第54話・大鉢

 学校の訓練もいよいよ最終コーナーを回って、最後のホームストレッチ。あとはゴールに向かってラストスパートだ。

 課題が自由制作に移ってからというもの、クラスメイトたちの作業内容はバラバラに散らばっていった。ヤジヤジは一心に粉引きを追求し、相変わらず窯を焚きまくってデータを採っていた。あっこやんは多彩な物体を挽いて表現のバリエーションをひろげていく。代々木くんは不自由な指を操って、若葉家直伝の茶陶を追求していた。

 ツカチンもついに吹っ切れたような顔で、見上げるような巨大ツボを挽いていた。ろくろ成形したふたつの大ツボ(片方は底抜け)を、柔らかいうちに口同士合わせて接着し、それをまたろくろ挽きして一体化するという方法だ。人目をひく派手な仕事だったが、周囲には目もくれず、無心に土に向かう。モテようという邪心はやっと捨てたようだ。それもそのはず、ヤツは観念して、ひとりの女の子を彼女にしたのだ。長い放浪の旅を終えた心持ちだったかもしれない。あるいは、彼女のためにがんばる、という新たな邪心によるモチベーションがかもされていただけかもしれないが。いずれにしても、オレは相変わらずヤツに敗北した気分だった。

 一方、ストーブから半径2mの地を領土として占有する位高き人々は、陶芸と名のつく一切の行為を放棄し、ティーカップに沈む茶葉の芳香を楽しんでいた。なんと優雅な光景であることか。比してこちとら寒村の貧民。身を立てるには、休みなく動くしかない。時間がない、一分一秒が惜しい、やりたいことが多すぎる、そんな焦燥に駆られて、ひたすらろくろのアクセルを踏みこんだ。

 いろんな種類の抹茶碗を挽いて身につけたテクニックで、今度はゴツい水指や背の高い花入を挽いた。直線的なものが挽けるようになったら、次段階では意図的にイレギュラーな操作を加える。どんな形でも自在に挽けるように練習した。不定形を空間の中に落ち着かせるには、それを「ゆがんだ」ものにしてはいけない。「ゆがめた」ものにしなければ。結果ゆがんでしまったものと、主体的にゆがめて挽いたものとは別物なのだ。雲泥の差だ。有機的なフォルムの中の堅固な存在感は、ゆがみをコントロールし、不定形の長所を用いました、という明確な意志によって生まれる。少なくとも、オレの作品はそうであらねばならない。偶然に挽けてしまったものになど、この時期の自分にとっては意味がない。意思によって土を操ることこそ、最終的な目標なのだから。

 そのためにはなににもまして、整った形を正確に挽ける基本技術が不可欠だ。学校が指導してくれていたのはこれだったのか、と今になってようやく思いいたる。かえりみれば、学校はべつに整った作品が欲しかったわけではない。そんな製品を二束三文で何百個何千個と売りさばいたところで、訓練生全員分の学資などまかなえるわけがない。それよりも学校は、自由自在を実現する腕前をこそ欲しがった。そんな人物を製陶所に送ったほうが、地域の未来をつくることができる。つまり学校は、ひとを育てて売る「合法的ゼゲン」なのだ。

 とにかく訓練校は、原石を宝石に磨きあげてくれた。なにも持たない人間を、価値を生みつづける超人に変身させてくれたのだ。その教育によって、自分がいったいどこまでできるようになったのか、試してみたい気分だ。そして、今はそれが許される時期だった。

 オレは茶陶制作の後、大皿、ツボ、フタ物、香炉、急須などをつくってきたが、最後に徳利に挑戦していた。徳利の成形は、ろくろ挽きでいちばんむずかしい。つくるプロセスとしては、まず高い高い筒形を挽く。次に口べりを内側にたたんでかかえこみ、袋形をつくる。それからエゴテと呼ばれる大きな耳かきのようなコテを袋内に突っこみ、胴部をふくらませる。最後に口べりをつぼめて外に折り返し、首をしぼり、おちょぼ口に整えて完成だ。

 なにがむずかしいって、なんといっても作業行程が矛盾に満ちている点だ。筒挽きで背が低ければ胴をふくらませたときに丈が縮んでしまい、高ければエゴテの作業のときに芯が狂いやすくなり、口をせまくつくれば内部の細工がしにくくなり、広くつくればおちょぼ口にならず、胴部をふくらませて薄づくりにすれば口をつくるときにヨレやすくなり、厚づくりにすればずっしりと重くなり・・・あらゆる二律背反が混ぜこぜになっている。しかし逆説すれば、徳利さえつくれるようになったらなんでも挽ける、といえはしまいか。オレはこのステージのクリアを卒業前の最後の課題とし、毎日朝から晩まで徳利づくりに取り組んだ。

 はじめのうちは苦労したが、理屈とコツをつかんでからはきちんと挽ききれるようになった。きちんと挽けるようになってからは、どんどん薄く、どんどん高く、どんどん丸く、どんどん首を長く(鶴首という)、極端なものをつくった。ハードルを上げていくわけだ。最終的にオレは、クラスでいちばん徳利挽きのうまい男になった。まあ、徳利を挽いている変わり者など相手にされないので、自慢にもならないのだが。

 ただ同じ頃、同じように徳利挽きをしていたライバルがひとりいた。あるとき、彼がオレの挽いた徳利をこっそりと手に取るところを、ふと目にしてしまったことがある。彼はオレの視線に気付かない。彼は徳利を手に、ギョッとした表情をしていた。

「いやあ、びっくりした。あまりにも薄づくりで軽かったから・・・」

 そんな彼の言葉をひと伝えに聞いたとき、心の中でうっしっしとほくそ笑みたい気分だった。校内でのろくろ挽きは、いつも勝負だ。だが、勝ち負けなど今さらどうでもいい。去来したのは、卒業に間に合った、という感慨だ。つまり「世間で通用します感」を客観的な審査で裏付けてもらった気がして、安堵したのだった。

 さて、イワトビ先生はここに至り、なぜか好々爺と呼びたくなるような丸い人物になっていた。

「やりたいことは全部やっとけよ。なんでもかんでも、好きなことを好きなだけやれ」

 猫なで声でささやく。入校当初のあの厳しい、「このステージをクリアでけへんやつには、絶対先のことはやらせへんからな」的な横暴ぶりはどこへいってしまったのか?まったく気味の悪いやさしさだ。しかし、思い返してはじめてわかる。このひともまたあの頃から、訓練生たちの技術を本気でみがきあげようとしてくれていた。彼の頑固さは、自分が持つ技術を生徒たちに伝授するための厳格さだったのだ。

「今、ここでしかできんことがあるやろ。おまーらもうすぐ学校を去る身なんやから、なにしたってえーんやぞ」

 やっとけやっとけ、えーよえーよ。先生がそうそそのかすので、オレは以前からやってみたかったことに挑戦することにした。それは「ろくろに載っかるだけの粘土を載っけて、超巨大な鉢を挽く」というものだった。実にバカバカしい、意味のない器づくりだ。だけど土が使い放題、ろくろが挽き放題という今でしかできないことでもあるのだ。だれもが考えながら、だれもやらなかったことでもある。オレはそいつに遠慮なく着手した。

 「ろくろに載っけて、なんとか挽けるだけの粘土の量」は、適当に目分量で決めた。こんなもんかな、とかかえ上げた分を計量してみると、17.5kgあった。一斗缶ほどもあるその土塊を菊練りするには、身長が180cmあるオレが一回一回ジャンプし、全体重をあずけて押しこまなければならなかった。渾身の力をかけて、菊の花びらをひとひらひとひら形づくっていく。その旋律は正確無比な間隔に刻まれ、うずに巻き取られていく。入校当初にあれほど苦労し、悩まされた菊練りだったが、今や実に美しい仕事に花ひらいている。リズムにまさる正確なし、正確にまさる強度なし。すべてはここからはじまったのだった。

 練りきった粘土を、ターンテーブルにどすんと置く。アクセルを踏みこむと、ろくろはウンウンとうなりながら、なんとかそいつを回してみせる。やるぜ相棒、いいトルクだ。その回転に負けないように、水をつけた手で土をまとめにかかる。もうドベなんて飛ばさない。敷き詰めた新聞紙に泥水を散らかしていたのは遠い過去の話だ。

 土殺しにはたっぷり一時間を費やした。巨大な土塊の芯の芯まで殺すのは結構な体力仕事だ。やがてピタリと円心が定まり、高速回転するターンテーブル上で、粘土は小揺るぎもしない状態に落ち着いた。準備が整い、いよいよ成形にはいる。

 ぶ厚い辞書ほどもの厚みがある器の壁を、じょじょにじょじょに真上へとのして、筒形に立ち上げていく。おでこにまで届きそうな土管が挽きあがったら、次にそれを少しずつ外側に倒しこんで、鉢形に造形する。それと同時に、壁を薄く均等に伸ばしていく。

 器はオレの上半身を呑みこむほどに口をひろげ、見る間に巨大化していった。ピンと張りつめた気持ち。なのに思わずげらげら笑いだしたくなる。ひとはあまりに基準ちがいの巨大物体を見ると、笑いがこみあげてくるものらしい。それをぐっと我慢して、内外の指先が土に接する一点に神経を集中させた。根っこから口べりまで均一厚&限界薄づくり。ひずみとヨレにおびえつつ、勇気で突き進む。大胆かつ繊細さが要求されるこの作業は、半日がかりの大仕事となった。

 産湯にも使えそうな大鉢を挽ききったとき、ひろびろと開いた外周は、ほんの少しも回転軸を外れていなかった。まるでピタリと静止しているようだ。そして、イメージ通りの形。遠目に見ると、実写版「一寸法師」の撮影にも使えそうな見事な風格だ。素直で、よどみなく、鏡のような器面。大成功。その結果にいちばん驚いたのは、自分自身だった。信じられない気持ちだ。正直、本当に挽けるとは思っていなかったのだから。冗談のつもりだったんだから。

 そのとき、あらためて確信した。朝も昼も夜もろくろに向かっているうちに、そこそこの腕前が身についていたのだと。これでたぶん大丈夫だと。

 その後、もうひとつの巨大物体を挽いた。直径が小ダイコほどもある、ぶ厚い筒形を。それは器ではなく、シッタだった。この上に大鉢を逆さにのっけて、底ケズリをするのだ。土は10数キロも使っただろう。こんな土の大盤ぶるまいも、訓練校にいる間しかできないことだ。

 せーの、よっこらせ、と大鉢を二人がかりでシッタに伏せる。持ち上げてみると、意外なほどに軽く感じる。全体が薄づくりで、厚みが片寄っていない証拠だ。ケズリ作業をはじめると、ほとんどそぐ余地もないほどに、大鉢は均等な厚みに挽けていた。底の厚みだって、今や指先で叩けば感知できる。職人のカンってやつを手に入れたのかもしれない。

 ちょいちょいと高台を削り出し、オレの卒業制作は完成した。だけど作品自体にほとんど興味はない。オレは一年という月日をかけて、作品をつくってきたわけではない。自分の技術をつくってきたのだから。自分自身をつくってきたのだから。そういう意味では本当に、

ーできちゃったなー、オレが・・・ー

という、大げさな気持ちだった。

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