第29話

 でも、それが何だというのか。夢と違うことをしたのもまた、所詮は夢の中なのだ。

「ふぅ……」

 桜の木の近くにあるベンチに腰をおろす。

 私が夢の中で引っかかっていたのは、このことだったのだろうか。なんだかすっきりしない。

 いつの間にか日が傾いてきた。桜の木の陰のベンチでは、コートを着ていても肌寒いくらいだ。

 コートのポケットに入れた手が携帯に触れた。そういえば、ここに来る途中にメールがきたことを思い出した。

「…………」

 急に背中に悪寒が走った。

 ゾクッと震えたのは、決して日が陰った寒さからではない。

 何か――何かが引っかかっている。

 夢の中で気にしていたのは、父のことではない。


 何だろう……

 今――私は何を考えていた?


「……お花見」

 首の後ろが急に熱くなり、チリチリと痛みだす。

 母は姉と二人でお花見をした夢を見たと言った。


 いや、違う

 そんなことじゃない

 もっと身近な――


「……さく……ら」

 思わず息をのむ。

 そう、桜だ。

 姉は、桜の木の枝を握って川に浮いていた。

 母もまた、桜の木の枝を握って川に浮いていた。

 由香は、桜の木の夢を見たと言い、桜色の傘を車内に残していた。

 そして私――私は……。


 この大好きな桜の木に、吊るされるはず――だった


 時はゆっくりと、しかし確実に夢の中のあの時間へと近付いていった。






 あの長い夢の最後は、私が殺される夢だった。

 訳もなく不安になる。


 ――思い出したくない……怖い


 恐怖のあまり、気持ちが思考を遮断する。しかし本能が――考えろ、思い出せと叫んでいる。


 ――早く


 早く思い出せ、と急かされる。

 焦れば焦るほど、うまく思い出せない。

 父の死まで振り返ってみて、いろいろ気になっていたことを思い出した。

 でも、何かが違う。

 次は自分の番だと分かり、殺される夢の内容はうまく思い出せないが、あのとき自分が死ぬ夢を見たあと身辺整理をした。

 そして、あと一日だと思いながら深い眠りにつく間際、何かが引っかかった。


 ――そうだ

 共通していることではない

 それまでの夢と自分が死ぬ夢の、決定的に違う部分を……


「死……」

 それに思い当たった瞬間、私は駐車場に向かって走り出していた。


 ここにいてはいけない

 ここから離れなければ――


 この場所にいてはいけない。夢で見たこの場所にいてはいけない。

 なぜなら私は――私だけは、夢の中で死んでいなかったのだ。

 みんな、どういう形であれ死んだ。

 でも、私は死んでなどいない。

 そう思い込んでいたが、私はスッと意識を失いかけただけなのだ。そして、死んでいないからこそ、桜の木に吊るされたのが分かったのだ。

 私の夢は――まだおわっていない。

 駐車場に着き、急いで車に乗り込みエンジンをかけようとするが、かからない。

 何度回してもかからない。

 車をあきらめて、急いで駅に向かおうとした瞬間、私は動けなくなった。

 恐怖で全身が凍りつく。

 ――誰か、くる。

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