悪魔対悪魔化

 最低でもあと何人かはこれから命を落とすかもしれない。などとそんな絶望的な覚悟をしている俺をよそに、越前月光は取り乱した様子もなく淡々と、

「光が駄目ならこれはどうだ?」

 おそらく越前の能力だと思われるが、少女型の悪魔が立っていた足元を中心に周囲三メートルほどの範囲で火の手が上がった。

 越前はまだ戦意を喪失していないようだが、肝心の発火攻撃は無意味に終わっている。

 悪魔は涼しい顔で火に巻かれながら薄紅色の口を不気味に広げて微笑む。

「≪かい≫」

 声を発した途端、海を割いて渡るモーセがごとく、火の海を真っ二つに引き裂く。

 そして出来上がった一本の道をゆっくり進みながら、どこか説明口調にも聞こえる言いぶりでこう続ける。

「普通の悪魔ならさっきの光で死んでたかもしれないけど、ラティーは≪天喰魔ソル・エデッセ≫──上級悪魔だから光も炎もへっちゃらだよ」

 そう言ってドリル状の左腕部を甲高い音とともに高速回転させ、越前のいるほうへ真っ直ぐ向かう。

 幼女のような体躯には不釣り合いな巨大ドリル。形は巻貝に歪なトゲが生えたような感じで、あんなものを生身の人間が食らおうものなら原型も残さずミンチになる。

 越前の言動のおかげか、さっきまで混乱していた頭がいまは少しだけ冷静に働いていた。

 俺は越前を庇うように前に出る。

「あいつは俺が相手をする。お前らは比奈をなんとかして助けろ」

 それに越前は平静のまま返す。

「なんとかしてって……具体的になにを?」

「光を当てろ、多分あっちのでかい悪魔なら光で倒せる」

 これに聞き返してきたのは越前ではなく、これまで言葉を失って黙りこくっていた隼人だった。

「でも光を当てても意味ないんじゃないか?」

 隼人と櫛田はパニックで頭が回っていないようだ。

 俺のほうも半ば勢いで言ってしまったが、巨体のほうの悪魔を倒せるという根拠は一応ある。

 朝倉から聞いた話では、悪魔は上位の存在であればあるほど人間の姿に似るという。だとすれば比奈を丸呑みにした図体のでかい悪魔はおそらく下級悪魔。

 たかだか懐中電灯なんかでも倒すことができるはずなのだ。

「俺を信じろ」

 時間もないので説明はせず、目つきと声の調子だけで自信のほどを伝える。

 ありがたいことに隼人はなにも言い返さず黙って頷いてくれた。どうやらこちらの意思をちゃんと受け取ってくれたみたいだ。

 それからすぐに行動に移ろうとする俺以外の三人。しかし、重要なことに気づいてしまったので約一名を慌てて静止する。

「待て越前、その前にあの炎を消してくれ。このままじゃ明るすぎて俺が悪魔化の能力を使えない」

 隼人と櫛田が比奈の救出に向かう中、越前だけはちゃんと俺の声に反応し、足を止めてくれた。

「無理だ。炎を発生させることはできても、それを消すことは僕にはできない」

「嘘だろ?」

「嘘じゃない。この状況で味方に嘘をついてどうする」

 確かにそうだが、こちらとしては嘘であってほしい。

 悪魔化の力が使えないとなると、化け物とまともに相対できるわけもない。いまも刻一刻と接近してくるピンクの甲殻を持つ悪魔に対し、防御手段がなくなる。これはもう戦車に対して自転車で挑むようなもの。

 もはや悩んでいる暇などなく、一か八か賭けに出るしかない。

 全身に意識を集中し、体の強化に全神経を研ぎ澄ませる。たちまち肉体は黒く変色し、同時に肌の感覚が消えた。痺れとは違う、動かせるけど肌の表面に神経が通っていない、という奇妙な感覚を味わうが、それ以外で体に異常はない。

 炎といってもさほど強い光は発してないためか、朝倉の言っていた肉体の消滅は起きなかったようだ。

 これならいける。

 ようやく余裕が見えて思わずニヤリと笑ってしまう。

 瞬間、鮮血が飛び散る。

 ピンクの悪魔が突きつけてきた高速回転する左腕のドリルが、強化されたはずの俺の腹を刺していた。そしてそのまま肉を巻き込んだまま回転し……

 俺の意識はそこまでだった。

 いや、朦朧とはしていたが意識はあるんだ。

 ただ全てが痛みに支配されていた。

 その中で悪魔の声はしっかりと聞き取っていたが……

「やばい、ご主人様に怒られる。悪魔化したから大丈夫だと思ったのに」

 内容を深く理解できるほど余裕はない。自分が置かれている状況もわからない。

 鋭い痛みと……

 苦痛。苦辛。重苦。

 ひたすら痛みに襲われ、気がつけば地面に倒れていた。

 視界に映るのはアスファルトと肉片。だが、それもすぐに見えなくなる。

 視界が真っ暗だ。

 いまは音だけが聞こえる。

 越前の声。

 なにも見えないが状況的にやばそうなのは伝わってくる。でも俺にはどうすることもできない。

 悪魔の力をもっと使いこなせていればあの少女型の悪魔にも勝てたかもしれない。

 沈みゆく意識の中で後悔と自責の念が重りのようにのしかかる。なのに……

 唐突に次の言葉が頭をよぎった。

──悪魔の力ってのは便利だぜ? なんたって直感で発動できるからな。お前も覚えておいて損はないんじゃないの? もし悪魔の力を使うときがきたら、とにかく生き残ることだけを考えろ……そしたら勝手に発動してくれるのよ──

 いつ誰が言った言葉だったか、そもそも信用していい情報なのかもわからないが、現状では最も有益な情報なのかもしれない。

 難しいことを考えるのはやめよう。

 ただ生きることに執念を燃やせばいい。そしたらきっと力は応えてくれるはずだ。

 生きる。

 なんとしてでも生き残る。

「あいつをこの手で殺すまでは……」

 心の中で念じていたはずの言葉が、不意に口から溢れていた。

 同時にさっきまで混濁していた意識は瞬く間に覚醒していく。

 アスファルトの上に横たわっていた自分の体を起こし、何事もなかったかのように立ち上がれるほどに俺の体は回復していた。

 腹部にあいていた穴はもうない。服はビリビリに破れ、周辺にいまだ肉塊が転がっているにもかかわらず、俺のお腹は真っ黒であることを除けば健康そのもの。

 自分の無事を確認し終えると、今度は周囲を見回す。

 丁度少女型の悪魔が越前の首を締めている最中だった。グズグズしている暇はない。早いところ越前を救わなければ……

 と思考を巡らせていたはずだった。

 気がつけば悪魔の頭部に回し蹴りをかましている自分がいた。ただ意識しただけで、もう肉体が動いていたのだ。それも自分でも驚くほどの身体能力を発揮して、である。

 悪魔はその衝撃で塀に頭を打ちつけ、

「いったーい」

 なぜか楽しそうに遊んでいるような口調で痛がる。

 一方、俺は腰を抜かしている越前に駆け寄り手を差し伸べた。自分でもドン引きするくらい人外じみた真っ黒な手を。

「大丈夫か?」

 だが、越前はその手を取ることはなく、忌々しそうに見てはバツが悪そうに、

「顔面まで真っ黒だと目を合わせづらい。どうにかならないのかい」

 視線を俺から逸らしていた。

 そこでようやく自分の体がどういう状態なのかを把握する。

 自分では腕と腹くらいしか確認できないが、実際にはこの腕と同様に全身が黒く硬化しているようだ。

 俺は差し伸べた手を握り拳に変えてから少女型の悪魔を睨む。

「我慢してくれ、あの悪魔を倒すまでは」

 悪魔は塀に頭が突き刺さったまま、

「倒す?」

 少し低い声でそう言ってゆっくりと頭を引き抜き、さらにドスを利かせた声で続ける。

「エゲトの一員であるこのラティアクシスを倒す? さっきから手を抜いてやってるのに調子乗ってない?」

 悲嘆に満ちた表情を浮かべ、左腕のドリルが激しい音とともに回転を始める。そして左腕を真っ直ぐこちらに伸ばす。

「≪かい≫」

 呪文のような一声が放たれ、咄嗟に俺は越前を突き飛ばした。

 悪魔はロケットパンチのようにドリルを射出しようとしている、そう思っての行動だったのだが、予想とは裏腹になにも飛んでこない。

 そのかわり、眼の前が真っ黒になっていた。

 次の瞬間、背中に強い衝撃を受けたかと思えば、その直後に今度は顔面にも衝撃が走る。

 まるでコンセントを抜かれた電化製品のように俺の肉体には力が入らなくなり、意識も徐々に薄れていった。

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