第18話・成形

 土殺しはなんとかできるようになった。先生のOKをもらい、次のステージである「玉取り」の練習にうつる。今度は体力ではなく、集中力の闘いだ。高く立ち上げた塔の頂点でピタリと中心を合わせ、手のひらの中で湯呑み一個分の粘土の量を決める。量が決まると、そのすぐ下の部分に指でくびれ線をつけ、頭の部分をコロンとした団子状にする。この作業を玉取りという。土殺しから玉取りまでは、高速回転の中でよどみなく行われる。

 図4

 ろくろ挽きは通常、大量の粘土全体を一気に土殺ししてから、てっぺんで小さく玉取りし、その部分だけを使って一個の器を挽く。成形後、器は(つまりくびれから上の部分は)切り離して、長板などの上で乾燥させる。そしてろくろ上の作業は、再び土殺しにもどる。同じ山を使って何度も土殺しをし、玉取りをし、成形し、切り離し・・・をくり返し、土山がチビて玉取りできなくなるまで連続して挽いていくのだ。

 器一個分の粘土を正確に玉取りすることができれば、何個挽いても完成品の大きさはそろうことになる。逆に言えば、この分量が異なっていると大小さまざまな器ができてしまうし、結果的に同じ口径と高さに挽いたとしても、厚みに差が出ることになる。だからそろいものをつくるとき、玉取りを等量にする技術は欠かせない。

 玉取りした粘土の姿は、お寺の擬宝珠か日本武道館の屋根のてっぺんを想像してもらえばいい。あるいは「ネギ坊主」と言ったほうがわかりやすいか。とにかく、その頭部分をピッタリ同じ大きさにする訓練がはじまった。

 切っ立ち湯呑みをつくるには300gが適量で、玉の大きさはちょうどみかんくらいになる。自分の300gの基準を感覚神経に記憶させるため、みかんを頭に描いては玉を取り、塔から切り離して、その都度キッチン計りで計量した。270~310gが目標だが、なかなかアベレージがそろわない。例によってくり返しくり返し、みかんをつくっては切り離し、量ってはつくり直す。

 またこのステージは、素早く、かつ水平に「切り離す」練習も兼ねていて、切り口がほんの少しでもななめだったり波打っていたりすると、次には進めない。直径8cmほどもある土の首を、長さ12cmしかない切り糸で切断するのは至難の業だった。しかも敵は高速回転している。切り糸を素早く巻きつけ、食いこませ、糸の先が一周してもどってくる次の瞬間にはもう引き抜く。その間、コンマ1秒といったところ。まさに必殺仕事人、電光石火の居合い抜き。しかも正確に水平方向に引かないと、断面の入り口と出口がずれてななめになり、長板に並ぶみかんがあちこちに首をかしげることになる。その大きさがまたまちまちときているものだから、目も当てられない。一目瞭然にへたくそがバレてしまう。一刻も早くこの屈辱のステージから脱出しようと必死だった。

 こうしてつくられた土玉は、ろくろのかたわらに置かれた長板に50個、100個と積み上げられ、のりきらなくなると、バスタブと見まがう巨大な共用バケツに廃棄された(そして回収後に粘土として再生される)。

 やがて切断面にためらいキズがなくなり、ろくろの上で300gが安定して取れるようになると、その玉を皿の形にする「皿割り」のプロセスにはいる。割るというよりは、むしろ開くと表現したほうがいい。土玉の中心に両手の親指を突き入れ、そのまま左右にぺろんとむくのだ。息をつめて、ワンアクション。するとベーゴマ型のぶ厚いせんべいができる。この作業には、湯呑みの見込み(内底)部分の土を締め、乾燥時のワレを防ぐ意味がある。

 図5

 さらに「つぼみ」。開いた皿のへりを内側に折り畳んでつぼませ、ぐい呑み型にする。もちろんこれもワンアクション。見込みのすみの立ちあがりを殺し、土を伸ばす方向を定める行程だ。これによって湯呑みの直径が決定する。背丈を伸ばしさえすればできあがりという「器形のベース」ができたわけだ。完成時の大きさと形状もイメージしやすくなる。

 図6

 最後に「引き上げ」。ぐい呑みの側壁を薄く高く伸ばし、底部の立ちあがりから口べり(つまり下から上)までを均等な厚みに仕上げていく。ぶ厚い土を根っこのところでガツッとつまんでペラペラにし、ひと息に垂直にのし上げるのだ。左手一本で。これが超~難関。通常、指で圧して薄くのされた壁面は、遠心力によって外側にひろがろうとする。しかし切っ立ち湯呑みは下から上までまっすぐ同径の筒形なので、外へ外へと開きたがる土を上へ上へと運んでやらなければならない。そのために 土を指先でつまみ、一気に引っこ抜くような無茶な動作となる。

 図7

 切っ立ち湯呑みの口径は、大人の手のひらがおさまらないほどせまい。その上、見込みは指が届かないほど深い。だからこそ、やり直しのきかない一発勝負なのだ。息を殺し、深爪につんだ指先を立て、ずんぐりとした土の厚みを紙のような薄さにしぼっていく。何度も言うが、左手一本だ。強引すぎればちぎれるし、弱すぎれば厚みが残って高さが足りなくなる。土が耐えられる限界ぎりぎりの力でプレスする。ゴツい粘土塊がローラーを通ってペラペラにのされていく場面を想像してもらえればいい。ぐい呑みのぶ厚さは指先の圧力を通り抜けて面積となり、湯呑みの高さと薄さに変換される。背の低いぐい呑みが湯呑みの高さにまで一呼吸で引き上げられる場面は、幼虫が羽化して蝶になるシーンを彷彿させる劇的な変態だ。

 以上五行程が、切っ立ち湯呑みづくりの全ステージだ。これを一コマずつ、先生に「クリアした」と認められた者から先に進んでいく。書くのは簡単、しかし実際は艱難辛苦のハードル走だった。慣れてきたらできるようになるというものではない。ひとつのステージをクリアするのに一週間以上かかることもある。それだけに、ひとつのハードルを越えたときのよろこびは大きかった。

 ただ、結果できるようになることも重要だが、その操作の完成型を見つけるまでの過程こそが意味を持っている。運動のひとつひとつを解体して分析し、吸収していかなければ、理屈と感覚の両方を自分に叩きこむことはできない。また、考えナシに技術を獲得したところで、そこからの展開もない。小手先の技を覚えても、それだけならただの芸になってしまう。操作と土の反応との連動を理解しなければ意味がないのだ。逆にこの法則性を焼きつけておけば、以降はなんでもつくれるということになる。

 ひたすらに自分を閉じて考え、手を動かしつづけた。同様の作業をくり返し、くり返し、くり返し・・・気が遠くなるほどさんざんくり返す中で、しかしオレはやがて、これは反復ではない、と気づいた。その相似したひとつひとつの運動は、実は同じものではない。外から見て毎回同様に思えるその運動の一単位の中に、おびただしい種類の試みが織りこまれているのだ。指の使い方、からだの使い方、目の据え方、力の入れ加減、それに対する土の応答・・・データ収集と発見、仮説、そして膨大な実験が積みあげられる。失敗と克服、ある部分の達成とある部分の後退、小さな成功と新たな疑問・・・

 終了のチャイムが鳴ってはじめて、はたと我にもどった。すると、すでに周囲のクラスメイトは掃除とあとかたづけを終えかけている。「お疲れさん」な空気とゆるいさんざめきの中、いつまでも実験に没頭していた自分を見つけるそんなとき、ああまた今日も、と失望したくなった。それでも、一日を費やしたあげくに得たわずかな成長の手応えが自分をはげました。おそろしく濃い密度で毎日をすごし、小刻みに前進した。

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