失考されたままで

第十部 一章 ー赤羽根が包むのはー

 風が運ぶ煙に混じる血や肉の焼ける匂いに顔をしかめていたのは俺だけじゃない。俺にしがみ付いているチコも同じだった。チータ所長の召喚した天馬に跨り、俺達は親父を追って空を駆けている。昨日までのカスコなら見晴らしも最高だったろうに。

 「向こうも、君の接近には気付いているのか」

 他人の腰に抱き着いているのはチコだけじゃない。俺だって落ちない様に所長の鎧を掴んで離せなかった。俺の言った方向に真っ直ぐペガソを走らせる所長の目線はあちこちの状況を確認している様だった。

 「……移動はしています。少し進路を東に寄らせてください」

 「分かった」

 あちこちから聞こえる悲鳴や破裂音にも反応して所長は目まぐるしく首をきょろきょろと動かしていた。落ち着きが無いとは違う。刻一刻と変化する状況に目を光らせているんだとは俺にも分かる。ペガソが進路を変えると、少し臭いが弱まった気がした。一方、俺の感じていた気配は逆にどんどん強まっていく。

 「でも逃げるならもっと急ぐと思うんすよね」

 親父がカスコにまた現れた。あの時は俺達が完全に先手を取ったが、今回も同じ結果になるだろうか。ペガソに比べると鈍重とも言える速度で移動は続けているが、俺の勘が正確ならせいぜい小走り程度。足止めされてるか何かでたまに止まってる時や引き返している場合もある。

 「………」

 「うっ……。す、すんません……」

 少し考え込んでたら所長がこっちを睨んでいた。その迫力に思わず俺は耳から力が抜けて謝ってしまう。すげー眼力なんだよな……。

 「いや。そこまではっきりと敵を認識できるとはな、と感心していただけだ」

 所長は前を向いて再度、ペガソの手綱を鳴らす。……敵、か……。俺は親父をどうしたいんだろう。

 「君は」

 またあちこちを見回しながら所長が口を開く。チコは煙を吸い過ぎたのか一度咳き込んだ。

 「君は、人を転移させる事はできないのか。相手と同じ力を持っているのだろう?」

 「そんなワープみたいな事、できるなら俺がしてますよ」

 チータ所長は微かに首を傾げた。

 「……ワープ?」

 チコが俺の背中をドン、とどついた。いけね。

 「ええと……」

 「……君は、力の使い方を間違えていないか?」

 俺が転移と言い直す前に、所長からの一言でぎくりとした。

 「間違い、すか……」

 視線は前を見ながら、こちらに口元は見える様に所長は顔を向けてくれた。

 「君は相手の気配をこの荒れたカスコの中でも辿る事ができている。それはつまり、相手と違う、もしくは相手以上の力を持っているという事だ」

 俺が親父に対して一方的に持っているアドバンテージ。言われればそう解釈もできるんだろうが、俺からすればピンとは来ない。

 だけど、違うってのは分かるかもしれない。抜いたまま持った手元のニエブライリスを見る。本当だったら、俺は自分で消せる力を上手く扱えないといけない。なのに、俺は上手く制御ができないからこうして色ごとに役割を与えて使っている。

 ……もしかしたら、もっと応用できるのに俺は自分で七色と灰色、八つに可能性を絞っちまっていたのかもしれないな。

 「ありがとう、ございます」

 でも、俺はやっぱり恵まれているよ。きっと、これが無かったら八つにもできないんだろうからさ。

 「礼はいい。君の感じている気配とやらが本当にその通り、敵へ案内してくれているとは限らないしな」

 「うっ……」

 ……前言撤回だ。やっぱこの人苦手だわ……。

 でも、所長ってんだからこれくらいじゃなきゃダメなんだろうな。……俺が案内している間に、止められた戦火だってあったのかもしれないし。


 その後、俺の案内は見事に的中して親父と遭遇する。そこで本来、俺とチコが真っ先に戦うべきだったのに出番はなかった。何故なら、親父が俺を認識したタイミングとほぼ同時にチータ所長が倒してしまったから。

 所長が人間の女性とは思えぬ速度で繰り出した早業は、獣人の俺から見ても卓越した技術だったと思う。だけど、それ以上に親父の動きが妙だった。油断していたのか、ほとんど抵抗する素振りすら見せずに倒れてしまう。

 所長はすぐに腕輪から召喚陣を取り出し、オンディーナを呼ぶと近くの民家から出ていた火を消させた。その間にペガソをもう一頭召喚すると俺に親父を運ぶ様に言ってきた。カスコ支所に連れ帰る為に。


 ……駄目だ、完全に案内係と荷物持ちでしか役に立たなかった。だけど、俺と親父の力が同じ様で違う理由に気付けたのはこっちにとっては収穫だった、よな。


 ライさんの姿を見送った後、カスコ支所に戻った私はすぐにある部屋へと通された。当然、レブも同伴している。

 開口一番、気まずそうに口を開いた副所長はベルナルドを取り逃がしたとその場に呼び出された私達に教えてくれた。チータ所長はその直後に机に拳を叩き付け、副所長の肩を跳ねさせる。私やカルディナさん、チコとフジタカからは何も言えなかった。レブだったら何か言うかと思い、先んじて私が肘で突くと短く頷き口を閉ざしてくれる。

 「……見誤ったのは、こちらも同じか」

 苦し気にやっと口を開いた所長の声と拳は震えていた。

 「……だけどまずはロボを捕らえる事はできました、よね」

 大見得を切ってそれか、なんて言いたげな顔をしていたけどレブならきっとその後にこう言うと思った。

 「……。切り替えが早いな、君は」

 受け売りだけど、所長はこちらの一言で一度深呼吸してくれた。

 「二重に恥ずかしい所を見せてしまった。……すまない」

 調子を取り戻してくれた副所長の方も胸を撫で下ろした様だった。でも、集まっただけで話はこれからだ。

 「此度の混乱、その戦火の中心にいた者は取り逃がしてしまった。だが、追い払う事には成功したため被害は……抑えられた」

 伏し目がちに所長は呟いた。私達より自分が納得する為に言い聞かせている、と言った方が正しいと思う。……こんな状態で、抑えられたって言うのは私だったら難しい。上の立場に在る人だから断言したんだ。

 「死亡者の中には召喚陣を所持していた者も複数いる。その中で、カスコの腕輪を巻いていない召喚士もいた。不携帯、も考えられるが恐らくは……」

 「はい、フエンテも含まれていると思います」

 カルディナさんの推理は無論所長も至っていた様で頷くと、副所長に複数枚の書類を持たせた。

 「レアンドロは引き続き死亡者の身元特定を急げ。身元不明であれば召喚術使用の形跡を調べる。町民達には申し訳が立たないが……怪しい者を優先させろ。被害の偏っていた区画を纏めた資料は預けておく」

 「はい!お任せを!」

 書類を受け取ると足早に副所長は部屋を後にした。

 「さて……レアンドロに続くぞ。我々はこっちだ」

 カスコ支所の廊下に出て、所長は副所長とは逆方向へと歩き出す。しかし、移動したのはすぐ横の部屋。机と椅子しかない簡素な木造の部屋で、もしかするとこの部屋もこれから召喚術の実験に使うつもりかもしれないと思った。

 「………………」

 部屋は窓の光を取り込んで明るかったが、時間のせいか陽当たりは良くない。逆に一人、椅子に座った男の表情を影のせいか元よりも一層暗く見せた。

 「起きているな、ロボ」

 椅子の脚に両足を、背へ回した手も縄で縛られて口輪を嵌められていた人狼は所長をただ見上げていた。強いて言うなら、起きたままだったのか疲れては見える。

 「親父……」

 チータ所長がロボの口輪を外していく。その様子を見てフジタカは後ろに一歩後ずさった。

 「確認するが、会話はできるな?」

 「……あぁ」

 口輪を置いた所長からの質問にロボは短く答えた。フジタカは目の前に居る縛り付けの父親へ何か言おうとはしない。

 「話が早い方がこちらとしても良い。なにせ、お前達のせいで大忙しだからな」

 冷たく見下ろす所長に対してもロボは牙を見せて唸る事もしない。睨むでもなく、ただ周りを見回してフジタカを見付けると視線がそこで止まった。

 「藤貴……」

 「………んだよ」

 フジタカはその視線を受け止められずに顔を横へ逸らす。早くその目線を避けたいとでも言わんばかりに。

 「手荒な真似をされたくなければ質問に答えてもらう。幸い、無防備な相手に攻撃する手段なら幾らでも用意してあるからな」

 言って所長はロボの目の前に引き抜いた剣を突き立てた。おかげでロボも剣を一瞥し、フジタカから目線を所長へと移す。

 「それで?……何を聞きたい」

 質問する筈のこちらへロボの方から口を開く。やっと彼の目に表情が宿ったが、それはどこか試しているか探る様な目だった。

 「……そうだな、こちらにも立場もある。それは弁えているが……」

 所長の眉間に皺が寄って、一歩ロボに詰め寄る。

 「何故、無抵抗で我々に捕らえられた?」

 顔を近付けて放ったその一言を聞いて私はフジタカの方を向いた。

 「そうだったの……?本当に?」

 「……うん、まぁ。そんな感じ」

 小声で聞くと言いにくそうにしていたがフジタカは曖昧に答えた。

 「フジタカがやったの?」

 「……違う。やったのは所長さんだよ」

 フジタカは口を曲げて目を細めた。追い付くまでの案内はフジタカにしかできないだろうけど、そこから先はあの所長が仕留めたんだろうな。でも、何が起きたか後で詳しく教えてもらおう。……言いたくないかな。

 「このカスコ支所を束ねる優秀な召喚士と、異世界の武具を用いた見事な奇襲が合わさればこんなインヴィタド一人を下すのは容易いのでは?」

 「称賛と見せかけた皮肉に何の意味がある。答えろ」

 チータ所長は強かったらしい。しかしベルナルドの戦力を見誤って取り逃がしたのだ、今の所長が腕前を褒められたところで嫌味にしか聞こえない。当然、本人も察して皺は寄ったままだった。

 「……そうだな、確かにわざと捕らえられた節はある。チャンスだと思ってな」

 む?と所長が声を洩らす。私もロボが言葉に混ぜたちゃんす、という単語に違和感を覚えた。しかし、それを誰かが口に出す前にロボの方が私達を見て気付く。

 「あぁ。チャンスは好機、とでも思ってくれ。この世界での暮らしも長いがその辺の修正を召喚士がしてくれなかったのでな。今でもたまに出てしまう」

 好機だと思って自分から捕まった……うん、意味は通る。でも、これはまるでフジタカと話をしている時と同じ感覚だ。言語系の半端な不一致はフジタカと同じ召喚のされ方をしたから起きた弊害って事じゃないのかな。

 「私達を内側から倒す準備か」

 「それは違うな。この状態を覆して一騎当千する実力は無い」

 再びこの場に……それこそ、あのカドモスか彼と同程度のインヴィタドが襲撃してこない限りはカスコ支所を崩せない。これだけ厳重に緊縛されていれば刃物を使う隙も無いし。

 「……もっともな意見だ。で?そのチャンスとやらの正体は何だ」

 「フエンテを外側から叩き潰してもらう機会だ」

 一息で告げたロボの一言で場の空気が一気に騒然とした。……とてもではないが、ライさんが聞いていたらこの場で暴れ出したに違いない。

 「なに、言ってんだよ……お前……!お前が……お前達が……!」

 フジタカでさえ牙を剥き出しにして、今にも飛び掛かりかねない剣幕で唸っているのだから。私だって、納得いってない。

 「ふっ!」

 「ぐぶ……っぅ!」

 所長の踵がロボの腹に突き刺さる。激しく咳き込んで息を荒げる人狼の顎を掴んで無理矢理にチータ所長は顔を上げさせた。

 「それは何か?このカスコをあれだけ荒らした張本人が、所属する組織を壊す為に寝返ると言うのか!」

 「かは……っはぁっ……」

 まだ咳き込んでいるがロボは抵抗も否定もしない。その姿勢が更に気に入らないのか所長は乱暴にロボの顎から手を離した。

 「王子はどこだ。寝返るからにはそれも教えるのだろうな?」

 「幾つかある拠点の場所なら、答えよう……。カスコ支所から一番近い拠点はムエルテ峡谷……くっ……そこにある洞窟へ一時的に連れて撤退した可能性は高い」

 蹴りが効いていたから言葉に詰まったものの、あっさりと答えてしまう。毒気を抜かれた様に所長も流石に鋭くさせていた目付きを若干だが丸くした。

 「あの場所は人が住むにはあまりに不適だ。それに、お前の言葉を我々が鵜呑みにして信用すると思うか?」

 「信用するしないはお前達の勝手だ。だが、ならば他にアテはあるのか?独自に調査を進めて目星はつけてあるのか?」

 ロボが口にしたムエルテ峡谷はカスコの更に北にある。峡谷という人を遠ざける地形でありながら、幸いカスコからもそこまで離れてはいない。フエンテという組織が人目を避けつつも物資を補給し、隠れて集まるなら寧ろ好条件だ。召喚術も全員が持っている前提なら潜めない場所ではない。

 捕虜の立場でありながらもぐいぐい話すその姿勢にチータ所長も閉口し、次の言葉を選べずにいる様だった。これだけはっきり、簡単に真っ直ぐ答えられては検討も何もできない。

 「可能性の問題だ。俺が囚われた事で先を見越し、別の拠点に向かうのも有り得る」

 「いや、それは有るまい。我が召喚士が確実に手傷を負わせて消耗させている。あの荷物を抱えて遠くへ行くのは無理だ」

 沈黙に堪えかねて再度口を開いたロボに答えたのはレブだった。そう、私はベルナルドに魔法を浴びせている。召喚術も多用し、傍らにはイサク王子もいる。あの状態で遠くまで行けるとは考えにくい。一刻も早く近くの拠点で休みたい筈だ。

 「……本気でフエンテを裏切るつもりか」

 フエンテが幾ら強力なインヴィタドを用意しようとも、このカスコはオリソンティ・エラの中で最も有力な召喚士が集まり易い。仮に彼らが総出でムエルテへ向かえばフエンテが待ち伏せていようとも間違いなく大きな痛手は被るだろう。

 「裏切る……。どうだろうな」

 チータ所長の問いを笑う様にロボはふ、と息を洩らした。その態度に所長は籠手を嵌めたままの腕を振り上げたが、その手を止めたのはニクス様だった。

 「契約者……。どういうおつもりでしょう」

 「話を聞くのにその腕は……その行為は、必要無い」

 所長からすれば相手は縄張りを荒らし尽くし、捕らえたところで寝返ろうと言うのだ。そんな手前勝手な真似に手が震えるのは分かる。だけど、ロボが言った様に私達にはイサク王子を探す手段も時間も無い。鼻が利く獣人や、対象を探知する魔法に秀でたインヴィタドを使おうにもいつまで猶予が残されているのかは誰も答えられない。

 「く……っ!」

 ニクス様に見据えられて所長は止む無く腕を振り下ろした。余裕が無いのは、皆一緒だ。

 「含みのある言い方に付き合いはしない。だが、返答次第ではすぐにでもお前の首を撥ねてやる。答えてもらうぞ」

 通告と言うよりは脅しだったが、それすら聞き流すかの様にロボは目を閉じていた。やがて開いた目は俯き、どこか遠くを見ながら彼は口を開く。

 「フエンテとは、この境壊世界の危うい均衡を保つ為に異界の門を管理していた召喚士だ。その存在は秘匿され、契約者とも接触せず秘密裏に才能を持つ仲間を増やしていた」

 今までバラバラに聞いた話を一言でロボは纏めてしまう。チータ所長は懐疑的に思っているのか眉をひそめたが今の状況が現実だ。誰も知らない召喚士達が現れて暴れたのなら信じるしかない。

 「そのフエンテだが、一枚岩ではなかった。内部は三つに分かれて水面下で対立していた」

 「三つ?」

 チータ所長以外、ボルンタから来た私達全員がロボの一言に違和感を催した。

 「待てよ。フエンテ、ってのは過激派と穏健派の二つじゃないのか」

 フェルトで襲ってきたベルトランが言っていた。チコの質問にロボは目を伏せて首をゆるゆると横に振る。

 「お前達が初めてフエンテに接触した時点では確かに二極化していた。だが、元々はその二つに潰されたもう一つの陣営があった」

 ベルトランとベルナルド、双子だったが彼らの考え方は二つに分かれていた。でも、まだ違う考え方で動いていたフエンテがいるなんて今まで考えもしない。

 「人知れず、世界を壊さない様に異界の門を己が駆使する召喚術で塞ぐ。それが元々のフエンテだった。お前達の知る二つは後付けに過ぎない」

 「内容はそこまで変わっていない様に聞こえるけど……」

 「今の連中とは根本が異なるな」

 カルディナさんとニクス様が顔を見合わせる。

 「どういう事でしょうか」

 「今のフエンテは過激派と穏健派が存在するが、根本は共通している。利益の求め方でどう動くか。対立する違いはそれだけだ」

 「その通りだ」

 ニクス様の出した結論にロボは頷いて身を乗り出したが、縛られた体はほんの微かにしか動けない。

 「利益名誉も求めていなかったフエンテがいた。しかし、穏便で人目には触れたくないが利益を求めた者がいた。そして、自身の力を誇示したがる者も現れ始めた。結果、原初のフエンテ達は理想に反する仲間達に大半が始末された」

 ……それが今のフエンテ、か。徐々に増えるだけでなく、きっとただでさえ増えにくい召喚士を斬り捨てる場面もあったから今まで私達の目にも触れなかったんだ。

 「始末された中には今のフエンテに下り、黙って追従している者もいる。しかし俺の召喚士は過激派でも穏健派でもない考えで動いていた本物のフエンテだった。だからどちらにも属さなかったせいで今は幽閉されている」

 今ままでロボの召喚士を一度も見なかったのは能力も理由だろうけど、来なかったのではなく来れなかったんだ。皆が初めて聞く話に口を挟めずにいるとロボは尚も続ける。

 「俺は召喚士の命を盾に立場上はどっちつかずのまま、命令に従わざるを得なかった」

 だからレジェスとアマドルだけでなく、ロルダンの逃走の時もロボの力が使われたんだ。……板挟みのままでいい様に利用されていたらしい。

 「だからと言って許されない事は分かっている。それでもこの好機は逃せない!自分の召喚士を救い、元のフエンテを取り戻したいからこの場に甘んじ話をしている。それが……答えだ」

 所長からの問いにロボは迷いなく言い返す。その眼には曇りは無く、真っ直ぐ自分を見下ろすチータ所長の顔を映し出していた。

 「……成程。自分の召喚士が人質。他人のインヴィタドを従わせるにはこれ以上無い取引材料だろうな」

 フエンテを裏切っているかと言えばそうかもしれない。だけど、ロボは自分の召喚士まで見捨てるつもりは毛頭無い様だ。

 チータ所長は少なくとも、もう即座にロボを殺そうとはしないだろう。目付きは鋭いままだが、殺気はとりあえず治まっている。

 「この情報の真偽に関らず、ムエルテ峡谷は一度念入りに調査したかった。あそこはビアヘロが出やすかったからな」

 それも、もしかするとビアヘロではなく、調査を阻んだフエンテが呼び出したインヴィタドだったのかも……。それか、フエンテが管理し切れない異界と繋がり易い地なのか。

 「俺も連れて行け。俺の力ならムエルテ峡谷まで先回りもできよう」

 ロボからの提案を所長は鼻で笑う。

 「もう仲間面か?調子に乗るな。転移能力があるそうだが、それが本当に目的地へ案内すると信用すると思うか?」

 「な……!」

 ロボは開きかけた口を閉じて所長を睨み付ける。

 「ちょ、ちょっと!インヴィタドが召喚士を人質に取られてる!それは自分の命を握られてるのと同じだろ!ここまで言わせて……」

 「納得のいく理由だが、それもこちらを誘き出す魂胆とも取れる。信用させたところで転移魔法を使う……その甘言に乗り、転移した先でフエンテが待ち伏せ。我々は一網打尽にされる……どうだ?」

 「う……」

 フジタカが食い下がっても所長の考えた筋書きを聞くと簡単に声を詰まらせてしまう。そんな事はない、とは決して言えない。

 「……愚か者共め!」

 ロボが唸り、声を荒げる。

 「捕まったのはインヴィタド一人。いなくなったとしても、有能とされる連中からすれば痛手にもなるまい」

 そのインヴィタドがもしも私達をまんまと連れ出せたら儲け物。処分されても代えを召喚すれば良い……?考え方は分かるけど共感できない……。

 「しばらくは生かしておいてやる。まだ聞き出したい事はあるからな」

 しかし今はこれで十分、と話は所長がロボに背を向けた。ロボは俯き肩を震わせる。

 「ふ、ふふ………。それは困る」

 「余所のインヴィタドの事情など知った……」

 声を震わせ、ロボが顔を歪める。それは笑みに似ていたが、当面の保護とも取れる監禁に端する安堵とは違う。ぐにゃりと曲げた口元。その端が微かな陽射しを反射した。

 「ならば俺は一人でも助け出す」

 「このたわけ!」

 「な……!」

 チータ所長の横を抜けてレブが踏み込み、手を伸ばす。椅子ごと持ち上げてレブはロボの長い口を掴む。

 「遅い」

 ロボの口、生えた牙に被せられていたのは鋭利な鋼……刃物。それはもう、気付いてレブが掴んだ時点では遅かった。ロボが掴まれたままで微かに口を動かす。

 「ぬ……っ!」

 レブが拳を力強く握り締める。その手の中にはもう、捕らえた筈だった人狼の顎も含めて何も残っていなかった。所長も瞳を揺らし、その場で起きた現象へ微かに狼狽しているらしい。

 「消えた……」

 「ええい……!気付いても、防げなかった!」

 空を握るレブは震わせた拳をもう片方の手で握った。やがて拳を下ろすとばつが悪そうにこちらを振り向く。

 「く……!おい、気配を辿れ!絶対に逃がすな!」

 「う……!」

 所長が思い出した様に声を張るとフジタカの肩を掴み、揺らす。

 「今……まだ、遠くない……」

 「よし、方角は!」

 「いや、待って……」

 急く所長に対してフジタカは答えた。だけど……。

 「移動?違う…………消え、た。いや……たぶん、離れすぎた……」

 ほんの数秒で。フジタカがロボの気配を感じられる距離はそれなりに範囲が広く、位置取りもかなり正確だった。だからこそ、今回も捕まえられたんだし。

 「何をしている!」

 「いてぇっ!」

 籠手の嵌めたままの腕で肩を思い切り突き飛ばし、所長はフジタカを押し倒した。受け身も取れずにフジタカは尻餅をついてしまう。

 「その言葉をお前に言う資格は無い」

 「なに……!」

 落ち着きを取り戻したレブは腕を組んで肩で呼吸する所長を睨んだ。

 「お前の迂闊な一言が、あの小童を取り戻してフエンテと戦う好機を……いや、チャンスを潰した」

 「ぐ、む……!」

 こんなに感情を剥き出しにした所長は初めて見た。だけどそういう相手こそ、レブは冷静に見据える。

 「仮にお前の言う通りフエンテが包囲していたとしよう。しかし、その場に向かったのが私ならば返り討ちにするまでの事。仮に海へ放り出されれば泳ぎ、空へ転移すれば飛ぶだけ。……私からすれば、手がかりをみすみす捨てたとしか思えんな」

 「インヴィタドがこの私に意見をするなっ!」

 感情的に怒鳴り返すだけの姿に、フジタカも呆然と所長を見上げるだけ。周りからの視線を感じて、所長は私達を見回した。

 呼吸を乱す所長にレブが背を向けてしまう。一度だけ目を伏せ、そのまま部屋の外へと向かって歩き出す。

 「……まんまと転がされたな」

 ベルナルドからすれば町の破壊だけじゃなく王子の誘拐を許し、ロボには自身のフエンテ脱走の手助けをしてしまった。こちらに都合の良い要素は全くない。強いて言えば、ムエルテ峡谷の話をかろうじて聞けた事くらいか。

 「待て!どこへ行く!」

 「頭を冷やすのだな。話の出来ない相手に付き合うつもりは無い」

 そう言いながらも、レブは扉の前で立ち止まる。

 「だが、猶予もあまりあるまい」

 「待って!レブ!」

 最後に一言だけ告げると一人で出て行ったレブを追って私も部屋から出る。それに続いて他の三人も所長だけを残して来てくれた。

 「あ……」

 廊下に出ると、少し先でレブの前にライさんとウーゴさんが立っていた。ライさんは後から出てきた私達四人の方を見ている。

 「…………」

 ニクス様の使っていた部屋に全員で集まり、カルディナさんの方からロボから聞けた話を説明してもらった。それからしばらくは重い沈黙が圧し掛かる。この場で誰も騒ぎ出したりはしなかった。それは何よりも無意味だと皆が分かっている。ライさんももういきなりレブに突っかかったりはしない。

 「捕まったのは、その気になればいつでも逃げられたからか……」

 寧ろ、ライさんは冷静に分析してくれていた。そう言えばロボは、消える直前までは口をあまり大きく開かなかった。牙の仕込みを隠してわざと捕まったんだ、自分がベルナルドやロルダンから逃げられる様に。

 「フジタカ、ロボはどこに行ったの?」

 「……一回、あっちの方」

 あっち、と言ってフジタカは北を指差した。恐らくだけど、峡谷の方だと思う。

 「つーか、その一回ってなんだよ」

 部屋から各自で持ってきた丸椅子に腰掛けるチコが椅子の脚を片方浮かせながらフジタカを見る。口を曲げて何か考え込んでいる様だったフジタカも分からないらしい。

 「一度に長距離は移動できない、とか。拘束されてたし」

 「有り得るけど……」

 縛られたままの状態で召喚士を助けに転移しても何もできないだろうと思ったけど、フジタカはピンと来ていないみたいた。

 「若しくは」

 そこに、トーロやライさんと並んで立ったまま壁に背を預けていたレブが背を壁から離す。

 「追って来いと告げたのかもしれぬな」

 「あぁ、俺も……何となくそっちの方が近い気がする。一旦あの縄を解いたにしてもさ」

 意見が合ったからかフジタカが顔を上げてレブを見た。

 「追って来いって……」

 「我々を置いて、他に誰もいまい」

 フジタカならロボの居場所を探せると向こうも知っている。だから自分への手掛かりを残して去った。しかもわざわざ直前に話した峡谷の方角へ。これなら北上する理由は二つ用意されていた。

 「それで、どうする?」

 トーロが全員を……ううん、ニクス様の方を見ている。

 「ニクス様……。これより先は危険過ぎます」

 カルディナさんもニクス様を向いて胸を押さえる。……私もそれは分かっていた。ニクス様は自らフエンテを引き付けてくれていたけど、これまでと今回は話が変わってきていた。フエンテが追ってくるのを迎え撃つのではない。まだ決まってはいないが、こちらからフエンテへ首を突っ込むかもしれないんだ。カスコに出てきたロボ一人への奇襲とはわけが違う。

 「全員の意見は一致しているか」

 ニクス様は視線が私達全員へ一度ずつ向けられる。だけど、その問いは恐らく肯定はされない。だって追いたいだろうライさんと、危険だと言ったカルディナさんの時点で既に意見は分かれている。

 それに、私だって……。気持ちだけじゃなく、すべき事を考えたらニクス様の安全を優先するのも分かってしまう。揺れている自分の考えを自覚してしまった以上、首は縦に振れない。

 「……思う所はあるだろう。ならば、あの所長ではないが一度各自で考えてもらいたい。その後、一人一人の話を聞かせてほしい」

 それが解散宣言だった。チータ所長程じゃないけど、私達も目の前で起きた事を噛み砕かないと喉を詰まらせてしまう。カスコ支所内の息苦しさから私とレブは再び外へ出る事にした。

 「………」

 「………」

 レブは私の半歩後ろを黙って歩いている。こういう時のレブを私は知っている。貴様の思い通りにすれば良い。私はそれに従うだけだ、なんて言うんだ。私の立場を尊重してくれるのは分かるけど……。

 「レブは、どうしたい?」

 「返答は知っていよう」

 「それでもレブの話が聞きたいの」

 私の意図を汲むと言うのなら、今の一言も分かってくれる筈。振り返った私を彼はじっ、と見詰めた。

 「私の気持ちだけを話しても変わらない。私はもう一度、友に会わねばならない。あの男がこの世界と住人の間で捻じ曲がった介在を続けていると判断したからな」

「じゃあ……」

 レブはロボの言い分を信じるんだ。フエンテ内の第三勢力が、今の過激派と穏健派に潰されたという話を。

 「それに、あの勝ち方と負け方をしたのだ。生きていたのなら向こうから現れるのも間違いない」

 目を伏せたレブは半ば呆れた様に溜め息を洩らした。あのカドモスというレブの友人であるテーベの竜は私とレブを明らかに侮っていたのに、レブが本気を出した一撃で沈んだ。

 「……誇りを傷付けられた?」

 「それは無いな」

 口に出してから私も思った。あの竜人、カドモスはレブに対して最後は見事と言って倒れた。それに、短い時間だけど話をしていてレブに対してそんな考え方をしそうには見えない。だけど口に出したのは寧ろ……。

 「寧ろ、私達をそんな理由で狙うのは双子の残りだ」

 「うん……」

 以前、フジタカがライさんと模擬戦をしていた時に言っていた。あんなに殺意を向けられたのは初めて、と。私だってそうだったかもしれない。人からあれだけの憎悪を向けられるなんて。

 アルパの時、エルフから向けられたのは行き場の無い昂った感情だ。原因も、私達ではなくフエンテのアマドルとレジェスが作ったもの。だけど今回は私とレブがベルナルドをあの状態にしたんだ。それは決して忘れてはいけない。考えながら私達は歩みを進める。

 「私の考えは既に聞かせた通りだ。さて、次は貴様の方針を聞かせてもらおうか」

 二人で契約の儀式を行った広場まで来て、レブは私に考える時間を用意してくれた。立ち止まって腕を組むレブに私は振り返る。

 「決まってるよ。私はムエルテ峡谷へ向かう」

 「………」

 こちらを見下ろすレブを見て、どこか気まずくて私は頬を掻く。

 「ごめんね、せっかく話してもらったのに」

 「いや」

 レブは首を横に振った。

 「私は先に言ったぞ。話しても変わらない、とな」

 「読まれてたんだ」

 考えている事は違っても、一緒に同じ方向へ進むと言う事は変わらない。

 「あの王子がいなくなったのは貴様の責任ではない。カスコがこんな状態になった事、犬ころの父親を逃がした事、貴様や契約者が理不尽に狙われる事も合わせてな」

 「………」

 こんな風に言ってくれるだけで、どんなに気が楽になるか。きっとそこまで彼は知らないと思う。

 「対して状況は貴様を無視するだろう。あの双子の片割れに狙われ、場合によってはカドモスまでもがけしかけられる」

 「うん」

 降り掛かる火の粉ならレブが払う。私だって黙ってやられるわけじゃないし。

 「だが、貴様は引き返さない。引き返したとしても同じ目に遭うと分かっているのなら前進するのがザナ・セリャドという召喚士だ」

 「レブ……」

 迷いはする。自信や責任感だってまだまだ自分だけでは強がりになってしまう。

 「王子は私達だったら助けられたかもしれない。フエンテはやっぱり怪しいと思うよ?だけど、ロボが自分の召喚士を助けたいって言ったのは嘘じゃないと思う。予防線があったとしても、その召喚士を助ける為に私達にわざと捕まったロボを……フジタカのお父さんを信じてみたいんだ」

 だけど、決して一人じゃなかった。

 「思うままにすれば良い。必ず私が支える」

 「ありがとう、レブ」

 こんな風に無茶を言う私の隣でこんなに頼もしい事を言ってくれるレブがいる。それに、他の皆もいてくれた。だから私は今もボルンタ大陸からガラン大陸なんて遠くまで来られているんだ。

 「まったく、分かり切った話をするのに随分と歩かされたものだ」

 崩れて痛ましい石垣や建物の被害状況を見ているのかレブの目線は時折動いていた。警戒もまだしてくれていたみたい。……私はただぼんやり歩いてしまっていたから、これもレブに余計な負担を背負わせた事になるのかな。

 「ごめん……」

 「謝る事ではない。考えを整理するのにこの空気は頭を冴えさせる」

 確かに、この冷えた空気を吸うと頭の芯まで冷えてくる。絡まっていたあらゆる思考をレブに吐き出しながら纏め直すにはもってこいだったかも。

 「……所長も、少しは落ち着いてくれたかな?」

 「さてな」

 レブはフジタカに掴みかかったチータ所長に頭を冷やせと言い放ってしまった。すぐに私達もあの部屋から出たけど、所長はかなり興奮していた。一人にして大丈夫なのかな……。

 所長に対してレブはあまり関心がないらしい。言うだけ言ってそのまま来た道を引き返す様にして歩き出す。

 「怒ってる?」

 「怒るとすれば、拘束したあの人狼が逃走するのを防げなかった自分に対してだ」

 私が後ろに続いて歩きながら話すと、レブは音を鳴らして尾を地面に滑らせた。そう言えば防げなかった、と大きな声を出したけどそれからは落ち着いてたし。

 「力と速度が勝りながら、こうも出し抜かれてはな」

 「そんなの……」

 単体の力ならごく一部を除いて今のレブは他を圧倒する。だけどぶつけ合うだけが能じゃないし、場合によっては一対多を強いられる事もあった。レブに落度がないのに、私達はこうして何度も失敗している。

 「分かっている。とすれば、油断が招いた結果だ。そしてそれは貴様の助けにならなかった。これではあの召喚士はともかく、獅子に笑われても文句は言えんな」

 自分が許せないんだ。私の力になれなかった、って……。

 「私が言って良いとは思わないけど……背負わないで?」

 「む」

 小走りで追い付いてレブの手を取る。

 「人のせいにするのも簡単だよ。でも、自分のせいにして一人で背負い込むってきっとしんどいよ」

 「それを貴様が言うか」

 「うっ……」

 どっちかと言えば塞ぎ込んでばかりいるのは私の方かも。鋭い視線と指摘に声を詰まらせてしまう。

 「……ふ」

 だけど、レブは笑った。

 「な、なにさ。レブはあの場で誰よりも早く気付いて行動してくれた。誰もレブのせいで逃がしたなんて…」

 「言わずとも良い」

 レブが私の手を握ってくれた。

 「……いや。それで十分なのだ。他ならぬ貴様が私に背負わせまいと思ってくれている。ただそれだけで」

 「思うだけじゃ伝わらないよ」

 彼の言い分はなんとなく伝わってきた。だけど黙ってちゃ肝心なところがきっと零れ落ちる。だから知っておいてほしいんだ。

 「ふむ」

 レブは空いていた方の手を自分の顎に当て、一瞬躊躇った後に一言。

 「では、愛しているぞ」

 「は……っ!」

 不意の言葉にびくん、と肩が跳ねた。しかしレブの手はしっかり私の手を握って決して離さない。

 「想うだけでは伝わらない。成程、貴様の言う通りだな」

 「そ、そ、そ、それはとっくに知ってたよ!」

 自分の手を潰さぬ様に包み込んで握る紫の鱗を持つ竜人、レブに私は愛されている。あぁ、考えるだけでも全身が熱いのに!しかも更に口から発した向こうはあろうことか私の反応を見てあからさまにニヤリと笑った。

 「では、改めて今伝えたいと思った。そこまでは貴様でも把握していまい」

 「私が言いたいのはそういう事じゃなくて……!」

 でも、どうして今なのかな。ブドウ酒をあげた時は言いそうで言えなかったのに。もしかして私が決意表明したから?

 「相手……その、好きな、人?を慌てふためかせるなんてちょっと意地が悪いよ」

 わざわざ追究はせずに一息。深呼吸して、努めて平静なフリをして注意する。

 「そうだな」

 「え」

 そこは素直に認めちゃうんだ……。潔いのはともかく、ちょっと珍しいかも。

 「だが」

 レブは一度目を閉じて顔を上げる。

 「慕う相手の様々な表情を見たい。もっと知りたいと願っている。それが私の正直な気持ちだ」

 「それって……」

 どれだけ私が疎いとしても、今のレブがどんな気持ちを抱いているかは分かる。彼が見たいのは最も好まれる笑顔だけではなく、喜怒哀楽の全てを含んでだ。

 だったらそれは、間違いなく恋だった。今までだって何度か口には出されていたけど、こうして直接的な言葉ではない部分で彼の言葉を聞いて私も気付かされた。

 「私も同じだよ、レブ」

 一度離した手を自分から握る。ただし、今度はレブの手に指を絡ませる。私の手は彼の様に大きくはないから、ほとんど指先が届かない。絡ませたと言うよりは、レブの指と指の間に自分の指先を触れさせてきゅっと引っ張る様にした。レブは何も言わずに指先だけ畳んで私の手の甲を包む。

 「私も、無愛想なあなたの顔を見たいよ。きっと知らない事がいっぱいあるもん。だから昔のレブも、今のレブも、これからのレブも。もっともっと私に見せて?」

 「…………」

 レブはゆっくりと目を開くと、口元を歪めて何か言い欠ける。その苦い表情が物語っていた。自分が言われる立場になるとまでは思っていなかったと。

 「意地が悪いな」

 それを、こんな風に言い換えてしまうんだ。確かに、言わなくても伝わってくる部分もある。だからこそ私は笑みを浮かべた。極力、期待に応える様にわざとらしく。

 「そんなのお互いさま、でしょ?」

 「……ふん」

 レブは満足そうに鼻を鳴らして私の手を引いた。

 私とレブはカスコ支所へ戻ると真っ先にニクス様の待つ部屋へと向かった。扉を叩くとトーロが内側から開けてくれる。

 「お前達がやはり一番か……」

 トーロは私とレブを見て、ボソリと言うと目を伏せて奥へと入ってしまう。やけに気落ちした様だったが私とレブは構わず彼に続いた。

 中に入るとニクス様はベッドに腰掛けており、椅子と机は使われた様子がない。

 「失礼します。……あれ?カルディナさんは?」

 一番の違和感はこの場にカルディナさんがいない事だった。いつもトーロやニクス様の傍にいるのに……。

 「少し一人で考えたい、だそうだ」

 私はトーロに尋ねたつもりだったが、答えてくれたのはニクス様だった。トーロの顔を見ても、肩を竦めて見せるだけで口は開かない。

 「カスコ支所の中に……?」

 「あぁ、借りた個室にいる。俺も追い出されたんだ」

 良かった、今のカスコをインヴィタドのトーロも連れずに出歩いてるなんて聞いたらあまりに無防備だ。だけど……。

 「トーロと話し合ってたわけじゃないんだ」

 「ニクス様は言っただろう。一度各自で考えるように、と。フジタカ達は違うようだが、ライとウーゴもそうしている」

 私とレブ、チコとフジタカは二人で話し合っている。でも、カルディナさんとトーロ、ウーゴさんとライさんは本当に一人でニクス様に言われた事を考えているんだ。ロボを追って、ムエルテ峡谷に本当に向かうべきなのか。

 「……そうは言っても、ザナ達と同じだ。俺の結論は出ている。だから先に面談していた」

 悠長に悩んではいられない状況だった。だけど期限まではニクス様も指定していない。私やレブの方が極端かと思ったけどトーロも同じと言ってくれた。

 「じゃあトーロも?」

 「契約者の意を尊重する。それは契約者の護衛を任された俺の召喚士と、俺自身の変わらない意向でもある」

 トーロのその言葉はいつかニクス様がカスコへ向かうと宣言した時にカルディナさんの発言と同じだった。彼とカルディナさんの違いは、そこに迷いや躊躇いの有無が見えるか。

 「俺の召喚士とは言うが」

 「あぁ、今のカルディナの口からは言えない」

 レブが言いかけた事をトーロは遮る様にして引き取った。まだレブは言いたげだったが、トーロが汲み取っていると判断したのか続けない。

 「結論は出ていても、その選択をする勇気が無いんだ。カルディナにはな」

 「……うん」

 皆の意見を尊重するつもりでニクス様は言ったのだろう。仮に契約者へ反対意見を述べたり、待ち受ける危険への命惜しさでトロノへと戻ったところでニクス様はきっとその相手を無理に同伴はさせない。

だけど、今しがたトーロが言った通りだ。カルディナさんとトーロはニクス様の意志を誰よりも優先する。たとえ私とチコ、ウーゴさんがニクス様の護衛としてこのカスコまで共に来ていたという実績があっても。

 「随分と罪作りな男だ」

 「……その通りだ」

 レブはじっと座ったままのニクス様に言った。頷いて肯定してしまったニクス様にそんな事はない、と声は張れなかった。もちろん、レブにニクス様になんて事を言うんだとも。

 選択する勇気が無いとも違う。そもそも、カルディナさんは選べないんだ。御身の安全を優先する提案はできても、無理にでもトロノへ連れ帰るなんて言えない。契約者……ううん、言っているのがニクス様だから。

 もしもそれができるとしたら、きっとカルディナさん以外の私達召喚士なんだろう。……だけど、私達はそれぞれがフエンテを追いたい気持ちを持ってしまっている。皮肉な事に、ニクス様と同じく。

 「カルディナさんはずっと悩んでいました。ニクス様が危ない方へ、危ない方へと進んでいるのが分かっていたから」

 「確かに、私が知る契約者に比べれば随分と変わり種に映る。だが、未だ頭の固さは抜けていないぞ」

 責めてはいないけど、私に続いてレブもニクス様へ言葉を放る。顔を上げたニクス様の目には困惑の色が濃かった。

 「すべき事を成す。最善を尽くして何が悪い」

 「悪いとは言っていない。思ってもいない」

 「だけど、現にそのニクス様のお言葉を納得できないんですよ?カルディナさんは」

 レブの言葉を半ば自虐的に肯定していたけど、カルディナさんがどうして悩んでいるのかをニクス様は知ってくれているのか。それを見極めたかった。だから私はトーロの方を向く。

 「はぁ……」

 まぁ、私が言っても良いんだけど気まずいかなって。トーロも察した様で上を向きながらしばし言葉を選ぶ。

 「ニクス様、申し訳ありません。その、カルディナと御身が……シタァで二人きりで過ごしていたところを、この二人に見られました……」

 「…………」

 ニクス様が音を立てて嘴を閉じた。見開いたその目がトーロをしばし捉え、やがて耐え切れずにトーロが視線を脇へずらすと今度はこちらを向く。

 レブがニクス様を罪作りと言ったのも、私がニクス様のお言葉をカルディナさんが納得できないと判断したのも、それが理由。二人が恋仲と知っていたから……だから、カルディナさんはニクス様を危険から遠ざけたいんじゃないかな。ニクス様がフエンテを野放しにしないと決断してくださっていたとしても。

 「あの、すみません!すみません!すみません!別に覗き見するつもりだったわけじゃなくて……。私が悪いんです!トーロが見張っていたのを通り抜けたりしたから」

「いや、俺がちゃんと止めておくべきだった」

 それでも、二人だけの時間を見てしまったのもまた事実。しかも今日まで黙っていたんだ。あの頃、フジタカがビアへロだという事も伏せていたのも今となっては言い訳にもならない。ニクス様から消えた表情は、冷たさではなくただただ呆然とした様だった。

 「…………否。人目のある往来の場で破廉恥な真似をしたのは、自分の方だ」

 ニクス様の方からカルディナさんを抱き締めたのかな、と考えてしまった自分も破廉恥なのかもしれない。

 「契約者が自ら迫ったのだな」

 ……レブが私と同じ事を考えていた。だったら二人で同罪だなぁ。

 「そうだ」

 「そ、そこは答えなくても!」

 ギリギリでぼかしていたのに確定してしまった。でも、ニクス様って意外に積極的なんだ。

 「違う。カルディナが雰囲気に呑まれてニクス様の手をそれとなく握ったんだ」

 だから、たぶんそういうの言っちゃダメだよ……。ニクス様がその手を是としたのは自分だ、なんて言ってしまう前に。

 「……カルディナさんに決心させるのは、ニクス様のお役目ではありませんか?」

 契約者とか、護衛の対象ではなくて……カルディナさんが愛した人だから。こういうのは、私やトーロでは“答え”の一つを示すだけ。進退を決めても、後悔しない“正解”にできるのは二人でないと。

 「私とレブは……決めました。フエンテを追いたいと思っています」

 もし契約者ニクス様がトロノへ戻ると決断されたのなら、私とレブはカスコ支所の追撃部隊に加えてもらうかどうにかしたい。私も浄戒召喚士なのだから、契約者の保証はなくとも路銀さえ稼げたら行動は自由にできる筈だし。……もちろん、契約者の護衛を放ってムエルテ峡谷に向かうのはどちらかというと自由というよりも勝手な振る舞いだろうけど。

 「そうか。君達の考えは分かった。早々に返答を聞かせてくれた事、感謝する」

 ニクス様はゆっくりと立ち上がるとトーロの前へ立つ。

 「覚悟が足りなかったのは自分の方だった。……しばし、時間と部屋を借りたい。その間、この部屋に居てくれて構わない」

 面食らった様にトーロは身を逸らす。しかし、すぐ手近にあった椅子に腰掛けた。

 「……ごゆっくり、どうぞ?」

 「すまない」

 短く、ニクス様がトーロへ謝ると私とレブの横をすり抜けて部屋を出て行ってしまう。どこか足早で、気が急いている様にも見えたけど……。

 「……はぁ。今夜はこの部屋から出られそうにないな」

 手入れしたかったんだが、と言ってトーロは机に頬杖をついた。磨くなら頭の角ぐらいになりそう。

 「大変だね……」

 前にも言ったと思うけど、ずっと気を遣っていたんだろうし。

 「いつもの事だ」

 そうは言うけど、やっぱり何も思わないではないよね。慣れているからと納得できないだろうし。

 「お前達はどうなんだ?」

 「えっ」

 不意の振りに私は身を固くする。

 「契約者の為、オリソンティ・エラの為なんて言われてもピンと来ていないのではないかと思ってな」

 レブとの関係じゃなくてそっちか……。

 「私は召喚士に応じたインヴィタド、という立場に抵抗も疑念もない。ならばどこだろうと私の立ち位置は変わらない」

 私の隣にはレブがいてくれる。それが例え穏やかな果物屋さんの前であろうと、魔法を操るビアへロが暴れる戦場だろうと。

レブはカドモスとの再会と決着を望んだ。私もまた、フエンテの追跡を望んだ。私が無理矢理に前を向かせたのではなく、二人で同じ方向を歩める心強さは何にも代え難い。

 「ふむ……。良い信頼関係、なんだが……」

 レブはいつもの口調でいつもの様に答えた。だけどトーロはどこか歯切れ悪く、私とレブを交互に見比べている。

 「長年、カルディナとニクス様を見ていた俺としては信頼だけじゃない気がしてな。邪推していたら悪いが」

 人を見た目で判断してはいけないと分かっているけど、観察眼の鋭さは意外にトーロが一番なのかも。動体視力ならレブやフジタカが上でも人の内面は見えない。フジタカも場の雰囲気や空気を読む方でも、読んでいる、気を遣っていると周りに悟らせてしまう。トーロが事実を突きつけるまでは顔色を変えずにずっと過ごしていたのとはそこが違うかな。

 「私は専属契約をした身。その相手はオリソンティ・エラの人々を守り、ビアへロと戦う力を欲した。そして今回はフエンテへの追撃が目的達成への近道と踏んだ」

 レブの返答は実に淡白だった。さっきまで外で情熱的に人へ愛を囁いていた人物に私の方が動じてしまった。

 「……惚れ込まれた相手の為にインヴィタドが一肌脱いだってところか?」

 「ち、違うって!」

 嘘は無いけど、取り立てて隠す様な真似なんて今までしてなかったじゃん!ティラドルさんやフジタカはもちろん、ルナおばさんも知ってるのに。

 「実のところ、最近ザナの事が気になっていたんだ」

 「え……?」

 私だけでなくレブの表情も変わったんだけど、トーロはそのまま私を見ている。

 「いやな、どうも雌の顔になってアンタに見惚れてる様な時があってよ」

 アンタと言って目線が移った時にはレブも顔を引き締めていた。引き締めるというか、どこか不機嫌そうに口を曲げる。

 「具体的に言うとピエドゥラで身体が大きくなった辺りからだ」

 実際には不機嫌にはなっていないと思う。表情が緩むのを堪えて余計に歪めているんだ……。なんて、レブの顔を見上げていたらそのものズバリと言われてしまう。

 「その時に言われてただろ?その……ベルナルドに。だから、もしかして本当に専属契約以外にもヤってたのか、って……」

 「ええと……?」

 ピエドゥラでレブの身体が成長した時、だよね。私の中身にも大きな変化があったけど、よく覚えている。でも、ベルナルドに言われた……?専属契約以外……?

 「あ!」

 思い出した!凄い下品で失礼な事を言って笑われたんだ!

 「今の大きさの方が体格の差はちょうど良いかもしれないが、以前の方がザナの好みだったのかと……」

 「その話まだ続ける!?」

 ほんの少し前に空気の読み方で内心褒めたけどもう無理でしょ!

 「……違うんだな?良い機会だから、聞いておきたかったんだ」

 こちらが顔を霜焼けよりも熱くして声を張っている一方で、トーロだけが落ち着いてしまう。本当に今を好機と思っていたのかも疑わしいし。他に人がいない、って点では話しにくい事も聞けるだろうけど。

 「私は専属契約をした時に竜の血を飲んだの。それがレブと結ばれた魔力線の繋がりを他のインヴィタドよりも強くしているんだよ。だからまだそういう事はしてないよ」

 だから私は召喚術を最近まで使えなかったんだけど、それも話さないうちにスライムの召喚に成功した。今までできなかった理由も話しておくべきだったな。そんな勘繰りされていたなんて……。

 「それが聞けて安心だ。これ以上、色恋で振り回されたら俺の胃に穴が穿たれる」

 「四つぐらいありそうなものだがな」


 トーロは安心した様だけど、レブは最後まで伏せていた。その後もしばらく話し相手になってから二人で部屋に戻り、私はレブを見上げる。

 「なんでトーロに言わなかったの?その……」

 「私が貴様にホの字という事だな」

 その表現はちょっと古臭いというか馴染みがないよ。

 「牛が言っていただろう。色恋に振り回されたくない、と」

 「気を利かせたの?」

 「そんなつもりはない。何故なら、私と貴様よりも問題のある組み合わせは幾らでもいるからな」

 ……そう言われると、ウーゴさんとライさんの仲はまだまだぎこちないし、チコとフジタカも遠慮がちだ。それにチータ所長も……。

 「こうしてみると、私達は本当に……」

 「さしずめ、鴛鴦えんおうの契りと言ったところだな」

 鳥の例えなら私達よりもニクス様とカルディナさんだよ。って、それも今夜で仲直りできると良いな。……今頃、二人でどう過ごしているのかな。

 「……まだしていない、しないのではなかったか」

 「えっ」

 レブの指摘に意識を引き戻す。……私、想像力の働かせ方を変えた方が良いかも。

 「先ほど、牛へ言ったのだぞ。まだそういう事はしていないと」

 「私そんな言い方だった?」

 状況説明で他にも変な事言っていたかな……。思い返すだけでも嫌になる。

 「未来への展望を見せ、インヴィタドの戦意を高揚させる。良い召喚士だ」

 「嫌味に聞こえちゃうよ」

 レブの望みは分かってるし、私も時期が来ればなんて口走ってしまった。忘れてはいないけど……忘れられていないか確認したいのかな、遠回しに。

 「……自分達の事だけだったけど、他の皆はどんな決断をするのかな」

 「否が応にも時は来る。それまでできる事をしておけば良い」

 答えを先にニクス様へ伝えた私とレブは部屋で待機していた。すぐに動けるように体を休める様にレブから勧められた私はしばらく横になる。しかし結局誰かが訪れる事もなく夜は更け、明けていった。

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