしかするとアンドロイドの親だったのかもしれなかった。

 ただ。

 仕事はしてくれて。

 ごはんはもらえた。

 ミオの姉のノワーと時々しゃべった。

 時々は笑ってくれた。

 ミオは遊ぶことを知らなかったが、その姉はそのときの彼のすべてだった。

 それが、絆だった。

 ほかの記憶がない。

 次に覚えているのは火事で焼ける建物。ミオは姉の手をぎゅっと握った。

 建物は一個ではなかった。

 もしかすると村中が燃えたのかもしれなかった。

 でも、村にだれがいたのかもわからない。

 村人がいたのかどうかも。

 ただ、ひたすらそこから歩いた。

 姉は自分をかばうように歩き出し、ミオはついていった。

 鉄道に乗ったのと、なにかを食べたことは覚えている。

 そのあとは姉に連れられて列車の中にいた。

 数字だけやたらに覚えられるのがそのころの癖で、列車のどこかに1986という番号が大きく書かれていた。

「1986ね」

 クレアが口をはさむ。ユッカがメモした。

「うん」

 ミオが、傷を撫でながら言う。

 地下の部屋を貸してもらい、五人は静かにしていた。

「僕は姉の笑った顔が好きだった」

 ミオが言った。

 クレアが少し、切ないような顔をした。

「1986」

 ユッカが、考え込む。

「鉄道マニアに聞けばすぐにわかりそうだな」

 ジョオンもいう。

「ええ」

 クレアが調べ始める。

「ネットで調べたけど、資料がないわ」

「なるほど」

「鉄道のどこに番号があったのかは?」

「たぶん、横だと思う」

 ミオが答える。

 ユッカはのどぼとけを隠すために巻いているスカーフを外して、指先でくるくると回した。

 それから結び直し、腰に下げているナイフの入れ物からナイフを出した。

「これを使う隙もないわね」

 いいながら刃を確かめて戻す。

「僕を施設に置いて、それから姿を消したけど、そのあとの足取りはまったくつかめなかった」

 ミオが言う。

「で、いまはテロリスト」

 ユッカが言うとミオはうなずく。

 ダンテがゆっくり目ざめ、立ち上がる。

「来る」

 ダンテがつぶやいた。

「なあ、なんか煙の臭いがするぞ」

 ジョオンも立ち上がる。上の階から、地下へのドビラがあく。

「どうしました」

 クレアが聞いた。

「火をかけられました」

「火!!」

 ダンテが目を見開いてさけんだ。

「火、ヒ、ヒイイイ」

「どうしたの」

「火を見るな」

 ダンテがはっきり発音した。

「火を見るな」

 クレアがおうむ返しに返す。

「うあ、あああああああ」

 ダンテの黒い髪の毛がざわざわと膨らんで伸びて、足首までかかる。

「ダンテ」

「ミオと、クレア、二人に礼を言う」

「え」

「短時間だが、もとにもどることができるパスワードが入った」

「ダンテ」

「急げ、逃げるぞ」

「子供たちは?」

「全員避難できました」

「ちくしょう」

 ジョオンが言う。

 全員が外にでる。

「警察も動くかな、これだけの火だと」

 ミオがつぶやく。

「もっと大きいものが動くだろう」

 ダンテが言い、全員の前に立った。

「ここは私が守らせてもらう」

「一人で行くな、僕もだ」

 ミオも立った。

 その前にノワ―が立った。

 火がごうごうと燃え、時々ぱちぱちと音を立てる。

「許せない」

 クレアが、小さくつぶやいた。

 かちんと、クレアの頭の中でスイッチが入った。

 

 次の瞬間、もう一つ爆音が響いた。

 町のはずれのほうだ。

 ノワーが、一歩出る。

「姉さん」

 ミオが言った。

「死なないのね」

 ノワーが言った。

「私と同じ」

「違う」

 姉さん。

 ミオがもう一歩前に出る。

 外でざわめきが聞こえる。

「パレードが始まったのか」

 ジョオンが言う。

「パレード」

 クレアが聞き返す。

「大統領の就任記念のパレードよ、毎年この時期にあるの」

 ユッカが言った。

「最初から狙いはそこか」 

 ジョオンが言った。

「最初の計画では」

 ダンテが言い出した。

「あなたたちをおとりとして襲撃し、パレードが始まったときから大統領演説までに彼女に近づき、殺す、だった」

 ノワーが、腕を組んで、うなずく。

「なぜ」

 クレアが聞いた。

「なぜ? 彼女が計画したからよ、この狂った実験を」

 ノワーが言った。

「違うわ」

 クレアが叫んだ。

「お前は一体何者なの」

 ノワーがクレアに聞いた。パチ、パチ、と、クレアのまわりで音がする。

「私をブロックできるなんて」

「私は大統領のクローンよ」

 クレアのロングの髪も揺れる。

 ノワーの目が赤くなる。

「ドラゴンだ!」

 誰かの叫び声が、通りから流れてくる。

 クレアが、ノワーに叫んだ。

「彼女は、止めようとした側よ、そうでなければ、なぜ私がまだ生きていられると思うの! あの人はこういった実験を一番憎んでる人よ」

 クレアが叫んだ声の直後、ドオンと近くで音がした。

 ノワーの顔が醜くゆがんだ。

「そんなわけはない」

 頭を振る。

 そして、次の瞬間、ノワーは身をひるがえすと低い音とともに一台のバイクが来て、彼女を乗せ、走りだした。

「ミオ」

「クレア」

 静かになった。

 次の瞬間。

「ハロー」

 声がして、車が横付けされた。

「何人か人を吹き飛ばしてきた、警察来るぞ」

 運転席のその声はディープだ。クレアが叫ぶ。

「ディープ」

「僕もいるよ」

「ファイアー」

 いつも一緒にいる砂狼は一緒ではないらしい。

「どうして」

「君のパパがパレード見に行くといいって、クレアにも会えるだろうからここをこの時間に訪れるようにって、せっかくだから、銃弾の代わりに花火持ってきたから、打ちながら来……」

「クレア?」

 クレアが、腕をつっぱらせ、泣き始めた。

「悔しい」

 クレアの泣き顔に、ファイアーがおどろく。

「クレア」

 ミオがその背中に抱き着いた。

 クレアはじっと目をとじ、ただひたすら涙だけが流れていく。

「ミオ、大丈夫……だか、ら」

 のどをひくつかせる音がする。

「大丈夫じゃないよ」

 次の瞬間、ドラゴンの大きな顔が、火の間から顔を覗かせる。三匹はいる。そのうちの一頭が焼けた建物にビームを放った。

 瞬間、火は凍りつき、ぱりんと音をたてて火が消えた。

「クレア、使ったの、能力」

 ファイアーが聞きつつオープンカーの後ろに積んだ大型銃器をかついだ。

「ちょっとだけよ、この街にも、輸送されてきてるのがある感じがあったから」

「クレア」

「ミオ、大丈夫、私はわたし」

「ヘリが出てるなあ」

「ドラゴンをどうするんだ」

「誘導する」

 クレアが言う。

「ノワーは」

 ミオが聞く。

「大統領を危険にはしないわ」

 ばさん、ばさんと音がして、ドラゴンのうちはねのあるものが飛んで来て、クレアの頭上を旋回し、次の瞬間、顔を伸ばしてクレアをつまみあげて背中に投げ上げる。クレアは、そこに生えた鬣のような毛をつかんで座りなおす。

「じゃあ全員乗れ」

 ディープが叫ぶと、ユッカとジョオンとミオとダンテが乗り、走り出す。

 次々と呼ばれたドラゴンたちが、建物と人を乗り越えながら歩き出す。

 人は、散り散りに逃げる者、パレードの一部だと思う者、両方いた。

「どこのドラゴンまで呼んだのかなあ」

 ファイアーが、ディープの運転で走りながらつぶやく。

「たぶん、中央都市にいるやつ全部だろうな」

 ディープが言う。

 後ろの席は、あきらかに人数オーバーの人間が全員乗っている。

「警察関門、突破するぞ、ファイアー、花火点火」

「よっしゃー」

 どおん、と、花火を噴き上げさせて警察のロボットと車を吹き飛ばす。

「行け」

「ダンテ大丈夫か」

 ミオが聞く。

「大丈夫、彼は眠った」

 髪の毛がしゅるしゅると戻る。

 大統領の演説に向かい、ドラゴンたちが進む。

 人が叫んで逃げていく。

 大統領の館の前は誰もいなくなる。

 ノワーが、建物の壁を蹴って跳躍し銃を構えた。

「爆弾を打ち込む気ね」

 クレアが、ドラゴンの首に足をかけ、さかさまにぶら下がった。

 そのまま針を撃ちこんで爆弾を銃から出た瞬間にうち落として空中で爆破させる。

 次の瞬間、ノワーが落ちる。こちらを見たその眉間に、クレアは針を撃ちこんだ。

 車が追い付き、ミオが手から光を飛ばす。

 ミオの輪が飛んできて、ノワーのその首を落とす。

 ドラゴンがビームを吐いてノワーに浴びせかけた。

 ノワーの死体が、さらさらと白い粉に変わった。

 もう一周する間に、クレアがドラゴンの首に馬乗りにもどる。

 館から出た人がバルコニーに立っていた。

 大統領だ。

 穏やかな顔をした、白髪まじりのぽっちゃりした女性だった。

 あれは、もうひとりのわたしなんだ。

 クレアは不思議な感慨を持った。

 その人は笑っていて、クレアは、もし私に母親がいたならあんな人だったのかもしれないと思った。

 心で話しかければ今、通じる気がしたが、やめた。

 ミオが、白い砂のようなもののところに座って、その砂に触れた。

「塩だ」

 ミオがつぶやく。

 クレアがそばに降り立つ。

「どうするクレア」

 ファイアーが聞く。

「ファイアー、ディープ、ドラゴンを施設へ」

「わかった」

 ドラゴンたちが引き上げていく。

 ファイアーとディープの車についていくようにクレアがドラゴンたちに指示を出したのだ。

 ユッカとジョオンは、ダンテを連れて第二のアジトへ向かう、とだけ言い残して、転がっているバイクを拾う。

 クレアとミオの二人にしてくれたのだ。

「これ、ファイアーが、塩を入れるといいって、ポットおいていったから」

「うん」

 ミオから表情が消えていた。

「姉さん」

 ポットに、二人で塩を入れ、人々がまた集まり出した中を抜けて、二人は歩いた。

「私ホテルに部屋とってるから一緒に行こう」

「うん」

 ミオを連れて、部屋をもうひとつ取ってもらう。

 部屋の値段は低め。

 組織の関係のホテルならもう少し融通もきくが、クレアは安い宿を探してとっていた。

 ミオの部屋に入る。

「テレビでは放映されてないわ」

 大統領の演説会のときは、すべての画像はストップされる。

 どうやっているのかはわからないが、その瞬間だけ人が脳裏に映したものしか残らないのだ。

 それもしばらくすると、大統領の顔もしっかりわからなくなるという、電波が張ってあるのだ。

 クレアはそれを外せたが。

「ミオはさ、大統領の顔思い出せる?」

「思い出せない。姉さんの顔もはっきりしない」

「やっぱり妨害されてるのね」

「でも、そのおかげでクレアの顔もみんなから消えてるから」

「うん、ミオ」

「なに」

「とりあえず部屋にもどるから」

「うん」

「泣いてもいいわ」

「泣かないよ」

「本当?」

 いいながら、クレアがミオを抱きしめた。

「私のこと、抱きしめてくれてうれしかった」

 クレアが、言った。

「ありがとう」

「クレア、悔しい」

「うん」

「なんで姉さんは……」

「うん」

 ミオは、静かにポッドに目を移した。

 銀色に光る水筒だ。にぶく、ミオを責めるようにそれはあった。

「姉さんを故郷へ連れて行きたい」

「うん」

「これから、ユッカとジョオンたちと、テロに対抗する組織をまとめていこうと思ってる。地下組織になっていると思うから」

「私も手伝いたい」

「クレア、遊んでるんじゃないんだ」

「私、もっと強くなりたいし、もう一人の私とちゃんと話がしたいの」

「クレア」

「ミオを利用するつもりよ」

 というと、笑った。

「ね、私も利用して良いんだから」

「できないよ」

「もうお互い巻き込みあってるでしょ、今更離れるなんて言わないで」

「クレア」

「好きなの」

「え」

「ミオが好きなの、だから」

「僕だって、君が好きだよ」

 静かになった。

 ミオが、クレアの額にキスした。 

「部屋に戻りなよ」

 ミオが言った。

「うん」

「僕は逃げたりしないから、少し寝たらユッカたちと合流して番号の謎を解くよ」

「わかった」

 クレアが、部屋を出て行った。

 ミオは、ベッドの上に座り、黙ったまま、じっと壁を見つめていた。

 少しずつ体の軋みが大きくなる。

 動くのが少しずつ億劫になっていく。

 体が食べるものを要求していた。

 ポケットに、携帯食があることに気付いてのろのろと口に運んだ。

 しゃく、しゃく、と咀嚼しながら、ミオは考えた。

 クレアの叫んだ声を聴いたときのショックとか。

 自分よりもっとショックだったはずのクレアを考えているだけで、胸が痛くなった。

 好きという気持をずっというつもりはなかった。

 ただの好きではないことにも気づいていた。

 大人になっていくお互いの、つかず離れずの距離が急激に縮まりすぎて、わからなくなってるだけなのかもしれなかったが。

「もうちょっと背が欲しい」

 ミオはふいにそう思う。

 クレアの身長と大体いまは同じだ。

 伸びるといいけどなあと思う。

 少し、それで気持ちが浮上して、ベッドに横になった。

 シーツをかぶると、目を閉じた。


 


  

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