第35話 夜は深まり
裸足でかけっこする猫。できたての水溜まりを軽やかに飛び越す。向こう側に着地して、水飛沫を粒へと変えた。笑った猫を追いかけて、僕の指先からスルリと縫った糸をほどいた。
柔らかな裸足は、チャプチャプと雨の音域を音色や変えて演奏した。五線紙に並列した音符は、二度と聴くことのできないメロディーなんだと思った。
濡れた髪や肩を柔らかいタオルで拭いては、美琴の笑顔が途切れ途切れに目に映った。突然の雨に冷えた身体を暖めてと、美琴の声が耳に聞こえた。突然の雨は、突然のロマンチックな場面を演出してくれる。ポロシャツのボタンは、弾けたビリヤードみたいに外された。
大人の胸板には程遠いけど、青年時代の厚みを物語るようだった。恥ずかしい気持ちになったのは、僕の胸板を手のひらで摩る美琴の仕草。
「僕ちゃんは女の経験が無いのね。だったら私が初めての相手でも良い」と艶のある声で言っては、僕の顔をジッと見つめた。
何を言っているかなんてわかっているのに、僕は恥ずかしさに耐えられなくて、わからないフリして見つめ返した。
それが今の精一杯の抵抗だったに違いないーーと、心の中で思っていた。帰り道の雨がもたらしたロマンチックな夜。
彼女はアゲハでもなくて、僕だけの前に現れる、美琴という女だった。
サナギから蝶へと生まれ変わる女。僕の目に、少しずつ包み隠した肌を露出させていく。ジーパンの中で変化した時、僕の目に映っていた蝶は、薄明りの照明の下で、鮮やかな羽根を広げた。無言のまま美琴は浴室へと先に入り、シャワーのノズルを捻っては、カーテンみたいなシャワーを裸体へと浴びせた。
遅れて入って来た僕へ、美琴は何も言わない。ただただ美しい艶のある背中を魅了させていた。弾かれた水玉が肩甲骨を伝わり、くびれた腰やお尻に流れ落ちた。後ろで立ちっぱなしの状態が続いたあと、美琴は振り向いて僕の胸板へシャワーを浴びせた。胸の高鳴りで直視できない……
「僕ちゃん、初めてだから緊張してるのね」美琴はそう言って、そっと別の直視する僕を触った。
「綺麗にしましょうね。今夜は身を任せなさい……」
シャワーで丁寧に洗い流された別の直視する僕。流れるままに、小川を流れる花びらは、やがて流れのない淵で集まっては大きく大きく花をひらいた。掬い上げる手のひらの中、白い花びらが放たれたーーーー
そんな僕へ、美琴は優しく微笑んだ後、そっと震える唇にキスを添えた。
今宵、僕は最初で最後の女と交わることになる。夜は深まり、夜空から激しい雨が降り始めた。
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