6話 ギルティオアイノセンス

「……はぁ~、凄い達成感」


 アマトの上にのしかかりながらフィリアはとても満足そうに呟く。


「あ、それは良かったです。お水どうぞ」


 それとはまた別の意味でどこかやつれた表情のアマト。

 何があったかなど最早言うまでもないだろう。


「あの、いつもはどうしてるんですかリムさん達と?」

「え?いやその、薬盛られたりとか」


 年頃の乙女が何を言い出すのかとアマトは目の前でメモを取り出すフィリアに戸惑いと呆れを半々で応える。


「成る程、ところでアマトさんはどうしてここに?」


 その質問をもっと早くしてほしかったと愚痴りながら今の状況を説明した。

 金策絡みのギャンブルをある騎士団と行っていること、その団長が旅の最中に起きた剣闘祭でアマト扮する仮面の男を倒した騎士であるということ。そして現在進行中のギャンブルの内容に至るまでを説明しながら反対側の木陰に戻っていく。


「三十枚を三時間で、ですか……結構簡単ですね」

「ああ、簡単だね」

「しかもその文字が彫られた金貨が見つかればそこで終わりなんでしょう?本当に楽勝じゃないですか」

「ああ、楽勝だね」

「あっ、もしかして初めからその心算だったりして?」


 フィリアはアマトが駆けの形を取ったのは相手に借りを作らないためであり、その団長に何か好感のようなものをアマトは抱いているのではないかと推測する。

 だがそんな考えを含み笑いとともに一蹴する。


「まさか、逆だよ。絶対に勝たせるつもりはない」

「え、でもどうやって?」


 アマトからは手を出せないこのルールで一体どうやって自分たちが勝てるというのだろうか。


「うわ、意地悪……」


 フィリアは理解した、アマトが上着のポケットから取り出した一枚の硬貨を見たことで。

 まぎれもないフラーズの金貨、その表面に大きく『F』の文字が彫られている。

 これをアマトが持っているということは湖に投げられた中には当然それが存在しないということであり、より印象に残ったこの金貨を彼らは文字通り血眼になって探し出そうとするだろう。だがそれが見つかるはずもなく、そもそも一つ目の勝利条件である三十枚は絶対に揃うことがない。三時間経ってようやく種明かしをされるというわけだ。


「別に湖から全て見つけろとは言っていないさ。」


 この賭けでアマトが試していたのは洞察力。どんな状況下でも相手に言われるままにならず冷静にな行動を取れるかどうか。


「それが出来るならば今度の出兵で消耗させるのは惜しい連中だ。喜んで金もくれてやっただろうな」


 すでに過去形、アマトにとって彼らの騎士団はこれからの戦いにおいて数合わせの駒としか見られないだろう。彼にとって兵士として最低限の資格は忠実でありながらもその次に他者に依存しない自律能力を持ち合わせた個人のことだった。それが満たせないならば戦場では矢除けの駒にしかならない。アマトの持論の一つだった。


「そろそろ三時間、さて、どう出るかな?」

「見つけた内の一枚に同じ文字彫ったり、なんて」

「はは、まさか、いくら何でもそんな低能を晒すわけが……」


 ないだろうと断言する直前にセオドールたちが自信に満ちた表情で湖から退き上げて来た。計二十七枚、その手に握りしめた金貨の一枚をアマトの脚元に投げつける。


「これで、我々の勝ちですね」


 その中にはアマトの持つ金貨とそっくりな文字の彫られた金貨が見受けられた。

 その様子にアマトは表情には出さないが心底呆れていた。この連中はどんな面の皮をしているのだろうか。結局その自信はアマトが持つ金貨を投げ渡されたことでメッキのように剥がれ落ちていった。


「私の勝ちだな」

「ま、待ってくれ」

「黙れ」


 最悪の形で敗北してもなお食い下がろうとするセオドア。

 だが彼らは既に敗者だ。アマトは最早聞く耳を持たず立ち上がり去ろうとする。


「賭けはこちらの勝ちだ、契約通りサンデル攻略の軍で先頭に立ってもらう」


 最低限の言葉を伝えたアマトはフィリアを携えウィルゼールへの道を戻っていく。セオドアたちの姿を顧みることは終ぞなかった。


「もし彼が正直にあと一枚見つけられなかったといったならばこちらの負けだったが、ここまで単純な手を使うとは予想外だったな」

「アマトさんもしかしてあの人の事嫌いなんですか?」

「ああ、嫌いだね」

「……負けたから?」

「私はそんな器の小さい人間じゃないつもりだ」


 じゃあ何で、と聞くフィリア。だがその答えははぐらかしたまま、結局屋敷に戻っても語ることは無かった。


「なんだ。出迎えもないのか」

「もう日が暮れますから。きっと食事でもしてるんじゃないですか?」


 フラーズの人間は基本的に夜は出歩かず早めに食事を取り、家でゆっくりと休息を取る人間がほとんどを占めている。フリューゲル領では夕暮れ時に一部の対頂角の人間は自室で、兵士や給士は大広間で食事を共にしている。アマトとフィリアが屋敷に戻った時がちょうどその時間帯と重なり、アマト達を迎える相手がいなかったのだった。


「お帰り、なさい」


 だがここに二人だけ、帰りを待っていた子供がいた。

 双子の兄妹ダグ、リンゼ、とある商会の長を父に持ちながらも幼くして両親を亡くす不幸に見舞われ、親類が居ないことで飾りとして周囲に利用されていたこの二人は今はアマトの庇護下で真っ当な教育を受けている最中だ。

 商会の後継者としての地位は今では失っているもののそれまでとは見違えて生気に溢れた年相応の無邪気さ、好奇心を持ったいい笑顔をしている。


「ダグ、リンゼ、君たちの食事はどうしたんだ?」

「その…待ってます、した……」


 リンゼの方はまだまだ言葉に不自由な部分が残っているが、想いはアマトとフィリアの心に深く伝わる。

 不幸な境遇にありながらよくここまで真っ直ぐになってくれたと感謝、賛辞の言葉を言おうとしたが相手はまだまだ子供。小難しい言葉は使わずに一言で伝えた。


「ありがとう、優しい子だ」


 アマトはこの子たちの父になることは出来ない。だがせめて、今まで与えられなかった当たり前の日常を、彼らの前ではよき導き手としてあろうと決めていた。


「わぁ」

「きゃー」


 アマトは二人を抱きあげると両肩に乗せる。その光景が親子のそれと遜色ないということに誰も気づいていないのはある種皮肉なものだった。


「じゃあ行こうか」

『なんか臭い』


 食事に入ろうとした矢先にアマトとフィリア、二人に向けてダグから放たれた言葉。

 その場しのぎで持っていた香油を塗った状態のままだったとはいえ子供というのは無邪気故に残酷なものでそれを本人の目の前で堂々と言い切って見せた。


「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………洗ってくる」


 そのショックがあまりに大きくアマトはその場で二分以上は固まっていた。ようやく意識がはっきりして発した第一声がそれだった。


「あ、はい……」


 それに対して以外にフィリアは冷静だった。アマト本人という比較対象があったからなのだろうか。

 あまりにいたたまれない後姿を目に焼き付けながら自分も体を洗おうと二人に了解を取りアマトの後を追っていく。


「おーい!」

「……げっ!」


 だがその最中に最も合いたくない相手に遭遇してしまった。

 室内でという事で派手な装飾は外しているが上下を葉っぱ100%のような衣服で合わせたまさに旧時代的な少女。

 リリィは未だに先程のことに負い目を感じていたらしく、フィリアを視界にとらえるや否やわき目も降らずに接近していった。


「心配したぞフィリア!さっきは本当にすまなかったな!」

「お、お気になさらず!」


 その場を丁寧かつ適当にあしらい事なきを得ようとするが左にそれれば左へ、右へよれば右へと位置を合わせてくる。何としても先に進ませる気はないようだ。


「いや!ここで詫びをしなければ末代までの恥だ!だから何か……」

「いえいえ、お気持ちだけで十分ですから!」

「いやいやいや……」


 沈黙がその場を支配する。まずい、フィリアにとって非常にまずい。十中八九勘繰られただろう。


「……臭いな」

「え゛っ!?え、ええ、ちょっと香油を……」

「その下にもう一つ……」


 フィリアは知らなかった、リリィが常人よりはるかに嗅覚に優れていることを。それが今日のフィリアの最大の失敗だった。


「うんうん成る程。ちょっと話をしようか」



 ☆☆☆



 フィリアが連れて行かれたのはそれぞれの個室がある三階層の隅にある物置き。それなりの広さではあるものの何かが化けて出そうな薄暗い一室。

 あちらこちらにクモの巣や砂埃が見受けられる。

 そんな場所でいかにも儀式用のそれといった風な仮面を被った三人組に囲まれていた。

 ……全員衣服越しの体形で丸わかりではあるが。

 フィリアは地面に正座させられている。どうやら審問会のような何かにかけられようとしているようだ。


「えーと何だったか、まぁ適当に……ただいまよりー、アマト・フリューゲル子爵護衛、フィリアの起こした……えー、反逆行為についてのー」


 大雑把な前置きが入る。これでフィリアはこの状況が大仰な晒し上げや陰湿な新人いびりではなく、ほとんどお遊びに近い何かだということに気付く。


「判決を言い渡す」

「早い早い早い!?」


 かと思えば一瞬で有罪が確定した。ここにいる全員にすでに昼間のことは伝わっていたらしく、自己弁護すらさせてもらえない。

 確かに事実としてフィリアはアマトと肉体的な関係を半ば強引とはいえ持とうとはしていた。

 だがそれが意味するところは逆に言えばこの三人衆とほぼ同一の距離感までに至ろうとしていたということ。


「うるさい!有罪だ有罪!洗いざらい吐かせてやる」

「……婚約者がいると知りながら無理矢理迫るとは良い度胸」


 それに対して彼女たちのアクションがこれである。焦っているのかそれともこちらを試しているのか。

 しかしそれが引き金だった。色恋になってしまえばここにいる三人は一枚岩になることはほぼない。


「ちょっと待て!お前はアマトの婚約者かも知れないがアマトはワタシの許嫁だ。つまり優先権はワタシにある!」

「……訳の分からないことを」


 涼しい顔で独占宣言を行う者、仲間のはずの相手にかみつく者、顔は見えないが静観しニコニコと不敵に笑っているであろう者。

 一対三ではなく一対一対一対一の構図だった。


「取り敢えず……今回はフィリアだ」

「……そうだ」

「……悪いんですか?」


 そんな状況でフィリアだけが下手に出ることは無い。もうただ憧れるだけの自分ではないと遂に開き直った。


「アマトさんの要望通りに優しくしましたよ、クビにもされませんでしたよ。何がダメなんですか?うらやましいんですか?『優しくしてください』なんて言った時の顔が最高に可愛かったですよ」

「ぬぐうううう」


 フィリアの煽りを前に蕁麻疹が出来たかのように体中をかきむしるリリィ。

 思いもかけずあっさりと一人撃破、以前のフィリアでは絶対に成しえなかったことだ。

実際にはまだその関係に至ってはいないのだが虚勢、ハッタリを最大限に活かしていく。


「……」

「ノルンさんだったらどうしたんですか?人気のない木陰でアマトさんと二人きり。どうしました?襲いましたか?襲いましたよね?襲いました絶対に!」


 続いてノルンに狙いを定める。疑問、同意、断定と畳みかけ反撃する隙すら与えずに彼女を沈黙させた。


「えへへ~」

「あ、リムさんは例外ですけど」


 そこまでの勢いに任せず、最後の最後で喧嘩を売らずに予防線を張った。やはりフィリアの直感がそうさせたのか、リムにだけは逆うことが出来なかった。


「及第点だね」


 体をかきむしる体勢で固まるリリィと無言のまま微動だにしないノルンをかき分けてリムがそう言った。いったいどういう意味なのか、フィリアが推論を立てる間もなくリムの舌は回る。


「ま、こんな審問会みたいなことあたしとしては別にやりたいわけでもなかったんだよね。どうしても二人がするなんていうから仕方なくやったわけ。二人としてはあなたに決意のほどを聞きたいと思って無理やりにこういう形にしたってことだったんだけどそれで開き直られてこれじゃあザマァないよね。それはそれとしてあたしにも気になることあったんだけどアマト君の趣味趣向とか聞けたかな?個人的にはアマト君は基本的にそう言ったことを二の次にする性格だと思うんだちょっと確認したいんだけどアマト君は抵抗しなかった?アマト君自分の中に色んな意味でため込む癖があるせいでこっちからしないと何もしてくれないよねでもこっちからってなんか空しくなっちゃうでもあなたはちょうど今日そんな場面に遭遇してまぐれながら最良の行動を取ったんだねまぁ積もる話もあるけどここじゃあねぇうーんいい場所はあるかなあ、そうだ!」

「あ、あの……」

「覚えてる?偶然にもこの屋敷の近くに屋外の浴場が出来る要素があったから少しゴリ押しだけどアマト君が屋敷広げて作っちゃったんだ。大丈夫だって川の水浴びをお湯に変えただけだからお湯はあるけど水入らずな会話を、あららあたしもしかして上手い事言ったかもしれないあたしってそっちの才能あるのかしらそんなに虚ろな目しないでよ話がごめん若干それちゃったよねじゃあ今すぐ行こっかあれは超元気になれるよー何その怪訝そうな顔安心してよあたしをそっちの気のあるような奴と一緒にしないでそうそうそれで話の内容はもちろんアマト君のこととかだよ疲れ果てるまで根掘り葉掘り聞きだすからのぼせるのは我慢してねああこの二人今は意識ないみたいだけどすぐに元気になるから大丈夫だよ最近はいろいろあったから女の子同士ではいるのは久しぶりだな~髪の毛の比べっことかやらない?」


 聞いているだけで疲れがどっと込み上げてくるほどの流暢な語り。なるほど、アマトにそっくりだ。

 その話の中ではいつの間にかフィリアはリムの提案に二つ返事でYESをしているらしくそのきらきらとした瞳もあってか断るどころか疑念を抱く間すら封殺されていた。


「よーし行こう!」


 人形のように固まるノルンと秘境のご当地土産のような態勢で倒れるリリィ。それを肩に乗せて部屋を出るリム。その後ろ姿にどこか陰が入っていたのはフィリアの気のせいだろうか。

 もうどうにでもなってしまえと半分度胸、もう半分はあきらめの気持ちで浴場へ向かうリムを追っていった。


「おい待てい!ワタシも連れて行け!」

「……私も」



 ☆☆☆



 ウィルゼールの中で大衆浴場としての立地条件が成立しているのはフリューゲル邸の近くにあるものだけだった。

 それを知ったアマトは浴場の平民の利用許可を出し、それに伴い一階層を改装しアマトが『少しの努力と少しの工夫と多大な人脈』で集めた美術品や地下の出土品を展示したちょっとした博物館とすることで週に数回の頻度で一般開放する運びとなった。

 そして用意された浴場は屋内と露天の合わせて二種類。広さと利用人数を考慮し男と女子供の利用出来る時間帯は分けられている。

 どちらも評判は上々で連日賑わいを見せている。


「着替える場所はここでいいから……どうしたの?」

「あの、あっちで着替えてきます」


 更衣室でリムが着替えようとするなか、フィリアは一人隠れて着替えようとする。


「もうそんなのいいから!はいバンザーイ」


 その理由はフィリア自身の身体にあった。嘗て奴隷時代に彼女が受けてきた苦しみを象徴するかのようにいたるところに残る打撲、切傷、烙印の跡。

 アマト相手には全てを晒しそれでも拒絶されなかった。フィリアにとってその出来事は生きる原動力になったがそれでもこの傷跡自体は呪いでしかない。

 事実うっかり屋敷のメイドにこの背を見られた跡しばらくはその相手とまともに口が聞けなかった。

 たとえリムほど近い関係にいる相手でも見られることを許容できることではなかった。


「はいはいあまり手間かけさせないでよ、ただでさえあと二人分の着せ替えしなきゃいけないんだから」


 だがフィリアの予想とは裏腹にどうでもいいとあしらわれる。

 予想をいい意味で裏切られたが内心ではもしかしたらという部分が当たった反応でもあった。

 邸宅のあちこちで聞いたリムに対する評価の中で一番大きかったのが『子爵に似ている』だった。意味合いはそれぞれ微妙に異なるのかもしれないがやはり根本的な部分で似通っているのだろう。


「よいしょ……」

「……ッ!」


 だが、それとは別の理由もあったことをここでフィリアは思い知る。先の手当てでは頭の傷を押さえただけだったため知ることのなかったリムの肢体。

 初めに目についたのは上半身に無い部分の方が少ないほどの大火傷の痕。一部は壊死している個所もあり、焼け爛れているといった表現すら生温い。その上から幾何学的な文様が背中に彫られている。


「ん?ああ、気にしないで、古傷だから沁みたりしないよ」


 何でもないことのように笑みを見せながら衣服を脱いでいくが、差別的な意識云々を抜きに気持ち悪いと表現せざるをえない。だがその原因まで聞きだすほど勇気もなく、無謀でもなく、無神経ではなかった。


「今日なら誰もいな……うわっ!」


 露天風呂は着替え用の部屋を屋内の浴場を介して通らなければならない。リムと彼女に担がれたノルンとリリィ、後から付いてきたフィリアは生まれたままの姿にタオル一枚で浴場への戸を開くがそこに広がっていたのは部屋全体を覆い尽くさんとする泡。


「な、何これ……?」


 さすがのリムもこれには動揺を隠せない。だがフィリアにはこの現象の理由に思い当たる節があった。


「もしかしてアマトさんじゃ……」

「アマト君!?」

「はい」


 そしてフィリアはリムに説明する。アマトを襲ったその悲劇を。


「ふんふんなるほどって要はお前のせいじゃないか!」


 いつの間に目を覚ましていたのかリムの右肩に干されたままの体勢でリリィがフィリアを叱責する。


「今はそれどころじゃないよ、それ!お湯で流して!」


 リムはそう言いながら湯船の湯をすくい泡を洗い流す。フィリアとリリィ、すでに目覚めていたノルンも加わる。


「あらよっ!」

「……そいっ」

「よおいしょ!」


 湯をかければ目に見える分泡が消えていく。初めは必死だった作業も慣れてくれば同時に飽きもくる。最後の方では四人とも体を洗う片手間に湯を流している状態になっている。


「あ、あと少し?」


 一種の化生にも思えるそれは徐々に湯水に消されてゆく。そして遂にアマトの背が見えるところまで届いた。


「……ない、臭くない、僕は臭くない」


 ようやく手が届いたアマトの目には何も映っていない。ただひたすらに体を洗い続けている。何やら自己暗示のように同じ言葉を繰り返している。

 よほどショックだったのだろう。軽く触れた程度ではこちらに気付くことすらない。


「……ん?なぜ君達が……まさか!?」


 リムが腕をつかみようやくフィリアたちに気が付いたアマトは今日の出来事を思い出し反射的に湯船を跨いで反対側に逃げる。


「違うよアマト君。今日は何もしないから」

「あばっ!」

「うびゅ」


 肩に乗った二人はリムの言葉とは正反対の意思があったのか目を光らせている。

 それを察知したリムは二人の首をつかみ露天風呂目掛けて投げ込んだ。

 下手をして狙いが外れれば地面に頭を打ち付ける大事故だがしっかりと湯船に入ったことでそれは杞憂に終わった。


「今日はと言わずにいつまでもそうして欲しいが……」

「善処するね。行くよフィリアちゃん」

「は、はい」


 浴室を通りでた先には文字通りの露天風呂が広がっていた。浴槽では投げ込まれていたノルンとリリィが犬の様な泳ぎ方で遊び回っていた。


「まったく、水浴びじゃこうはいかないからな」

「……熱い」

「あんな歳の取り方はダメだよ?」


 なぜこの三人はここまで違うのだろうか?フィリアの中で疑問として浮かんで来る。

 アマトを愛している。共通項としては大きいがどうしてそれだけで今日まで確執が生まれないのだろうか。


「それで、アマトはどうだった?」

「ど、どうだったって……」


 ここからは完全に女の時間、周囲に気を配らなくてもよい状況で一切の容赦がない会話が延々と続いていく。


「……相性とか」

「私としては最高だと思いますけど、それはアマトさんに聞かないと」

「ちょっと自信過剰だね」

「……ちょっと?」


 だんだんと男性陣には聞かせられない程にヒートアップしていくが最後はフィリア自身がそれを止めた。


「……」

「ん?何?」

「アマトさん、満足してなかったような気がして……」


 意味不明な言い回してひどく落ち込むような素振りは見せないが一方的に熱に浮かれているだけではないかと疑心になっている。


「馬乗りになっただろ?」

「え、何で分かるんですか!?」


 図星を当てられたフィリアにやはりとそれぞれが呆れた風に反応する。


「気にするな、ワタシ含めて皆通った道だ」

「……苦労した」

「そ、そうですか」


 同じ思いを共有するということが滅多になかったフィリアにとってこういった会話は新鮮だった。何故か目の前にいる変人連中に一気に親近感が湧き出した。


「じゃあ次!アマト君の好きな所は?」


 それまで和気あいあいとした雰囲気に移ろうとした会話の流れをリムの一言が強引に引き戻す。

 その言葉だけならそんなことになるはずはないが周りを見れば一目瞭然。迂闊な発言で不興を買えば今までの過程は水泡と帰すだろう。

 同時に先ほどの疑問も解消された。彼女たちにとってアマトが他者とどう関わるかよりも他者がアマトをどう見るかがより重要なことなのだ。

 そして互いがアマトへの理解を認め合うからこそ亀裂が生まれない奇跡的なバランスで成り立っている。


「手、でしょうか。それとや」

「あー良かった、顔とか言ってたらこの場で叩き殺してたかもしれん」

「……それと?」

「や、やる気に満ちている時の風格……です」


 慌てて切り替えたがもう少しで優しさを見せた時の顔と言っていただろう。意味するところは違っていてもそのまま口にしたらどうなっていたことか、リリィの勇み足が非常にありがたく感じられた。

 その答えにある種の納得が言ったのか三人は顔を見合わせ互いに肯きあう。


「じゃあこれで決まり?」

「ああ、ワタシからは言う事は何もない」


 それはフィリアが自分たちと同じ立ち位置にいる事を認めるということ。


「……婚約者担当、ノルン」

「ん?」

「許嫁担当、リリィ!」

「え?え?」

「幼馴染担当、リム」

「あ、そういう……」

「これからよろしく。這い上がり担当!」


 這い上がり担当は蔑称ではないだろうか。ふと頭に浮かんだ疑問も歓喜が塗りつぶした。


「は、はい!」


 差し出されたその手をフィリアは両手でしっかりと握り返す。

 これでやっと彼女達と足並みが揃ったのだとフィリアは気を引き締める。


「それじゃあ終わり、あんまり長く湯に浸かるとのぼせちゃうからもう一度洗ってから上がろう?」


 その後は変に張りつめた空気も霧散し中の良い友人の様な会話が続いた。


「えっと、何か?」

「……光栄に思え。犬掻きを教わってやる」


 今までの会話からどうしてそうなるのだろうか。


「謹んでお断りします」

「……お願いします」

「はい」


 今日一日の出来事で一回りも二回りも図太く大きくなったフィリアだった。


「犬掻きはもっと手を鎌のように!こうです!」

「おお!早い!」

「……流石本場」

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