第24話 奇跡に近い

型にはまった常識があるのなら、反対に型にはまらない常識もあるでしょうね。美琴さんは前者で、アゲハさんを後者と考える。僕に向かってヨツヤさんは淡々と答えてくれた。心の成長途中であって、僕は昨日知り合った大人たちと比べたら幼い。まだ成長段階なので、ヨツヤさんの言っている意味が理解できなかった。


「坊ちゃんは女性の経験があるのですか?」と唐突すぎる質問をしてきた。


ヨツヤさんは無地のエプロンを首からかけて、腰の紐を結びながら聞いた。その質問に答えるのが恥ずかしかった。もちろん女性経験はなかったし、彼女さえできたことはなかった。思わず目を逸らして、首を横に振るのが精一杯の答え方だった。


「そうね。アゲハさんが誰かなんて坊ちゃんは知らないわよね。もちろん美琴さんとアゲハさんは同一人物よ。それは確かな真実だし、二重人格なんかでもないわ。女性ってね、時と場合によって使い分けるのよ。美琴さんの場合は少し訳が違うけど、アゲハさんはアゲハさんで常識な存在なのよ。もしも坊ちゃんが、アゲハさんと出会ったと言うなら、それは奇跡に近いことですよ」



奇跡に近い……!?



「奇跡なんて大袈裟じゃないですか?だってアゲハさんのことを知ってる人は、僕以外にも沢山いる筈ですよ」と僕が質問を返すと、ヨツヤさんは目元に笑いシワを寄せて、「いいえ、私が言っている奇跡は坊ちゃんしか体験してませんよ。アゲハさんと出会う時、誰も美琴さんと出会った人は居ないわ。だから坊ちゃんは奇跡に近い……」


「私が知ってることはそれぐらいよ。あとはあなた自身で知ることね。さあ坊ちゃん、まだ私には仕事が残っています。まずは坊ちゃんのスーツを仕立てないといけないわ」ヨツヤさんはそう言って、エプロンのポケットからメジャーを取り出した。


僕の肩幅や腰周りなど、各部分の寸法を素早く無駄のない動きで測った。そんなヨツヤさんの姿を見ながら、僕は何だか観察されてるような気分になっていた。ヨツヤさんは幾つぐらいの女性なんだろうか?後ろに結んだ髪の毛は、所々白髪が混じっていた。中肉中背で背はずいぶんと低かった。笑うと目尻にシワがあったけど、愛着のある表情が印象を残す女性だった。


「はい、終わりましたよ。坊ちゃん」


ポンポンと後ろから肩を叩かれて、ヨツヤさんはそのまま話し掛けてきた。彼女の話しを聞いたあと、僕の頭の中で浮かんだのは、昼間に放送していた刑事コロンボの再放送だった。後にも先にも、そんな思い出しは最後だったけど。


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