第55話・すごいオレ

 職業訓練校にも卒業試験がある。留年などありえないので(「卒業まかりならん」と言われれば、だれもが嬉々として学校に居残ることだろう)、卒業への関門というわけではない。ただ、今までにつちかった能力を試す場として、このトライアルは存在する。形式的には「記録会」だ。だからこそ、この場でライバルたちの後塵を拝することは許されない。

「半日の間に、切っ立ち湯呑みを挽けるだけ挽く」

 試験の課題が発表されると、クラスにどよめきが走った。入校して最初のろくろ訓練で教わった、あの切っ立ち湯呑み!なるほど、これなら各人の成長度があからさまにわかるというわけだ。目標ラインは70個。形状の均一性の審査と、抽出検品による厚みの確認(完成品の中から無作為に選ばれた一個がまっぷたつに割かれる)も行われる。ガチンコ勝負だ。今まではみんな、いったい自分がどれほどの腕前を身につけ、それはクラス内で何番目にランクされるのか、なんてことは意識したこともなかったはずだ。そういう数値化が不可能な世界なのだから。しかし今回ばかりは、その実力の度合いが突きつけられる。

 プライド高き茶飲み貴族たちもさすがに、事ここに至り、必死で練習をはじめた。それは彼ら彼女らがこの一年間で見せた、いちばん真剣な姿だった。恥をかかないための付け焼き刃というわけか。一方、試験結果に大した意味などないことがわかっている賢人たちは、おかまいなしに徳利なり大ツボなり好き勝手なものを挽きつづけたが。

 試験当日。訓練棟は緊張感につつまれた。

「はじめっ」

 イワトビ先生の号令で、みんないっせいに粘土を取りに走る。試験には菊練りや土殺しなどの準備時間も含まれるので、切っ立ち湯呑み70個を挽くには、一個あたりの成形を2分弱ですませなければならない。手順や、作品の形状の正確さ・シンクロ性など「真の成形能力」に加え、集中力と持続力も試される。

 はやる気持ちをおさえ、丁寧に菊練りをして粘土のコンディションを整える。ろくろにセットした後は、土殺しも入念にする。あわてて挽くよりも、土全体をきちんと殺して指になじませておくほうが効率がいいのだ。

 いよいよ切っ立ちの成形にはいる。皿割り、ぐい呑み起こし、引き上げ・・・作業をこなすうちに、手順も思い出してきた。

ー大丈夫だ、覚えてるー

 感覚が焼きついている。手が勝手に動く。土はたちまち姿を変え、完璧な湯呑み形に屹立していく。一個できあがるとシッピキで切り離し、ろくろ脇の長板にストックする。二個、三個・・・五個、十個・・・あっという間に板上は、ラッシュ時のプラットホームのようにぎっしりと埋まった。

 ところがそれを乾燥棚に運ぶと、ツカチンもヤジヤジもあっこやんも、ほぼ同じタイミングで長板を肩にかついでくる。目が合うと、火花がバチバチと散った。急いでろくろにもどり、また長板を作品で敷きつめにかかる。

 没頭できた。高麗の職人は、こんなふうに頭をまっ白にさせた仕事の中から「喜左衛門」を生み出したにちがいない。だが、今は傑作など必要ない。形と寸法をぴったり合わせることに心を砕き、あとは手が動くにまかせるのだ。粘土が切れると、台車に走って丸太のような土塊を運び、再び菊練りからはじめる。殺し、成形、長板の移動・・・そんな時間が延々とつづく。

 ハーフタイムにはいって、自分の困憊っぷりにびっくりした。熱中するうちに、自分の手足は機械仕掛けになっていた。集中から開放され、キシキシと音を立てそうな関節の結び目をほどく。立ち上がって伸びをすると、ようやく現世の様子が視界に入ってきた。棚にはクラス中の切っ立ち湯呑みが殺到し、そのおびただしい光景は、まるでいっせいに産みつけられた巨大昆虫の卵のようだった。しかし同寸同形なはずのそれらをよくよく見ると、各々の形にやはり個性が表れている。自分のものがどれかも、一瞥してわかる。しみじみ不思議なものだと思った。

 ランチでエネルギーを充填し終え、ゲームが再開される。だれもが職人の顔つきになり、プロフェッショナルな仕事を目指す。

 オレも途切れることなく没入した。入校したてのあの頃に悩み抜き、修練の末に獲得した成型法。もちろんそのマニュアル通りにもつくれるが、今この場で新しい試みを取り入れてもおもしろい。指先はやすやすと反応し、粘土は意図通りに伸びてくれる。完成形のイメージはひとつでも、そこに至るには何種類もの道すじがある。あんなやり方やこんなやり方・・・そのうちのどのやり方をチョイスしてもかまわないのだ。決めごとのような職人技と同時に、柔軟な創造性が根付いていることに気づいた。

 手をひっきりなしに動かしながら、心は鏡面のように平静だった。あわてても意味がない。無駄を徹底的に削ぎ落としつつ、やるべきことを怠りなくやるだけだ。

 思えば一年間、作品のクオリティを磨きこむことだけに心血を注いできた。そのために、かつて一計をめぐらしたんだっけ。それは、規格が決められている器も、自分だけこっそりと数値を変えてつくろうというものだ。困難な目標=高いレベルを求めるわけだ。そもそも同じ土の量を同寸同形に挽けば、厚みはどれも同一になり、ライバルたちと同じになってしまう。

ーそんなの、やだー

 訓練で示される課題の数値とは、言いかえれば、職人の質を同じにする水準線だ。学校側は、天才をひとり生み出したいのではなく、多くの職人の腕前を一定のラインでそろえたいのだ。だがオレは、他と同じなんてやなのだ。

ー天才だし、オレってー

 こうした考えから、計画は入校当初から発動されていた。

ーだいたい周囲の見習い職工さんたち(クラスメイト)にハンディをあげなきゃ、フェアじゃねっしー

 自分の走路に他よりも一段高いハードルを並べるという暗い愉悦の中で、オレは腕を磨こうと決めた。そして、先生に「300gで挽け」と指示された切っ立ち湯呑みを、こっそり250gを下回る土量で挽きつづけた。器はペラペラになる。薄ければいいというものではないが、薄いほど成形は困難になる。困難こそ、自分を錬磨してくれるはず。この一年間を、徹底してその方法論で通してきた。

 自分で勝手に障害物を設定し、そんな走路を駆け抜けることに熱中しつづけた。そんなチャレンジが大好きだし、それでこそ燃えるのだ。筒花入れを8mm厚でつくれと言われれば5mm厚にしたし、手びねりの巨大傘立てを12mm厚でつくれと言われれば8mm厚にした。結果、紙細工のように薄っぺらなものができあがる。検品でハジかれるが、そんなことは知ったこっちゃない。わが傘立てには、傘など立てられない。使い勝手などカンケーない。自分の技術が高まりさえすればいいのだ。修行とは、そういうものなのだから。また、50つくれと言われれば100つくり、60分でと言われれば30分でつくった。自分の設定ラインこそ、未来ヘの道を開くハードルとなる。それを飛び越えなければ、自分の求めるレベルを達成するのに間に合わない。悠長にかまえてなどいられなかった。周囲のライバルは、自分の伸びしろの基準として存在した。また先生の指導は、地図のない方位磁石でしかなかった。ひとをアテにはできない。自分のゆく道を切り開くのは、自分きりでしかありえない。

 タイムアップの合図で、卒業試験は終了した。オレは107個を挽いて、個数ではクラスの2番目だった。だけど数ではなく、その107個の質にこそ自信があった。サンプリング検査で、107個の中から無作為に抽出された一個が割かれたが、その厚みは、上から下まで完璧に均等だった。そしてその断面は、クラス中の誰のものよりも薄かった(自分だけ別のルールで闘ってるのだから当然だが)。わが仕事ながら、なんという美しさ!それは、飛び抜けた質、と言いきれる。今にして思えば、この試験は「発表会」だった。勝ち負けは関係ない。眼目は、自分が納得できるかどうか、だけ。そしてオレは、その結果に自分の一年間を見て、間違ってはいなかった、と納得した。

ーよかった、オレ、天才でー

 これは、この文章を書いている人物のシャレなしの言である。友だちがいなくならないことを祈りたいものだ(無理か)。

 自分を信じきることだけがとりえなこの人物は、「すごいオレ」の実現だけが目標だった。そしてその目標は、はばかりながら、相成った。検品で先生がまっぷたつに割いたまま残していった切っ立ち湯呑みは、こっそりと持ち帰った。極限薄づくり。音叉のように正確な断面。「すごいオレ」のトロフィーとしてしまっておこう。それは本当に、この一年間でつくりあげた自分自身の姿なのだから。

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