第16話・ろくろ訓練

 ろくろの授業で最初にだされた課題は「切っ立ち湯呑み」だった。平らな見込み(内側の底)から壁面が90度に立ちあがる、円と直線だけで形づくられた湯呑みだ。底が閉じたシンプルな筒形を想像してもらえばいい。サイズは、口径と高さはもちろんのこと、重さと厚みもピタリ数字で指定される。

「この図面に示した切っ立ち湯呑みを、とりあえず何個でもつくれるだけつくりなさい」

 製品のサイズをそろえる技術と、グラムやミリ、センチという数値の基準を感覚的におぼえるのがテーマだ。

 イワトビ先生は制作の手順を説明した後、デモンストレーションに自ら何個か挽いてみせてくれた。その技術は衝撃的だった。クラス中にどよめきが走り、だれもが目を見張った。オレは陶芸教室で、手に負えないろくろの暴れっぷりにさんざん辛酸と屈辱をなめさせられたが、イワトビ先生の手技は文字通りに自由自在だった。高速回転するろくろの上で粘土を従え、やすやすと操り、のびのびと立ちあげ、深々とひれ伏させ、たちまち芯にまとめてみせる。静止するように落ち着いた粘土は(もちろん高速で回ってるのだが)、指先になでられるままに開き、つぼみ、ペラペラに伸びあがり、ものの20秒ほどで完璧な切っ立ちの姿に仕上がった。

 先生は背をまるめ、寡黙にろくろを回しつづけた。解説することは二度とはない。「盗め」というやつなのだろう。ただくり返し、切っ立ち湯呑みの形を挽きつづけるだけだ。何度やっても、立ちあがった筒形はピタリと同じ大きさに整い、長板に並んだそれらはまるでオートメーションで生まれた量産品のように均一だった。鈍重なただの土くれが、何回転かする間にたちまち端正で華奢な形に起きあがるそのさまは、まるでマジックショーでも見ているかのようだった。

 そのマジックは何度見ても圧倒的で、ショーが終幕すると、作業場内で時ならぬ拍手が起こったほどだ。ところがそんなやんやの喝采をあびつつも、あまのじゃくのマジシャン氏は無反応。

「じゃーみんなもやってみて。散った散ったー」

 すまし顔に言い放つのみだった。そして手のひらを返す仕草で解散のシッシをしつつ、そそくさと逃げていく(照れてるのだ)。しかし彼が残したろくろの周囲にただの一粒も水滴が飛んでいないのを見て、オレたちはまた戦慄を覚えるのだった。職人芸のすごみを生まれてはじめて目のあたりにし、先刻からの不安を打ち消すほどの勢いで腕がうずきはじめた。そして、卒業時には絶対にこのひとよりもうまくなってやる、と、心の中でそっと無茶な誓いをたてた。

 菊練りをすませた土塊を手に手に、訓練生たちは自分の愛機へと散った。作業場に並んだ32台のろくろがいっせいに動きはじめる。空気がピンと張りつめ、プレハブ内には、鈍くくぐもったモーターの振動のほかに聞こえる音はなくなった。

 オレも周りの連中に負けまいと、粘土をセットアップした。待ちに待ったろくろの始動だ。胸が高鳴る。ドベ受けのかわりに周囲に巡らせた新聞紙のおかげで、遠慮なく泥も飛ばせる。思いきってアクセルを踏みこみ、格闘開始!ところが・・・

ーひ・・・挽けない・・・ー

 手のひらの中で時計回転方向に回りはじめた土の感触に、逆回転でろくろを覚えたオレはあらためて戸惑った。感覚的にまるで正反対の対応を強いられるのだから、当然だ。運動神経が完全に混乱をきたして、酔っ払いそうだ。

 さらに、あることに気がついた。オレは右利きなのに、この回転方向だと、大半の作業を不自由な左手で行わなければならないのだ。

 目の前のテーブル上に円運動を思い起こしてほしい。その回転には、こちらに向かってくる流れと、あちらに送り出す流れがあることがわかるだろう。時計回転でいえば、右サイドが向かってくる側、左サイドが送り出す側だ。さて、その回転するターンテーブルに粘土をのっけ、手による圧力と抵抗で形を変えていくのがろくろ成形だ。器はこうして形づくられる。そして成形の大前提として、回転中の粘土は必ず送り出す側で触れなければならない。時計回転でいえば、左サイドということになる。流れに逆らって右サイドを、つまり向かってくる側を触れば、カウンター的抵抗が器に過分なストレスを与えてしまう。せっかくそろえた土の目にも逆らうこととなり、言葉どおりに「逆鱗に触れ」て無理がかかる。すると器は機嫌をそこない、たちまち安定を失ってしまう。だから時計回転でろくろを挽く者は、送り出す流れである左サイドでアプローチするのが基本なのだ。これが成形作業を左手で行わなければならない理由だ。

 ちなみに昔の瀬戸の作家は、右手で手ろくろを回しながら、左手一本で器を挽くこともあったという。まるで曲芸だ。しかしこちとら右利きのろくろ一年生。慣れない左手使いはおぼつかない。

ー・・・それでもやるしかない!ー

 オレは自ら立てた目標を思い出した。

ー右回転でも左回転でも思いのままにろくろを操れる男・スイッチロクラー・・・ー

 何度聞いてもかっこいいキャッチフレーズだ。その優雅な響きで気合いを入れ直し、あらためて土に向かう。

 さて、クラスメイトたちのろくろスタイルはさまざまだった。実力レベルも相当の広域に散らばっている。まったくろくろを動かした経験がないというズブの素人も多少いるし(オレもこれに近い)、逆に、すでに製陶所などの現場で相当の実績をあげてきた達人もどきも数名いる。モチベーションの拠り所もさまざまだ。窯元の跡継ぎというサラブレッドもいれば、食うに事欠いて職安でここを探し当てた切実求職者もいる。世界を獲ってやろうと目をギラつかせた野心家も、学校生活を一年間のお小遣いつきバケーションと勘違いしているお気楽ちゃん(に見えるひと)も、すべて一緒くたに混在している。ありとあらゆる人種が多様なチャンネルをへて、北は北海道、南は沖縄から入校してきているのだ。クラスは、身の上を聞いてみれば、キャリアも職歴も卒業後の目的もバラバラの寄せ集め所帯だった。

 一律に職人を育てるとはいっても、これではまとまりがつかない。ベースに持っている基礎力がまちまちなのだから、いっせいに等質の教育を・・・なんてのはいかにも乱暴だ。そこで先生は、切っ立ち湯呑みをつくるプロセスを細かく分け、ひとつひとつの局面をクリアできた者から順に次の段階に進む、という方法をとった。いわば能力別指導、もっとわかりやすく表現すれば「うまいひとじゅんぐりいち抜け方式」である。早くうまくなれば、どんどんステージを上がって高度な技を教えてもらえる。しかし成長が滞れば、いつまでも同じ作業を反復しなければならない、というわけだ。

 平和なクラスにはじめて持ちこまれた競争の概念。望むところだ。オレはいっそう燃えた。

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