月の影
どう見ても不自然だ。
ホラー映画のアンデッドよろしくグロテスクな見た目だった右腕が、いまや火傷痕にしか見えない。
ほかの人が見たらどう思うだろうか?
まず超常現象の一種であることは簡単に見抜かれてしまう。
ならばやることは決まっている。
保健室を物色して発見した大量の包帯。これで右腕をグルグル巻きにして、怪我の容態を偽ろうというわけだ。
もはや入院したほうがいいのでは? なんてツッコミが来そうなほど厚く包帯を巻き、俺は満足げに保健室から廊下に出た。
丁度そのときだ。
一人の男子生徒が待ち伏せでもしていたかのような絶妙なタイミングで声をかけてきた。
「よお月読、右腕の具合は良さそうだな」
少しふわっとした髪に、気だるそうな瞳。制服をだらしなく着込んでいるこの生徒には見覚えがあるが……
いまなんと言った?
最低でも骨折しているように見えなきゃおかしいほど包帯が巻かれているにもかかわらず、具合が良さそうだと言ってきた。
まさか包帯の量がまだ足りないとでもいうのか? それとも皮肉のような意味合いでも込められていたのか?
そしてこいつは気取ったようにこう続ける。
「まさか俺のこと覚えてないのか? お前の後ろの席に座ってる
いや、こいつが梛隼人という名前の生徒なのは知っている。加えて関わり合いになれば面倒なことになるというのも薄々感じ取っている。
まさにその心配は一秒後に的中してしまう。
隼人は声のトーンを落として、ニヤつきながら囁く。
「さっきの話、全部聞いてたぜ。お前も能力者なんだろ?」
「立ち聞きかよ、趣味が悪いな」
「仕方ないだろ? お前と先生が馬鹿でかい声で話すのが悪い。安心しろ、一応俺も能力者だ。誰かにバラしたりはしない」
と言われてもこいつの言動のいちいちが軽々しく見えるため、いまいち信用できない。
いまのところ自称能力者にしか見えないのである。
「本当かよ? だったら証拠を見せてくれ」
「それは無理だ」
隼人は堂々と即答し、さらに話を自分勝手に進めていく。
「俺の能力はここでは使えない。そんなことより、あの朝倉って先生は何者なんだ?」
「俺が知りたいよ。悪魔祓いが専門とか言っていたが、実際どうなんだか」
「となると祓魔師ってわけだな……そういやお前さ、幽霊都市の秘密について知りたくはないか? 実は耳寄りの情報があるんだ」
幽霊都市とは封鎖された二十日町のことだが、俺が二十日町に対して関心を寄せていることをわかって言っているようだった。
一見すると疑わしい話ではあるが、色んな場所にズカズカと首を突っ込んでいそうなこいつなら幽霊都市に関する情報をなにか掴んでいる可能性はある。
半信半疑ながらも耳を傾けることに。
「一体なにを知っているんだお前は」
「さー? それが知りたいんなら、俺についてきな」
興味を駆り立ててくるような口振りでそう言っては、おもむろに廊下を歩き進み始める。
だが俺はその場から一歩も動かずに隼人の背中に向かって、
「どこに行く気だ。授業はどうする?」
それにナギハヤは立ち止まらずに背中を向けたまま返す。
「バーカ、いまは昼休みだからあと数十分は時間が取れる。いいから黙って俺についてきな」
四の五の言わずについてこいと言わんばかりに歩くスピードが少し早まった気がするが、それでも俺は隼人を追いかけようとはせず、
「もう昼休みなのか。それなら先に昼食が食べたい」
「あー、だったら極上ステーキを食わせてやる」
そして次第に距離が開いていき、距離に比例するようにお互いの声量も増していく。
「本当か? それは楽しみだ……って、そんなわけあるか! どこでそんなものが食えるんだ」
「知らねーのか? 学食のメニューにはステーキ定食が……」
「学食は来週から、だ。まだやってない」
「そういやそうだった……なら来週学食始まったら奢ってやるから、いまはとりあえずついてこい」
「その約束忘れるなよ? ステーキ定食奢ってもらうからな」
結局俺は隼人のあとを追いかけた。
それから校内を歩くこと十分。生徒数が二千五百人を超えるマンモス校なだけはあり、目的の場所に到着するのにそれほどの時間を要した。
連れてこられたのは現在使用されていないはずの校舎の最上階、三階の端にある教室の前だ。
「なんでわざわざこんなところに俺を連れてきたんだ?」
「そいつはな……」
隼人はスライド式のドアを豪快にあけ放ち教室の中に手を向ける。
「ここが俺たちの拠点だからだ」
教室は未使用かと思いきや、室内には学校に相応しくないモダンな家具や本棚が置かれていた。
壁面にはロッカーが三つ鎮座しており、なにかの部活動で使われている部屋のようにも見える。
ふとソファーに座っていた一人の女子生徒と目が合う。
キャメル色のブレザーを着たボブカットの少女、こちらが話しかける前にその子のほうから大人びたおっとりとした口調で話しかけてきた。
「新人さん? 初めまして、私は一年生の
「は、初めまして、俺は二年の月読御言」
こちらもつい仰々しく返してしまう。
続いて隼人が改まって、
「月読、お前を歓迎する……ようこそ、異能力者特殊秘密機関、≪月の影≫へ」
「特殊秘密機関……? なんだって?」
目を点にしながら聞き返すと、隼人は誇らしげに演説を始める。
「≪月の影≫は異能を持った月見ヶ丘高校の生徒によって構成された秘密組織。月見ヶ丘町を守る任務を人知れず請け負っている。幽霊都市に巣食う化け物がこの町に現れないのがなぜかわかるか? 俺たち≪月の影≫が撃滅してるからだよ」
言ったあとで櫛田がすかさず言葉を付け加える。
「という設定です。確かに私たちは超能力を保持していますが、実際のところ事件事故を解決したことなんてないんですよね」
それに隼人は若干キレ気味になり、
「おい櫛田、設定ってなんの話だ?」
だが、櫛田は悪戯っぽく笑い、そのままこちらへ耳打ちを続ける。
「ナギハヤ先輩は超能力をどうしても有効活用したくて秘密組織という設定のサークルを始めたんです。学校に了承は得ていませんし、この教室も無断で使っているので見つかったらまずいんですけどね……メンバーは現在、月読先輩を含めて四人です」
「ちょっと待て。いつ俺がその≪月の影≫に加入するって言った?」
俺は幽霊都市の話を聞きに来ただけでオカルトサークルになんて興味はない。
もし加入させる気でいるなら、いまの態度で理解してもらえたはずだ。俺はそんな組織には入らないと。
しかし、隼人は俺の肩をがっしり掴むと、満面の笑みでこう告げる。
「異能を持った奴は誰だろうと強制参加だ。従わない場合は、お前が必死に巻きつけた包帯をクラスメイトの前でパージしてやる。そうするとどうなるかわかるよな? お前の驚異的な回復能力が世間に露呈することになる……つーわけで、よろしくな」
「よろしくな……じゃねえよ。お前がそんなことをした日には、この教室を無断で魔改造して使っていることを教師たちに密告するぞ」
≪月の影≫とやらの活動内容がいかなものかは知らないが、部屋の様子を見るにどうせ碌でもないサークルだろう。
そう決めつけていると、こちらの考えを察したように隼人が真剣な面持ちへと変わり、
「まー、断る前に一度俺の話を聞け。地図で確認してもわかるとおり、月見ヶ丘と幽霊都市は距離が近い。歩いていけるくらいの距離しか離れてない。なのに幽霊都市で度々目撃されてるっつー化け物……お前と朝倉先生は確か悪魔と呼んでたな。その悪魔はなぜ月見ヶ丘に現れないのか、謎だと思わないか?」
明らかにさっきまでと異なる真面目そのものな口調で尋ねてくるが、急にシリアスな雰囲気になられても、こちらはさっきまでのノリが抜けきれず、思わずこう返す。
「この町に侵入した化け物はお前たちが駆逐しているんじゃなかったのか? その設定はどこに消えた」
揚げ足を取ろうとするが、隼人は無視して続ける。
「もしかしたら最初から化け物なんていないのかもしれないと、俺はそう思った。だからそれを確かめるために放棄された下水道を通って幽霊都市に侵入してみたんだ……結論から言うと幽霊都市には確かに化け物がいる。これがその証拠だ」
本棚から持ち出した一枚の写真をしたり顔でテーブルの上に置く。
おそらく写真に映っているのは昼間の二十日町。
それと真っ黒な体をしたミイラのような人型のクリーチャーが写り込んでいて、赤い瞳を不気味に光らせて突っ立っていた。
ピノテレスと同種の存在であるのは一目瞭然で、思わず冷静にコメントする。
「俺が遭遇したやつと特徴が似てるな」
「さすがに生で目撃した奴の反応は薄いな……でもな、俺の話はこれで終わりじゃねーぞ? 俺が見たやつは人の言葉を発したんだよ。もうすぐ魔術師が来る、そしたら極夜の世界が完成する……ってな」
それを聞いて最初に思うのは、ピノテレスもばりばり喋っていた件についてだが、それはひとまず置いておき、
「魔術師に極夜の世界……確かに気になるな」
「俺の話をなんの疑いもなく意外にあっさり聞き入れるんだな……さすが、化け物を自宅に招き入れただけのことはある」
「なんでその話まで知っているんだよお前は。大体、別に好きで招き入れたわけじゃない。女の子を家に上がらせたら、そいつの口からゲロみたいに出てきたんだよ」
「なんだそれ? 体内に潜んでたってことか」
「ああ、確か化け物は寄生って言ってたな」
と、昨日のことについて話していたら、不意になにかが倒れたような甲高い物音が教室内に響く。
音がしたほうに目を向けると……
どうやらスライド式のドアがレールから外れて倒れたようだが、その原因はドアの上に寝そべるように乗っかっている少女だ。
おそらく必要以上に体重をかけた結果だと思われるが、ここで注目すべきはドアが倒れたことではなく、ドアの上の少女。
誰かと思えば桜野比奈。
彼女は涙目になりながら小声で愚痴る。
「痛いです……新設校のくせに建てつけ悪すぎですよ」
すると隼人が心を躍らせたように、
「比奈たんではないか! どうしてここに」
人気アイドルに熱狂するファンがごとく目を光らせていた。
そして比奈は高校生とは思えない小さな体を起こすと、ブカブカのセーラー服についたホコリをパタパタと手ではたく。
「お二人がなにやら怪しげな会話をしながら廊下を歩いていたので、こっそりあとをつけちゃいました」
急に比奈が現れたのが不思議だったが、なるほど……尾行されていたのか。こちらに悟られることなくここまでついてきたのはなにげにすごい。
ところで隼人のいまの反応は一体どういうことだろう?
おそるおそる尋ねる。
「なんでお前が比奈のことを知っているんだ?」
「もちろん知ってるさ。ファンクラブの会員だからな」
「ファンクラブ? いつできたんだそんなの」
「なにも知らないんだな月読は」
そう言って会員証のようなものを見せびらかしながら、さらに熱弁は続く。
「日本全国探してもヒナたんのような逸材はいない。その存在が確認された時点でファンクラブが作られるのは必定。なんてったって女子高生とは思えない体型にこの甘ったるい声……男子としてはたまらないだろ?」
『キモ』
ふと聞き慣れぬ女子の低い声が聞こえた……気がした。
俺も隼人も声がしたと思われるほうへ目を向けるが、そこには愛くるしい表情の比奈しかいない。
いや、さすがに聞き違いかなにかだろう。
比奈は嬉しそうに笑みを浮かべ、
「ヒナにファンクラブ? 知らないうちに人気者じゃないですか」
無邪気に喜んだかと思うと、次に険しそうに顔をしかめる。
「ところで月読センパイ。さっきの話はなんですか? 口から出てきたとかなんとか言ってましたよね?」
比奈の迫るような追求に、頭を抱えずにはいられなかった。
「この高校ではあれか? 立ち聞きが流行りなのか?」
「やっぱりさっき言ったのは本当なんですね。ずっとおかしいと思ってたんです。化け物がヒナを操って月読センパイの家にいく理由がわからなくて……でもこれでハッキリしました。化け物はヒナの体の中に隠れてたんですね」
「まあ……あんまり気分のいい話じゃないから隠しておきたかったんだがな」
本人には隠し通そうと思っていたのに、よもや一日も持たないとは。
そしてこちらの発言に対し比奈は大きく頷き、
「そうです、ちゃんと隠し通してくださいよ! あんな気色の悪い怪物が体の中に入っていたなんて一生のトラウマものじゃないですかー。なんでヒナが立ち聞きしてるときに、わざわざペラペラ喋っちゃうんですか!」
「いや、知らねえよ! お前が立ち聞きしてるの知ってたら俺も喋らないからな」
あまりに理不尽な理屈に、ついついムキになってこちらも強く言い返す。
喧嘩にまで発展しそうな勢いだったが、教室内に入ってきた別の男子生徒がこの流れをぶった切る。
その生徒は倒れたドアに目もくれず、俺と比奈を一瞥してすぐに口を開いた。
「なんだか騒がしいね。知らない生徒が二人も……新しいメンバーでも増えたのかい?」
抑揚のない声で隼人に問いかけた。
一見知的な印象を受ける男子で、終始不貞腐れた表情をしている。
眼鏡をかけているが、オシャレなど全く意識していない地味な銀縁。いかにもガリ勉なイメージ。
そして彼の問に隼人が答える。
「そのとおり。新メンバーの月読御言と学園一の美少女、比奈たんだ」
眼鏡の男子は適当にふーんと相槌を打ち、興味はないと言わんばかりに俺と比奈に声もかけずに壁面のロッカーに向かう。
手慣れた手つきで鍵をあけ、中からノートを一冊取り出すと忙しない様子で教室から出ていこうとする。
それを隼人が呼び止めるが、
「おい、せっかくだし自己紹介くらいしていけよ」
眼鏡の男子はやはり抑揚のない声音で返す。
「僕は忘れ物を取りに来ただけだ、それ以外のことに時間を割くつもりはない」
そのまま足を止めずに教室から出ていく。
静まる教室で寂しそうに肩をすくめる隼人。
「あいつは俺たちの仲間の
しかしその直後に越前は再び戻ってきた。
戻ってきたといっても自分の意思ではなく、ある男に角材のように抱えられて運ばれてきた。
越前は教室の床に乱暴に捨てられ、すかさず全身黒ずくめの男に向かって威喝した。
「なんなんだお前! どう見てもこの学校の関係者じゃないな」
それに黒スーツの男が余裕たっぷりの涼しい顔で、
「いえ、私は見てのとおりこの学校の教員ですよ。養護教諭をやらせてもらってます」
その不審人物──朝倉臥魔はそう言って薄気味悪い笑みを浮かべた。
彼はさらに続ける。
「突然で申し訳ありませんが、これよりあなた方≪月の影≫は私の指揮下に入ってもらいます。というのも幽霊都市の悪魔が活発化し、私だけでは手に負えなくなっているのが現状なのです。このままでは日本は悪魔によって滅ぼされることでしょう。そこで、超能力を有するあなた方の力をお貸しいただきたいというわけです」
途轍もなく胡散臭い口調と文言、なにより朝倉の表情から漂う詐欺臭。
俺だけじゃない、きっとほかのみんなもこの男の言葉に騙されたりはしないはずだ。
と思いきや、隼人だけは乗り気になっており、一人だけ子供のように目が輝いていた。
「その話、詳しく聞かせてもらえますか?」
彼が返事をするとともに朝倉はより一層笑みを深めて、待ってましたと言わんばかりに楽しげな口調で告げた。
「もちろん私もそのつもりです。悪魔の存在、悪魔の弱点、私の知っている情報は全て渡します」
それから朝倉の胡散臭い演説が始まり、その演説が終わる頃には≪月の影≫全員が朝倉の傀儡となっていたのだった。
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