第九部 エピローグ
消し止められた火の妙に香ばしい臭いがカスコのどこを歩いても鼻についた。所々崩れた痛ましい城壁を見て方角を見失わない様にして、私は走り回っている。
決して召喚士の被害者もいなかったわけではない。一般人を含めて重軽傷者多数。一命を取り留めた人もいれば、残念ながら虫の息になってしまっている人もいた。今は治癒術の得意な妖精を召喚できる者はあちこちに駆り出されている。
騒ぎが終われば町は静かな物だった。アルパに比べると、建物の原型が残っている方が多数だから、とりあえずは皆が自分の家に帰る事ができている。被害者はアルパより多いけど物的被害は少ないんだ。……悲しみに暮れている人達は、目に見える場所にいないってだけかな。
「あ……」
レアンドロ副所長がカスコ支所の召喚士や私達の前で、状況の収束を宣言した。現れた非道の召喚士とそのインヴィタドは余さず処断、もしくは捕縛に成功したと。
それが昨夜の出来事。今朝になって私は、レブの姿が傍になくて陽が昇る前から探しに外へ出た。本当だったら、こんな勝手な真似を昨日の今日でしちゃいけないんだろうけど。
「いた……」
繋がった魔力線から漏れ出る彼の気配を辿って私はほとんど町と街道の境まで足を運んでやっとレブの姿を見付けた。しかし、そこにいたのは彼一人ではなかったため私は思わず姿を建物の影に隠してしまう。二人、レブとライさんがこちらに気付いているかは分からない。
「もう、我慢ならない!」
黙っていると思えば、ライさんが先に声を荒げた。拳を力いっぱいに握り、俯く顔に鬣が力無く垂れて表情は見えない。
「殺したい気持ちは分かる」
私以外にも誰か聞いているかも、と思うくらいに人通りの無い外でライさんが吼えた一方、レブは平静通りの声で淡々と告げる。だけどそれがライさんの感情を余計に逆撫でしてしまうのは私にも予想ができた。
「分かるものかっ!どれだけ俺がココを想っていたか!どれだけあの頃アイツに救われていたか!頼っていたか!」
吐き出される吐息は蒸気となってライさんの顔を包む。しかし、それすら掻き消す勢いでライさんの独白は続いた。
「俺がどれだけあの時、悔しかったか!堪え難かったか!今もだ!会えた敵を前に俺は何もできずに、気絶させられて!」
ライさんが止まらない様なら、と私はレブに魔法を使わせた。半ば暴れながら剣を振るっていたライさんの動きをレブは簡単に読んで背後に回り、微弱な電流で意識を飛ばして回収。以前、ピエドゥラの山道でもやった事だ。
聞こえてくる悲痛な叫びに私も胸を押さえる。レブはライさんの喉が切れるのではないかと思わせるくらい強烈なココへの想いは今だって少しも褪せていない。それどころか、きっと時が経つ程に増していくんだ。
「訂正しよう」
声を荒げ続けていたライさんに、レブが重い口を開いた。レブの口元からも白い吐息が細長く漏れる。
「確かに、その感情を私は把握できていない」
しかし、レブの一言はライさんの気持ちを鎮めるものではなかった。
「事ある毎に妨害を受け、尚も立ち向かう。その脆弱な身で私にすら牙を剥く。無駄としか言えんな」
こんな時に、何を……!
「ううううぅぁあぁぁぁぁぁぁッ!」
ライさんが先程までとは比較にならない程に大きく吼える。建物に隠れても鼓膜がビリビリとはっきり震えた。
大声に一瞬だけ目を細めたが、再び二人を見た時は逆に一気に見開いてしまう。ライさんが剣を抜いて、殺意を剥き出してレブに振り下ろしていたからだ。
レブはピクリとも動いて避けようとしない。斬りかかるライさんの一撃をそのまま、甘んじて受けてしまう。
「が……っ!」
……だけど、負けたのはライさんの剣の方だった。ライさんの剛腕に乗せられた勢いとレブの鱗が激突し、剣の鋼が耐えられない。鉄粉を散らせて剣は真っ二つにへし折れてしまった。
折れた刃はヒュンヒュン、と音を立てて空気だけを裂くと石畳にぶつかり跳ね返る。短い間滑った刃を見下ろすライさんの表情に生気は無い。
「くっ……!ぐぅぅぅぅっ!」
膝から力が抜けてライさんは崩れ落ちた。力を失ったのは下半身だけかの様に握った拳は力強く、何度も何度も石畳を殴り続ける。
「俺は!俺は!俺は!………ぐっ……うっ、うぅっ………」
レブは黙って見下ろしている。ライさんを慰めるでも、斬りかかられた反撃をするでもない。
「殺したければ殺せ」
半ば錯乱して自棄になりかけていたライさんの手が、レブの一言で止まる。殺せ、と言ったのは恐らくレブの事じゃない。たぶん、フエンテの事だ……。
「私はお前の行動に反対はしない。制止するつもりも、ない」
私がレブに昨日頼んだ事を振り返ると少々矛盾してしまうが、レブの本意では無かったって事だよね。
ライさんもそこは気付いた様で再び目にギラギラと光を宿らせてレブを睨んだ。
「だが、問答無用で連中を殺されては私達も困る。こちらにとって必要な情報を引き出せたなら、後の事までは知らないがな」
「そんなの!」
ライさんの口が動くよりも前に、私の身体と口が早かった。
「………」
「………」
突然別方向から聞こえてきた声にレブもライさんも振り返る。しかし、二人は厳しい表情で口を閉ざしてしまった。
「……ライさん、途中からですけど話は聞いていました」
聞かれたくなかったから町外れまで来たのに、と言いたげにライさんは顔を逸らした。
「ココが望んでた事って、ライさんが笑っている事なんじゃないんですか」
ライさんの行動原理にココが大部分を占めているのは……。
「そうだと思う。そして、そんなココはもういないんだ」
嫌に素直にライさんは認めてしまう。事実として受け入れても、今の自分で在ろうとするのは……。
「これは、俺がしたい事だ。ココが望んでいるか、ウーゴが認めるかなんて関係無い」
「承知しているのだ、この男は。それが上手く進まないから、こうして駄々をこねている」
レブは攻撃してきたライさんを責める様な素振りを見せるどころか、手を取って立ち上がらせた。ライさんもがっしりその手を掴んでレブを見る。
「貴方が止める間すら与えずに始末する。フエンテの前ではそれぐらいの心意気が要る様だと、良く分かった」
ライさんは残った剣の柄を握り、折れた刃を鞘の中へと入れると私に軽く頭を下げてから歩き出す。
「どこに行くんですか!」
「鍛冶屋だ。フジタカ君が専属契約の印を焼き付けてもらった場所を教えてもらっていてね。……これでは、しばらく戦えない」
ライさんが手に持った剣の柄を見せて、ほんの少しだが笑う。……だったら、剣が直るまでは暴れないって事かな。暴れられない、が正しいかもしれない。
「だったら……」
町を歩くならインヴィタド一人よりも召喚士が一人いるくらいの方が良い。ウーゴさんがいないなら私が一緒に行こうと思った。
「待て」
しかし、一歩踏み出してすぐに私の肩にレブが手を乗せた。
「独りになりたいのだろう、今はな。私を呼び出したのもフエンテの一部を捕らえたから、今一度考えを整理する為だ」
人の気持ちは分からない。それは私にも、レブにも、他の誰にも言える事。だけどライさんの意図を汲み取り、想像はできる。
……言われてみれば、ライさんが最後に振り返った顔は今までと雰囲気が少し変わっていた。初めて会った頃に近付いた、とは違うけど……何か憑き物が落ちた様な疲れ切った笑み。
「………」
肩に乗ったレブの手に、自分の手を重ねる。結局、私はライさんの背中を見送るだけで追い掛ける事はできなかった。
了
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