第51話・風景描写

 広い空一面から雪が落ちてきて、気がつけば何cmも積もっている。なのに雲がひらくと、半日もすればたちまちとけてしまう。周期的にそんなことがくり返された。夜は冷えこむが、昼間は潔い日光が降りそそいでくれる。こうして丘の上にも、冬がじょじょに浸透してくる。

 からりと晴れた昼休みにはずっとひとり、中庭の芝生ですごした。気温は低くても、頭上低くにいるお日さまがぽかぽかと照らしてくれて気持ちいいのだ。製造科のみんなはランチ後もストーブの前から動こうとしなかったが、オレはこんなにすてきな環境をもったいなく思い、いつも陽光の下で竹ベラを削り出したり、帯鉄にヤスリをかけたりしてすごした。それに飽きると、その場でごろりと寝そべる。空は輝き、雲はふわふわとたなびきわたる。夏のさかりに一本きり影を落としてくれていた幼い樹は、すっかり葉を落とした。骨のような小枝を寒風にひらいて、じっと春を待ちわびる。

 だけどオレは思った。

ー春が来なきゃいいのにー

 そうすれば、ずっとこの場所にいられるのに。もっともっとこの環境で修行をつづけたいのに。

 暖かい日にはたまに、デザイン科の何人かのガールフレンドたちが外に出てきて、怪しげなレゲエ男にデザートを恵んでくれた。オレは頭にタオルを巻き、カラフルなセーターを着、ソックスの中に作業ズボンのすそを入れるという出で立ちで、地べたに座りこんで道具づくりをしている。そのため、ほこ天で怪しげなアクセサリーを売っているラスタマンと瓜二つなのだ。彼女たちはおそるおそる、果物を差し出してきた。動物にエサを与える好奇心で近寄ってくるらしい。オレはもらったナシやリンゴを、研ぎ出した帯鉄でむく。そいつはちょっとサビの風味がして、オツな味だった。そんな果物片をお返しに渡すと、ガールフレンドたちは顔をしかめつつも、おそるおそる口に運んだ。

 たまに、みんなで木陰に隠れてビールを飲んだ。まやまカチョーが球技大会で配ってくれたビールは、実は校内では御禁制品で、「家に持ち帰るべし」と厳格なお達しがでていた。だが、そんな大好物を目の前にちらつかされて我慢できるはずがない。こっそりと茶色い油紙に包んで、回し飲みした。するといよいよレゲエっぽさが堂に入って、遠巻きにながめる製造科の連中はおろか、先生すらも他人のふりを決め込むのだった。

「ルールは破るためにある」

 不良オトナたちは、ほろ酔いの顔を突き合わせてくすくすと笑い合った。遅い青春まっただ中だった。

 また、野点(のだて)の真似事も行われた。野外でひらくお茶会である。デザイン科の数人もそれぞれにお茶を習っていたので、その稽古も兼ねて、中庭でお茶を点てるのだ。Mrs,若葉が亭主をつとめる日には、太陽センセー作の傑作茶碗、建水、水指などが並べられ、参加者たちのため息を誘った。敷布の代わりにブルーシート、というのが少々もの哀しくはあったけれど。しかしこれはこれで、侘びた趣き、極限まで装飾を排除した風情、ととらえることもできる。オレもたまにおよばれにあずかり、食後の一服をいただいた。昼休みは自由な時間でありつつ、勉強の場でもあった。

 雨が降ったり、雪が積もったりした日には、さすがのオレも作業場で昼メシを食った。ときには自作の土鍋をストーブにかけ、テキトーな具材の鍋をつくったり、ごはんを炊いたりして、実用性を実験した。土鍋は灯油のすすで真っ黒になったが、手持ち無沙汰な冬の日にいい仕事をしてくれた。また農作業部は、畑で採れたサツマイモを干し芋にしてストーブで焼き、みんなにふるまったりした。あったかくておいしくて健全で、しあわせな時間だった。

 あっこやんがひとり息子のりょうちゃん(6さい)を連れてくることがあって、そんな日は実に楽しかった。彼はオレのことを「すぎヤーマさん」と外国人風に呼ぶ。オレがそう仕込んだのだ。

「すぎヤーマさん、あのね今日ね、高速道路にのってきたんだ」

「へー」

「ねぇ、あのスピードって、マッハどれくらい出てるの?」

「マッハ・・・そうだな、高速道路はマッハ0.1くらいかな」

「ちぇっ。なんだ、おっせーの。・・・じゃ、飛行機はマッハいくつ?」

「マッハ・1だな」

「ふーん。じゃ、ゆーふぉーは?」

「UFO・・・ふむ、あれはマッハ30程度と思われる」

「おーっ、はえー!じゃ、ほうき星は?」

「流れ星か?んーと、たしかマッハ300だったかな」

「うおー、すっげー!すぎヤーマさん、すっげー!」

 目が輝いている。もうとまらない。

「次はなんだ?ん?」

「じゃあね、じゃあね・・・じゃ、ウタセユは?」

「・・・ウタ・・・セユ?」

「うん、打たせ湯!」

 温泉にある打たせ湯?天井から落ちてくるヤツ?・・・いったい打たせ湯でどんな目に遭ったというのか、この少年・・・

「打たせ湯は・・・マッハ・・・でははかれない・・・」

 とにかく、こんな具合に会話がつづく。そして最後は、ギラファノコギリクワガタとヘラクレスオオカブトのどちらが強いか、という話をして、眠ってしまうのだった。子供は天才だ。

 訓練を終えた放課後は、みんな思い思いにすごした。スポーツセンターに車を飛ばして部活動にいそしむ集団、チャリでたこ焼き屋「ちかちゃん」になだれこむ集団、居酒屋でかるく一杯ひっかけにいく集団、・・・そして、いそいそとレンタル窯に向かう集団だ。

 オレたち四人組のガス窯焼成は、相変わらずハイペースでつづいていた。経験を重ねるためにも、ひと月に一度か二度は必ず焚いた。どんどん予約をいれ、それにせっつかれるようにろくろを回す。ろっくんが回れば回るだけ、窯焚きのスパンは短くなる。ひっきりなしだった。あきることなどありえない。メンバー同士で刺激しあい、響きあい、追いつ追われつがたのしくてしょうがなかった。モチベーションがうまく循環した。

 ひとりきりで焚く冬の夜、トタン張りの窯小屋は、スネの芯まで凍りそうな寒さだった。窯に火を入れた直後は炉内温度もまだ低いので、底冷えをしのげるほどの余熱がもれてこない。しばらくは電気ストーブを抱くようにしてすごした。やがて炉内に炎がまわると、窯はペチカのように心地よい暖かさを放射しはじめる。こごえていた皮膚がほどけていく。ドラフトやダンパー、ガス圧などをたまにいじって炎をコントロールしつつ、ちびちびと酒をすすりつつ、目を血走らせつつ、同時に重いまぶたの下でまどろみつつ、とてつもなく長い時間とつきあう。じんわりとした熱を伝える窯の外壁に寄り添ってうつらうつらしていると、まるで温泉にでもつかっているような気分だった。そんなとき、たまに本当に「窯神様」が現れて、壁ぎわや天井を漂うことがあった。自分と窯とを見守っていてくださるのだ。うとうとしながらオレの視線は、色見穴から吹き出る炎の長さと、パイロメーターの数値、そして夢の中の窯神様のおぼろな影をいったりきたりした。

 雪が降ったり、とけたりをくり返す中で、風に春の匂いがまじるようになった。いよいよ卒業が間近に迫っていた。

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