第25話「わたしメリーさん……歯磨き粉と洗顔ソープを間違えたの」


「ハァハァ……」


 気がつけば、そこは地球だった。

 膝の上には漆塗りの弁当箱、中身は半分も食べていない。

 そろそろ、お昼休みが終わる。


 異世界で「トイレの花子さん」と呼ばれる少女は、いそいそと片付けを始める。

 家紋の入った、黒檀の箸をしまう。

 最高の職人が制作した、漆塗りの弁当箱の蓋を閉める。

 人間国宝にも選ばれた、京都の染物師が染色した布で包み込む。

 学校のトイレを出ると、疲労困憊した表情を引き締める。

 背筋を伸ばして、凛々しく廊下を歩む。

 自分に求められている、だれもが思い描く「花子様」になりきる。


 花子さんは、都内の私立校に通う女子高生だ。

 上流階級の令嬢が通うことで有名な女子校で、制服は漆黒のセーラー服。


 廊下を歩いていると、同じクラスの女生徒と目があった。

 クラスメイトは、その場で立ち止まる。

 腰を90度曲げるお辞儀をしてから、敬語で花子さんに話しかけてくる。


「花子様。表情が優れませんね。ご機嫌が麗しゅうないのですか?」


 日本語に翻訳すると「花子、シケたツラしてんな。元気ねーの?」。

 花子さんは、表情を凛々しく固めたまま「ご心配をお掛けして、心より申し訳なく思いますわ」と返答する。

 クラスメイトは、ねぎらいの言葉に表情を青くする。

 慌てふためいて「かしこくもねぎらいのお言葉など!」と弁明する。

 いらぬことを言ってしまい、気分を損ねたと思い込んでる様子だ。

 その態度に気分を害しながら、花子さんは教室に入る。


 空気が変わった。

 花子さんが教室に入ったことで。

 にぎやかな空気が凍りついて、教室に満ちるのはピリピリとした緊張感だ。

 一般国民とは異なる「特別な個人」である花子さんは、物心のついた頃から特別扱いだった。

 声は「玉音」、顔は「玉顔」、写真ではなく「御真影」で、死ねば「崩御」。


 ――もう、うんざりですわ。


 骨の髄まで染み込んでしまった、分かりやすいお嬢さま言葉にも反吐が出る。

 たまには「クソがッ!」と叫びたい。

 いちどでいいから、学校帰りのコンビニでファミチキを買いたい。

 蒸れたスカートの中に下敷きを「ベコベコ」して、新鮮な風を送りたい。

 自分を特別扱いしないで欲しい。みんなと同じタメ口で話しかけて欲しい。

 馬鹿みたいに笑いたい。アホみたいにギャグを飛ばしたい。

 みんなと友達になりたい。放課後に遊びに行きたい。

 でも、それは許されない。


 高貴でやんごとなき御身分の花子さんに――

 たかが一般国民が、平等な態度で接するのは不敬なのだ。


 凛々しい表情は変えず、花子さんは机に座る。

 友達ではない「御学友」の皆様が、魔王に媚を売るような態度で話しかけてくる。

 ご機嫌取りのソレに「花子様モード」で相槌を打ちながら。

 異世界で「トイレの花子さん」と呼ばれる少女は、声には出さずに心の中で「氏ねよクソがッ」と毒づいた。


 花子様、花子様、花子様。

 この世界にいる限り、地球上のどこでも、自分は「花子様」のままだ。


 だから、また行きたい。

 誰にも尊敬されない世界に。護衛のSPがいない世界に。

 自分が「花子さん」になれる、剣と魔法の異世界に。


 でも、


「花子様。本日はいかがなされました?」

「…………」


 異世界に行けば、たぶんアイツがいるハズだ。

 ドアの向こうで高笑いを上げる、九條冥子と名乗った高慢ちきのクソ女が。

 今になって気づいたが、どう考えても日本人の名前だ。

 それに、自分が地球人であることを見ぬいた。

 たぶん「花子」という、古臭い日本人にしか思えない名前からバレたのだろう。

 うっかり名乗ったのは、失敗だったかもしれない。

 幸いにも、自分には「苗字がない」。

 だから、とっさに思い付いた、仮の苗字を付けて名乗っていた。

 だから、名前から正体がバレることはないハズ。


 自分が「トイレの花子さん」ではなく。

 高貴でやんごとなき、誰もが敬愛する花子様であることは――






 翌日、4時間目の授業が終わると。

 お弁当を抱えた花子さんは、教室を抜け出した。

 校庭の脇を通り抜けて、体育館とプールの間にあるトイレに入る。


 そこは、プールシーズン以外に使われることのないトイレだ。

 放課後は運動部に愛用されているが、お昼休みに立ち寄る生徒は、まずいない。


 いつのことからだろう。

 花子さんが、孤独を求めたのは。


 高貴な子女を演じるのが、嫌になったせいか。

 それとも、周囲のよそよそしい空気に耐え切れなくなったか。


 とにかく、花子さんは学校内で1人になれる場所を探した。

 そして、見つけたのが。


「…………行きますわよ」


 通い慣れた、個室のドアを開く。

 便器の蓋を閉めて、即席の座席に腰掛ける。


 ふわっっと、意識が遠のく。

 気絶から覚めると、地球のトイレから異世界のトイレにワープしている。


 原理は分からない。理由も分からない。どこか分からない。

 だけど、ここは聖域だ。

 自分が「花子様」ではない別の存在になれる居場所だから。

 誰からも尊敬されない、トイレの花子さんになれる場所だから。

 でも、


「クククッ、今日も来たようだな」

『また、あなた様ですか。まったく御迷惑な御婦人ですこと』


 ドアの向こうから、女の声が聞こえた。

 男らしい言葉遣いをしゃべる、クソみたいにウザったい異世界の女生徒だった。

 からかったのが間違いだったのか、どうやら恨みを買ったらしい。

 しかし、名前は「九條冥子」。

 日本人を思わせる名前で、さらには自分の正体を察しつつある。

 漆塗りの弁当箱を開きながら、花子さんは冥子を警戒しつつ言うのだ。


『今日は、何をなさるおつもりですの?』

「クククッ。今日は、トイレの花子に全寮制女子校の恐ろしさを教えてやろう」


 ドアの向こうの高慢女が「本日の傭兵はコイツだ」と、誰かを呼び寄せる。

 嫌な予感しかしない。ロクでもない事が起きる。

 お弁当の「たくあん」を、咀嚼音がしないよう飲み込みながら冷や汗を流す。

 ドアの向こうから、それは聞こえてきた。


「私はカク・ヨムコ! 剣と魔法の異世界で声優を目指しています!」

『……何をお考えですの?』

「ふん。某所で『異世界ではじめる声優活動』なる名作が話題と耳にしてな」

「ただのサンプルよ……某小説投稿サイトの」

「カク・ヨムコは声優になります! 進学先も声優の専門学校と決めています!」

「九條ちゃん! 愚かなこの子を止めてあげて! 貴重な若さを黒歴史に捧げるつもりよ!」


 ドアの向こうで。

 高慢女の相方らしき女生徒が、ツッコミを連打している。

 ボーイッシュな声質で、ぎゃーぎゃー喚いている。

 よく分からないが、異世界の声優志望を連れてきて何かをするらしい。


『声優志望の御方を『花摘みの園』にご案内? 目的はなんですの?』

「朗読させるのさ。俺が用意した、2人目の傭兵が書いた小説を――来い!」

「私は「果名あきこ」! 小説家志望の女子高生です! 進学先はもちろんライトノベルの専門学校――」

「やめなさい! その進学先だけはアカンわ!」

「えー、でも」

「早まるのはよして! まずは先人の声を聞きなさい! ラノベ専門学校の真実に気づくと思うから!」


 ドアの向こうでは、ボケとツッコミが乱舞している。

 よく分からないが、ラノベの専門学校とは恐ろしい場所らしい

 例の高慢女が、果名さんに言うのだ。

 

「果名あきこよ。俺が出した課題は持ってきたな?」

「はい! ちょっと恥ずかしかったですけど……書き上げました! 私の全力を注ぎ込んだ『官能小説』を提出します!」

『なんのことですの? なにを始めますの?』

「ククク、決まっているだろ。花子に聞かせてやるのさ。全寮制女子校の生徒が書いた官能小説を、素人未満の声優志望が朗読するのを!」

『……お好きにどうぞですわ』


 馬鹿馬鹿しい。付き合ってられない。

 花子さんは、高貴で崇高な花摘みの園での食事を再開するが――


「朗読します――タイトルは『淫ら姫の夜這い日記』です」


 まったく興味がない。

 無関心に食事を続ける花子さんは、メインのおかずに手を付ける。

 今日のお弁当は洋風。

 主食は薄焼き卵が乗ったチキンライスで、主菜はミニハンバーグ。

 プチトマトの赤色が鮮やかで、レタスの緑色も目に優しい。

 有機農法で作られたトマトをふんだんに用いた自家製ケチャップがライスに深い味わいを授けて、ハンバーグも冷凍食品ではなく国産和牛を用いた手製のモノだ。


 花子さんが便所飯を始めた、ドアの向こうでは。

 異世界で声優志望の女生徒が、素人の書いた官能小説の朗読を始めていた。


「第1章――オレの童貞膜が声優志望のお嬢様に破られた件について――」 

『お待ちなさいっ!? 童貞膜とは、なんですのっ!?』


 コラッ、待てぇ!

 謎すぎるワードに、ツッコミを入れてしまった。

 意味が分からない。つーか、男にそんな膜はない。気になって仕方ない。

 花子さんは、食事も忘れて叫ぶのだ。


『朗読の途中ですが、原作者に御説明を求めますわっ!? 童貞膜とは!?』

「作者が答えましょう。童貞膜はあれですよ。男性器の先端の裏側に張り付いた、初体験の時に破ける膜状の――」

『存在しませんの! 殿方の御体には、ンな膜なんてございませんのっ!』


 だめだっ、飯食ってる場合じゃねぇ!

 食べかけのハンバーグを箸で持ったまま、ドアの向こうにツッコミ炸裂。

 どうなってんだ、これが異世界の常識なのかっ!

 それとも、女子校育ちの自分の性知識が、根本的に間違っているのか!

 ドアの向こうから、例の哄笑が聞こえてきた。


「クククッ、どうだ花子よ。これが、全寮制女子校に通う女学生の性知識だ!」

『あんまりですわ! 童貞膜など、小学生でもウソだと気づきましてよ!?』

「それを信じてしまうのが、全寮制女子校の生徒なのだ! 男の体の情報が一切入らない環境が、都市伝説じみた童貞膜を生み出したのだ!」

『なんと恐ろしい……』

「声優志望のカク・ヨムコよ! 素人が書いた官能小説の朗読を続けるのだ!」

「えーと、世界最大の版図ばんずを誇る」

版図はんとですわっ!』

「あわわぁ……版図はんとを誇る、龍皇王公国は――」

『お待ちなさいっ!? その『王公国』とは、なんですのっ!? 王国は「王」を頂点に統治される国で、公国は「王権の及ばない諸侯による国家」を意味しましてよっ!? どんな政治体制をしていましてっ!? その世界最大の版図を誇る謎国家はっ!?』

「声優志望のカク・ヨムコ。構わん、朗読を続けろ」

「はい……版図はんとを誇る龍皇王公国は、パルスのファルシのルシがパージでコクーンした結果」

『冒頭で専門用語の羅列は、おやめになって!? 作者は用語の詳細が分かっておられても、読者は置いてけぼりですのよっ!?」

「そ、それで……市条例を見ない天変地異に見まわれ」

『それ誤変換ですの!? 史上、例を見ない――が、正しい表記になりましてよ!?』

「つ、続きは……コッ、コクーンはパルスに浮かぶファルシがクリスタルの力で気づいた都市で……東のグラーグ、西のメルサ、南のオロス、北のポメイラ、四王国の分かれて清掃にあけくれていいて、5ルクセル(1ルクスは24.875cm)の剣で血で地を洗――」

『さっさと官能シーンをお始めなさい! 官能小説というジャンルで、冒頭から重厚そうな設定をダラダラ羅列されても困りますの! あと、頻出する誤字と意味不明な接続語は、どうにかなりませんのっ!?』

「クククッ、どうだ花子よ! これこそが進学先に専門学校を選んでしまう、脳みそお花畑な女生徒の書く小説の典型例だ!」

『恐ろしいですわ……』


 食事が進まねぇ!

 突っ込みどころのオンパレードで、崇高な花摘みの園での食事が手につかねぇ!

 でも、


『わたくしは、負けませんの……ッ!』


 チキンライスに箸を差し込んで、塊を口の中に放り込む。

 咀嚼して、嚥下して、次にプチトマトを口にいれて、咀嚼して、嚥下して


「カポデテュ……カポデュ……じゃなくて、えーと……カポデテュティ」

『人名をちゃんと発音できてませんわっ! つーか、人間の口で発音するのに向かないキャラ名は、お控えになりなさい!』

「エ、エマニエルは……成熟したマツタケ型マッシュルームの回転ドリルの駆動部に」

『官能表現をヒネり過ぎて、もはやギャグですのっ! それで情欲をそそられる読者はいませんわっ!』







『もう……お許しになって……あそばせ……』


 数日が経過した。

 昼休みのたびに、花子さんは花摘みの園を訪れた。

 そして、ワープした異世界で疲労する毎日を続けていた。


 どうして、なんで、わたくしの安息の地を。

 涙目で許しを請う花子さんは、九條冥子と名乗る高慢女の声を聞いた。


「決まっている。便所とは飯を食う場所ではないからだ」

『ひっぐ……わたくしは……それでも……花摘みの園で食事をしたくてよ……』


 連日の嫌がらせで、花子さんはボロボロだった。

 昨日なんか、夢の中でも「兄貴の喘ぎ声ボイス集」が再生されたぐらいだ。

 強制的に聞かされた「なうい息子!」や「変な乳してエビ臭い!」とか「新日暮里!」には、どんな意味があるのか。

 意味不明すぎる内容が気になって、夜も眠れなかったしホイホイチャーハン?

 リズミカルに尻を叩きながら、あぁ~ん? あんかけちゃーはん?


『わたくしは……ここしか、心が安らげる居場所がございませんの……』


 涙混じりに訴える花子さんに、冥子は言い放つ。


「異世界は貴様が便所飯をする場所ではない。教室で友達でも作って、地球で飯を食うがよい」

『えっぐ……わたくしに、お友達などできませんのよ……』

「知っている。貴様が地球で特別な身分にあることも、心を閉ざして運命を受け入れていることも」

『……どこまで調べてまして?』

「全てだ。俺は地球に情報網を持っている。それを活用して、日本全国の「長谷川 花子」という女子生徒を調べさせた。存在しない名前だった。そこで合衆国政府に要請して『エシュロン』の力を借りた」

『……エシュロンとは?』

「地球における、世界最大の盗聴機関だ。軍事目的で作られた通信傍受システムで、電話やメールや無線通信など、地球に存在するありとあらゆるデジタル情報を収集している。エシュロンは、諜報やテロ防止に活用されているが、そのデータベースの中に「声紋ライブラリー」がある。あらゆる個人の声質をデータ化して、必要に応じて検索できる機能だ」

『異世界で録音したわたくしの声を地球に持ち込んで分析を行い、個人を特定したとおっしゃるつもりですの?』

「ご明察のとおりだ。まさかの正体で驚かせてもらった」

『……でしょうね。わたくしは平民とは異なる、日本において特別な個人ですから』

「下の名前は本名でも、苗字は偽名だったな。そもそも貴様に苗字は存在しないが。そして、仮の苗字の元ネタだが、俺が推測するに――」

『母の旧姓ですわ』


 ドアの向こうから、花子さんの声が響いてきた。

 身分を把握されて覚悟を決めたのか、淡々とした口調で訪ねてくる。


『それで、あなた様の目的は、何になりまして?』

「お昼休みのトイレを占有する、トイレの花子さんの怪談を退治することだ」


 九條冥子は、ドア越しに花子さんに語りかけた。


「九條冥子が、トイレの花子に命じる――もう二度と、異世界で便所飯などするな。貴様は1人じゃない。ただ意地っ張りで勇気が足りないだけだ。今すぐ教室に行け。クラスメイトに話しかけろ。ギャグでも飛ばせ。笑いのひとつでも取ってみろ。特別な立場のお姫様ではなく、共に青春を過ごす仲間として認め――」

『やれやれ。愚民の考え、愚かなりけりですわ』


 ドアの向こうの花子さんは、静かな口調で淡々とソレを口にするのだ。


『わたくしは、自分の運命を受け入れてましてよ』


 トイレの花子さんは、やんごとなき口調で語り始めた。

 現代の日本で唯一許された、抗うことの出来ない人権侵害の実態を。


『わたくしのお母様とお父様は、省庁の幹部の決定に基づいて結婚しましたの』

「それが、どうした?」

『婚姻前のお母様には、お父様とは別に想い人がいました』

「……続けろ」

『共に愛し合い、将来を約束した殿方がいましたの。でも――』


 トイレの花子さんは、諦めと達観に満ちた言葉を紡ぐ。


『殺されましたのよ。お父様とのラブロマンスを成就させるべく――』

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