第43話・燃え尽きる

 若葉家の窯焚きはたのしい。山の上では火の守りと酒盛り、下の母屋では休息と酒盛り。三昼夜の間は代わるがわるに数人ずつが待機し、好きな場所で始終酒盛りが行われている。そしてたまに窯焚きをする(あ、逆か)。

 火炎氏は料理名人だ。そば粉からそばを打ち、鶏ガラからラーメンスープを煮出し、自家製生地でピザをつくって電気窯で焼き、客人にふるまってくれる。窯焚きそっちのけで厨房に立ち、うまいものづくりに精をだす。本職はどっちなんだ?と思わずにはいられない。新妻・はるみちゃんもおにぎりを差し入れたり、おいしい料理でもてなしたりで、窯焚き人足の疲労を癒してくれた。いい居心地だった。

 とはいえ、肉体労働でしぼりきったからだを茶室で雑魚寝という三日間は、結構きつかった。人数が多いときには、男女入り乱れてオイルサーディンのようになるしかない。窯焚きの高揚と修学旅行の興奮とで、とても寝つけるものではない。そんなとき、眠れないメンバーは車座になり、いつまでも立てひざを突き合わせて焼酎を酌み交わした。そうして下でわいわい盛りあがっていると、山の上で火の番にひとりきり残された火炎さんの声がする。

「うおーい、だりか~、てーちだってくり~」

 あの料理人は、いつの間に山にのぼっていたのか?ひとのいないところいないところを補完する、とてもえらい火炎さんなのだった。

 焚きはじめてから二昼夜。炎は大きく育ち、パイロメーターの数値も順調に上がっていった。900度を超えると、炉内雰囲気の操作が必要になってくる。今回は1250度まで還元炎で焼くことになっている。酸素の供給をしぼらねば。ところが、かぶと窯はおそろしくシンプルな窯なので、酸素量の調整も、普段焚いているガス窯のように小手先でちょいちょいとはいかない。かつて焚いたFさんちの窯や、越前・無量窯と比べても、炎をコントロールする装置がふたつみっつ少ないのだ。たとえば、焚き口の下から風を送りこむ「ロストル」が無い、エントツを通過する空気の流れを調節する「ドラフト」が無い。また今までに焚いたふたつのマキ窯は、マキをくべた後に必ずぶ厚い鉄板で焚き口をふさいで炉内を密閉していたのだが、それすらもしない。空気はつねに筒抜けだ(つまり、常に酸化状態なのだ)。あるのは、煙道の出口へ抜ける空気量を制限する「ダンパー(ギロチンのようなフタ)」だけだ。窯は軽装備、素人の焚き手は徒手空拳。この状況で、いったいどう還元炎をつくりだすというのか?

 しかし、こちらには太陽センセーという豪腕がいた。

「焚き口をマキでふさぐんじゃ」

 コロンブスの卵!ぽかんと開けっ放しの焚き口からは、炎が大きくなるほどにどんどん外気が取りこまれる。窯内の空気は常時入れかわり、新鮮な酸素をもらった炎は完全燃焼して、健康な酸化炎となってしまう。しかしマキを燃焼室に放りこむのではなく、焚き口一杯にすき間なく、半分くわえさせるように詰めこんでしまえばいいのだ。そうすれば鉄板でフタをしたのと同じ状態となり、外気は遮断される。さらに入れすぎ気味のマキが大きな炎をつくり、炉内は酸素欠乏におちいる(すなわち還元状態)。マキとギロチンのはさみ討ち。そうしてもがく炎は、生地土からサビ質(酸素)を奪い取って、作品を冴え冴えと焼きあげてくれる、というわけだ。シンプル。賢い。

 桃山の陶工の立場になって考えよ、と言われた意味が実感できる。当時の彼らは、還元雰囲気にしたいと思ったとき(つまり炎を大きくしたいと思ったとき)、ロストルやドラフトのことなど考えない。厚い鉄板などもなかったろう。最も単純に発想すれば、マキをめちゃくちゃに詰めこむ、ということになるはずだ。オレたち現代人は、知識にまどわされてしまうのだ。作品づくりが機械操作に終わってはならない、と思い知らされる。

 焚き口をマキでふさぎ、ダンパーも半ば閉じると、炎は窯内に閉じこめられる形となった。こうなると、大量のマキをくわえさせられた炎は成長したい、なのに窯の容積は限られている、というジレンマが発生する。危険水域を突破。炎の膨張が、自身をおさめるハコの大きさをついに上まわる。すると、窯のすき間というすき間から火先が飛び出してくる。別の言い方をすれば、炎が酸素を求めて四方八方に舌を伸ばしているのだ。恐怖さえ覚えるほどの激烈な盛り様だ。

 このときはじめて、自分たちがいかにレンガを粗っぽく積み上げたかが露見する。炎がこぼれすぎだ。箇所箇所で、レンガの整形や緊密性をごまかした記憶が痛烈に突きつけられる。抑圧された炎は、つぎはぎの壁を破り裂かんばかりにのたうちまわり、周囲に緊張を強いる。

 一方、これほど荒れ狂う炎の奥で、作品たちはただじっと待つ。奪われ、締められ、堅固な結晶となるまで、ひたすら耐えしのぶ。熾きの間から、どろんとにごった炎の底にゆらめく器が垣間見える。それらは自然釉の衣をまとって、完成形に近づこうとしていた。

 三日めの夜。一の間が高温に達して作品が極限まで絞りあげられる頃、圧されて行き場を失った炎は、狭間穴(さまあな)という小窓を通って二の間にまわり、ふたつめの窯内を温める。こぼれた炎にあぶられて二の間の空気もこなれ、作品たちも攻め焚きへの心構えができていく。一の間が焼きあがると、十分に温度が上がった二の間の焚き口(窯の横っ腹に設えてある)からマキ投入を開始する。マキの着地点のすぐ脇に作品の棚組みがあるので、慎重に放りこまなければならない。しかもぎりぎりを狙う大胆さが必要だ。

 窯番に張りつきっぱなしの代々木くんは、すでに火の化身といった様相だ。目にもとまらぬ早さでマキをくべる。手つきは職人さながらで、強烈な炎を宿す瞳はしばたたくこともない。その姿は焚き火中毒者じみていた。オレは彼のために(いや、作品と窯のために)一心にオノを振るってマキを生産する。オレの仕事が、彼の仕事が、作品の出来に直結する。最後の力を振りしぼった。

 二の間が焼きあがり、三の間へと炎を移植する。みっつの窯を支配した炎はエントツまで縦走し、高く夜天を焼いた。小屋に満載だった丸太はすべて、窯の旺盛な食欲によって消化された。

 燃料が底を突いて、ついに窯焚きは終了だ。巨大なカブトムシは密封される。あとは祈るのみ。いつものように窯出しまで、不安まじり、夢まじりの複雑な時間をすごすことになる。だけど今回だけは、レンガ壁の奥に遠ざかる熾きの燃えつきる音を聞いているうちに、特別な感慨がこみあげてきた。それは寂寥感だった。ふさがれた焚き口を見ながら、だれもがぼんやりしていた。寝不足のうえに、肉体労働で疲れ果てているせいもあるだろう。が、それ以上に、「数ヶ月がかりの大仕事」に最後のピースがはまって、自分に空っぽを感じたのだった。今までの時間が、努力が、つくりあげたものが昇華した。最高の達成感はいつも、奇妙な喪失感という副作用をもたらす。窯の中では、自分たちのかけらがふつふつと醸成されている。かぶと窯に炎の生命を吹きこんで、オレたちはバーンアウトした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る