第34話 路上の花

風俗嬢の部屋に忍び込むのはタブーとされていた。それでも気になってしょうがない。この時間帯、彼女たちが残っているとは思えない。ただ単に、照明を消し忘れたと考えた。のれんから漏れる明かりに、そっと手を伸ばして中の様子を確認した。すると……


「あら、いけない子ね。僕ちゃんは」


部屋に居たのはユリさんでも、他の人でもなかった。僕の好きな女性が一人、化粧台の鏡の前で立っていたのだ。ちょうど着替え終わったみたいで、僕の方を見ては微笑んでいた。そんな彼女を見て、一体どちらなんだろうかと考えてしまう。だから彼女の言葉に返事をすることなく、幻の何かを見つけたように、しばらく見つめていた。


「やーね。なんて顔してるの。ヒロくんから教わったでしょう。ここは彼女たちの大事な花園みたいな場所よ。僕ちゃんが決して覗いちゃダメでしょう。アゲハに怒られるわよ」と美琴さんが笑いながら注意した。


「美琴……さん。なんだよね?」


僕の質問に、んっ?と首を軽く傾けて立ち上がった。そして僕の腕を、糸で縫うみたいに可憐な仕草で組むと、部屋の外へと促した。「今日はそのまま帰りましょう」と小さな声で呟くと、僕を上目遣いで微笑むのだった。その表情に、僕の心は骨抜きにされた。あまりの可愛さに心の中で、美琴さんを抱きしめたいと思う。あれだけお腹が減っていたのに、この瞬間、嘘みたいに忘れる程だった。


タイムカードは押さなくて良いのだろう。きっと今は、あの事務所へ入るタイミングでもないのだ。僕が踏み込んでいい世界ではない。関田さんの話し相手が誰だったのか、路上の花の名前を知りたいと思わないのと同じ価値だった。今の僕にとっては……


二人して店を出た時、華やかなネオンはポツリとポツリと灯りの存在を消そうとしていた。まるで恋人同士みたいに見えるだろうか?僕の腕に縫った糸が解けないように、美琴さんは腕を組んでるみたいだった。チラッと横顔を見て、僕は得意げになっていた。この帰り道、美琴さんは僕だけのモノだった。


夜空を見上げると、星は一つも光っていない。それでも僕の心はロマンチックな輝きを胸に抱いていた。早く帰って、冷え症の彼女を暖めてあげないと。そんな気持ちがいっぱいに膨れた時、夜空からポツリポツリと雨が降ってきた。


そんな雨がまさか、今宵のロマンチックな幕開けとは思いもしなかった。それは頬に当たる、雨だけが知っていることだった。

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