第26話「わたしメリーさん……第二章15話だけど、どうして前後の話と比べてアクセス数が多いのっ!?」


 手を伸ばせば、両壁に手がつく。

 横幅80センチの狭い空間で、花子さんは語り始めた。


『わたくしのお母様は、誰もが羨む素晴らしい女性でしたわ。家柄が良くて、容姿が優れていて、語学に堪能していましたの』

「ふん。才色兼備というわけか」

『肯定します。それゆえにわたくしのお母様は、お父様の花嫁に選ばれましたの』


 花子さんが語ったのは、ある女性の恋物語だった。

 才色兼備の女性がいた。その女性には将来を誓った恋人がいた。

 いつか家庭を築こうと約束を交わした、相思相愛の関係にある異性がいた。

 その女性は、日本政府が仕組んだラブロマンスに巻き込まれた。

 出会いは軽井沢。テニスコート。

 偶然を装った顔合わせは、やがて周囲を巻き込んだ恋に発展していく。

 互いに愛がなくても恋をせざるを得ない状況にして、二人を結ぶべく追い込んだ。

 だが、その女性には一般人の恋人がいた。

 その恋人は影からの圧力で職を失い、再就職すらままならなくなった。

 それでも女性は、一般人の恋人を選んだ。

 しかし、


『わたくしのお母様は、相思相愛の関係にあった殿方と……永遠の別れを経験させられましたの』


 恋人の葬儀は、両親の結婚式の最中に行われたという。

 白木の棺の小窓を開けて、眠るような顔を見ることも許されない。

 最期の言葉を交わす、当然の権利すら奪われた。

 花束で彩られた安らかな寝顔に、さよならのくちづけすることすら叶わない。

 日本中が両親の婚姻に熱狂して、テレビ東京ですら特番を組むなか。

 花子さんの母親が愛した、歴史に残らない一般男性は。


 白木の小窓を閉められて、

 鉄の門扉が閉められて、

 優しい炎に包まれて、

 煙と灰になって。

 晴れ渡った青空の彼方に旅立っていった。


『それから、お母様は求められるキャラクターを演じるロボットになりましたの』


 だが、さすがに精神面の負担は大きいらしい。

 花子さんの母親は心の平衡を崩しがちで、公務を休む日が増えている。

 それは、花子さんの未来図だった。

 自分もいずれ、あのように国家が求める、理想の花子様にならないといけない。

 たとえ自分が拒否しても、絶対に抗えない。

 特別な自分は、誰かと深い関係になって、迷惑をかける訳にはいかない。

 だから、


『わたくしは花子様を演じることを選びましたの。大変な苦痛を覚えますが、それがわたくしに課せられた義務ですから致し方ありません』

「ふん。俺には義務ではなく、タチの悪い呪いの一種に思える」

『肯定しますわ。わたくしは死ぬまで花子様のままですから。そんなわたくしが、学校において花子様から開放される、唯一の場所が』

「昼休み限定で異世界にワープできる便所だったのか」

『便所などという下賤な物言いはおやめになって。わたくしは「花摘みの園」と呼んでいましてよ』

「花子よ。女性が排泄行為に向かうのを「お花摘み」というが、その語源を教えてやる。元々は登山用語だ。女性が茂みの中でしゃがむ姿勢が、お花を摘んでるように見えるからだ」

『まったく。デリカシーのないレディーですわ』

「ちなみに男バージョンは『雉撃ち』だ。男性の立ち小便の姿が獲物を狙う猟師と似ているからだ」


 軽口を言いながら、冥子はかたわらのメリーさんに命じる。


「メリー。資料14を音読しろ」

「読み上げるわよ。資料14『花子さんの母親が若い頃に交際していた男性』」

『……はい?』

「言ったハズだ。俺は地球の情報網を使って、貴様を調べあげたと。続けろ」

「なにこの資料っ!? さっき花子さんが言ってた話、どれもデタラメじゃないっ!」

『……なんとおっしゃいました?』

「さっきの別れ話よ! 悲劇の別れじゃなくて、クソ男が野垂れ死んだだけよっ!」

『……お続けになって』

「花子さんの母親の恋人だけどね、あなたの話によると影の圧力で職を失って再就職も妨害されたそうね?」

『えぇ、立派な殿方であったと』

「ウソよ。元恋人の本名は山田次郎。自称ミュージシャンの無職。生涯で一度も定職に付いたことはないわ」

『はいっ?』

「このクズ男……花子さんのお母さんのヒモだったみたい……」

『で、でも……』

「結婚式の直前に死んだのは事実。でも、死因は違法薬物のやりすぎね。自宅アパートでオーバードースを起こして急性心不全。まったく、クソ男らしい最後だわ」

『ま、まさか……』

「当時の監察医が書いた、解剖初見のコピーもあるわよ?」

『ウソですの……』


 ドアの向こうから、盛大に動揺した声が聞こえてくる。

 自分が聞かされた物語が、ロクでもない真実で上書きされる衝撃が目に見える。

 鼓動のバクバクが止まらない花子さんに、冥子は容赦しない。


「メリー。資料18を読み上げろ」

「これ公表したらヤバイわね……資料18『花子さんの母親の新型うつ』」

『……お続けになって』

「心の平衡を崩しがちと、マスコミ報道されている、花子さんのお母さんだけどね」

『はい。お母様はストレスが多い環境に置かれ』

「それね、仮病らしいの」

『…………』

「いやね、公務に励むのがイヤなのか、そもそも専業主婦を希望してるのか、うつ病のふりをして、怠けてるだけらしいの」

『……信じがたいですわ』

「ウソだらけな昔話が生まれた原因のようね。私にはかわいそうな過去がある。だから心を病むのも仕方ない。つまり仕事を休む。QED証明完了。うつ病認定お願いします――花子さんのお母さんもガチもんね……」

『そういえば……先ほどの悲恋をお母様がお話してくださったのは、御邸宅でゴロゴロしながら、韓国ドラマばかり見ていたお母様に「少しは公務に励んで下さい!」と、わたくしがお叱りした時でしたわ……』

「それで?」

『盛大に舌打ちされて、理不尽に罵倒されましたの。それから面倒くさそうにお話になられたのが、先ほどお話した……』

「花子さんのお母さん、どうやらガチモンみたいね……」

『わたくしも「おかしい?」と思うことは多々ありましたわ……でも、まさか』

「ちなみにご両親の夫婦関係は良好よ。花子さんの父親がベタぼれしてるおかげでね。調査書によると二人の成り染めは父親の一目惚れなんですって。熱烈アタックで花子さんの母親が折れてからは、スムーズに交際が進んだとのことよ」

『わたくしのお父様……ご邸宅では、お母様の奴隷のようですわ』

「あとね、花子さんの母親は普通の家柄よ」

『なっっっ!?』

「ただの平民、実家は千葉県のピーナッツ農家。家柄が良いというのは……養子縁組で経歴を上書きしたおかげみたい。あと結婚前は語学堪能な公務員とのことだけど、本当は洋楽にハマった影響で英語とフランス語をマスターした花屋のアルバイト店員だったそうよ。結婚直前に公務員にねじ込んで、強引に経歴を上書きしたらしいけど……デスメタルをこよなく愛する女性だったそうね」

『御心当たりがありすぎますわ……わたくしのお母様は、耳が壊れるほどの音量で悪魔を礼賛する歌詞の音楽を嗜んでおりますの……』

「花子さんのお父さんは、そんな奥方を心の底から愛してるそうよ」

「ふん。理想の幸せ夫婦だな」


 冥子の冷めたコメントが、だいたい全てを物語っていた。

 国家による恋の妨害なんてなかった。

 平民と特別な個人の恋愛を、むしろ応援していた。

 明らかにダメな組み合わせなのに、経歴詐称までして後押ししてくれていた。

 つまり、


『わたくしも……』

「だろうな。平民と友達になろうが、平民と恋仲になろうが、なんの問題もない」

「むしろ、花子さんの嘘話が本当だったら、大問題よ……」

「違いない。週刊「センテンス・スプリング」辺りが、すっぱ抜くことだろう」

『…………』


 花摘みの園で、花子さんは考える。


 ――もう、ここに来るのはやめよう。

 ――もう、自分の運命を悲観して殻に閉じこもるのはやめよう。

 ――もう、花子様を演じるのはやめよう。


 思い返せば、周囲の人間がよそよそしい態度なのは、自分にも原因があった。

 花子様を演じているせいで、周囲にいらぬプレッシャーをかけていたに違いない。


 だから、変わろうと思う。

 敬愛される花子様ではなく、クラスメイトの花子さんに変わろうと思う。


 横幅80センチのプライベート空間で、まだ手を付けていない弁当箱を見る。

 間に合うだろうか。今から行けば間に合うだろうか。

 今すぐ教室に戻って、クラスのみんなとランチを楽しむことができるだろうか。


 いや、できるはずだ。

 自分を変えることができれば、きっと不可能じゃない。


 花子さんは、ドアの向こうの高慢女に。

 骨の髄まで染みこんでしまった、やんごとなき口調で語りかけた。


『九條冥子様と、おっしゃいましたね』

「そうだ」

『腹立たしいですが、言わせて頂きます――ありがと……ですの』

「礼には及ばん。俺は学校の怪談を退治しただけだ」


 冥子の声を合図に、閉められたドアが開いた。


 リリアン魔法女学園、3階の女子トイレ。

 トイレの花子さんが出る、手前から3番めの個室の中には


「あれ? 誰も居ないわね?」

「トイレの花子さんなら、地球にワープしたのだろう。自分を変えるためにな」










「…………」


 短い気絶から覚めると、そこは地球の花摘みの園だった。


「……行きますわ!」


 花子さんは、体育館とプールの間にある誰も来ないトイレを飛び出した。

 黒いセーラー服のスカートを翻して、校内を全力疾走する。


 目指すは教室、みんながいる場所。

 やんごとなき自分を変えてやろうと、お下品な走りで廊下を駆け抜けた。


 音を立てて教室のドアを開くと、クラスメイトの「ぎょっ」とした視線。

 呼吸を乱した花子さんは、下賤な声量で叫んだ。


「わたくしと! お友達になって下さりませんか!!!」


 ストレート過ぎる願望は、クラスメイトの沈黙で迎えられた。


 うん、意味が分からない。

 どうして、こんなまっすぐに想いを伝えたのか。

 なぜ、ステップを踏まなかったのか。

 これではまるで精神錯乱者。迅速なリカバリーが必要だ。

 でも、


「…………ッ」


 出したい想いが、言葉になって出てこない。

 クラスメイトと、対等な立場で会話するなんて、やり方が分からない。

 上から目線でしか、下々と会話することが出来ない。


 何かを言いたい。でも言葉が出ない。

 無力で、惨めで、ロクでもない、やんごとなき自分が悔しい。

 自然と、涙がこぼれてくる。

 周りの生徒たちは、やんごとなき花子様の奇行に動揺している。


 ――やっぱり、自分は変われないのか。


 勇気を出して踏み込んだが、最初の一歩で躓いていしまった。

 花子さんが、役立たずな自分に涙を流した。

 その時、


 ――トン、トン、トン、


 背中から肩を3回、リズミカルに叩かれた。

 花子さんが振り返ると、ほっぺに「ぷにっ」と指先の感触。


「花子。いきなりどーしたの?」

「…………」


 振り向いた花子さんのほっぺを、女生徒の人差し指が迎え撃っていた。

 唖然とする。呆然とする。周囲が息を呑む。

 やんごとなきクラスメイトに、不敬にも下々がイタズラをしでかして動転する。

 だけど、不敬な女生徒はざわめきなど気にせず言うのだ。


「あたしのグループ来なよ。花子も仲間に入れてあげる」

「……よろしいのですか。わたくしは……」

「さっき言ってたじゃん。あたしが友達になってあげる。別に普通でしょ?」


 不敬な女生徒は「にひひっ」と、いたずらっぽく笑いながら言うのだ。


「あと、一度やってみたかったのよね」

「なにをですの?」

「ほら、花子って花子さんじゃん。だから、このネタをやりたかったわけよ」


 フレンドリーな女生徒は、花子さんの肩を「トン、トン、トン」3回叩いた。

 そして、


「花子さ~ん、あそびましょうっ♪」


 周りの生徒たちが、ニヤッと笑った。

 自分の名前と、某有名な学校の怪談をかけた、いわゆるネタ振りだった。

 ネタを振られたら、全力で答えないといけない。


 周囲の期待を一身に浴びて、好機の視線に晒される花子さんは。


 肩を「トン、トン、トン」3回叩かれて、

「花子さん、あそびましょう」と言われて、

「はぁ~い」

 ありきたりな台詞を言った。







「あの便所飯女は、もう二度と異世界に来ないだろう――」


 ここは異世界、リリアン魔法女学園のトイレ。

 怪談退治を終わらせた冥子は、不要となったドアの貼り紙を剥がした。

 剥がしたポスターを眺めながら、しばし思案する。

 ふと閃いた。

 剥がしたポスターを、裏返しにする。

 地球から持ち込んだ筆ペンで、裏面に文字を書きなぐる。

 裏返したポスターを、ドアに貼り付ける。


 裏返して貼り直されたポスターには、こう書かれていた。


 ――宮内庁御用達、


 と。

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