第14話 二人のパパと温泉

 寝台列車のスイートルームで、ストライクとノスタルジアの二人は目覚めた。

 かすかなごとごとという音が聞こえるが、列車の中は静かだ。

 ストライクの腕に抱えられるように眠っていたノスタルジアはそのまま大きく伸びをする。

「今日は温泉に行くんだったな」

 ノスタルジアが言う。

「そうだ」 

 ストライクが答え、眼鏡をさがしてかける。

 新婚旅行に温泉に行くことにしたのは、ストライクのアイデアだった。

 細かな旅程はさほど決めず、旅館の予約だけしてあった。

 時間通りに着けば昼下がりには宿だ。

 ノスタルジアもストライクも、ずっと一緒にいることを決めて、結婚も決めた。

 時に喧嘩し、時に愛し合い、時に一緒に考え、ずっとそばにいることを選んだのだ。

 部屋には洗面所もある。

 ひげをそりながら、ノスタルジアは、ストライクを見て、ストライクはそれに気づかず眼鏡をはずして顔を洗っている。

「髭剃り、次するか?」

「ああ」

 髭剃りも共有している。

 ストライクがそういう些細なことは気にしないたちなのだ。

「ありがとう」

「うん」

 渡すときに指先がふれあい、ノスタルジアは少しうつむく。

 ただ、ずぼらというものではない。

 彼は合理的で、そしてエアコンが嫌いだ。

 この部屋もエアコンはついていたが、使ってはいない。

 冬は暖房をひとつだけつけて、あとは厚着をしているが。

 合理的、いや違うな、とノスタルジアはのんびり思う。

 いろいろなところでこだわりも見せる彼を好きなのだ。

 喧嘩は大概些細なことで。

 夏は、ストライクが上半身裸で原稿をしているので、ノスタルジアがいつも上着を着ろと怒るのが常である。

「服を着ろ、ストライク」

 上着をもってくるノスタルジアは、幼児に服を着なさいと怒る母のようで。 

「なぜそんなに怒る」

 ストライクが聞くと。

「君の裸は僕がめでるもんなんだ!」

 と――。

 うっかり言ってしまったノスタルジアが真っ赤になり、ストライクも赤くなり。

 そこを通りかかったクレアが、

「どうしたの」

 と言っても、二人とも上を向いていた。

 そんな日もあるのだが。

 今日は堂々と二人の恋人同士として、そして最高のパートナーとして、これまでもこれからもあるための日々を迎える日だった。


「ここか」

 ノスタルジアが荷物を肩にかけなおしていう。

「そうだな」

 いわゆる日本的な旅館を作ろうとした地球の日本からの移民系の人が作ったという旅館だった。

 入ると着物を着た女性が案内してくれて部屋につく。

 二人きりになり、窓からの眺めを楽しむ。

 川べりの窓から見える景色は、美しい。

 この星には木がある。

 木を切って旅館に最適な木を選んだという。

 木を切るだけの仕事に従事している人もいる場所があるのだ。

 コンクリート、石、木、レンガ――。

 人は持ち込んだ技術と文化と、そして、ここの自然を最大限に生かすためにどんどん開発した。

 その結果、先住していたものとの邂逅も増えた。

 人は難しい生き物。愛情というものを持ちながら、憎しみも持つ生き物。

 女王陛下の言葉だ。

「クレアは」

 ストライクが、どうしているだろうか、につながるまえにノスタルジアが遮った。

「いまはさ、ストライク、クレアのことは考えない」

 視線を絡めてその首に両手を伸ばし、抱きしめる。

「できるのか、そのようなこと」

 ストライクがきいた。

「痛いとこ突くなあ」

 胸に顔をうずめて動くのをやめる。

「まあそれでも」

 ストライクが考え込む。

「女王陛下のおひざ元だ」

 ノスタルジアが言った。

「ああ」

「たぶん、そろそろ動くだろう、僕らが旅行して帰ったころには解決してるさ」

「そうだといいが」

 体を離した。

 通された部屋は大きく、二人でゆっくりと内装を見た。

「君のサイズでもゆかたがあるよ」

「本当だ」

「体のサイズが大きいって、伝えてあったけど、ほんとに用意してくれるんだね」

 ゆかたそのものは二人とも着たことがあった。

 日本の文化については、ほかにも地球からずいぶん持ち込まれていた。

 着物。浴衣。一年の行事。

 ノスタルジアたちはそれらがどんな意味でそこにあったのかは知らないが。

 ほかにもたくさんの民族がここにきて混ざっていて。

 そこに主に水に棲んでいる亜人種たちや、ミオのような人の形をしているが再生する人間も普通にいた。

 ノスタルジアが、鞄の中のこまごましたものを入れたメッシュケースを、洗面所につりさげている。

「ここに大体のものはあるけど」

 髭剃りまである。

「シャンプーとか合わなかったらこのケースの使っていいから」

「ああ」

「まあでも、露天風呂もあるんだろ」

 宿の部屋にある案内図を見る。

「あとで非常口の場所も確かめよう」

 ストライクが言う。

「そうだな」

 自分たちを狙う輩もいないわけではない。

 地味に生きているんだがなあ。

 と言いつつも、昔の関係者たちのうち、上に上ったものたちが、時折忘れるな、お前たちはいつでも殺せると、敵対した。

 女王陛下は、そこのあたりをうまくコントロールしている。

 彼女が政治を辞めたら、一体どうなるんだろうかとは思う。

 二人きりでの旅行がなかったわけではないのだが。今日はなんだか特別だ。

 しばらくここに滞在するつもりなので、鞄もわりと大きいものだ。

 がさがさと二人ともお互いの居場所を決める。

 テリトリーをなんとなく作るのがルールなのだ。

 寝るときだけは、ストライクが右にいないと、ノスタルジアは眠りにつけない。

 昔はそうではなかったが、いつの間にかそういうことになっていた。

 ストライクが死んだらどうするんだろう僕は。

 そう自問するノスタルジアは口の端をゆがめて笑う。

 ああ、一緒に死ねばいいんだ。

 簡単なことだ。

 きっとストライクには一生秘密にしておく黒い願望。

 ストライクは強い。

 自分が死んでも、それを乗り越えるだろう。

 自分がいなくなったあとの彼はどれくらいストイックで壮絶だろうかと。

 そう思うだけでぞくぞくする。

「ランドリーサービスもあるよ」

 かごがあって、そこに入れておくと洗濯してくれるらしい。

「とりあえず風呂に行こうか」

「そうだな」

 浴衣に着替えて、下着のかえとタオルを持った。

 

 浴槽は広く、ほかに客もおらず、ゆったりと二人は湯につかる。

 鼻歌まじりにノスタルジアは大きく伸びをした。

「実は、ノスタルジア」

「なんだい」

「ファイアーとディープを向かわせた」

「あ、知ってる」

「知っているのか」

「ディープから、花火の使用許可を取りたいと言ってきたから」

「そうか」

「ま。君が動いてるとは思ったけどね」

「すまない、相談もなく」

「ううん、君と一緒にじっくり話したいこともあるし」

「どんなことだ」

 ノスタルジアが、ため息をついた。

「察してるだろ」

 手をつないでくる。

「この手を離さないために、僕はなんでもするって、いつも思うんだ」

「ああ、私もだ」

「地球に使われたワープ航路に使われた力を、この惑星の航路に使った実験について、調べたんだ」

「そうか」

「で、そこをこじ開ける方法は今のところないってことが分かった」

「そうなのか」

「ああ、中で、別の次元が展開しているんだ、外すと、世界がひっくり返る」

「そんなSFのようなことがあるのだろうか」

「僕もそう思うけど、そういうことらしいんだ」

「そんなことをなぜ」

「ここのコンピューターを作った学者と対立する組織の誰かがやったのまではわかったんだが、ああ、コンピューターとコンタクトしたんだ」

「ああ」

「そこからわからない。でも、いじれないことだけはわかったんだ」

「そうか」

 ストライクが前を向いた。

「なあ」

「なんだ」

「恋人だったのか、その人は」

 ノスタルジアが聞いた。

「いや、一人は祖母だ」

「祖母、か」

「引き取られた先の……。だから義理なのだが。私を嫌っていた」

「そうなのか」

「ああ。だが」

「だが?」

「今にして思えば、嫌っていたのではなく、私があの館で生きるための厳しさを伝えてくれた人だったのかもしれないと。あとの数人はあの事件でいなくなったのかどうかもわからない」

「そうか」

「そろそろ出よう、のぼせてしまう」

 手をゆっくり解いて、二人は湯船から出る。

「そうだな、夜は長いし」

 ノスタルジアが笑う。

 その目じりにしわが寄る。

「ああ」

 二人は、静かに笑い合った。


「なんか、あんなことがあったのに、何にもなかったみたいな」

 ミオがベッドで言う。

 ダンテは、施設に引き取られた。

「余興だと思ったみたいね」

 クレアが、そう言いながらそばの机でアイスココアを一口飲む。

 孤児院の再建は、クレアの両親のほうで寄付金をつのってくれて、すぐになんとかなるように手配されることが決まったと、オレンジ女史から連絡があった。

 彼女もなにを知っているのか、クレアにたまに情報をくれる。

 二人のパパは全部わかっていてやったようにも見える。

 上流階級の人間に訴えるのが得意なノスタルジアが、ストライクの名義でやるだろう、クレアは思う。

 どちらの親も、一筋縄でいく人物ではない。

 今回の事件も、クレアになにごとかあれば大統領が動くことをちゃんとわかっていたのだろう。

 クレアは、誰かの視線をここにいると時々感じる。

 それは――クレアはオレンジ女史に時々もらえる、母性での愛情があるのなら。これだろうという感覚だった。

 クレアも、自分と同じDNAを持った妙齢のぽっちゃりとしたふつうのおばさんにしか見えない彼女が、ドラゴンたちに目を細めてコンタクトしていたのを見ていた。

 なぜ、彼女は政治家になんてなったのだろう。クレアはそれを直接聞いてみたかった。

 ドラゴンたちはクレアの両親がやっているドラゴンの施設までファイアーとディープが連れて行ってくれた。

 クレアのやることはミオのそばにいるだけだった。

 ユッカが、ミオの暮らした場所がわかる人がいると言って朝から出ていき、ジョオンも一緒に行った。

 ミオは、そこの海に塩をまくつもりらしく、クレアは、それについて行っていいか聞いた。

「クレア」

「なに」

「わかった」

「ん」

「一緒に行こう、僕が住んでいたところを、君に見せたい」

「うん」

 クレアがうなずいた。

 クレアが一緒に行くのをずっと考えてくれていたのだ。


「さてと、どうする、新規のドラゴンが入ったって」

 ディープからの連絡に、ノスタルジアはひげをそりながら聞いた。

 最近すぐひげが伸びるんだよなあとつぶやく。

「ノスタルジア」

「なんだい」

「夏場に上半身裸の私のことを君が言えるのかね」

「ん」

 ノスタルジアが上がシャツ、下は下着だ。

「なんだ、見とれたのか」

「着てくれたまえ」

「いつもきっちり着てるけど、これもいいとか思わないのか」

「それは……」

 真っ赤になるストライクに、ノスタルジアがいじわるそうに笑う。

「なんてな、大丈夫だって、すぐはくから」

 顔を洗う。

 スラックスに足を通し始める。

「明日までいる予定だったけどなー、ちょっと予定がくるったな」

「クレアには会わないのか」

「山沿いに帰るからな、クレアは大丈夫だろ」

 そのとき、ノスタルジアの腕時計が鳴ると、壁に光を打った。

「女王陛下」

 彼女の光だった。

「相変わらずね」

 声だけが聞こえる。

 声を光に変え、その光が壁などに反射させると声が聞こえるのだ。

「クレアに会ったわよ」

「そうですか」

 ノスタルジアが言う。

「あなたたちがきっとうまく育ててくれると思っていたわ。同じDNAをもっていてもあんなにかわいくなるのね、うらやましい」

「僕らが育てましたから」

「そうね、じゃあ、クレアはこちらで守らせてもらうわよ、彼女の大演説を聞き取った時には私も心が震えたけれど」

「大演説」

「自分のことを私のクローンだって知っているうえで自分は自分だって言える子だから、安心したわ」

「しばらくよろしくお願いします」

「そうね、なんだか、娘ができたような気分よ」

「それはよかった」

 ストライクが言う。

「結婚も男も作らなかったけれど、すこしずるをして子供ができたようなものだもの。あんな実験はこれっきりにしてもらいたいから、ずいぶん研究施設も壊したけど」

「そうですね」

「今回のことで、だいぶ世間が騒いだけれど、テロ集団のしっぽくらいはつかめたみたいよ、私本人が動けないけれど、世界は少しずつ優しくなっていると思いたいわ」

「大丈夫です、人類はそんなにバカではない」

 ノスタルジアがそういうと、そうね、じゃ。と、光が消えた。

「今回の事件、どう思う」

「はっきりとはわからないが、クレアの成長には必要なことだろう」

「そうだな」

 二人はうなずいた。

「で、今日なあ、車借りる予定だったけど、飛行船しかないらしいから、飛行船のろう」

「それは面白そうだ」

「そうだろ」

 ふふ、と笑った。 

 温泉はとてもよくて、料理もよかった。

 ノスタルジアが、料理をささっとスケッチブックに描いていた。

 時折そういった趣味をみせるノスタルジアは、絵の仕事は時々とっている。

 ほかの時期はストライクのやっているいくつかの事業の指揮をとっている。

 時期によってはとても忙しい。

 それでも、弱音を吐いたりしないのだった。

 ストライクといられる時間が増えることが、何年経ってもうれしいのだった。

 愛している。依存も不安もすべて含んだその愛は、ノスタルジアを支えていた。

 愛している、愛されている。

 それが、一番大事なことだ。

 ささやかに料理を作り、一緒に食べ。

 ささやかに生きていくには、少しだけ大変だったけれど。


 飛行船に乗って帰った事務所は、仕事がたまって大変なことになっていたが。

 それすらも愛すべき日常なのだった。

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