桃色ホームラン

 待ちに待った瞬間がついにやってきた。

 本日購入した念願の低反発マットを早速ベッドの上に敷いたところだ。

 これまで非常に寝心地の悪いベッドだったが、これで病院のベッドと同じく天国のような安眠を得られるだろう。

 さあ寝よう。別次元の快眠を体現しよう。そう思ってマットの上に寝そべろうとしたときだった。

 不意に卓袱台の上に置かれた携帯電話が着信音を鳴らしだす。

 時刻は二十三時過ぎ。

 こんな時間に電話をかけてくる相手に心当たりはない。

 画面を確認した限りでは非通知。おそらく悪戯や詐欺絡みの電話だと思われるが、一体誰が俺の就寝を邪魔してきたのか少し興味がある。

 もしくだらない内容だったらボロクソ言ってやりたい。

 端末を耳に当て、躊躇いもなく通話に出た。

 だが、電話をかけてきたのは……

「こんばんは月読くん。ご機嫌はいかがですか? 私です、朝倉です」

 朝倉だった。

 こちらの電話番号を教えた覚えはないが、おそらく医師か教員としての立場を利用して俺の個人情報を拝借したのだろう。

 本来なら医者が患者の個人情報を確認して電話をかけたところでなんの問題もないが、相手が朝倉だと考えれば、それだけで頭を抱えたくなる。

 そもそも非通知でかけてくること自体がおかしい。

 ご機嫌はいかがですかだって?

 答えはもちろん決まっている。電話口に思いきりぶつけてやろうじゃないか。

「ご機嫌は最悪だ。いま警察に通報してやろうかと本気で思ったよ」

 と冗談一割、本気九割くらいの強い口調で返した。

 それに朝倉はいつもの剽軽なペースで、

「失礼ですね、私はれっきとした先生ですよ? その立場を利用し、生徒に要件を伝えるために電話をしてなにがいけないんです?」

「なんだよ要件って、ろくでもない話じゃないだろうな?」

 こちらがげんなりしながら聞くと、朝倉は軽いトーンのまま、

「ええ、ろくでもない話です。先ほどこの町に悪魔が出没したようなので、≪月の影≫とかいうあなた方五人の力でなんとかしちゃってください。場所は月見ヶ丘高校の校門前です」

 急になにを言い出すかと思えば、相変わらずめちゃくちゃな内容だ。真実かどうかすら疑わしい。

「あんた悪魔祓いが専門なんだろ、なのに学生の力を借りるのか?」

「はい。私はいま動けないので是非ともあなた方の力をお借りしたい。なお、ほかの皆さんはすでに向かわれてますが、月読くんが行きたくないと仰るのなら行かなくてもいいんですよ……大丈夫、結果的に誰かが死んだとしても月読くんを責めたりはしませんので」

「え……」

 そこで通話は終わった。

 こちらがなにか言い返す隙もなく問答無用で通話が切られた。

「おい待て、俺以外の奴はみんな悪魔討伐を快諾したというのか?」

 部屋で一人、誰に聞くでもなく問を投げるが、もちろん返答などあるわけがない。

 彼らが本当に悪魔討伐に向かったかはわからないし、事実確認をしようにも、隼人たちの連絡先はまだ聞いていないのでそれも不可能。

 隼人や櫛田がなにかしらの超能力を有しているという話は以前聞いたが、悪魔に太刀打ちできるという保証はどこにもない。

 少し前にピノテレスという悪魔と戦った俺だからわかる。夜中にあんな怪物と戦うなんて自殺行為だ。

 もはや迫られた選択肢は一つ……

 最悪の事態だけは絶対に回避しなければならない。

 俺は薄着のまま急いで部屋を出た。

 隼人たちが悪魔に殺されてしまう前に、なんとしてでも月見ヶ丘高校に着かなければ。

 夜道を走ること数分、月見ヶ丘高校の校門が見えてきたので周囲を警戒しながら進む。

 この周辺は居住区ではないため、夜になるとほぼ真っ暗だ。たまに街灯が立っているが、かろうじて足元が見える程度の明るさしかない。

 こんな暗い場所で悪魔と戦うなんてやはり無謀に思える。

 そして、息を切らしながら校門前まで来ると、すでに隼人、櫛田、越前、さらには比奈までもが集まっていた。

 全力疾走の反動で息を荒くしていた俺に対する比奈の第一声は、

「遅いですよセンパイ」

 続いて越前が不貞腐れた表情で苛立ちを見せながら、

「君が来るのを十二分以上待っていたんだ。なにか弁解はあるかな?」

 なぜか待ち合わせの時間に遅れてきたみたいな扱いを受けているが、ひとまず一度呼吸を整えてから弁解するとしよう。

「文句は朝倉に言ってくれ」

 うん。これほど納得のいく弁解もそうそうないだろう。

 それにしてもこちらも気になることがあるのだが……

「というかなんで比奈がいるんだ? ≪月の影≫は超能力者の集いじゃなかったか? こいつはなんの能力も持っていないはずじゃ……」

 それに隼人が瞬時に答える。

「細かいことは気にすんな、比奈たんは俺たちが全力で守り抜きゃいいんだよ」

 と、緊張感の欠片もない様子で言うものだから、これは厳しく言い聞かせる必要がありそうだ。

「簡単に言うなよ。いくら俺たちに超能力があるからといって悪魔と戦うのは危険だ」

「なに怖気づいてんだ?」

 隼人が煽ってきて、それに便乗するように越前も、

「僕を見くびらないでくれるかな。悪魔と戦うのが危険? 君が素手で倒せるような相手に引けを取るわけがない」

 さらには櫛田すらも、

「私たちには太陽光照射装置ポータブル・ソーラードライブもあります。悪魔なんて最初から敵ではありません」

 悪魔のことをこれっぽっちも危険視していない。

 危なっかしい彼らの言動に思わず大きなため息が出る。

 そして櫛田が格好つけたような謎ポーズで手に持っている小型の懐中電灯を半眼で見ながら、俺は呆れるしかなかった。

「なにかと思えば朝倉から渡された懐中電灯のことか……確かに悪魔は光に弱いらしいけど、所詮はただの懐中電灯だぞ? そんなものに命を預けていいのか?」

 それに櫛田は頷き、

「はい。こちらは五人もいるのですよ? 悪魔なんて敵ではないでしょう」

 まるでわかっていない様子だ。

 閃光弾ならまだしも、狭い範囲しか照らせない懐中電灯なんて、五人で上手く運用したとしても死角が多い。

 だが、状況は思っていたより悪くはない。なぜならまだ悪魔と遭遇していないからだ。

 朝倉が言うにはこの近辺に出没したらしいが、いまのところ姿は見えない。早いところ隼人たちを説得してここから離れてしまえば犠牲者は出ないだろう。

 というわけで、彼らを誘導するためのなにかいい方便を考えなくては……

『試してみる?』

 答えを出す前に頭上から女の子の声が降ってきた。

 見上げると、電柱の天辺で月明かりに照らされている人影が見える。

 電柱についた防犯灯の光に邪魔され細かい容姿まではわからないが、シルエットで人間じゃないということだけはわかる。

 そいつは少女の声で再び語りかけてくる。

 声に怒りなどの感情は感じられない。まさに余裕たっぷりという感じの口調で、

「悪魔が敵じゃないって言ったよね? 喧嘩売ってるでしょ」

 そう言って声の主は電柱から飛び降り、俺たちの前に着地した。

 防犯灯に照らされた彼女は一目で悪魔だとわかる容姿をしており、身長や体格は小学生ほど。丁度比奈と同じくらいだろうか。

 頭部と左腕にはそれぞれ薄いピンク色をした螺旋状の甲殻がつき、片方の目はその甲殻で隠れて見えず、一つだけ見えている瞳は赤く虚ろだ。

 肌は全身真っ黒でピノテレスのように光沢のない淀んだ黒。後頭部付近から出ているピンク色のジェル状の物質が全身にまとわりつくように広がり、さらに体から枝分かれしたトゲのようなものが数本生えている。

 きっとほかのみんなも一瞬にして理解しただろう。こいつが悪魔であると。

 そして悪魔から放たれる異様なプレッシャーに気圧されているはずだ。

 そのはずなのだが……

 比奈の第一声は、

「出ましたね。悪魔だけは許さないです!」

 という勇ましいものだった。

 以前ピノテレスに操られていたことを相当根に持っているらしい。臆することなく悪魔に向かって懐中電灯を向けて、そのまま高出力の閃光を悪魔に浴びせていた。

 朝倉が対悪魔用に渡してくれたものなだけはあり、市販の懐中電灯と違ってやはり眩しい。つい瞼を閉じてしまうほどの強烈な光だ。それはもう太陽光線なんて比べものにならないほどの。

 これなら悪魔はひとたまりもない。

 心配していたのが馬鹿らしく思えるほどあっさりと決着がついてしまった。

 閉じていた瞼を再びあける頃には悪魔の肉体は綺麗さっぱりなくなっているだろう。と、懐中電灯の光が消えたのを見計らって目をあける。

 瞬間、俺のすぐ横をなにかが高速で通り過ぎ……いや、滑空していったのが見えた。

 あまりに一瞬すぎてそれがなんだったのか確認できなかったが、俺は二つの事実に気づく。

 まず、少女型の悪魔は無傷だ。ピンピンしている。

 光を当てれば消滅するはずだったのだが、全く効果が見られない。

 そしてもう一つ、比奈がいないのである。

 さっきまで俺の前に出ていた比奈の姿が見えない。

 ということは……

 おそるおそる背後を振り向き、先ほどなにかが飛んでいったとされるほうへ視線を送る。

 十数メートルくらい離れた場所に俺たちの身長の二倍はある黒い壺のような塊が道の真ん中に鎮座していた。もちろんさっきまでそんなものはなかった。

 そしてその黒い塊は上部についている口と思しき器官で比奈を頭から丸呑みにしている最中だ。

 続いて聞こえる櫛田の悲鳴。

 さっきまでの談笑が嘘のように状況が一変した。

 頭の中は真っ白になり、なにをどうしたらいいのかわからない。

 比奈の生死は不明。助けに行くべきなのか諦めるべきなのか、そもそもこの場所を離れたら今度は隼人たちの命が危ないのではないか。

 ここから逃げるにしても俺が足止め役を買うほうがいいのだろうか? 本当にどうしたらいいのかわからない。

 そして言葉を失っている俺たちの後ろから陽気な声が。

「ホームラン! ちょっと強く飛ばしすぎちゃったかな」

 少女型の悪魔が可愛らしい声音を発しているが、この状況では恐怖を誘う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る