5話 子爵の布石

 酒場、その言葉を聞けば傭兵たちが普段から根城にしている、そんな雰囲気の場所が連想されるだろう。そしてウィルゼールのそれも例外ではない。


「はーい、いらっしゃ~い」


 広い一室に机が並び、昼間から男たちが酒を酌み交わしている。唯一特殊な点といえば四階層に分かり二階より上が吹き抜けになっていることだろうか。


「あの~ご注文は?」


 酒場に入っても何も頼まない客は珍しいと思ったのか看板娘を任された女性が聞き返す。だがアマトはそれを構わないと手で拒否の意を示す。

 アマトが向かっているのは酒場の四階層。最上階に用意されている賭博場だった。


「銀貨1枚だったね」

「……どうぞ」


実際にその光景を見ると分かるがそれほど派手なものではない。店側との賭けを行わず、入場料としてわずかな金額を最初に集め、賭けの道具を渡すことで四階を自由なスペースとして提供している。あくまで客対客の構図で賭け事も行われるためレートは天井も底も知らない客次第。中には暇つぶしにトランプに興じる、そのためだけに来る客も少数ながら存在する。


「フラッシュー、もーらい」

「ああ、くっそぉ!」

「ゲッ!ハイかよ!」

「ダイス振った本人が言うなよ、賭けは賭けだぞ」

「……もってけ泥棒!」


 勝つものがいれば負ける者がいる。ほぼ確実に決着が付く単純なギャンブルを休息代わりにアマトも時折嗜んでいた。

 そして今日はそのためにここへ来た。吹き抜けを挟んで会談の反対側にある扉に手を掛ける。


「待たせた」

「いえ、大丈夫です」

「それにしても君が来るとは思わなかったよ。ロウスター騎士団長」


 アマトと相対する男はかつてアマトが出会ったことのある相手。

フラーズの街ザンドラにおいて行われた剣闘祭にて関わりを持った騎士団の隊長、セオドア・ロウスターその部下の騎士三名だった。

 フラーズには騎士学校を卒業した者全てに無条件で騎士団に入隊する資格が与えられ、卒業後間もなく自身で望んだ騎士団に成績の順に優先的に配属されていく。

現在24の騎士団を有するフラーズだが、それらの懐事情は決して明るいものではなかった。

 騎士団の設立はフラーズが国として成立してから数十年のちに作り出された制度だった。攻め入る敵を打ち払い、弱きものの盾になる。まさに物語の中の騎士そのものを手本としたかのように清廉にして潔白。だがどれほど崇高な制度でも百年余りが経過してしまえば周囲の状況も変わる。

 フラーズは建国から70年、ある王の代から突如としてそれまでの保守的な知世を反転させ、周囲の国々へ攻め入ることとなった。当然戦力として騎士団が中心に組み込まれ、結果として従来の5倍以上、大陸中心部の4割を領地に持つ大国へと躍進を遂げた。


「まぁ、ここに来れたのも何かの縁ということかな?君たちにとっては世知辛い話だろうが……」


 だが領土の拡大を続けてきたフラーズの騎士団に清廉と潔白の印象は影も形もなくなっていた。

 今では戦いにおいても時々で勢力を変える傭兵が台頭し始め、一方で貴族出身の二世、三世が官位へ至る踏み台扱いで騎士団の名が使われるという悲惨な光景が目立つようになってくる。

 そして増大した騎士団に対してフラーズがそれぞれに十分な支援をできるはずもなく、困窮する騎士達が増えている。中には普段は平民として働き、戦いの数日前にようやく復帰するという『騎士もどき』と揶揄される者まで現れている。

 閑話休題、彼らもまた資金源に苦しむ騎士団の一つであり、こうして日の当たらない場所で団長直々に金策に走るという行動に出ていた。

少し前ならばある貴族の下で資金に困ることは無かったのだが、目の前に存在するこの男が遠因で失脚寸前まで至っている。その貴族に忠誠こそ誓っていなかったものの、

 賭けに勝利すればフリューゲル領から資金の援助を受ける。負けければ近い未来、アマトが指揮する北の国サンデル攻略軍の先陣を切って戦うことになる。

 話を持ち込んだのはアマトから、勝てば不労賃金、負けても報奨として支援自体は受けられる。たとえ誰が相手でもこの話に食いつかないはずがなかった。


「賭けは単純。まずはこの袋の中を確かめてくれ」

「……金貨ですか」


 懐からアマトが取り出した小さな袋。その中にはまぎれもない本物の金貨がった。目測だが数十枚はあるだろう。


「これをこうする」


 その中の一枚にアマトは刃物で大きくFの文字を刻む。


「これを今からある場所へ持っていく」


 アマトの言葉の真意が分からずともついていくしかない。酒場には不釣り合いな集団が店を出て郊外へ向かう。

 付いた場所はウィルゼールの数少ない名所と言われる場所。

一筋の道を歩いた先に広がる牧歌的な風景。その中でも目を引く物が湖面がきらめいて見える澄んだ湖。

 そんな絵にして飾っておきたい風景に金色の輪が幾重も交じることになる。

 アマトは先程見せた金貨、およそ三十枚を湖面へと目掛けて投げ捨てた。


「な、何をっ!?」


 気が振れたのかと思うようなアマトの行動にセオドア達も困惑を隠せなかった。


「あれを制限時間内にとって来ることが出来るかどうか、これが今回の賭けだ」


 賭け、その一言で連中は静まり返る。それを肯定的な意味合いに受け取ったのかアマトが詳しく説明する。

 金貨すべてを砂時計で数えている三時間の間に全て見つけるか、もしくはアマトが文字を掘った一枚を見つけ出すことが出来れば成功。セオドアたちの勝利となる。それらが満たされなければアマトの勝利。

 騎士としての実力と運を同時に図る案として面白い趣向だと思ったのだろう。

余談ではあるがこれはロイの発案である。


「それでは始めようか」


 セオドアたちに質問の権利すら与えることなく砂時計は返されることとなった。 三時間で湖に沈んだ金貨を探し出す。まるで海賊の宝を見つけるようなロマンあふれる潜水。

 などということはあるはずもなく、一度潜水し、金貨をつかんで戻ってきた時には涙と鼻水で顔を濡らし、目は充血した恐ろしいことになっている。その姿に人がおおよそ連想する騎士の面影はどこにもなかった。


「精々頑張り給えよ」


 三人の騎士が必死の形相で水底の金貨をつかみ取ろうとしている姿をアマトは湖畔の木陰から見世物を楽しむように見つめる。

 ロウスター騎士団の三人。彼らは始まりを告げる砂時計が返されると同時に一目散に湖へと駆けていった。互いに指示を出すこともなく、次々と金貨を集めていく。それを以心伝心と評価するか、それとも猪突猛進と皮肉るか。

どちらにせよ、アマトにとっては彼らとの賭けに乗っている以上は勝ちの算段がなければならなかった。

 だから彼はこうして見守っている。それだけで十分だと判断したのだ。


「しかし、これはこれで無駄な時間だ……ん?」


 木にもたれて三時間座り続けることが億劫になり始めた頃、湖のそばの道をウィルゼールの方角から異常な速さで向かってくるものが見えた。

何事かと目を凝らして確認するとなんとフィリアだった。

 いったいなぜ、どうしてこちらに来ているのか、情報も無しでは全く理解できなかったがその道を進み続ければ深い森林へと一直線だ。

 それは避けねばと思い道へ進み出る。


「止まれ」


 間一髪のところでフィリアの前に出ることが出来た。しかしフィリアはそれに気付く様子もなくそのまま直進を続ける。仕方がないとアマトは真っ向から突っ込んでくるフィリアを体で受け止めた。

 しかしすさまじい速度もあってか多少後ずさりし、アマトの背筋が凍り付く。あと少しのところで引き潰されているところだった。


「…………あれ?アマトさん!?」

「ああ、アマトさんだが、君は何をしているんだ」

「ええと私確かあのリリィという方に決闘を……ハッ!」


 アマトに促されるままにそれまでに記憶を思い出そうとするフィリア。だが直近の恥の記憶にまで届いたところで口を噤んだ。


「どうした?何か思い出したの?」

「……言えません」

「何故だ?」

「恥ずかしいからですよ」


 リリィとの決闘からなぜ顔を赤く染めて恥じらうようなことが起きるのだろうか。疑問を拭いされずにいながらも答えたく無ければそれでいいと話を打ち切ろうとした。


「あの……私の尻尾、何か変でしょうか」

「私には変な尻尾と変でない尻尾の違いが分からないが」

「……アマトさん、少しだけ、触ってみてくれませんか?」


 アマトには分からないことだがフィリアにとってそれはなけなしの勇気を振り絞った言葉であると同時に大きな賭けでもあった。

 フィリアがアマトに向ける好意、そしてアマトに望むものはかつて彼女が体験した奴隷時代の精神、肉体ともに刻み込まれた傷からなのか優しい、温かみのあるものだった。

今でも公人としてのアマト・フリューゲル子爵としての姿が前面に出ているものの、根底には優しさを殺しきれずにいる。直感や経験則など裏打ちのないものではなく、彼女自身がその身で実感していることだった。

そんなアマトならば自分がさっきのようにみだらな姿を晒してしまっても、何でもないように受け流してくれるのではないかという期待をしていた。


「まぁ……別に構わないが、奇妙なことを頼まれたものだな」


 そんな彼女の思いを知ることもないままアマトは言われるままにフィリアの背後に回り尻尾を撫でる。


「毛並みが乱れているな、今日は仕方ないとしても気をつけることだな。君は私の護衛なんだから」

「あ、ありがとうございます」


 そう言ったアマトの表情はフィリアからは見えなかったがあくまでも分析するようにほぼ無表情なのだろう。そうであればフィリアにとっては最高と言える。

そして振り向く、少し違っていた。


「ああ、そんなにパタパタされても困るんだが」


 否、大分違っていた。毛並みが整っていないと見るやアマトは懐に持っていたのか櫛で尻尾の毛を梳かしている。

嬉しいことには間違いないが手放しで喜べることでもなかった。


「……ぁぅ」


 道具越しでも伝わる微妙な感触のせいか早くも声が漏れる寸前まで来ている。

なぜこんな体になったのか、冗談半分だが自分の体を恨みたい気分だった。


「あんはぁ、の、もう大丈夫ですぅ!……から!」


 否定しようと言葉を発すると同時についに別の声まで漏れてしまった。

勢いでごまかそうとしても手遅れだった。その声を聴いたアマトは今までのフィリアの言動につじつまが合ったと納得した顔になる。


「そう言うことか」

「……幻滅しましたか?」

「え、何で?」

「え、あれ?しないんですか!?」


 訓練場の男たちと同様に自分を見る目が変わってしまうのではないかという不安は予想外というべきなのか的中しなかった。

 それは間違いなくフィリアの中では良かったこと、であるはずというのにフィリアの心には今までとは別の靄がかかったままだった。


「いや、別に性感帯が尾にあろうと私にとっては関係ないことだから」

「せいかっ!?」


 女性の前でおおよそデリカシーに欠ける事を涼しい顔で言い切るアマトとそれが直撃し顔から火が出そうなフィリア。

眉一つ動かさないアマトにポカポカと擬音が出そうな照れ隠しの攻撃をする。

だがその状況になぜか羞恥心以上に安心感を感じている自分がいた。

自分に変態的な趣味はない、断言できる。ならば何なのだろうか。


「え、でも私アマトさんのこと好きなんですけど!」

「え、あぁうん知ってる」


 絶句、フィリアの表情に当てはまる言葉はこれだけだっただろう。


「いや知ってはいるんだけどね、も今はフリューゲル領主。君、護衛。ただでさえそんな微妙な関係に落ち着いちゃったのに僕には婚約者とか婚約者とかいろいろ憑いてまわっているから、しかもそういったことにあまり詳しくなくて結局は向こうの勢いに流されてばかりで……普段そうなら夜伽だってそうだしもう相手が何考えているのか戦場なら手に取るようにわかるのに女性の考えなんて本当に分からないよ大体なんなんだよノルンは成長がないこと気にして食事位多めにとっているかと思えば僕が寸胴好みだと教えられた途端にそれ止めて二人きりになればすぐに裸になりだすしリリィだってそうだよ今日だって出会い頭に口と口重ねてきて平静装ってたけどあれ能面通し切るの本当に大変だったんだぞそう言った意味では君がいてくれるのは助かるな今までリムに助けてもらっていたがあの子に無理させたくなかったし代わりになってくれれば非常に助かる」


 何か独白が始まったようだがフィリアの注意はその中の一点に向けられていた。


『結局は向こうの勢いに流されてばかりで……普段そうなら夜伽だって』


 この台詞で自分と周囲との関係の解釈に齟齬が生じていたことを理解した。

それを頭で整理し終えると盛大に怒りが募る。アマトは愚痴をこぼし続けているがそのせいでフィリアの変貌に気付けないでいた。


「あんな子供の姿でそんなことされれば周りの目がどうなるか分かっているんだろうかいや分かってないんだろうなそもそも恥じらいというものが無さすぎるなんだよいくら僕の命の恩人だからって限度というものがあるだろうにあれ命の恩人?じゃあフィリアと同じなのかそれならあれぐらいのことはむしろ僕が甘受するべきなのかいや違う違う違うそうじゃなくて本筋としては僕はもっと彼女たちと真剣に向かい合うべきであってでもそれが三人同時であるということが事態をややこしくて解決困難にするのであってあああしまったリムもいたのかあの子とは二十年来の仲だから最早兄妹親子のようなつもりだったのに勢いでああなっちゃったし詰まる所僕は女性関係の構築が知らない間に最悪の状態になるところまで来てしまったのかあははははいやあははじゃないよ何の洒落にもなってないうああああどうすればいいんだいっそノルンの言う通りにすればいいのかいやダメダメダメダメダメダメそれこそ血の雨が降る展開だよ何でこうなるんだ」

「うるせぇぇぇぇぇ!」


 あまりに長く独白を続けるアマトに自身の苛立ちを加えて限界に来たフィリアが立場すら忘れてアマトに詰め寄る。


「どいつもこいつも伽とぎトギ!上等だ!」

「あの、フィリアさん?」


 アマトの腕をつかみグイグイと道を挟んで湖と反対側にある木の陰にアマトを仰向けに押し倒した。


「え、やだ。まさかのまさか?」

「大丈夫ですよ、天井……は無いから葉っぱの数でも数えてればすぐに終わりますから!」


 優しさがどうした。温かみがどうした。それだけでこの優男に愛されることが出来るはずがないのだ。ノルン、リム、リリィ、彼女たちと同じ土俵に立ってやる。

婚約者が何だ、幼馴染が何だ、絶対に自分アマトからの愛を正々堂々勝ち取ってやる。


「皆言ってますよ、色恋は惚れさせた方が勝ちだって、頑張ります!」

「その理屈だと僕はもう勝っているんじゃ……やめてぇ!これ以上は無理だってホントお願い!」


 今までのフィリアだったならばアマトの懇願は通っていただろう。だがよくも悪くも女は強いもの。もうアマトに打てる手はただ一つ。


「いきまーす!」

「……優しくしてください」


 諦めることだけだった。

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