第57話・さよなら

 ささやかな手持ち品を学校から引きあげた。さよなら、訓練校。充実の時間をありがとう。

 アパートの部屋ももう引き払わなければならない。本格的に荷造りをはじめた。一年きりつきあってくれた炊飯器や、鍋や、ザラザラな布団や、電気ストーブや、ろっくんや、あれやこれやを段ボールに詰めこむ。

ーいよいよこの地ともお別れ、かー

 東京からここへは着の身着のまま、引っ越し費用8千円で駆けつけたんだっけ。家財はこっちで多少増えたけれど、そのほとんどはリサイクル業者に売っぱらったり、若葉家に引き取ってもらったりして処分することになっている。着の身着のままで、再び東京へと帰るのだ。ただ、こっちにきてからつくった器が大量にあるので、東京への引っ越しは少しばかり出費がかさむ。器の一個一個は、単なる「物」ではない。身につけた技能の結晶だ。オレは一年間で、それを生み出せるだけの「商業価値」を手にしたのだった。

 部屋を散らかしながらそんなことを考えていると、プップーッとクラクションが聞こえた。火炎さんがトラックで乗りつけたのだ。進呈した洗濯機や冷蔵庫(こっちに来てから、リサイクル品を二束三文で買った品々)を若葉家に運び出すためだ。

「おー、やっとるの」

 声のする助手席を見て驚いた。なんと太陽センセーがちょこんと座っている。山越え谷越え遠路はるばる、バカな弟子の引っ越しを見物するために駆けつけてくださったらしい。

「ま、東京に帰ってもしっかりやれや」

「はい、センセーもお元気で・・・」

「うん、うん・・・」

 センセーはそれきり、黙ってしまった。いつもと調子がちがう。こっちも話したいことはたくさんあるのに、言葉がでてこない。あらたまって正対すると、かえってなにも言えないものだ。いたたまれないような気分になる。気まずい空気。しかたなく、せっせと動きまわってごまかした。

 荷物を積み終えると、火炎さんとがっちり握手をした。これからはこのひともライバルだ。

「がんばろーぜ」

「がんばろう」

 みんな照れくさがり屋だ。おたがいの顔が見られない。ただ、一年間を同じ窯の器でメシを食った仲だ。心では通じ合っている。トラックはそそくさと駐車場を出ていった。その姿を見送る。

「さいならー・・・」

「おー・・・」

 キラキラ透明な早春の陽光に、生まれたてのモンシロチョウがあちこちにひらめく。そのまばゆい風景の中を、トラックは走り去った。

ー・・・いっちゃった・・・ー

 素っ気ないような、物足りないような、そんな別れだった。

 だけど美しい余韻があった。そそくさと出ていったトラックは、田んぼのあぜ道をゆっくりゆっくりと走行していく。名残を惜しむように、まだ言いたいことがあるかのように。

 そのウインドウが全開なのに気がついた。

「あ・・・センセー・・・」

 菜の花の匂いがまじる春風の中で、太陽センセーは助手席から身を乗り出し、短い手をいっぱいに振ってくれていた。大きく、大きく振ってくれていた。オレも手を振り返す。どこまでもつづく道。目をこらすと、いつまでもいつまで、センセーは笑って手を振ってくれていた。

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