第17話・土殺し

 一個の切っ立ち湯呑みは、さまざまな技術の集合体だ。家を建てるのに、土壌を締め固める技術、水平面をまっすぐにつくる技術、垂直な壁を揺るぎなく築く技術、内装を美しく整える技術などが必要なのと同様に、器成形にもそれぞれの段階できっちりとした技術が要求される。それらをひとつひとつ体得していかなければ、切っ立ち湯呑みはつくれない。それには一足飛びでなく、一歩一歩足固めしていくのがいちばんの近道なのだ。

 最初にクリアすべきステージは、ろくろ成形の準備段階である「土殺し」だ。ろくろ成形を経験したことがあるひとは「そんな作業くらいやすやすとクリアしてみせろ」と思うだろう。とんでもない。なにしろ粘土の量が尋常ではない。陶芸教室で挽いていた1キロや2キロという塊が、ここで使うものに比べるとかけらのように可愛らしく見えてしまう。とにかく最初のうちは、すべての作品が失敗するという前提で挽くので、大量の粘土が必要なのだ。

 さてここで、ろくろのことをなにも知らないひとのために、土殺しという作業を説明しよう。菊練りをすませた粘土をろくろのターンテーブルにのせ、しっかりと接着、固定したとする。しかしその時点ではまだ形がデコボコなうえに、土内部の組成や水けが片寄っているため、いきなり器をなめらかに挽くということはできない。そこで粘土に加水し、ろくろを回しながらこねて、成形しやすくまとめるという行程が必要になる。これが土殺しだ。

 具体的にどうするかといえば、高速回転する粘土に水を打ちながら「上げ下げ」をくり返す。「上げ」は、ろくろにのった粘土の根っこを両手のひらではさんで、そのまま持ち上げるように力を加える。粘土はターンテーブルにしっかりとくっついているので、手の動きにしたがって上にするすると伸び、高い塔になっていく(図2)。逆に「下げ」は、上げで築かれた塔を押さえこんで、背の低い円盤状にする(図3)。この上げ下げ運動をくり返すことによって、土のコリがほぐれて硬さが均等になり、また水気で手の滑りもよくなる。さらに、菊練りによってそろえられた土の目の流れが顕微鏡レベルで整い、回転になじんで、とてもお行儀のいい子になるのだ。なでなでして毛ヅヤを整えてやるようなものだ。それをしつつ、粘土を美しい円すい形にまとめ、ピタリと回転の芯に合わせていく。

 ところがこれがむずかしい。粘土を両手で力ずくにはさみこんでも、ちっとも上に伸びてくれない。指の間からにゅるにゅるとドベがこぼれ落ちるだけ。しかも左右の力のバランスが悪いと、粘土は鏡獅子のように頭をぶんぶん振って暴れまわる。そんなこんなでなんとか高い山を築いても、下げの段階で真上から押さえこむと、背が低くなる前に山頂に穴があいて火口ができてしまう。そこでななめから無理矢理に圧するのだが、ちっともおさまりよく縮んでくれない。こっちがへこめばあっちが飛び出す。そうこうするうちに、目指すシンメトリックな形にはほど遠い、独創性あふれるデコボコオブジェが出現する。いうまでもなく、これは器づくりにはいる前段階の話である。

「こんな作品をつくれというたか?」

 イワトビ先生はここぞとばかりに皮肉をいうが、こっちは真剣だ。笑ってなどいられない。なおも粘土に満身の力をあずけてねじ伏せにかかる、たちまち敗北する、闘う、玉砕する、へこたれる・・・

 いったん変形したものを正常な状態にもどすのは、実にホネの折れる作業だ。その徒労感が意欲までむしばむ。報われない悪戦苦闘で、すぐに上腕や背筋に大量の乳酸を背負いこむはめになった。ドベは容赦なく周囲にはね飛び、その痕跡は、念には念を入れて広範囲に張り巡らせた新聞紙のそのまた場外にまでひろがる。まるで、ろくろの上にブランクーシの抽象彫刻、ろくろの外にジャクソン・ポロックのドロッピング作品、という豪華展覧会。汗まみれ、泥まみれ、へとへと、自嘲、青筋、貧血、腹ペコ。悲惨な状況だ。

 それでも試行錯誤をくり返すうちに、じょじょにコツのようなものをつかんでいった。土の持つ性格がようやく理解できてきたのだ。柔軟な敵は、こちらの力をいなす術を心得ている。渾身のアプローチは土の可塑性の中にとけこんで、するりと逃げていく。もっと効率よく力を伝える方法があるはずだ。もう一度原点に立ち帰るのだ。そして先生のたたずまいを脳裏で再生し、ふと思い当たった。

ー・・・そうかっ、おっさんのガニ股だ!ー

 がばっと開いた両ひざでひじを押し出すようにグリップしてみる。すると無駄な体力を使わなくても、手のひらがペンチのような力で土を噛み、すごい勢いで円すい形が天井に向かって伸びていくことがわかった。芯を食うことが大切だ。ウナギをつかまえるのと同じ要領だ(つかまえたことはないけど)。表面がすべってつかみ所がない以上、的確に背骨を探り当てなければいけない。その急所を突けばいい。奥義を体得すると、やがて粘土の塊は、ギリシャの宮殿の柱のようにまっすぐに立ち上がるようになった。

 また、伸びた柱のアタマを向こう側に倒しこむようにもたれかかると、テコの原理が働いて粘土がするすると簡単に下がっていくこともわかった。その操作ひとつで、柱は太りながら背を縮め、すそ野部分に飲みこまれていく。回転する土を真上から力づくで押さえこむと、柔らかい粘土は四方八方へ不規則に押し出されてへんてこな形になってしまう。しかし土を一方向に倒して圧力の逃げ道をつくってやると、柱は均一な厚みをまといながら素直に下降していくのだ。粘土はドリルのようにうねりながらピタリと芯におさまり、細長く天を突いていた円柱は縮みきってずんぐりとした鏡モチ形にもどっていった。

 上げて、下げる。その一連の動作がすんなりといくとき、あれほどやんちゃに暴れくるっていた粘土が、回転しつづけながらもピタリとブレを止めた。そんなときの粘土の落ち着きようといったら驚くべきもので、梶井基次郎ふうに言えば「高速回転するコマが静止に澄むように」小揺るぎもしなくなるのだった。

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