第15話・スイッチロクラー

 学校の授業は、ついにろくろを使う段階にはいった。本格的な職人としての修行がいよいよはじまるわけだ。

 陶芸教室に通っていた前年までは、シーサーなどのバカバカしい工作品や手びねりの器を中心につくってきた。ろくろに手をつけたのは、訓練校を受験する直前の半年間だけ。しかも月に2~3回程度、「学校にいっても恥をかくまい」という程度の意識で回していたにすぎない。その頃は技術的なことをだれに教わるわけでもなく、見よう見まねで、ただ慣れるだけのためにろくろに向かっていた。完全な付け焼き刃だ。これで職人になろうというのが無鉄砲な話だが、とにかく自分としてはできるだけの準備はしてきたつもりだった。

 ろくろ訓練の日がきて、生徒一人ひとりに愛機(自分専用の電動ろくろ)があてがわれた。ハイパワー&ハイトルクの重厚なしろもので、これで挽く巨大な作品を思うといよいよ緊張感が増した。しかし「腕が鳴る」という以前に、「ブザマをさらすまい」というレベルの決意が先行してしまう。ろくろを楽しもうなどという心持ちになるには、自分はあまりに経験が浅すぎる。

 そんな不安の中、ろくろの前にすわってみると、さらに追い打ちをかけるかのような驚くべき事実が発覚した。このプロ仕様の愛機には、

ーげげっ!まさか、ドベ受けが付いてない・・・!?ー

のだった。

 ヘタッピが水をじゃぶじゃぶ使ってろくろを挽くと、大量の泥っぺたが飛び散るため、その泥をターンテーブルの脇と下で受ける雨ドイのような受け皿が必要となる。つまりシャンプーハットのようなものだ。これをドベ受けというのだが、そいつがどこにも見あたらない。この機の構造は、使用者がドベを飛ばすことなど想定もしていないようだ。それは静かで重いプレッシャーだった。つまり、周囲を汚すことなく、むき身で高速回転する円盤上の土と泥水とをコントロールせよ、と言われているも同然なのだから。だが、オレはド素人。そんなことをすればどんな惨状になるかは想像に難くない。「キャ~ッ」「うわー、なにすんねん~」というとなり近所の阿鼻叫喚や、「こら~っ!」「や~ん、高かったのに~」というひんしゅくの声が今にも聞こえてきそうではないか。無様をさらすどころの話ではない。自分もまわりもグチャグチャびしょびしょ泥まみれ。そんな猟奇事件の現場のような光景がリアルに脳裏に浮かび、ぞっとする。

 本当にこんなマシーンを操れるようになるのだろうか?挽きたくてウズウズする反面、心中は恐怖心と悲壮感でいっぱいだった。だが、売られたケンカを買わないわけにはいかない。

−ばっきゃろう。汚れがなんだ。がんがん回して攻めてやるぜー

 逆に腹をくくった。シャンプーハットは卒業だ。

 さてろくろの指導は、イワトビ先生が担当する。下町ふう職人気質なおっちゃんだ。小柄で機敏、磨きたてたメガネの奥にするどい眼光。風体はイワトビペンギンそっくりだ。このひとのレトリックのほとんどは皮肉で構成されていて、周辺3m圏には取っつきにくい結界が張りめぐらされている。クセのある人物だが、それでも指導能力とろくろの腕前には信頼がおける。どっちにしてもこのひとを信じてついていくしかない。オレはいつになく素直な態度で、うまくなるまでは無言で従おうと心に決めた・・・はずだった。

 ところがいきなり問題が起こった。最初の授業のひと言め、イワトビ先生はこんな言葉で切りだしたのだ。

「ろくろは時計回転で挽いてもらいます」

 オレはギョッとして、思わず手を挙げた。

「ちょ・・・ちょっと待ってください先生!オレ、今まで時計と逆回転で挽いてきたんですけど・・・」

 10回やそこらしかろくろを回したことのない一夜漬け男が「今まで挽いてきた」とはおこがましいが、とにかくオレの手はそっち回転で慣れてきたのだ。

「逆回転で挽かしてもらっちゃまずいッスか?」

「あかん。逆回転だと教えられんことが出てくるから」

 右バッターが、今日から左打席で打て、と言われるようなものだ。そのときのオレの困惑を想像してみてほしい。せっかく覚えたろくろ技術を、以後は鏡に写したようにさかさに操作しなければならないのだ。これでは今までに得たものをすべて捨て、スタート地点に連れ戻されるのと変わりがない。感覚的にも相当な混乱があるはずだ。生まれながらにひとの利き腕が決まっているのと同様に、挽きやすいろくろの回転方向も生まれながらに決まっていると信じこんでいたオレは、先生の指導がひどく乱暴なものに思えた。しかし、やりやすい回転でやらせてほしい、と再度訴えても、

「余計なクセが一掃できてちょうどええやないか」

と、イワトビ先生はまともに取り合おうとしない。

「どうせヘタなんやから、直したらええ」

 カチンときたものの、その言葉は説得力をもっていた。たしかに一理はある。いや、まったくの正論だ。そうだった。この学校では、自分を壊して再構築するのが目的なのだ。

ーうまくなるためには、このひとの命令をきくしかないのか・・・ー

 悔しいがついには引きさがり、言われた通りにやろう、と譲歩した。

ーまてよ・・・!ー

 だけどものは考えようだ、と、あきらめと同時にオレはふと思い返していた。太陽センセーがこんな話を聞かせてくれたことがあるのだ。

 「瀬戸もの」と「唐津もの」、この二種類(西日本と東日本で呼び方が変わる)が、日本国内に流通する「器」をさす主な呼び名だが、ろくろにも二種類の挽き方がある。むかしむかし、瀬戸は中国系の「手ろくろ」を採用した歴史があるため、成形は右回り。唐津は朝鮮系の「蹴ろくろ」を使っていたため、左回りが主流なのだ、と。手ろくろは、石臼のような重いターンテーブルを、棒を使っておもいきり回す。遠心力を使って回りつづけているうちに、器を挽ききってしまうのだ。右利きの職人が回すと、もちろん右回りになる。一方、蹴ろくろはターンテーブルの軸を足の裏で蹴って回すため、右足で前方に蹴り出すと左回りとなり、逆に蹴れば右回りとなる。右回りで挽いて左回りでケズるのが本式、という論もあるが、右足利きのひとは左回りになりやすい。

「文化によって、ろくろのまわる方向もちがってくるというわけじゃ」

 なるほど。瀬戸の作家であるイワトビ先生は時計回転(右回り)でろくろをあつかう。一方、太陽先生は唐津の系譜を継いでいるので逆回転(左回り)で挽く。そこでオレは、画期的に発想した。

ーどうせならふたりにろくろを習って、左右どっち回転でも挽ける器用なひとになってしまおうー

 どちらにもそれぞれに合理的な意味があるはずなのだから、それを探るのも面白い。なによりも、右回りでできることとできないこと、左回りでできることとできないことがあるというのなら、その両方を合わせればかなり万能になれる。まさにおいしいとこ採りだ。

 こうしてオレは、学校では時計回転でろくろを挽き、アパートの部屋では(のちに電動ろくろを購入すると)逆回転でろくろを挽き、「どっちでもまかせとけ」な両利きろくろ名人を目指すことにした。スイッチヒッターならぬ、スイッチロクラー。なんだかかっこよさそうではないか。

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