第19話 ドアの向こう側

美琴さんはシャワーを浴びる前、僕の耳元へこんな風に囁いた。『食事を食べ終わったら、煙草を思う存分吸って一服しなさい。吸い終わったら歯を磨くの。素早く丁寧にね。それが終わったら次はお風呂。今日の疲れと汚れを洗い流すの。それも終わったら用意したガウンを着て寝室にいらっしゃい』と。これが最後の約束事だった。


僕は美琴さんの約束事に従って、行動へ移した。素早く丁寧に歯を磨き、今日の疲れと汚れを洗い流した。シャワーを頭からかぶりながら、寝室に待つ美琴さんの姿を思い浮かべる。寝る時はどんな格好なんだろうか?僕は頭の中でいろんな格好をした彼女を想像しては熱くさせた。こんなにも長い夜は初めてだった。むしろ、このまま永遠に夜が続かないかと思ったりもした。


だってそうだろう。この長い夜、僕は美琴さんと二人っきりで夜を過ごすのだ。明日の朝が来て、明日の夜が来ようとも、今夜の彼女には会えない。だから夜が永遠に続かないかと思ってしまう。僕はこの時、心に感じた嫉妬から答えを見つけた。それは自分自身の気持ちで、これまでの運命を変えた気持ちの始まりだった。ホントの運命は、恋をして愛の難しさを知った時だと……


僕は彼女を、美琴さんを好きになっていた。


シャワーの音は西瓜すいかを真っ二つに切った後みたいに音は消えた。無音の浴室で漂うのは、僕の気持ちと嫉妬に似た愛かも。そんな思いで身体を拭いた。言われたことは守らないと、僕は温もりある肌にガウンを着る。下着は用意されていなかった。だから何も着なかったし、当たり前に素肌をガウンで隠した。少し濡れた足の裏、フローリングに透明な足跡が残像を残すみたいだ。ドアの前に立ち、息を殺して気持ちを整える。鼻だけで呼吸をするのがこんなにも苦しかったのは初めてだった。緊張と不安と期待が複雑に、僕の心に纏わり付いた。首筋を無意識に掻いた後、僕は中途半端なキツツキみたいにドアをノックした。


「入りなさい……」と美琴さんの声がドア越しから聞こえた。


僕は自分の運命を開けるように、静かにドアの向こう側へと踏み出した。

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