第26話 山川さん

山と川を繋げた単純な名前の山川さん。そんな分かり切ったことをフィルムの保管室で聞かされた。単純な名前ほど覚えてもらえると嬉しそうな顔をしていた。それは動物園で飼育されているゾウに匹敵するほどなんだと豪語するのだ。なんだか例えが独特と思ったのは、きっと僕だけじゃないだろう。その日の午後、関内で何十年と映画を上映するゴールド劇場は、緩やかで静かな時間が流れていた。


「今日は珍しく暇なんだって、土日なんか忙しくて坊主の相手してる時間はないっちよ」と独特な話し方で山川さんは言った。


「そうなんですね。山川さんはいつも一人で任されているんですか?」


僕の質問に、山川さんは顎に生えた髭を触って斜め上へ視線を移した。そのあと、何も言うわけもなく、フィルムを棚に収めると保管室から出て行った。山川さんのペースは僕と正反対だった。僕はどちらかと言うとせっかちだし、何をするにも素早く無駄のない動きでこなす方だ。そんな僕にお構いなしで、山川さんは山川さんのペースで行動した。部屋を移動して、座席の見える小窓からスクリーンを見つめる。僕らが居る場所は観客席から真後ろの映写室と呼ばれる所だ。午前の上映が終わったばかりだったので、座席には誰一人も座っていなかった。


「坊主、映画館は始めてか?俺っちは30年間、このゴールド劇場で働いているっちよ。何でかわかるか?」とそばに置いてあったフィルムを手にして聞いてきた。


「映画が好きだから……ですよね」


「ケケ、映画なんて好きじゃねえよ。嗚呼、別に嫌いでもねえけどよ。特別好きって訳じゃないっち。映画は皆を楽しませる娯楽に過ぎねえのさ。まあ、中には映画を観て、人生観が変わったという奴もいるけどな。それはそれで良いよ。俺っちにとっては娯楽に過ぎねえのさ。わかるか?」


わかりますと答えたかったけど、僕は人生で映画を観たことがなかった。だから曖昧に受け答えるしかなかったのだ。それはとっても寂しいことだし、機会があれば、映画を観たいと思ったのが正直な気持ちだった。


「映画のように人生は歩まない。それが俺っちの考えだ。それがわかったらまた来いや。そしたらアゲハのことを教えてやるっち」


そんな事を言われても戸惑うしかなかった。そんなのわかるわけない。僕は文句の一つも言いたかったけど、何も言えないまま、無言で山川さんの行動を見つめるしかなかった。そして彼は、古びた一本のフィルムを映写機にはめた。カタカタとフィルムが廻った時、山川さんは静かな口調で話し始めた。それが何の話しだったのか覚えていないけど、僕の知りたかったことは、今日という日に知ることはできなかった。



アゲハさんとは……僕の呟きとフィルムのカタカタだけが聞こえていた。

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