第3話 ARKとEDEN

 世界人口が百億を超えてすでに数十年。世界各地では様々な問題がますます深刻化していた。

 環境汚染、地球温暖化による異常気象と海水面上昇、原因不明の感染症、国境を越えた紛争やテロ行為、宗教問題、資源の枯渇、食料飢饉、深まる貧富の差……挙げればキリがない。

 とりわけ、都市部ではますます人口が集中し、過疎と少子高齢化の進む農村部との格差はより一層深刻になっていた。また人口増加による宅地開発により、緑地はさらに激減した。

 無論世界はこれらの問題をただ指をくわえて見ていた訳ではない。

 各国間での話し合いで問題解決に向けた協議が数限りなく行われた。しかし事態は進展しなかった。先進国と途上国。違う宗教の国同士。価値観の違い。

 お互いが利害を一致させるために話し合いをするのだが、物別れにはなっても、歩み寄りはなかった。結果的に時間だけが過ぎていったのである。

 世界はこれらの問題を、一国のみで解決しようとするのではなく、各国同士が連携を取って、世界統一を目指した世界国家、すなわち世界政府が形成された。そしてそこから各方面支部が作られていた。

 すでに、アラブ圏、欧州圏、アフリカ圏、南米圏など各々手を結び合って問題解決に向けた首脳同士の話し合いの場が何度も設けられていたが、やはりここでも、それぞれの国の思惑や利害があり、なかなかまとまらないのが現状だった。

 形ばかりの首脳会議が何度も行われ、進まない事態打開に、市民たちは次第に政治に期待をしなくなっていった。

 アジア圏では、中国上海市が中心的な役割を担っている。

 今や多くの移民を受け入れ、国際社会へと変貌を遂げた上海は、世界的に見ても巨大な市場と優れた人材、規模の大きさから、指折りの都市へと発展を遂げていた。

 しかし、その上海市内でさえ、問題は山積みで、そしてやはり貧富の差はあった。富裕層の地域とスラムの地域がはっきりと分かれていたのだ。

 従来からの中国社会問題の一つであった、都市部と農村部での貧富の差はさらに加速していた。そのため、多くの者が出稼ぎや永住を目指して上海に押し寄せてきており、他の国々からの移民も含めて、上海はアメリカに次ぐ人種のるつぼと化していた。

 ところがいざ上海に来てみると、大半の労働はロボットハニーで事足りていて、雇用の場がないのだった。行き着く先はスラムである。

 一方、それまでアジアの中心的位置づけであった日本は壊滅状態にあった。経済は破綻し、中国をはじめ世界各国へと移住する者が相次いでいた。十四年前のあの事故があってから。

 こんな世界で人類は天使になっていた。

 ノックヘッドと呼ばれる、ピン状の端末を額に刺し込み、脳に直結させ大脳新皮質を活性化させると、脳細胞の未使用領域にOSがインストールされ人間そのものがコンピュータに匹敵する端末になるのだった。データはやはり未使用の脳細胞にハードディスクの代わりとして保存される。

 最大の特徴は個人間の意思疎通を脳内で思い描くことで可能になっているという、前時代の電子メールに相当する機能である。

 また直接接続した相手とリアルタイムで脳内会話も可能であるし、同時に複数の人に発信することも可能で、遠くにいる人同士でも、脳内で会議が可能なのだ。

 そしてノックヘッドのもうひとつの機能。それは世界中に張り巡らされたネットワークEDEN(Electric Direct Express Network)の閲覧である。常に脳内に世界中の情報が入り込んでくるのである。従来のコンピュータ・ネットワークと大差は無いが、脳内で処理ができる点が大きい。頭にイメージを思い浮かべるだけで、望み通りの情報が即座に得られるのだ。そこに文字入力などというわずらわしさはない。

 逆に個人の意見も瞬時に世界中に発信できた。方法は様々であるが、最も利用者が多いのが、世界掲示板である。世界中の誰でも閲覧、書き込み可能で、世界中の出来事や個人の思ったことがリアルタイムで分かる仕組みになっている。

 ノックヘッドを装着すると、常に脳内に情報がイメージ化されてインプットされているが、補助的に視野の中にGUI画面が現れていて、そこに情報が映りこんでいる。その分集中力が散漫になりやすいという欠点もあった。

 あとはアプリケーションとして、スケジュール管理、計算機能、時間計測、ゲームなどダウンロードすれば、個人差はあるもののちょっとしたパソコン並みの仕事は頭の中で処理できるのだった。脳内ハードディスクの恩恵で、忘れる、ということもない。

 ノックヘッドを装着し、EDENを閲覧し、脳内で人とつながることができる人々をエンジェルと呼んでいた。

 エンジェルになるにはノックヘッドを装着しなければならないが、お金さえ払えば専門のショップにて装着してもらうことができる。

 ノックヘッド装着用のヘッドギアをかぶると、自動で額の決められた位置に刺し込まれるのである。痛みはあるが、例えるならピアスを開ける程度である。

 さらに額に刺し込むことから額飾りをつけてファッションの一部にする人もいた。

 ノックヘッドが初めて販売された当初は、装着できるのは一部の富裕層のみだった。価格が高価だったからである。

 しかし、市場が広がり、次第に価格が下がると中流層にも浸透するようになった。ここ数年で飛躍的にエンジェルが増加傾向にあった。

 とはいえエンジェルになることに抵抗を覚えるものや、貧困層、貧しい国では未装着者がまだまだ多い。

 それでも世界の人口の四割は、すでにエンジェルになっているという統計が出ている。

 このノックヘッドを開発したのがARK(Accelerated Radio communication Knockhead)社である。

 元々は少人数で立ち上げたソフトウェア開発会社だったが、数限りない企業合併、統合、吸収を繰り返し、画期的なノックヘッド開発で一流企業にのし上がり、今やノックヘッドの開発・生産・販売のみならず、様々な産業に着手、軍需までも一手に引き受けるモンスター企業にまで膨れ上がっていた。

 一国のGDPをも上回る金を動かせるまでになった恩恵か、ARK社の鶴の一声で世界が動く、とさえ囁かれるようにまでになっていた。

 世界の主要都市には支社があり、ここ上海にも上海支社がある。支社といえどそのビルは巨大で強さをアピールするかのように、上海で最も高いビルとなっていた。

 ARK社はノックヘッドを世界中に普及するにあたって、使用者個人個人に世界共通のIDを割り振った。そのIDには使用者の住所、氏名、性別、生年月日といった基本情報が入っており、EDEN上での匿名性を無くした。

 もちろんこれには世界中から反発の声が上がった。プライバシーの侵害である。

 しかし、世界中の各国の首脳や識者たちの後押しもあり、結果として世界共通の個人IDが半ば強引に採択されることとなった。

 結果的に匿名性がなくなったことにより、EDEN上での犯罪は、前時代のネットワークと比較して減少したが、決して無くなったわけではない。

 これはなにも電子世界に限った話ではなく、リアルの世界でも、匿名性があろうがなかろうが、犯罪を犯すものは犯してしまうのである。

 ノックヘッドを使用して特定の人とつながることで、相手の考えていることものぞき見ることも可能なのだが、そこはちゃんとセキュリティに守られていた。

 バビロンゲートと呼ばれるセキュリティがあらかじめノックヘッドにインストールされており、勝手に脳内をのぞき見られたり、迷惑メッセージを送りつけられたり、コンピュータ・ウイルスから身を守ることができるようになっている。

 何しろ、脳内が直接ネットワークにつながっているのだから、プライバシーの漏洩や、不愉快なメッセージで気分を害したり、最悪おかしなコンピュータ・ウイルスによって脳内をめちゃくちゃにされて命を落とすこともあるのだ。

 それでも脳内をウイルスに犯されて発狂したり、死に至ったりするものが後を絶たない。バビロンゲートといえど完璧ではないのだ。悪意のある人間によって傷つけられるという点では、昔と何も変わっていない。気に入らない奴がいれば、EDEN上で悪評をバラまいてしまえばいい。それだけで一晩で、対象者は世界中から攻撃を受けてしまうことになる恐れもあるのだ。

 当初ARK社の青写真では、ノックヘッドを装着した者同士、お互いの脳内で信頼関係を保った交流を持てるはずであったのに、行き着くところはお互いいがみ合う醜い姿だった。

 人間はエンジェルになってもなお犯罪を犯すのだった。

 ここ数年、ノックヘッドを装着したものの中で、まれに特殊な能力を発揮する者が現れていた。

 相手がいくらバビロンゲートでガードしていても、それをくぐり抜けて脳内に入り込むことができたり、相手の体を乗っ取って自在に動かしたりできるのだ。また逆に相手をEDENから強制ログアウトさせることも可能だった。日頃からEDENに依存する人々は、いつの間にか、EDENから切り離されることに恐怖を抱くという性質になっていた。サーバーがダウンしてEDENとつながらなくなる事態が起こると、何もできず恐怖に怯えるのみなのだ。

 こういったネットワークを自在に操ることが出来る者の存在が、世界各地で確認されている。

 彼らのことを世間ではアークエンジェルズと呼んでいた。アークエンジェルズの持つ特殊な力を「智力」と呼んでいた。

 単にノックヘッドを装着しただけのエンジェルを超える存在として、ある意味恐れられていた。EDENを自在に泳ぎ回ることのできる存在として。

 アークエンジェルズとなった者が平和的な人間なら何ら問題ない。特別な能力を有したエンジェルとして普通に生活している。それどころか神からもらった特別な能力を持った英雄扱いされることもある。

 例を挙げれば、EDENに精通した能力を買われ、企業のシステムエンジニアとして採用されるなどである。もちろんその仕事は悪意を持ったサイバー攻撃からの防衛である。

 ところが、アークエンジェルズが悪意を持っていたり、特に社会対して不満を抱いていれば問題である。

 ただでさえEDENでの犯罪が無くならない上に、アークエンジェルにズかかれば、ただのエンジェルなど比較にならない。

 こうしたエンジェル能力で悪事を働く連中を、世間ではフォーリンエンジェルズと呼んでいた。蔑称べっしょうである。

 彼らのほとんどはサイバー攻撃を主に行っている。ほとんどの標的は国家や企業の中枢であるが、世界企業となったARK社が最も攻撃を受けているとの統計もある。

 また、フォーリンエンジェルズたちは、本格的に活動を行おうとするとグループを結成しだす傾向があった。そうなるとテロリストと何ら変わりない。

 フォーリンエンジェルズたちが組織的に活動するようになると、グリゴリと自ら称し反社会活動を行い、国家をも揺るがす存在までになる。

 今や上海市だけでも、数百のグリゴリ集団がいるという統計を出した学者もいる。

 こうなると警察や軍では対処ができないのが現状だった。対アークエンジェルズの組織が必要とされていた。

 一般市民は、日々フォーリンエンジェルズやグリゴリに怯えながら生活を強いられているのだ。

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