第56話・卒業

 これを焼きあげればいよいよ卒業、という学校の最後の窯焚きで、不吉の出席番号13番氏が最後の事故を起こしてくれた。窯の中で彼の大きな水指が大爆発し、破片が飛び散って、窯内の作品に甚大な被害をもたらしたのだ。

 これまでの焼成でも何度か作品の破裂はあったが、それはたいがい素焼きの窯で起こる。破裂は通常、粘土内にのこされた気泡の膨張か、乾燥が甘かったことによる水蒸気に起因するので、ほとんどの場合が800度まで温度を上げる素焼きの最中に発生するのだ。裏を返せば、素焼きをすませた後の本焼きの窯では、破裂は起こり得ないということにもなる。

 ところが今回は、代々木くんが無理をして作品を素焼きせず、生の素地に直接施釉する「生がけ」というやり方を試みたために、最悪の状況を生んでしまった。本焼きの窯での破裂は、素焼きの場合とは比べものにならないほどの大被害をもたらす。爆発力が付近の作品を破壊するだけでなく、小さなかけらが窯中に飛散して、作品の上に降りかかってしまうからだ。作品の地肌を覆うのは釉薬という名の液状ガラスなので、こいつが異物を噛んだまま冷えかたまれば、器は売り物にならない。そのため、窯一基分が全滅という事態までありえるのだ。実におっそろしいカタストロフィなのである。

 指のケガが治りきっていない焦りがあったのかもしれない。しかしそんなことは言い訳にはならない。卒業前の最後の窯で、みんなの勝負作品が満載だったという事情もあり、大惨事を引き起こした代々木くんはしょげ返った。ある意味、彼にとっていちばん痛かった事故かもしれない。しかしクラスメイトたちは、不運つづきだった彼の一年間のフィナーレを飾るにふさわしいこの爆発を、寛容に許した。むしろこの事故には、苦笑いを禁じ得なかった。これで彼の厄も吹き飛んでくれればいい。血が流されたわけでも、だれかが損をしたわけでもない(学校だけが深刻な損害を被ったのだが、まあそれはどうでもいいのだ)。これを機会に、彼にも落ち着いた人生を歩んでほしいものだ。

 訓練校の建つ丘にもついに南風が吹き、一年前にオレたちを迎えてくれた桜の花があちこちでほころびはじめた。固く締まった空気が、みるみる陽気の中にゆるんでいく。

ー春がきてしまった・・・ー

 卒業という例の甘酸っぱい感覚に、この歳になってから胸を突かれるとは思わなかった。その切なさは、日々が充実していたことの証しなんだろうか。学校では「訓練」を行い、家の一畳のアトリエでは「実験」を行い、若葉家では「作陶」を行った。全部ひっくるめ、やはりその日々は「修行」というべきものだった。毎日毎日、朝から晩まで、行(ぎょう)は飽きることなくつづいた。入校当初の殺人的タイムテーブルと熱病のようなテンションは、驚くべきことに、卒業する最後のその日までたゆむことなく持続した。弓の弦のように張りつめた一年間だった。そして、その生活とももうお別れなのだ。甘酸っぱくもなろうというものだ。

 卒業式を翌日にひかえて、製造科は山深くの旅館に集まってサヨナラ宴会をやった。自分たちの追い出しコンパだ。一年きりのつき合いだったが、学校の内で外で切磋琢磨し合ったライバルたちとの最後の機会だ。遅くまで語らい、飲みかわした。

 そのおかげで、明けて卒業式、オレは史上最悪の二日酔いで出席することになった。あまりにつらくて死にそうなので、式の最中に席を立ったほどだ。ちょうど県会議員だか市長だかのくだらない話の最中だったので、廊下でゴロンと寝そべってすごした。

 しばらくして会場にもどってみると、まやまカチョーが挨拶をしていた。優しくて敏感なカチョーは、別れがつらくて壇上で泣きべそをかいていた。オレたちはそれを見てげらげら笑い、また笑いながらチリチリと胸を焼かれ、目を潤ませられた。

 これでフィニッシュ。オレは、卒業してしまったのだった。

 式の後、いったん全員で訓練棟にもどり、各々に荷物をまとめた。仲のいいクラスメイト同士の別れの挨拶があちこちではじまる。そんなものはバカバカしいし照れくさいし、そもそも嫌われ者のオレなので、ひとの輪から遠ざかっていた。手持ち無沙汰に、前夜の宴の残り物が入った段ボールから酒をあさる。そのさびしげな姿を見つけ、数少ない仲間たちが近寄ってくる。律儀に、さよならを言いにきてくれたのだ。

「これからもお互いがんばろうなっ、なっ」

 飯田さんは生き生きと笑った。

「いろいろありがとね・・・」

 あっこやんはビー玉のような涙をぽろりぽろりと落としてくれた。

 最後にヤジヤジに差し出された手のひらを握り返して、オレはびっくりした。胸が詰まって、なにも言えないのだ。声がつっかえて出てこない。

「あの・・・みんな・・・あの・・・その・・・」

 口元で無理矢理に笑顔をつくってごまかした。こんなはずじゃないのに。

「あの・・・あ・・・あの・・・」

 やっとの思いで言葉をしぼり出す。

「ありがと・・・」

 そそくさとその場を離れた。

 三人はかけがえのない仲間だった。この連中がいなかったら、ここまでがんばることはできなかった。気がつくと、心の中は感謝の気持ちでいっぱいになっていた。だけどまともに相手の目を見られない。言葉にならない。もっともっとこの気持ちを伝えなきゃいけないのに・・・

 そして、他のみんなにも。悪態ばっかついてごめんなさい。協調性がなくてご迷惑をおかけしました。出し抜いてやろう、飛び抜けた存在になってやろう、というケチな了見ばかりで動いて申し訳ないです。ただただがむしゃらだったのです。終始一貫、トップギアでした。そうしなければ、間に合わなかったのです。人生に尻をつつかれていたのです。そういう追いつめ方をしていたのです。許してね」

 ・・・というエクスキューズを考えたのだが、それもまた恥ずかしくて言いだせなかった。まあいいか、最後まで、変人で。

 どうにも恥ずかしくて、ヒトビトから逃げまわってウロウロしていると、ロッカーコーナーにさまよい出た。ロッカーは、作業台を積み上げた影に、人目をはばかるように設えられている。思いがけず、そこにツカチンがいた。なにやらコソコソと小さな物をしまいこんでいる。ヤツはこちらの視線に気づき、はっと、あわてて目を泳がせた。

「あ、見つかっちゃったか・・・」

 天使のように愛らしいはにかみ。ヤツはこの必殺の横顔で、今までに何人もの女子をかどわかしてきたのだ。しかしそんな作戦で、オレが見てしまったものをごまかすことなどできない。愚かなヤツ。それでもとりあえず握手だけはした。力のこもったやつを。ヤツは悪意をこめてにぎり返してくる。骨も砕けよという怪力だ。

「バッ、バカッ!はなせ、このバカ力!」

「・・・見たの・・・?」

「ふっふ・・・見ちゃったよ、塚本くん」

「そうか・・・不覚だったな・・・」

 オレは見てしまった。ヤツが大切そうに隠し持っていたものを。それは「MVP杯」だった。もちろんオレがつくったものだ。あの最後の球技大会「まやまカチョー杯」の閉会式で、クラスのヒーロー・ツカチンは、手のひらにのるほどのカップをカチョーから授与されたのだ。チープで即席なシロモノ。そんなものをヤツは、後生大事に持っていたというわけだ。笑える。例のサヨナラホームランの思い出か。意外にかわいい面もあったものだ。しかしオレは許さない。あのホームイン後、ハイタッチを交わそうと待ち受けるオレの前で、ヤツは女子たちにもみくちゃにされ、祝福のキッスの雨アラレを受けたのだ。わがガールフレンドたちに、だ。さらに自作のMVP杯までさらわれ、オレの闘志は決定的なものとなっている。それはジェラシーでもなんでもなく、純粋な戦意だった。

「こんな粗末なもんでも、すてるのもったいないからさ」

 ヤツは薄笑いで軽口をたたきながら、「宝物」を大切そうにしまいこむ。

 オレは無言でヤツを見つづけた。卒業後もヤツはオレの行く手に立ちふさがるにちがいない。そしてやがて、世界の頂点で再び対決することになるだろう。そのときこそ、ヤツを倒す。

ーそれまでは、そのMVP杯はおまえにあずけておくぜー

 新たな妄想が生まれた。ヤツを登場させると、ストーリーがかっこよく引き締まる。やはりツカチンにはずっと好敵手役でいてもらおう。

 ・・・と思ったまさにその場に、ヤツの美しきステディが現れた。ふたりで暮らすアパートも決まったの、そこに荷物を運びましょ。うん、そうしようね、ね、ねー・・・幸福そうな笑顔がふたりを満たす。

ーこの野郎・・・!ー

 こうしてオレは、またもや敗北感に打ちのめされるのだった。

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