第44話・成果

 魂の抜けた数日間をすごした。ろくろを回しても気分がのらない。目的が失われ、作業はうわの空。作品の向こう側に見えていた世界が霧散してしまっては、モチベーションも維持できない。次なる目標を定めなければ。しかしろくろのイワトビ先生は言う。

「乗り気でないときでも、きちんとしたものを挽かなあかんのが職人や」

 それはそうだろうが、今の自分は気持ちを支える骨格が抜けてしまって、まるでクラゲのようだ。懸命に緊張の糸をつなぎとめようとするが、窯づくり以上の新しい挑戦をさがすのはむずかしかった。

 そんなときに、待ちに待った電話。

「窯を開けるよ」

 火炎さんから声がかかったのは、窯の火を落としてから一週間後だった。オレは代々木くん操る改造レジェンドに乗っけてもらって、山に向かった。作品との対面は、学期末の通信簿をもらう気分だ。ついに半年間の成果が明らかになる。

 すっきりと晴れ渡っていた。乾いて澄んだ空気。山頂を通過するとき、視界いっぱいにあざやかな景色がひらけた。渓流のように引き締まった風と、深くて濃くてかるい空と、そして錦織りなす紅葉。毎日を全力で走りつづけ、土や回転やレンガを至近距離に見ているうちに、頭上で季節は移っていた。

(あつすぎる季節が終わっちまったぜ・・・)

 今さらのようにそのことに気づき、ガラにもなく感傷にふけりたくなった。しかし怪車・アリクイ号のけたたましい爆音と、カーオーディオから流れるX-japanの大絶叫(代々木くんも合唱中)がそれを許してくれなかった。

 余談になるが、代々木くんは窯焚きを終えたまさにその夜、交通事故に遭っていた。道の合流点で後方からぶつけられたらしい。彼も魂が抜けていたにちがいない。不吉の出席番号13番氏はひどいムチウチとなり、首にゴツいコルセットを装着していた。その姿がまたオオアリクイにそっくりで、オレたちは彼を気の毒がる前に、つい笑いだしそうになった。そもそも、彼を気の毒がるのに飽きてしまったということもあろうかと思う。代々木くんは、同情していてはきりがないほど常にケガをしている、ツイていない男なのだ。そして彼の大ケガはまだまだこれだけではすまないので、お楽しみに。

 さて、到着。若葉邸ではいつもと同じ光景が出迎えてくれる。まず庭先で最初に姿を現すのは、必ず太陽センセーだ。外でろくろを挽いていたのか、ガラクタを散らかしていたのか、あるいはカマキリと闘っていたのか、それともぼーっと日向ぼっこをしていたのかはわからない(師の日常は、この四種類の行動パターンで構成されている)。とにかくセンセーは、いつも汚れて穴の空いたシャツ姿で中庭にいる。愚かな弟子たちの到着をそわそわと待っていたに決まっている。のだが、

「おお、また来ょったんか」

やれやれしょーがないやつらじゃの、と、言葉は素っ気ない。なのに笑みは満面だ。

「ま、茶でも点ててくれや」

 そのままぞろぞろとお茶室に上がりこむ。ひとまずセンセーにお茶を点ててさしあげ、ついでに自服のお抹茶もいただく。形だけマネしながら、お茶の心を学ぶのが若葉家流だ。室内のしつらえはその時節のもの、道具類はどれもセンセーの手によるものだ。茶碗は、志野、織部、黄瀬戸、唐津、高麗、いろいろなものを用意してくださる。抹茶の最後の一滴をすすりこんだ後、名碗の鑑賞(観察・解剖)ができるという寸法だ。そこで講義がはじまる。

 優しいおじいちゃんの目が、作家の辛辣なそれに変わる。舌鋒は鋭利かつ峻厳だ。この一週間は、窯出しに分不相応な夢をみて大傑作を待ちわびていたのに、センセーのきびしい物の見方に接すると、過度な期待はたちまちしぼんでいく。理論的かつ実際的なセンセーの言葉に幻想は漉しとられ、無惨な現実だけが浮かび残るのだ。このまま窯を閉じっぱなしにして逃げ帰りたくなる。しかしそうもいかない。お説教・・・いや、講義が終わると、重い足取りで窯に向かった。

 一週間ぶりに見るかぶと窯は、木漏れ日のなかに森閑と寝静まっていた。高温の炎を腹にかかえているときは精力をみなぎらせてふくらみきっていたのに、常温にまで冷えた今は、ひっそりと落ち着いてたたずむ。火のかけらをこぼしていた数知れない傷跡には、すさまじいすすがこびりついている。膨張と収縮にねじあげられた背はひび割れ、皮膚がぼろぼろとはがれ落ちて痛々しい。荒れて黒ずんだその姿は、壮絶な戦闘を終えて草に横たわる兵士のようだった。

 窯出しの招集に応じて集まったのは、ごく少人数だった。あれほど汗した自分たちの行為の結果を確認したいとは思わないのだろうか?窯焚きは祭りじみていて楽しいが、むしろ窯出しの瞬間にこそ、喜びは凝縮されているのに。

「さ、開けようか」

 気にもかけない様子で、火炎さんは言った。

 焚き口をふさぐレンガが崩された。暗闇の奥に光が射しこみ、じょじょにその内界がつまびらかになっていく。例の感動が押し寄せる。棚を組んだときには色気もツヤもなかった土くれの隊列が、火と融合して様相を一変させ、再びあらわれるときの衝撃!何度立ち会っても、この自然の仕事には圧倒される。それとわかっていてもついつい、おおっ、と声をあげてしまう。

 いつも思うのだが、窯を開けた瞬間の光景そのものが芸術品と見える。大小メリハリのついた作品の構成、色彩の調和、ガラス質の光沢と暗い異物沈着の質感のコントラスト。窯の内壁までが、とけた灰の影響で底光りしながら棚と同調していて、はからずもその画づら自体に目を奪われる。まるでガウディの建築物か、ロダンの壮大な彫刻「地獄門」だ。

 考えてみれば、窯詰めしたての作品群は、まだ生まれたての青臭さを漂わせていて締まりがなく、たよりない。形がただそこにあるというだけの落ち着かない存在だ。それが燃えさかる炎の中にあっては、まるで生命を吹きこまれたかのように力をみなぎらせる。自らが灼熱そのものとなって拡張をはじめるのだ。炎の奥にゆらめいて見えるその姿は、荒行に耐える修験者だ。そしてすべての行を終えて冷えきった窯の底にたたずむ彼らは、凝固した金属のように引き締まり、圧倒的な素材感、重量感、緊迫感を宿す。その変貌ぶりは劇的で、息を呑まずにはいられない。薄明かりに照らしだされる静かな光景は、蒼古としつつ怪しげな光を帯びていて、まるでおそろしく永い歳月をへて掘り起こされた黄金の遺跡のようだ。炎が時間を圧縮する。かくて土くれは、炎という奇跡をくぐり、玉となる。

「順ぐりに運び出して」

 窯内に這いこんだ火炎さんのくぐもった声。オレを陶然とさせた自然の芸術作は個々の作品に解体され、リレーで窯の外に運び出される。長大なイカダのように並べられた長板が、次々と大小器で彩られていく。最後の一個が窯口から出ると、足もとはおびただしい作品群によって埋めつくされた。

 ところが、暗闇の中で集合体となったものをながめるとすばらしい出来映えだったのに、ひとつひとつをバラバラに手に取ると、そうでもない。白土のものは灰との噛み合わせが悪いのか自然釉のかかりが薄かったり、赤土のものは鉄が浮き出して朱泥のようにテカテカになってしまっていたり、耐火度の高いものは焼き締まりが甘かったり、逆に低いものはゆがんだり裂けてしまっていたり、と散々だ。自分の勝負作で満足のいくものは、ほとんど採れなかった。

 しかしそんな中で、火炎さんは傑作を何点も回収していた。それはプロの仕事だった。技術的な格のちがいもあろうが、まず第一に土の差だ。彼は山を歩き、あちこちをほじくり、土を採取し、実験をくり返し、作品に使うべき生地土を厳選している。昔から、一・土、二・焼き、三・細工、という。粘土工場で調合されたものを手軽に購入し、焼成環境を考えたセレクトもたいしてせず、細工をほどこすことに心奪われていたオレは、土の重要性を今さらながらに思い知らされた。

 自分のものの中にも、センセーから頂戴した土で挽いた小皿や、もぐさ土という特別な土でつくった茶碗には、うまく焼けているものもある。しかしその他に、納得のいくものはあまりなかった。窯出しされた作品には「炎に破れました」感がありありだ。一方、長年風雨にさらされた自然の土はあつかいづらいが、炎と一体化すると、驚くべき真価を発揮した。石がはぜ、灰が食いつき、炎の走った痕跡をまざまざと残し、全身に完結した風景をまとう。それは学校で焼きあげるクラフト製品とは正反対の、表情豊かな個性美だった。器のどこを切り取っても、ちがった景色がそこにある。物起承転結を各面に盛りこんだような、そんな劇性。マキ窯を焚くのは三度めだったが、これほどの仕事を目にしたのは初めてだ。オレはようやく、マキ窯で器を焼く意味が少しだけ理解できた気がした。

 火炎さんは自分の初窯を無事に終わらせたことで、ほっとした顔をしていた。しかし窯出し品全体を見わたすと、大成功と悦ぶ気にはなれない。一の間では温度が最高点まで上がりきらず、灰の融けが鈍かったために、ほとんどの作品に色気がつかなかった。二の間からはいい作品も出たが、三の間はマキ不足の関係もあって釉が融けきらず、ほとんどが生焼けだった。焚き手の技術不足もあろうが、窯の構造にも改良の余地がありそうだ。

「まだまだ甘いわい」

 作業の様子を見計らって現れた太陽センセーは、ニヤニヤしながらひと事のようにつぶやく。意地悪だが、底にあたたかいものをひそませた面差しだった。

 いつかセンセーがこうおっしゃっていたのを思い出した。めきめきと技術が上達していると感じる期間は成長とはいえん。壁に当たって立ち止まって考えて、そこからはじめて成長がはじまるのだ、と。一直線にレンガを積み上げてきたオレたちも、やっと悩む段階にはいった。これから真の成長がはじまるのだろうか?・・・とはいえ、やはりヘコむ。

「上出来だよ。またがんばろうな」

 火炎さんにそう言われても、落ちた肩に力はもどらない。窯づくり、作品づくりに費やした途方もない時間と精力を思い、その大半を徒労に終わらせた自分の未熟を悔恨したくなった。ああすればよかった・・・こうすればよかった・・・。たしかに甘々だったのだ。ぬるかった。マキ窯を相手にするのも三度めで、覚えた通りにやりさえすれば成功するものと高をくくっていた。初心を忘れ、テンションを最当初のレベルにまで上げきれなかったこともある。そして愚かにも、ようやくと、つくづくと、ある重大なことを思い出した。

ーマキ窯ってのは本当にギャンブルなんだな・・・ー

 掛け金を根こそぎかっぱがれて、はじめて窯焚きにそら恐ろしさを感じた。だけどギャンブラーは決して懲りないのだ。かぶと窯をじっと見つめ、態勢を立て直してまたこの場に帰ってこよう、と誓った。力なく・・・

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