第4話 脳内端末

 上海市内の街並みは近年大規模な近代化が進められたが、黄浦江こうほこう沿いの百年以上前の地区はいまだに欧州風の建物が残っていた。これら古い街は大概スラムと化していた。

 最も大きなスラムは日本人移住者が暮らす日本人街である。

 かつてアジアで最も栄え栄華を誇った日本人も、今やすっかり落ちぶれて、スラムで隠れるように暮らしている。中国以外にもほかの国へ移住した日本人もいるが、どこでも大体似たようなものである。

 上海での日本人の扱いはひどく差別的なものがあった。

 アジア諸国、とりわけ中国や朝鮮半島の人たちからは、過去の歴史的な問題をいまだに引きずっているせいもあり、時にひどい差別的行為やいやがらせに遭うこともあった。

 さらに日本人が差別的扱いを受けている理由のひとつに、日本人街には中国政府から助成金がおりていて、実は裕福な暮らしをしているという噂があったのだ。これが逆差別をも生み出していた。

 実際は、助成金など存在しない、根も葉もない噂に過ぎず、スラムでの暮らしはとても貧しいものだった。労働者はほとんどが日雇いで、それもわずかな賃金でその日の晩ご飯にありつければ良い方だった。

 しかし、中には一風変わった職を持った者もいた。エンジニア、技術者である。

 持ち前の知識と技術力、手先の器用さで、機械部品などの加工業を内職としているの者たちの集団だ。

 メイド・イン・チャイナが席巻する世界中の製品の中枢部分には、実はまだメイド・イン・ジャパンが息づいているのだった。

 彼らは元々は日本企業の最前線で働いていたエンジニアだったのだが、今では上海のスラムに落ちぶれていた。

 技術力は世界随一だったが、賃金は最低ラインを下回っていた。割に合わない報酬である。だがそれでも食べていくには、これしかできないのが現状なのである。

 

 日本人街の中心に古びた教会があった。日本人だから寺に改修したいところだが、そんな金などないし、欧州風の街中に寺を建立しても景観を損なうだけである。そもそもその日暮しをしてる人たちにとって、神様だろうが、仏様だろうが、関係ないのだ。なんとかの頭も信心からではないが、拝めるものがあればなんでも拝むのだ。

 この教会に住んでいるのは、元大手日本企業の最前線でエンジニアを務めていた、丸越彰まるこしあきらという中年男である。中肉中背。全く平凡で冴えない風貌だったが、元エンジニアの経歴を活かして、内職で中国企業から機械部品製造、修理を引きけていた。腕は確かなのだ。

 丸越は元々クリスチャンであったため、教会を自分の住処とし、牧師のようなこともしていた。とは言っても街の人たちの相談相手程度である。それでも十分街中の人たちの心のケアになっていた。

 そして中でも一番大きな役割は、日本人孤児の面倒を見ていることである。

 もう十年以上も昔になるが、いつの頃からか教会を親のいない子供たちが遊び場にするようになり、勝手に住み着くようになったのだ。丸越も放ってはおけないので、なけなしのお金で子供たちを養うようになった。

 その子供が今の杏璃魔遊あんりまゆたちである。間紋護まもんまもる白川春人しらかわはると丸人まるとも、元はこの教会で育ったのだ。

 物心着いた時からすでにスラム生活だったが、成長するにつれ、自分たちが迫害を受けている存在だと知って、魔遊は子供心にさみしさと悲しさを感じ取っていた。自分が何をしたというのか? 日本人であるがゆえに差別されるのはなぜなのか? 魔遊は毎日のように丸越に聞いていた。どうして日本人は嫌われるのか? と。すると丸越は日本は無くなってしまったから、よその国に逃げるしかなかった、と答える。すると勝手に住み着いた日本人たちは嫌われるのか? では、エンジニアの仕事をもらっていて重要な地位にいる日本人は、いいように扱われているだけではないか? 魔遊は納得がいかないのだった。それは今なお続いている。

 今でも教会は子供たちがやってくる。子供を産んでも貧しくて育てられないので、身を切る思いで親たちがここへ訪れてくるのだ。

 魔遊は今年で十四歳になる。ひとつ年上の護は、去年この教会を出て行って、大人たちの仲間に入っている。何をしているのか分からないが、飲酒や喫煙はもちろん、その他悪いことをやっているらしい。麻薬の密売に手を染めていると聞いたこともある。春人や丸人も同様である。

 孤児の中には少女たちもいた。彼女たちはというと、望めば富裕層に「奴隷」もしくは「ペット」として買われていく。それが彼女たちにとって幸せかどうかはわからない。時々怪しげな仲介人が日本人街で女の子を物色してるのを見かける。買われていった少女の金のほとんどは仲介業者がピンハネしている。

 今、教会で一番年上なのは魔遊と、もうひとり安堂詩亜あんどうしあという同い年の少女である。

 詩亜は面倒見のいい子で、子供たちからもよく慕われている。教会には古びたオルガンが置いてあり、詩亜はオルガンを弾いては子供たちと一緒に歌を歌っていた。

 また可愛らしい顔立ちで大人たちからも人気があり、詩亜見たさに教会にやってきて、ついでに丸越に相談するのである。最近は詩亜も相談に乗るようになっていた。

 丸越が孤児を引き取ってはいるが、実際に面倒を見ているのは詩亜だった。童顔で目のパッチリとした小柄な少女だが、どこか母性を感じさせるものがあった。詩亜は同い年の魔遊に対してもお姉さん、もしくはお母さん的に接していた。詩亜はこの先もずっとこの教会で子供たちの面倒を見ると決めている。


 朝の教会では、昨晩魔遊たちがショッピングモールから失敬してきたピザに子供たちが群がっていた。丸越の稼ぎではとても子供たちを食べさせていけないので、こうやって魔遊が食べ物を持って帰ってくるのだ。他にもおもちゃを持って帰ることもある。

「魔遊。またショッピングモールで盗んできたのね。いけないことよ」

 いつも魔遊は詩亜に怒られていた。なぜか詩亜には頭が上がらない魔遊はうつむいて頭をかいた。

「でも、誰かが食べ物を持ってこないと、この子達が……」

「だからと言って、盗んでもいいっていう理由にはならないわ」

「だって他に盗めるところなんてしれてるし」

 魔遊と詩亜のやりとりをそばで聞いていた丸越は、自分の不甲斐なさにさいなまされるのである。もっと稼ぎがよければと。

 日本人でも富裕層はいるのだ。彼らは日本が崩壊する以前から、上海市のトップとのコネがあり、日本経済が破綻したあと、着の身着のまま上海にやってきても豪邸が用意されていた。勤務先も上海の一流企業である。同じ日本人であってもあまりの扱いの差に、憤りを隠せないのだが、中国人とのコネのない丸越には何もできなかった。

「じゃあ、詩亜は食べ物を買ってこれるのかよ」 

 魔遊は一応反撃してみた。

「食材さえあれば何でも料理するわよ。裏庭の畑で野菜を作ってるんだから、煮物でも揚げ物でも作るわよ」

 教会の裏庭には詩亜が作った小さな畑がある。豆類や菜っ葉などが育てられている。だが、それだけではとても足りないのが現実だ。

「食材は足りないんだから、やっぱりショッピングモールで……」

「ダメよ。窃盗団なんてやめてちゃんと働いたらいいのよ。魔遊は智力があるんだから、企業のエンジニアとか、それこそARK社のドミニオンズに入隊志願するとか」

 詩亜は言い出したらガンコなのである。

「ドミニオンズはちょっと大げさだけど……」

 言ってから詩亜はすぐに訂正した。もし仮にドミニオンズに入隊すれば、ずっと寮生活を送るため、帰ってこれないからだ。

 魔遊はこれ以上の問答は無駄だとあきらめて、子供達と遊ぶことにした。魔遊だって子供たちから人気はあるのだ。しかも魔遊と接するときは不思議な感覚に包まれると子供たちは口をそろえて言う。

 子供達と魔遊の間に、青白い霧のようなものが立ちこめる。すると子供たちは、普段の不安そうな表情から解き放たれ、ホッとくつろいだ様子になる。こんなくつろいだ表情をするのは魔遊がいるときだけだった。詩亜も子供たちの面倒は見る。しかし、魔遊じゃないとダメな時もあるようで、いくら詩亜が優しく接していてもしょんぼりしてることも少なくない。

 これを見て詩亜は笑みを浮かべた。自分に言い聞かせるようにうなずく。この平和が長続きしますように、と祈るのだった。魔遊と自分がこの教会でずっと子供たちの世話をすると決めていた。

 しかし魔遊の表情は浮かないものだった。昨日の警官殺しをまだ引きずっていたからだ。脳内端末を装着するようになってから、感情が高ぶったり、怒りを覚えたり、驚いた時に目の前にいる人間を殺してしまうようになっていた。それはここ最近の警官に限らず、口論になってしまった日本人街の大人たちも同様だった。すると街の大人たちは魔遊を恐れ、自然と避けるようになっていた。今や魔遊は、怒らせると殺されるという化物扱いだった。またしても魔遊は寂しく悲しい気持ちになるのだった。同じ日本人なのに冷ややかな目で見られる。恐れられている。一体自分は何者なのか? 自問自答する魔遊なのだった。

「ねえ、魔遊、あたしねふわふわさんが欲しいの」

 六歳になる美雪に袖を引っ張られて、魔遊は我にかえった。おねだりされたふわふわさんとは、綿毛のような名前のように文字通り、ふわふわとした丸い体の雪男のキャラクターだ。今EDEN上で放送されている番組のキャラクターで、ちょっとしたブームになっている。どこで知ったのかどうやらそのぬいぐるみが欲しいらしい。

「わかった、今度持って帰る」

 魔遊は約束すると、指きりげんまんをした。

「ねえ、魔遊、日本って本当に海に沈んじゃったの?」

 九歳になる和男が聞いてきた。最近和雄はこの質問を毎日のように繰り返している。その姿は、やはり魔遊がかつて丸越に同じ質問をしていた時のことを思いださせた。

「そう、沈んじゃった。俺は見たことないが、おっちゃんが見たことあるって。大きな地震とともに日本の半分が沈んで、日本人の大勢の人が死んで、残った人も世界中に逃げたんだよ」

「もう日本には人はいないの?」

「分からない。いるのかいないのか。もしかしたら滅んでしまったのかも」

 残酷なことだったが、魔遊はなるべく優しい口調で言ってあげることしかできなかった。おっちゃんこと丸越はまさに大地震の経験者であり、命からがら上海へ逃げてきたのだ。あの日のことがフラッシュバックして、身震いした。詩亜も悲しい表情に曇った。詩亜はこの話題が出るたびに、耳をふさいでいる。聞きたくないといったように。

「帰るところないね」

「ああ、そうだね」

 少し教会内の雰囲気が悪くなってしまった。

 丸越は自身の工房にそそくさと行ってしまった。ここで内職を行っている。

「おはよう、昨日のピザうまかったな!」

 勢いよく教会の戸が開かれた。現れたのは護、春人、丸人のいつもの面々である。

 太い眉毛が意志の強さを示してるかのような間紋護。

 黒ブチメガネに痩せたインテリ風の白川春人。

 ぽっちゃりで何も考えてないような丸人。見ると丸人の口の周りにはピザソースが付いたままだ。

 この春人、丸人は本当に双子なのか? というくらい似ても似つかない。

「おっちゃんいるかい?」

 護が魔遊に聞いた。魔遊はあごで工房を指した。

「おっちゃん、おはよう。おっちゃんの作ったスーパージェットシューズ、あれは傑作だよ。ほかのグリゴリ連中も絶賛していた。俺たちはバイクに乗れないが、スーパージェットシューズがあれば着いていける。上海中どこでも高速移動できるぜ。やっぱりおっちゃんはこの街きってのエンジニアだなあ」

 護は丸越を褒めちぎった。様々なジャンクパーツが所狭しと並ぶ小さな工房で、丸越はまんざらでもない表情だった。大柄でもない、どちらかというと小柄に近いおっちゃんはこの狭い工房にすっぽりと収まっていた。

「まあ、グリゴリ少年団の犯罪幇助はんざいほうじょという罪が新たに加わったのだけはちがいないな」

 丸越は細い目をさらに細めて自嘲した。

「ところで、このロボットハニー。護が壊したものじゃないかな?」

 今修理中のロボットハニーは、顔のカバーが剥がれ、中の機械部分が露出している。

「ん、どれどれ。ああ、そうかもしれないな。俺の智力の痕に似ている」

 エンジェルやアークエンジェルの持つ特殊な能力を、智力と呼んでいた。さらに護をはじめ、魔遊たちの持つ未知の智力は、アークエンジェルズをも超える能力とされ、彼らをEDEN上ではパワーズと呼んでいた。

 智力と言っても様々で、微力なものもいれば、強大なものを持っているものもいる。それが目に見える力となって発現するものが、世界各地で確認されているのである。その力を正義に使うか、悪に使うかは本人次第だ。

「ロボットハニーもアメリカに拠点を置く日本人エンジニアが開発した、日本製品なんだよ。一人暮らしの老人がさみしい生活を送ることのないように、三体支給されていたんだ。息子夫婦に孫、というセットでね。どんな容姿や性格にするかは、使用者が思い描くだけで決定される。複雑なことはできないが単純作業ならできるから、様々な使い方へと発展していったんだ。介護的な家事ができるところからスタートしてるからね。工場での軽作業、商店での店番、タクシーの運転手……」

 だが、その一方で富裕層のように人身売買できない、中流層がセクサロイドとしての使用率が最も高いという暗い一面もある。

「まあ、あまり無茶しないでくれよ。同じ日本人街に住む日本人が壊して、日本人が直してじゃあ、何のために直してるのかわからん」

 教会の倉庫には、修理待ちの製品が山積みになっていた。その中にパペットも混じっている。ずっと以前に魔遊たちが破壊したブレイブ・ファングもいる。

「まあ、壊れ方としてはまだ護の方がマシか。単に破壊されてるだけだからな。まだ修理することは可能だ。だが魔遊に破壊されたらダメだ。再起不能なくらいに頭の中がめちゃくちゃになってる。廃棄だな」

 今度は春人が工房に顔を出した。

「ARK社が最近出した新バージョンのノックヘッドの性能ってどれくらい上がってるんだ? EDENで色々と調べているが、旧バージョンと大差ないという意見しか見当たらないんだけど」

 丸越はまた作業の手を止めた。そしてしばらく考え込んだ。丸越も一応はEDENに接続できるし、情報は常に得ている。

「俺もそこは気になっていて、ちょっと裏ルート使って新型ノックヘッドを入手してみたんだが、OSに違いは感じられない。特に処理速度が上がったとか、アプリケーションが増えたとかいうことではないみたいだ。まだ調査中だけどな。廉価版れんかばんとして販売して、それまで買えずに装着できなった層をターゲットにしてるとしか思えない」

「やっぱりか。EDEN上でもみんなそう言ってる。ま、俺としてはマン・マシーンの方が好きだけどな」

「ああ…」

 丸越は工房の壁にぶら下がったノックヘッド装着用のヘッドギアを見上げた。普通このヘッドギアは一般流通していない。これも丸越が言うところの裏ルートを使って入手したものだ。

 ノックヘッドはARK社が独自開発した、クローズソースのOSである。これを改良したり改造する行為は違法である。もし少しでも改変すれば、たちまちOSが感知してARK社に通知されてしまう。

 それに対抗する形で全世界の日本人エンジニアが作ったのが、ノックヘッドとは全く異なるオープンソースのOSマン・マシーンである。

 オープンソースであるがゆえに、常に世界中のエンジニアたちの手によってバージョンアップされている。そして基本機能もノックヘッドを上回っている。ただ、不便なのはノックヘッド用に提供されているアプリケーションを流用できない点である。とはいえ、マン・マシーン開発者は世界中に広がり、ノックヘッドに負けないくらいの勢いでアプリケーションも開発されている。丸越もその開発者のひとりである。

 当然だがマン・マシーンは通常では入手できない。まず、認可を受けていないマン・マシーンを装着しているだけで、すでに違法であり取り締まり対象になってしまう。

 なぜマン・マシーンが違法なのに普及したのかというと、EDENに匿名でログインできるという最大の特徴が挙げられる。これにより、サイバー攻撃を行ったとしても誰が行ったのか特定するのが困難なのだ。ここに世界中のテロリストやフォーリンエンジェルズが目をつけたわけである。

 マン・マシーンを装着するには、多くのコンピュータ知識が必要である。もちろんヘッドギアも必要だ。

 この上海の日本人街のように日本人エンジニアがいるところで、ノックヘッドを購入できない貧困層の人たち同様、ジャンク屋の闇ルートとして装着するのが最も簡単な方法である。

 魔遊、護、春人、丸人たちは、つい二ヶ月ほど前に自ら進んで装着した。スラムの住人でも装着者は多数いるし、他の地区居住の外国人スラムの少年たちにも提供している。もちろんフリーウェアだから無料である。

 これには、日本人エンジニアたちが、ノックヘッドの核となる部分を内職で請け負っているという背景がある。だからノックヘッドのノウハウを応用したに過ぎない。ある意味ARK社が内職で出したからこそ、自ら招いた弊害へいがいとも言える。

 結果的に、マン・マシーンを装着した少年たちは非常に高い確率でアークエンジェルズとなっていた。さらに魔遊、護、春人、丸人たちをはじめ、多くの少年たちの間で、アークエンジェルズを超える能力が発現していた。最近EDENで話題のパワーズである。

 パワーズが発現する者はそれぞれ異なった能力を発揮していた。

 頭で強く念ずると智力が発現する点では、皆共通している。または能力を有してるのに、自分の持ってる智力に気が付いてない場合もある。そういう時は、自分に危機が迫った時に発現しやすい。

 魔遊たちも最初は自分たちがパワーズであることに気づいていなかった。しかし、日々の生活の不満が募るに連れて徐々に智力が発現していった。最初は智力の発現をコントロールできなかったが、仲間で練習しているうちに少しずつ自分たちがどんな能力を持っているか分かりだした。

 ただし魔遊の智力だけは特殊だった。初めて魔遊の智力が発現したのは、同じ日本人街の大人たちと口論を起こした時だった。頭で念じるだけで相手を死に至らしめるという、凄惨な智力に魔遊は驚きを隠せなかったと同時に、なぜそんな危険な智力が自分に備わったのか恐ろしかった。

 社会的不満を抱えていた多くのパワーズの少年たちは、各地区ごとにグリゴリを結成し、日毎街中で反社会行動を起こしている。魔遊たちは自分たちのグリゴリ名を「夜叉」と名乗っていた。

 だが、マン・マシーンにも欠点はあった。脳を酷使するノックヘッドをも上回るマン・マシーンは、人間の脳の処理速度の限界領域に迫っているので、短時間の使用でも疲れやすいのだ。体は元気であるが、頭脳労働が半端ではないのだ。

「ところで、最近やたらとセラフィムという言葉をEDENで見かけるようになったんだが、おっちゃんはどう思う?」

 春人が真剣な顔で丸越にたずねた。春人はEDENの情報を得るのが早い。一日中EDENを閲覧し、世界中の情報を入手しているのである。インテリ風の風貌そのままに常に頭を使っている。

「俺も気になってる。世界掲示板でも話題で、何のことなのか、みんな知りたがってる。だが、そもそも情報元ソースが分からない。ただ分かってるのは、今の乱れた世の中を救ってくれる救世主的存在であるらしい、ということだけだな。単に新しい未知の存在にすがりたいという思いから来ている気もするが。それが飛躍して、パワーズのような強大な力を持ったエンジェルがセラフィムだという、根拠のない結論が出てる。まあ、噂だがね。セラフィム便乗で、変な新興宗教も出だしてるみたいだし」

 クリスチャンとしての丸越としては、あまり面白くない話題である。まるで、ヨハネの黙示録で天使がラッパを吹いているのが、今まさに現代社会なのではないかと思えるからだ。世界中は一体何を待っているというのだ。

 護が魔遊たち三人を見回した。

「俺たちでもセラフィムになれる可能性あるかな?」

「いやオラがなる」

 と丸人が自信たっぷりに言うと、風を起こした。すると詩亜のスカートがめくれた。「きゃっ」と驚いてから丸人をぶつ真似をしてほっぺを膨らませた。

「セラフィムとか、救世主みたいな人ひとりに押し付けるのはどうかしら? みんなで協力し合うことが大事なんじゃない? 日本人街だけでも、みんなで協力し合えば、街はずれに農作地を作れるんじゃないかしら? そうすれば自給自足まではいかないまでも、毎日の食事は保証できるかもしれないわよ」

 スカートの裾を押さえながら、詩亜もセラフィムの話題はしたくないような顔をしている。

「詩亜はマン・マシーンを装着してないんだから、この話題に入るのは禁止な」

 春人はわざと意地悪そうに言った。またほっぺを膨らませる詩亜。

 その時、外が急に騒がしくなった。誰かが言い争いをしているような声が聞こえる。子供たちが怖がって教会に駆け込んできた。

 魔遊たちが外に出ると、ひとりの日本人青年を四人の警官が取り囲んでいる。手にはいつものように自動小銃を持って、今にも殴りかかりそうな勢いだ。

「俺はなにもしてない。クスリも持ってない。無実だ」

 青年は必死になって命乞いをするかのように警官に向かって手を合わせている。

 警官は中国人だった。彼らはスラムの日本人を嫌っている。時々パトロールに来ては言いがかりをつけて、暴行していくのだ。

「やめろ!」

 見かねた魔遊が駆けつけて叫んだ。すると警官たちが一斉に振り返った。叫んだ相手がやせこけた少年だと分かって、にやにやと笑っている。

「坊や、俺たちの職務を邪魔する気かい? それって罪になるよ?」

 しかし、魔遊はその言葉を無視するかのように警官に近づいていった。

「やめろ魔遊! 我慢しろ!」

「魔遊、やめて! 子供たちが見てるわ!」

 魔遊は怒りがおさまらなかったが、詩亜の言葉にびくっとその場にとどまった。

「フン」

 警官たちは青年を一斉に殴り始めた。倒れても足で蹴ったりとひどい仕打ちだ。怨みでもあるかのように殴る蹴るの暴行に、魔遊の怒りは頂点に達した。

 すると魔遊の体から細くて赤黒い小さな手が数本、触手のように伸びた。そして、その手が警官たちに触れた途端、警官たちは背中に氷でも入れられたかのように飛び上った。

「なんだ、この嫌な感覚。気持ち悪というか、いやらしいと言うか、とにかく最悪だ……」

 そして、興奮した気分も冷めたようで、その場をさっさと離れた。死を与えるまでは至らなかったが恐怖心を与えることは出来たようだった。

 詩亜が暴行を受けた青年に駆け寄って手当てをする。

「畜生、中国人警官はロクなのがいない。しかし魔遊、よくこらえたな。あいつらを殺しでもしたところで屁でもないが、あとがめんどくさそうだからな」

 魔遊の触手が消えたのを確認してから、護が魔遊の肩をポンと叩いた。

「まだパペットの方がマシだ。あいつらは見境なしに犯罪者を襲うが、人種差別をしないからな」

 春人がボソリと呟いた。その場にいた誰もがうなずいた。

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