奮迅、眠れぬ獅子

第七部 一章 ー山の風向きが変わり、嵐を呼ぶー

 ただ山道を歩いてた。のんびりした楽しい旅になる、なんて思ってはいなかったがそれなりに気分転換になると思ってた。

 でもそんなわけなかった。アルパでは復興が遅々として進まないうちに冬が来てしまう。寒そうに歩くエルフ達の横を通り抜けながら俺達はピエドゥラに向かった。

 そこで待ってたのはなんとか人が通り抜けできるだけの隙間を作った坑道の成れの果て。あんな細道を鉱夫達は使わないとトーロが言っていた。あそこを使うのは掘り出し物を漁る盗賊や物乞いの連中。細く狭い入口は、今日を生きれるかも分からない連中が明日を得る為に飛び込む深淵。それが崩れて自分が死んでも構わない。そんな連中の為にできてしまった物。未だにそのままで放置されていたなんてな。そこで一夜を過ごす事になったから余計に気まずかった。……アルパにもいられなかったし。

 そしてようやく自分の未開の地へと足を踏み入れる。ここからがまた新しい旅の始まりだった。ゲーム感覚じゃないが、本物のダンジョンに入った様なもんだったし俺は楽しかったんだ。チコとまた話すにも、景色を見ながらだったらちょうど良い機会が来そうだったし。

 ……そこに現れたのが、アイツだ。あの野郎のせいで俺とチコは一度ぶった切られた。俺がビアヘロで、チコは俺を召喚していなかったと知らなければ良かったとは言わない。だが、あのタイミングは最低最悪だった。

 ソイツがまたのこのこ俺の前に現れる。しかも、死んだと思っていた親父を連れて。チコには悪いが、俺にはその方が衝撃だった。

話し掛けても無愛想に答えやしない。再会に無言で睨んでくるだけだ。偉そうに提げた腰の剣は昔の名残らしい。

 物々しい虫や変な爺さんを連れてベルナルドが俺の親父と立っている。そこにデブが威嚇をした直後にやって来たライさんは本当に獣の中のケモノ、バケモノの様に暴れていた。デブに飛び掛かっていた辺り、正気じゃなかったんだ。恐らくそれは……トロノにいた時から変わっていない。俺は見抜けなかったんだ、ライさんが今も抱え続けていたあの気持ちを。

 押さえ込もうとデブと頑張ってる間、親父は動こうともしなかった。召喚士っぽい爺さんも何をするでもなく突っ立っているだけで、こちらに仕掛けてくる様子はなかった。皆が来るまでは。

 集まってしまったから、それは起きたんだと思う。あのまま俺達とザナだけだったらこの場はここまで拗れなかった。

 ベルナルドがザナのおでこに触れる。途端にザナは意識を失った様に力が抜ける。直後に一瞬だけ、ザナの髪が光を反射した泉の水みたいに透き通った金髪に染まった様に見えた。


 見えた、だけ。気のせいだったかもしれない。なんで、そんな曖昧にしか言えないかって……今はそれどころじゃないからだ。


 契約者は世界の役割を人に与える。その力を与える儀式を例えるなら、自分を内側から外へ押し広げられる様な物だ。

 私に突然訪れたのも同じ類の物。自分の中に確かにあった物を、人の手で引き摺り出された。

 ただしそれを呼び覚ましたのはベルナルドではない、決して。誰の仕業かなんて聞かれるまでもなかった。

 「莫迦か、この女ぁ!」

 「愚かさで言えばお前の比では無いな、小僧」

 ベルナルドが叫ぶと同時に私の体が大きく揺さぶられた。しかし、力の入らない私は翻弄されるだけ。すぐ止んだ揺れは徐々に私の見える世界を広げていった。

 「意識はあるな」

 「………レブ?」

 気付くと私は目の前にいる彼の腕の中に抱かれていた。その姿は今までに見た事のない物だったがすぐにレブだと分かってしまう。頷いた彼の顔へと手を伸ばして触って確信に変わった。間違いなくレブだ。

 その姿は彼の実態とはまた異なる。しかし、今までのレブとも違った。単純に言えば背丈が大きく伸びている。私の腰丈を越えて得意げに胸を張る様なものではない。既に私より頭一つ分は大きく、フジタカよりも少し小さいが角まで含めれば抜くくらいだった。手足が伸び、翼も大きく膨らんだ彼の姿を見ればもう、誰もが彼を竜人と呼ぶに違いない。迫力を大きく増した彼の腕に抱かれて胸に身を預けている自分がなんだか不釣り合いで、私は周囲をなんとか見回した。それだけの体力はまだ残っているらしい。

 「ぐ……うぁ……!」

 「少し小突いただけで立てないとは情けないな」

 ベルナルドが倒れて口の端から血を流している。チコ達も、フエンテ側も私達を見て言葉を失っていた。

 「何をした……。俺は魔力を解放しただけだろ!どうしてこんな事になるんだ!」

 前に見せていた人を自分の玩具の様に見下した余裕の笑みはそこには無い。感じられた焦りや驚きは他の人達からも伝わってくる。ライさんですらこちらを見て動けずにいた。フジタカが止めてくれているのもあったが。

 「ふむ……いや、少し見えてきたな」

 そこに口を開いたのは、私達から一番離れた位置から見ていたフエンテと思しき老人だった。

 「そこの少女は自分の魔力の大半を竜人に捧げている。ベルナルド、主が解放した事で彼女はどうやら自分に眠る力を更に竜へ送ってしまったらしい」

 レブはこちらを見ない。姿が変わる前と同じで静かにあの老人だけを見ている。

 「だからっておかしいだろ、この変化は!まして……」

 「そう、おかしいのだ。その竜人が自分の力を普段は押さえているにしても、だ」

 ずりずりと地面を這いながら後ろへ下がるベルナルドへ手を貸そうともせずに、老人はレブの視線を静かに受け止めている。やっぱりレブの力はアルパでゴーレムと戦った時点でフエンテには伝わっていた。

 「何故か専属契約よりももっとこの二人の繋がりは深い。だから少女は自分の魔力を竜人へと送ってしまう。……自分の意思とは関係無くな」

 言われた内容に私が肩を震わせるとレブは無表情のまま、だけど少しだけ私をより強く抱いてくれた。

 「はっ!専属契約よりも深い契りなんてこの世界にあるわけないだろう!それとも、竜人と姦淫でもしたか?あっはっはっはっはぁ!」

 老人の話を聞いてベルナルドが下品な事を言って声高らかに笑う。だけど私は老人の言葉に心当たりがあった。

 「血の契り……それが、貴様への足枷になっていたのか」

 やっと口を開いてレブが私へ目線を向けた。その表情は自分の姿が元に近くなった喜びよりも、どこか憂いを帯びている。

 「っぅ……!駄目だ!ライさん!」

 そこでドサ、と何かが倒れる音と共にフジタカが声を張る。見ればフジタカの手を抜け黒い影がベルナルドに迫っていた。

 「死ねぇぇぇぇぇえ!」

 「う……!」

 フジタカは押し退けられた。トーロやカルディナさん、ウーゴさんとニクス様もベルナルドのインヴィタドとフジタカのお父さんらしき人に阻まれて動けない。ライさんを止められる者は一人しかいなかった。

 「レブ!ライさんを止っ……」

 「ふん!」

 「っぱ、ぁ……」 言うが早いか動くが早いか、レブが動いたと自分で認識した時には私の目の前でベルナルドが恐怖に口を震わせていた。そして、ライさんが短い呻きを上げて仰向けに倒れている。レブが尻尾で鞭打したらしい、と察するまでの方に時間が掛かってしまった。

 「く、う、うぅ……!」

 それでもライさんは懸命に起き上がろうとしていた。まるで、自分がどうなってもこの場のフエンテを滅ぼし尽くさないと気が済まない様に。

 「ライ……さんっ!そんなんで戦えないだろ!」

 「離せぇ!」

 ふらふらのライさんをフジタカが全体重をかけて止める。しかしライさんはまだ暴れていた。

 「勝手に突っ込んで、それじゃチコと同じだ!でも、うじうじしてたら今度は俺と同じだ!そんなライさん見たくないよ!」

 フジタカも力任せにライさんを止める。上に乗ってしまえば大の男を簡単には退かせない。

 「ならどうする!俺は!俺はどうすればいいんだ!君がウーゴから俺の召喚陣を守ってくれたんじゃないか!」

 「……それは………」

 ライさんの目には涙が浮かんでいた。感情が昂り、痛みを耐えて滲むその涙にフジタカも次の言葉が出てこない。

 「ふっ……ふふ、ふ……」

 そこに聞こえてきた場違いな笑い声にレブと私は目線を正面に戻す。ベルナルドはまだ立てないままでいた。迂闊に彼のインヴィタドもこちらへ戻って来ない。今度はトーロ達が動かさないでいてくれているんだ。

 「何だっていいさ……。君はもう、こっち側に来るべきだ。でなければ後に後悔するよ」

 「脅すにはあまりにみっともないな」

 私だって立っていたいけどまだ足が動きそうにない。レブに下ろされたら多分立てないだろう。

 「ひひ、善意で言っているんじゃないか……。それうぉっ!?」

 「レブ!」

 突然レブがベルナルドの頭を掴んで持ち上げる。

 「言った筈だ。次は当てるぞ、と」

 「待……!」

 「へひぃ!」

 私が止める間も無くベルナルドの手足が大きく妙な方向に跳ねた。ぷらん、と力無く垂れ下がった手足に私は悲鳴を上げそうになったが声も出ない。

 「案ずる事は無い。痺れさせて意識を飛ばしただけだ。……しばらくは地獄の苦しみを味わうだろうがな」

 レブは私を抱えたままでベルナルドを彼のインヴィタドの方へ頭から放り投げた。虫の様な顔に表情は無いがしっかりと両腕で抱えると、人狼と共に老人の元へと戻る。その間もライさんはフジタカに押さえられていた。

 「まさかベルナルドが赤子同然に捻られるとはな……」

 老人は甲殻虫人の腕の中で泡と涎を吹いて痙攣しているベルナルドを見て顔をしかめた。

 「この私を見ても出し惜しみしたのが敗因だ。スパルトイをけしかけるぐらいはできただろうに」

 「………」

 突然出てきたスパルトイという単語にチコとフジタカも反応する。でも、あの試験監督とは明らかに見た目が違う。

 「黙秘しても無駄だ。お前が召喚士試験の監督にスパルトイを譲渡したのは分かっている」

 「……鼻が良い、で合っているのですかね」

 ベルナルドから私達に老人が視線を戻す。戦意はなさそうだけど、だからこそ底が知れない。

 「カドモス・テーベ・アーレウス。その名を持つ竜とお前の関係はなんだ」

 「単純な話。彼は儂、ロルダン・コロンの客人インヴィタドです」

 レブがギリ、と牙を鳴らした。手に力を込めないが明らかに様子が違う。

 「自身の力ではあの竜を捻じ伏せられまい。その枯れ木の様な細腕で」

 「如何にも。彼は儂の……儂らの良き理解者ですからな」

 「妄言を吐くな!」

 いきなりレブが聞いた事の無い程に声を荒げる。放たれる殺気にカルディナさんもニクス様も近寄る事ができないでいた。

 「儂らに協力を願えない以上、これ以上の質問には答えかねます。……ロボ」

 ロルダンと名乗った老人が獣人の名を呼ぶ。彼は腰に提げた剣を抜いた。

 「……っ!親父ぃぃぃ!」

 「おいフジタカ!」

 ライさんを突き飛ばす様にフジタカが飛び出した。チコも呼び止めるがライさんの方は大人しくしてくれていた。

 「彼は……」

 「この位置では、他の者達も巻き込まれる」

 初めて狼が口を開いた。落ち着いた、と言うよりはどこか沈んで生気が抜けていくような低い声。ロボと呼ばれた彼は、この場に居るもう一人の狼獣人だけを見ている。

 「藤貴、お前は俺と共に来い」

 「ふざけんな!いきなり出て来て何言ってやがる!」

 あろうことか、フジタカはニエブライリスとアルコイリスを同時に取り出した。ロボの方もナイフを見て目を細める。

 「ならばそのナイフだけでも……!」

 「そこまでにしろ」

 ロボの肩にロルダンが手を乗せる。数秒睨み合って、先に目線を外したのはロボの方だった。

 「ベルナルドめ、余計な真似を……」

 「行くぞ」

 「待てよ!」

 意識を失ったベルナルドを見るロルダンは完全にこちらへ背を向けた。そしてロボが剣を横に振ると、フジタカの制止は正面の空を通り抜ける。何故ならヴン、と音を立てて私達と対峙していた四人がいきなり姿を消したからだ。

 フジタカのナイフと同じ現象が起きるのを見るのは二度目。もしかしてだけど……。

 「今の、あの人がやったの……?」

 「たぶんな」

 レブに抱えられたままで尋ねると、フジタカはこちらを見ないで中継地へと引き返す。彼を最初に追い掛けたのはチコだった。

 「……治療しよう」

 「クソっ!」

 ニクス様が羽を抜き取り、カルディナさんが包帯を取り出してライさんの手に巻いてやる。巻かれながらもライさんは顔を歪めて今にもどこかへ行ってしまいそうだった。

 「奴らの気配は消えた。……少なくとも、見張りは私がやれば事足りる」

 「……すみません」

 レブも引き返す中ですれ違いざまにウーゴさんが一言謝った。それが何を指しているかは一言だけでは分からない。ウーゴさんも急いでライさんの手当てに向かってしまう。

 「あの、レブ」

 「どうした」

 もうすぐ入口というところだが、私はレブに声を掛ける。すぐに目線がこちらを向いたので私は身を捻った。

 「薪、持ってくるの忘れてるよ。私なら歩けるから」

 「……そうか」

 まだ何か言いたげだったが、レブはゆっくりと私を下ろしてくれた。立ち上がるとやっぱり力を入れにくい。なんだかどこかふわふわして、このまま跳べば高く舞い上がりそう。

 そこでやっとレブの全身を改めて見る事ができた。もう、彼を見下ろす日はきっと来ない。首を上に向けて映るその凛々しい姿に時が止まる。

 長く伸びた尾はくねらせながらも地に触れずしっかりと浮かせ、その部分だけでも他の生物の存在を思わせる程の存在感を放つ。翼にしてもそうだ、巨鳥がその逞しい背中に降り立ったかの様な力強さと大きさを誇っている。畳んだ状態でも迫力があるのだから、翼を広げた彼ならきっとどこへでも行けるのだろう。

 どこへでも行ける翼、何でも捻じ伏せる頑強な手足、鋭利な牙と爪を持つ紫の竜はこの場に立ち止まり、私を見下ろしている。その体でどこかへ去ろうなどとは微塵も思っていなさそうに、ただ私の顔を見ているのだ。

 「私の姿に心でも奪われたか」

 「……うん」

 見下ろされていると言うよりも私が見上げているんだ、レブを。彼の冗談にも真顔で頷いてしまう。

 「………」

 レブが顔を上げて口を曲げる。ああ、この顔を私は知っている。大きくなっても変わらない。

 「……それを言うなら魔力、と言うべきところなのだが」

 「通じてたよ。付き合ってあげなかっただけ」

 「意地が悪いな」

 用意されていた薪をレブに渡しながら私は自分の変化に気付く。確かに、ベルナルドに何かされたらしい。魔力の通りが一気に穏やかな渓流から滝へ変わるぐらいに巡りの速度が変わっていた。

 普通、こんなに魔力が体内を駆け巡ったら立ってはいられない。長時間走ったあとは急に止まるのではなく、体を落ち着ける為に少し歩いた方が血流に良いのと同じ。だけど自分はそれを体感しながらも平気で動けている。体がそのうち馴染むからと教えてくれている。

 ……それがたぶんあのロルダンが言っていた繋がり、らしい。かつて竜の血を飲んで生き延びた私は、召喚士とインヴィタド以上に深い部分でレブと繋がってしまった。

 「もっと自力で、レブを元に戻してあげたかった」

 レブに荷物持ちを任せてしまい、引き返しながら私は呟いた。すると前を歩いていたレブが足を止めて振り返る。

 「この姿になったのは他の誰でもなく貴様の力だ。他の連中が幾ら魔力を貢ごうと私の姿は変えられない」

 言ってくれている事の意味は分かるけど、私が言いたいのはそうじゃない。ベルナルドに魔力解放なんてよく分からない事を無理矢理されたりしたくなかったんだ。

 「……遅いか早いかの違いだ。自覚があればそれで良かろう」

 「……うん」

 私はレブと繋がっている。自分で制御できずに魔力を送っていたからレブはその時々で姿を変えていた。少しずつ背を伸ばしたり、翼で飛べる様になったり。

 だけど今の私では魔力を人にこじ開けてもらっても、レブを元の世界で誰もが恐れる紫竜人の姿に戻してやることはできない。ベルナルドに解放させられたことで、魔力を自分で制御できる様に体質が変わったかもしれないけど今は分からない。少なくとも私よりも一回り背丈が大きいぐらいなら、今の全魔力をレブにあげてもきっと真のアラサーテ・レブ・マフシュゴイに戻すまでには至らない。

 自分の限界はここまで、と見せられた気がした。背伸びして届くくらいの制限をあっさりと公開されて先の展開が決まっていく。決められた道の果てを越えたい、と自然に願ってしまう。

 引き返しながら私はレブの横腹にうっすら浮かぶ専属契約の召喚陣が目に入る。あの時と今では状況が違う。今ならもうちょっとはまともに描けたかな、と思いながらも当時はそれでも精一杯やったんだよ。

 一夜を明かすだけ、だから私達はあまり多くの薪は持ってこなかった。焚き火を見詰めてぼんやりするフジタカと、その横に黙って座るチコが既に暖をとっている。

 「…………」

 すぐに後ろからニクス様とカルディナさんにウーゴさん、それにトーロと手に包帯を巻いたライさんもやって来た。……皆でほぼ、無言で焚き火を囲む。すぐに食事、という気分にはならなくなってしまっている。

 「……君の父親、だったらしいな。追わなくて良かったのか」

 炎だけを見詰めながらライさんの一言が反響する。誰に向けられたかは確認するまでもない。

 「アンタ、俺達といればフエンテにまた会えると思ったから、わざと俺達を連れてこうとしたんだろ」

 フジタカもライさんもお互いの目は見ない。

 「……先に質問したのは俺だ」

 ライさんが自分の手を包帯の上から擦る。顔もレブの尻尾に叩かれたせいか若干右半分が腫れて見えた。獣人だから毛に隠れるけど、膨らめばいつもと比べて違和感が大きく現れている。

 「あいにく、顔も見るまで忘れてたくらいだよ。わざわざ追う程に執着はしていない」

 あんな形ではあるけど死んだ筈のお父さんにまた会えた。……喜ぶどころか、フジタカはあからさまに怒っていたと思う。今も反応がやけに薄いし。

 「このナイフは親父から貰ったもんだ。それを返せって言ってきたんだから、放っておけばまた来るだろ。……次はライさんの番だ」

 せめてナイフだけでも、と言って去ったロボの狙いは今の持ち主でも分からないみたい。フジタカの目線がまた出口を向いたけど人の気配はなかった。

 「……巡る様に仕向けた機会だったが、とんだ失態を見せたな」

 ライさんはフジタカの言葉を否定してはくれなかった。カルディナさんはライさんではなくウーゴさんを見る。

 「……貴方も、復讐ですか」

 「………はい」

 ウーゴさんだけは私達を見て、頷くと同時に頭を下げた。

 「止せ。……ウーゴは俺が力ずくで言う事を聞かせた」

 「召喚士にインヴィタドが命令をしているのか?」

 隣に座っていたトーロがライさんの肩に手を乗せる。しかしそれはすぐに振り払われた。

 「だからなんだ!俺は絶対にあの連中を皆殺しにする!でなければココは永久に救われないだろう!」

 またココの名前が出てきた。……あの出来事は私達だって忘れていない。だけどそれはもう過去の話なんだ。繰り返す方が苦しいに決まっている。

 「ライさん……。あの日襲ってきた人達を止めたのは……」

 「そこの彼だ」

 ライさんは血の滲む指でフジタカを差す。

 「ベルトランを殺したのはフジタカ君だ!俺が殺さないと意味が無かったのに!」

 「だから他のフエンテは自分で、って……おかしいじゃないですか」

 未だにあの日が続いているライさんに対してフジタカは落ち着いて返す。それが余計に相手の気を煽るとも分かっているだろうに。

 「またココの様な契約者を増やしていいのか!」

 「そんな事は言ってない!ただアンタはそんな上っ面の理由を塗り固めて私怨で暴れてるケダモノじゃないか!」

 「言ったなぁ……!」

 ライさんが立ち上がり、剣の柄に手を伸ばす。他の皆も慌てたがそこに一人、おもむろに手を伸ばす者が一人。

 「眠れ」

 「う……っ!」

 すかさず一瞬でその手はライさんの喉元に触れ、途端に毛が逆立つとライさんは力が抜けてそのまま倒れてしまった。……レブがさっきのベルナルドと同じ様にライさんも気絶させてしまったんだ。

 「加減はした。泡も吹いていまい」

 寝てるだけの様に見える。……気は遣ってくれたんだ。副産物の感電効果も使いこなす、ってこういう事なんだろうな。

 「………」

 見ても何も言わないフジタカ、怒りのままに倒れたライさん。それに対して見た目に反し中身は最初からほとんど変わらないレブ。……旅が始まって早々に、私達はバラバラになってしまっていた。

 「……これから、どうされますか。今からならまだ十分に引き返せる」

 提案してきたのはウーゴさんだった。ライさんに毛布をかぶせて心配そうに顔を覗き込んでいる。

 まだピエドゥラの中腹。これから今朝の野営地にまで戻って、明日は一日中なるべく休まないで歩けば夜にはトロノまで戻るのも無理ではない。今のレブなら一人ですぐに飛んでいく事だってできそうだし。

 「ライはフエンテを誘い出す為に、ザナさんとチコ君達を利用した。それは今さっきの出来事が証明している。……今はこうですが、きっと起きればまた同じ事の繰り返しです」

 ウーゴさんがそっとライさんの鬣に手を伸ばす。焚き火の音に混じってバチッと何かが弾ける音がした。……レブの流した電気をまだ帯電してたみたい。

 「以前の方が良い毛並みだった」

 「……身なりは前よりもきちっとしているのですがね。手入れを誤魔化しているんです」

 失礼な事を言ったレブに対してウーゴさんは苦笑する。

 「俺ではライを止められなかった。それどころか、知ってて加担した」

 「随分、計画的で慎重だったのですね……」

 カルディナさんも声の調子を落とす。ウーゴさん達がトロノにやって来たのは召喚士試験の前だ。街道ではベルナルドから私達を助けてくれたと思っていた。

 本当は殺しにやって来ただけ。私達を助けたのは……これからもフエンテを釣る餌にする為だった。だから試験でもとても協力的だったし、優しくしてくれた。裏では誰よりも激しい憎悪を燃やしながら。それは並大抵でできる事ではない。燃やし続ける事だって心が削れてしまうのに、ライさんは全力で向かって行った。怯えてしまった私とは大違いだ。

 「幸い、フエンテへの警戒よりも召喚士試験に注目が集まっていましたからね」

 だから動きやすかった、か。ウーゴさんは私がライさんに指導してもらっている時に別行動している日も多かった。それって多分情報集めや他の事をしてたんだ。しばらく試験が行われていなかった資格試験の方に話題が向きやすいのも恥ずかしながら納得できる。私だっていつ来るとも知れぬフエンテを気にしながらも、と言いつつ実際は試験の方にばかり集中してしまっていた。

 「ですが、それもここまでです。こうして、皆さんに知られてしまいましたからね」

 ウーゴさんは薪を揺らして炎の大きさを調節してくれた。

 「最後に、謝らせてください。……そう、フジタカ君の言う通り個人的な私怨にニクス様も……皆様も巻き込んでしまった。申し訳ありませんでした」

 立ち上がって深々と頭を下げるウーゴさんを見てフジタカの耳が少しずつ曲がっていく。ライさんが言っていた俺はどうすればいい、というのは私にも分からなった。

 「ライが起きたら……」

 「引き続きピエドゥラを越え、西ボルンタを回る」

 ニクス様の宣言にチコとトーロ、そして誰よりもウーゴさんが目を丸くした。

 「で、ですがニクス様……我々は!」

 「どうすると言う。話を聞く限り、フエンテ討伐を諦めるつもりは無さそうだが」

 「……はい」

 覆らない考え同士の激突に面食らいながらもウーゴさんはこの場を今にも立ち去りそうだった。

 「君達がフエンテを追う上で欠かせない足掛かりは自分を護衛する任務に就いている。その自分が、このまま先へ進むと決断すればどうなる?」

 足掛かり、は私とレブ……そしてフジタカだ。

 「第一に二人の護衛の任を解いた覚えもない。勝手に職務放棄するのも頂けないが」

 「しかしそれは……」

 二人にとって護衛は二の次。勿論、ニクス様を守りながらではあるが一番はフエンテの討伐だろう。ウーゴさんはそんな考えを持った自分達が近くにいるべきではない、と思ってる。だから自分から最後と言ったんだ。

 ……うん、そうだよ。

 「だったら一緒に来てくれればいいんじゃないですか?放っておいても私達をこそこそ追い掛けるって……それじゃ同じ事です」

 誰と、とは言わないけどライさんが聞いてたら怒るだろうな。

 「後ろめたいって思ってくれてる。それに、私がニクス様と同行できる浄戒召喚士になれたのはウーゴさんとライさんにも手伝ってもらえたからです」

 そこに裏があったとしても、優しくしてもらえた事実も消えない。カンポにいた時から見ていたライさんと変わったところは色々あった。身支度が早くなったり、町で買い物するだけでも武装したり。レブが言っていた何を恐れている、と言ったのは……きっと誰よりもフエンテを警戒してくれていたから。

 「……レブは知ってたんだ?」

 「大方の予想はできていた。そして察しただけだ、その男の後ろで渦巻く闇をな」

 腕を組み、足で胡坐を掻いているレブだが、足元が落ち着かない様でずっとむずむず体を揺らししている。……前は足が短くて普通に伸ばして座ってたもんね。

 「知っていて……何も言わないでいてくれたのですか」

 「言って聞かないからこの場にいるのだろう。まして、戦力増強が必須となれば経験者を起用する。妥当な判断だ」

 積極的にニクス様の護衛を申し出たからブラス所長もウーゴさん達を採用したんだ。腕の立つ契約者の護衛経験者で手の空いている者……この二人以上に好条件の者はオリソンティ・エラ中を探してもそうそう見つかるまい。

 それに、フジタカがビアヘロという話を知ってて口にしないでいてくれたのはライさんも一緒だ。それもまた、自然な流れでニクス様と同行させるにしても。

 フジタカの言っていた男の秘密を守る人、という点もライさんは変わっていない。なにも全部が変わってしまったわけではないのだから、ライさんはきっと信用できる。

 「皆、それぞれ違う気持ちを持って来ました。でもニクス様を守るのは全員で行う事です。そこを違えないのなら……私は何も言いません」

 カルディナさんはあくまでもニクス様の意思と身の安全を優先する。それにもきっと何か理由がある。ブラス所長だって何度かニクス様の護衛任務からカルディナさんを外す時もあったけど、実績は評価されているんだと思うし。

 「私達のやる事は変わらないな」

 「うん」

 レブと私は最初からニクス様をフエンテやビアヘロを含めた障害からお守りする事。

 「その男の邪魔をする理由は私には無い。ココを殺した張本人はもうこの世にもいないのだからな」

 ライさんの瞼がぴくりと痙攣した。ウーゴさんも少し苦い表情に変わったがレブが気にする事ではない。

 「だが私にもあの連中へは用事ができた」

 「え、レブ……」

 何を突然、と思ったけどすぐにどの用事かは分かってしまった。レブは焚き火を見て目をすがめる。

 あのロルダンという老人をずっとレブは見ていた。あの人はどうやらフジタカのお父さん、ロボの召喚士ではないらしい。

 その代わり、彼が連れていると思しきインヴィタドはレブの知る人物のようだった。確か名前は……。

 「もしかしてカドモス・テーベ・アーレウス……?」

 レブは頷いた。

 「私の友が……こんな場所に来ているとは信じ難い。だが、貴様と小僧は奴の下僕と対峙しただろう」

 「俺も?………あ、テーベって……スパルトイか?」

 チコもレブに言われて少し考えて答えに辿り着く。

 「じゃああの試験監督もフエンテ……?」

 「可能性は低そうだ。試験監督にしては、らしくなかっただろう」

 私の仮説にやんわりとレブは首を横に振る。

 「そう言えばあの監督、やけに俺達に口出ししてたよな」

 「うん……」

 概要の説明はともかく、試験中にも話し掛けてきていた。それは私とチコだけでなく、他の受験者達にも同じだったと思う。次はどうする?とか、このままでは危ないですよとか……スパルトイが強力なインヴィタドだとして、場合によっては危険だからってあんなに声を掛けてくるものかな。

 「こちらの情報目当てにあの老人が召喚士試験の監督にスパルトイを渡していた……?」

 あの人は直接フエンテに所属していたのではなく、表向きは召喚士同士の取引でお金と情報を目当てにスパルトイと取引をして監督をしていた……。カルディナさんの考えの方が理には適っている。

 「あの試験監督がどこに行ったかは知らないが、下手に放置すれば召喚士育成機関の情報は筒抜けになるな」

 「……対策は用意します」

 カルディナさんが眼鏡の位置を直す。……また私達の後手だ。

 「人数は少ないのだろうに、こうも好き勝手されては堪らんな」

 「そんなのを相手に、ライさんは一人でも戦おうとしてたのか……」

 トーロとフジタカが眠るライさんの方を見る。二人ともライさんとは前から親しくしていたし、そんな彼が無茶をするのは快くない様だった。


 「………うっ」

 翌朝、全員の身支度が終わる頃にライさんが呻いてゆっくりと起き上がる。結局レブに見張りは任せてしまった。

 「大丈夫か、ライ」

 「俺、は……?」

 屈んで自分の目線の高さと合わせてきたウーゴさんを見て、ライさんは頭を押さえる。

 「頭痛が……。……そうだ、俺は……!」

 一拍遅れて、周囲に全員揃っていると気付いたのかライさんは毛布を取り払った。

 「すぐに動かぬ方が良いと思うが」

 「何を……うっ……!」

 「威力は最低限に留めたが、無理をすれば体に障るぞ」

 自分に何が起きたのか思い出したらしいライさんだったが、頭が痛むらしく自分を見下ろすレブの前で力が抜けてしまう。しばらくは立たない方が良いんじゃないのかな。

 「ライ……話はもう終わったよ」

 「終わった……?まさか、勝手に話したのか……!」

 「止めなって、ライさん」

 ウーゴさんに掴み掛ろうとしたライさんをフジタカが止める。やっぱりまだ本調子ではないのか簡単にライさんは引き下がってくれた。

 「昨日は……すいませんでした。俺、わざと喧嘩を売る様な言い方しちゃいました」

 「………」

 頭を下げるフジタカにライさんも振り上げていた手を静かに下ろす。自分の話をされていたのに謝られるなんて、思っていなかったみたい。

 「知ってしまったのだろう。俺が……契約者に同行した理由を」

 「それだけじゃないです。俺達がフエンテを呼び寄せやすいからというのも、全部」

 フジタカに言われてライさんは俯いて弱々しく笑う。

 「くっくっく……。……はぁ……。バレる時は本当にあっさりしたものだな。準備だって随分苦労して進めたんだが」

 「目標を目の前にして、焦るのも分かりますけどね」

 静かな調子で話し続ける二人に誰も口を挟まない。こんな時、フジタカは人の踏み込まれたくない領分を上手く避けながら話してくれる。

 「……俺をどうするつもりだ」

 「食欲があるならご飯、無いならこのまま次の休憩まで一緒に歩いてもらいます」

 「は……?」

 今日はピエドゥラを越える。下山ができたら街道に出れば野営地があるとカルディナさんが言っていた。目標はそこまで皆で行く事。

 皆の中には当然、ライさんも入っている。

 「……まだ俺を連れて行こうと言うのか?」

 「勝手に帰ろうって言うのかよ。……そうはいかない」

 そこでレブが一歩前に出る。ライさんは立ち上がると、ふらつきながらもレブの前に立って彼を見下ろした。

 「……また俺は貴方達を利用する。そこに引け目なんて、感じないぞ」

 「邪魔さえしなければ構わない。好きにすればいい」

 誰にも止められたり、抵抗を示されないのにライさんは居心地を悪そうに私達を見回した。いや、反発がないから悪いのかな。

 「俺は……」

 「お前がそこの契約者を守ると誓えるのならば文句はない。他に誰を処刑しようとな」

 レブの表現はあまりにも物騒だけど、私達はそれで納得した。

 「私達は今までのライさんを信じてます。だからライさんもニクス様や私達に協力してください。……これからも」

 私の相棒の言葉が足りないのならこちらで補うだけだ。レブはそこまでせずとも、と言いたげな様子で鼻を鳴らして私の後ろに下がる。

 「俺達はこの人達の前でなら……小細工をせずとも良かったんだよ、ライ」

 「…………」

 ウーゴさんに言われてライさんはしばらく黙ったままだった。

 「朝食は、要らない。待たせてしまった様だし先を急ごう」

 ライさんは鬣を梳いて形だけ整えると、すぐに岩壁に立て掛けていた自分の剣を腰に提げて歩き出した。私達も火の消火だけ確認するとピエドゥラを下り始める。

 やっぱり、ライさんにそんな話を起きて早々に聞いてもらっても効果はすぐに現れない。今日までそういう生き方をしてきた相手に急に方向転換を促しても実行はできないと私だって思う。

 ただしライさんにはそれ以前があるんだ。例え今日までの笑顔が嘘で塗り固められた愛想笑いだったとしても、いつかはきっとまた、昔の様に心の底から笑ってくれる日が来る。来てほしい。

 ココへの気持ちを嘘にしない為にも気を張っている。それで気を保たせているのが今のライさんだ。私達の気持ちを伝えても、今は届いていない。だから私達は傍にいながら、前へ進むだけ。

 「本当に大きくなったよね、レブ……」

 敢えてライさんには深く触れない話題に変えるとしたら、と隣を見る。昨日も思ってはいたけど改めて。自分よりも大きくなったレブがこうしてずんずん歩いているのを見ていると壮観というか……。

 「まだ半端な目線だが、私にとっては随分とできる事が増えた。それに、この姿であれば犬ころも……」

 「あだっ!おいデブ!狭いんだからそのハネどうにかしろよ!邪魔だっつの!」

 得意げに身を振ったレブの翼がフジタカの肩に当たる。肩を押さえてフジタカは相変わらずの呼び方と態度でレブに接していた。

 「…………」

 レブが自分でお腹を擦る。……うん、しっかり腹筋の割れ目は見えてるよ。ぷくんと膨らんでたりはしないから。フジタカのはただの癖だと思うけどまだ気にしてるんだ、それ……。

 「見直したよね、レブの事。ね、フジタカ?」

 「余計かさばったじゃん」

 「減らず口が……!」

 こちらがレブの気を良くしようとしてもフジタカは汲み取ってくれない。空気は読める方なのにどうしてレブに対しては自分を曲げようとしないかなぁ……。

 だけど、フジタカがさっき言っていた事は後に問題となってしまう。今まではほとんど気にならなかったのに、どうしても避ける事はできそうになくなってしまった。

 野営地も過ぎて三日経ち、私達が最初に訪れた西ボルンタの村はファーリャだった。アスールやファーロと言った沿岸の港町へ街道が続いており、海を目指す人達は大抵が補給地として利用しているらしい。

 そのため地元民と言うよりは私達の様に荷物を持った人々が多い印象を受けた。手ぶらで散歩している風体の人はあまりうろついていない。

 「賑やかなところだね」

 小さな村、と聞いていたが人が少ないとか活気の有無はまた別の話だ。薬屋も魚屋も繁盛しているらしく、ひっきりなしに人が出入りしている。

 「そんな事よりも早く休もうぜ……。さっさと風呂に入りたい」

 「だな、ケモノ臭いなんて言われちまう……」

 チコの意見にフジタカも賛成して鼻をひくつかせる。川とかも途中に無かったしね。ファーリャからもっと北西に行けばあるんだけど、今回の遠征ではそこまでは行けないかな。

 「宿はこっちだ。汗を流すくらいならすぐにできると思うぞ」

 トーロが前に立って案内してくれる。日の出と共に歩き出したので今はまだ昼になるかならないか。私達は何に置いても先に宿を確保したかった。

 道すがら、聞こえてくる話を統合すると最近この辺でもビアヘロは現れているらしい。と言っても、この村は交易が盛んに行われている分だけ召喚士の出入りも多いから大概がすぐに駆除されるそうだ。でも、それで儲けるにはあまりに数が少ないし規模も小さい。だからこの村でも召喚士の姿は新鮮に映るらしかった。

 「あれぇ!契約者様じゃねぇか!」

 トーロが案内してくれた宿に入ると、受付で何かを記帳していた中年の男性が眼鏡の位置を直してニクス様を見る。カルディナさんが言うにはこの村に来たのは二年以上前みたいだけど、相手は覚えていたみたい。

 「この宿に泊まりたいんだが」

 「やぁやぁやぁ!契約者様がうちみたいな宿をご贔屓にしてくれてんだ、しかも今回は大所帯で!歓迎致しますよぉ!」

 大袈裟だな、と思うけど契約者御用達の宿なんて宿の従業員からすれば少しは宣伝文句になるのかな。でもそこでふと、疑問も浮かぶ。

 「この宿……昔からあったわけじゃないんですか?」

 「数年前に店主が死んでまったく別の者が宿を買い取り、装いと名前だけ変えて引き継いだんだ。だからニクス様を知らない」

 部屋の空きを確認している店主らしきおじさんに聞こえない様、小声でトーロが教えてくれた。そうだよね、ニクス様が契約者として活動している期間を考えれば知らない人なんてそうそういないだろうし。昔から行きつけだったのかな。

 「えーと……御一行様は九人でよろしかったですかな?」

 店主がこちらを見回す。召喚士四人とインヴィタド四人に契約者。うん、全員いる。

 「二人部屋しか空いておりませんで……。五部屋でよろしかったですかね?」

 こういった時はままにある。だったら……。

 「ならレブ……あ」

 「………」

 アラクランに行った時は度々宿に空きがないと言われる事もあった。そんな日はレブに我慢してもらって一人分を削る。今日であれば、二人部屋五部屋のところを四部屋で済ませてレブには同じ部屋で寝てもらうとか。

 私は自然に、後ろを振り返って足元にいるであろうレブの姿を探した。しかし振り返れば、逞しい太腿を包むズボンが目に入るだけ。途中で気付いて視線をゆっくり上へと向ければ、レブが腕を組んでこちらを見下ろしている。

 「貴様はこの数日、ずっと私の横にいて何を見ていた」

 「ごめん……いつもの習慣で……」

 宿屋で経費を節約するなんて真似を習慣にするのもどうかと思うけど、実際レブの言う通りだ。三日経ってやっと見慣れた彼を、少し村に入っただけで姿が変わったという現実を忘れてしまうなんて。

 「デカくならない方が良かったんじゃないのか……」

 「何を言うか。小さくて得した事がどれだけある」

 フジタカが呆れ顔でレブを見ている。負けじと胸を張る姿はそのままなんだよなぁ。

 「まず、小学生料金で済ませられたろ?」

 「あ!ルナおばさんがブドウをオマケしてくれたりしたじゃん!」

 お金の話と言えば、レブのお金の使い道は大半がブドウだ。そんなレブと接する機会が多かったルナおばさんは彼にとっては大きな存在だと思う。……今のレブを見たらルナおばさん、どうなるかな……。どうしたのレブちゃん!とか叫びながら腰を抜かしそう。

 「………」

 しかも本人は深刻そうに黙っている。普通に堪えているみたいだ。

 「この体では、一房のブドウでは満たされない……」

 「心配するところ、そこ?」

 私が聞いたところでレブは自分の世界に入り込んでしまう。でもレブの言っていた事はあながち間違いでもない。

 こんなに大きくなったら、レブの食事も前と同じじゃ続かない、よね……?道中では皆で分け合って食べていた分を文句も言わずに食べてたけど。

 「私は由々しき事態に陥ったのか……」

 しかし本人はブドウの事しか考えていない。そうじゃなくて!

 「とりあえず……五部屋、お願いします……」

 カルディナさんは私達の事は諦めて話を進めてくれた。ニクス様を一人にはしておけないから、と一緒の部屋にあてがわれたのがトーロだった。

 「………」

 私はカルディナさんと同じ部屋。チコはウーゴさんと同じで、フジタカはレブと。一人部屋を使う事になったのはライさんだった。私とレブで様子を見に行ってもライさんは部屋のベッドに腰掛けて動かない。眠ってはいない様だった。

 「あの、ライさん……」

 「……何か、用事か?」

 私が声を掛けるとゆっくり目を開ける。この数日、ライさんはほとんど誰とも話をしていない。ウーゴさんとでさえもだ。

 「いえ。ただ、一応夕食は皆で摂ろうって話と、それまでは自由時間にして良いそうです」

 「そうか」

 ライさんは短い返事だけ寄越すと私達から視線を外した。

 「……まだ、伝える事でも?」

 「……いいえ、すみません。では、またあとで」

 私はそれ以上、ライさんと会話を続けられなくて部屋の扉を閉めた。レブも無言で私についてくる。

 村に到着すれば変わるかも、と思っても特に目ぼしい変化は起きてくれなかった。宿に入る前もずっと黙っていたし、部屋で荷物を降ろしてからも変わらない。外に気晴らしにでも、と誘う隙すら見せてはくれなかった。

 「私達は外に行こうか」

 こっちはこっちで時間を使うしかない。フジタカはチコとウーゴさんの部屋に行ったみたいだし、カルディナさんはニクス様とこの村での契約の儀式の打ち合わせを始めると言っていた。私も契約者の護衛になれたのだから、話し合いにも参加したいと言ったがそれは断られた。

 「休むと思っていたが」

 見下ろされながら私も頷いた。

 「そう思ったんだけど、なんか落ち着かなくて。体を動かしたい気分だと思ったんだ」

 疲れていないわけじゃない。だけど自然と肉体はもっと運動したいと主張していた。もしかして今日は昨日までよりも体力を使わない内にファーリャまで着けたからかな。

 レブは特に何も言わないで私の横を歩いている。その一歩一歩の重みが前とは全く違う。外に出て、集まる視線でもそれは何となく伝わってきた。

 「おい、あの子……」

 「すっげーな、アレ……。まさか竜か?」

 「いやいや。せいぜいトカゲ……」

 「トカゲになんで翼があるってんだよ」

 「あ、そっか。ってことは……?」

 装いから見て、こっちを見て何か話をしている人達もファーリャに定住しているとは思えない。そもそもこの近くには何件か宿屋が並立しているし、たぶん別の宿を利用している宿泊客の数人だと思う。

 「この私を見て未だにトカゲなどと同じ扱いにする不逞がいるとはな」

 「見た事ない人からしたら分かんないよ。気にしないの」

 気にするな、とは言ったものの相手からの視線にはその日の中で慣れる事は無かった。だって、どこに行っても珍しがっている視線を向けられるんだもの。

 ニクス様だって十分に人目を引く。だけど、注目されているのは私ではなくニクス様だと思えばそれで済んでいた。

 向いた注目がレブを捉えた瞬間、私は他人事ではいられなくなった。前からトロノをうろついている時もレブを見て気にする人はいた。だけど大抵が可愛いね、小さいね、生意気だね、と目線は下がっている。

 それが横や、上向きになっただけで人が抱く感情は大きく異なってくる。レブに対して向けられる感情。それは決して羨望だけではなかった。

 あの子が隣の竜人を召喚したのか。そんな声が歩くと聞こえてくる。自分で言わずともレブと私を関連付けて話題にされていた。

 前から私の隣にレブはいたのに。

 「………」

 「おい、どこへ行く」

 自然と速足になって、レブの声が後ろから聞こえる。周りが急にレブを見る様になった事に私の頭が追い付いていない。つい昨日まではレブの事をよく知っている人達がいたから、他に考えないといけない事が山ほどあったから、気にしないでいられただけ。

 「気分が優れないのなら部屋へ戻るべきだ」

 「そうだけどさ……」

 良い気分じゃない。それは体調の事は指していなかった。

 村の広場、遊んでいた子ども達が私達を見て球蹴りを止める。気まずくて私はレブを連れて、とにかく人目を避けた。

 「……村中を歩いても、貴様が落ち着ける場所は無いと思うぞ」

 「半周以上終わってから言う?」

 なんとなく人の多い場所を避けてのらりくらり。しかしレブと私の姿を見て放っておく人の方が少ない。見逃し掛けても視線が戻ってくる。

 「一人になりたいのならば、少し離れよう」

 「い、行かないで!」

 立ち止まってレブに向き直った。彼の表情はいつもと変わらない。静かに私を見下ろしているだけ。

 「一人には……しないでよ」

 「承知した」

 本当にトロノに居た頃と変わらない接し方をされて私は今のレブに今更ながら違和感が込み上げてくる。もっと大きな姿になった事だってあるのに。

 離れない様に言ったはいいものの、結局私は先程の広場に戻ると簡素な木製の丸椅子に座った。レブは私の横に立って周りを見回している。そうしている間にも見物する人は何人かいた。通りすがるだけでその場でじろじろ見ようものなら、レブの一睨みで追い返されている。

 「話したい事があるのなら、私の部屋に戻って犬ころを追い出すのも手だろう」

 「フジタカこそ屋外で一人にはしておけないよ」

 心配とかではないけど、何か起きるとしたらフジタカが巻き込まれる可能性は高い。フエンテの中で一番重要視されているのは私達よりも彼だと思う。

 「……はぁ」

 だけど、今考えているのは私達二人の事だった。レブの言う通り、この村を目的もなく歩いていたらそれこそ逆効果だろうね。

 「召喚士として鼻が高いとは言えんか」

 「それは……」

 竜人を従えているなんて言ったら召喚士としては誉れ高いのが普通だ。しかもその竜人の中でもレブはとびきりの力を持っている。だったら自慢の一つでもするのが当たり前なのかもしれない。

 「できないよ。レブがダメって事じゃないよ?レブは私を今日までずっと助けてくれた凄い竜だもん。でもね」

 「皆まで言わずとも分かっている」

 レブは目を伏せて笑った。

 「召喚士として自分の力が伴っていないと言いたいのだろうが、私はそれを否定する」

 「否定って……事実だよ」

 客観的にこの構図を見てよ。前は小さな怪獣を引き連れた半端者召喚士だったのが、今ではゴツい竜人と何故か肩を並べたなりたて召喚士だ。前から自覚していた自分の未熟さが、今度は人目で思い知らされている。視線を浴びながらどんどん自分の矮小さが露呈していた。

 自分では少しずつ前に進めていると思っていても、周りが同じ様に見てくれているとは限らない。こうして突発的に起きたレブの変化に対して何もしてあげられなかったのだから。

 「……レブ、私からちゃんと魔力は流れてる?」

 「当然だ。貴様が優秀な召喚士だからな」

 返答に耳がくすぐったい。

 「繋がっているから私には分かるぞ。ここまで私の姿を変化させて尚も貴様にはまだ、余裕があるらしい」

 「え……?」

 余裕って、私に……?

 「私が放電してあの前髪と獅子を気絶させた際、意に介さなかっただろう」

 「それはなんというか、キョ、キョクゲン状態だったからで……」

 あの時は頭や胸の中がチカチカバチバチしていた。レブに自分を押し広げられて、体の中を小さな固い虫みたいな物が跳ね回っている様な。

 「あの程度を極限と評するなら、本物の極限をどう表すつもりだ。貴様は一度体験しているだろう」

 「一度……あっ」

 タムズに殺されそうになって、レブが元の姿になった時。今までであの時よりも私自身が危機に陥った事は無いかも。

 「あの時もそれどころじゃなかったなぁ……」

 「先日の一件を大蠍戦と同じ物にするなと言っている」

 あぁ、そうか。あの時と比べれば……普段通りみたいなものだよね。凶暴なビアヘロと問答無用で戦うよりは頭も冷えていた。

 ……なのに、私は平然としていた?

 「あれ……?」

 私が顔を上げるとレブは腕を組んだままこちらの目線の高さまで腰を屈めた。

 「変化したのは私ではないのだぞ。貴様が変わった故に、私も連動しただけだ」

 「それ、だけって言うのかな……」

 私は確か……レブの血を飲んだから自分の魔力の大半を意識せずに注ぎ込んでしまうらしい。あまりに当たり前だったから、今までは気にしてなかったけどベルナルドには散々な事を言われてしまった。

 「魔力を解放された貴様は、もう既に消費用と貯蔵用に魔力を分けている。自覚していないだけだ」

 しないんじゃなくて、できないんだ。やり方が今までと変えられてしまったから。

 「使おうと思えば、できるの?私でも」

 「些か不本意だがな」

 レブからの言葉に首を傾げた。しばらく彼の目を見ていると、一度目線を外され背を真っ直ぐに伸ばす。

 「……どうしてさ?」

 口にするとレブは正面から私を見下ろして言った。

 「私一人で、貴様を満足させられないのかと思った。他は要らないと、言って欲しかった」

 「な、な……!」

 そっと自分の胸に手を当てて告げられたレブの言葉に顔が熱くなってきた。顔だけじゃない。耳も、手も、足も。全身が火照って何度か体温が上がるのを感じた。

 「私にとっての召喚士はこの世界で唯一人しかいない。そして、同様に貴様の唯一……」

 「あ、あぁぁぁ!もういい!もういいから!」

 聞こえてないとは思うけど、人目があるの!こんなに叫んだら余計に目立つけど!今はとにかく!

 「……不服か。私だけでは」

 「そうじゃないよ……」

 私のふくらはぎに冷たい何かが触れる。見ると、レブの尻尾がゆっくりと私の足に巻き付き始めていた。

 私なんかをここまで慕ってくれる人は他にいない。同じ様に……ううん、それに負けないくらい私だってレブを……。

 「だけど、私は召喚士だもん。自分に他にできる事があると知ったのなら試したいよ」

 レブの細めた目はどこか遠くを見ている様だった。

 「……そうだな。召喚術を活かせず苦悩している貴様は……見ているこちらも歯痒かった」

 尻尾が私から離れていく。鱗が肌を撫でるその感触に私は微笑んだ。

 「試すだけ。本命はレブだよ。……それも、嫌?」

 「あぁ」

 はっきり言うなぁ、もう。そろそろ広場にもいられないかな。

 「忘れるなよ」

 立ち上がると同時にレブが顔を耳に近付けた。低く小さな声で彼は続ける。

 「貴様の力、それは己自身のモノだ。だが、私は既に貴様のモノなのだぞ」

 言われた内容と、それを告げる声色で震えてしまう。自分を認めてくれる人がこんなすぐ、手を伸ばせば触れられるところにいる。

 「モノなんて言わないでよ」

 「力は元より、私は身も心も貴様へ捧……」

 「私の初めての相手はレブだったんだよ!」

 レブの言葉を遮って伝える。貴方は私にとっても大事な存在だと。

 「特別な相手に、決まってるでしょ……」

 「………!」

 レブが仰け反り閉口する。いつまでもレブからの言葉に赤面してるだけじゃないんだから。……いや、今のだって真っ赤にしながら言ったと思うけど。だけどいつも気持ちを言葉にしてくれていたんだ、私だってたまにはやるんだから。言いなよ、これからも特別でいたいとか。そんなの、こっちからお願いしてやる!

 「………」

 しかしレブは黙って爪の先端で鼻の頭を掻いた。なんだかそんな仕草も今まではあまり見なかったかも。

 「……ならば他の初めても、私が貰い受けたい」

 「他の……?」

 なんだか思っていた返答と違う。雲行きが怪しくなってきた。

 「例えば、円満な家庭作りだとか」

 レブの尻尾に冷ましてもらった筈の体が熱を帯びていく。

 「なっ……!もう!知りません!」

 円満な家庭だった事なんてないんだから!って、暗い話になるから止め止め!


 レブを置いて歩き出す。当然後ろに続くのは私よりも体の大きな紫竜人。そしてそんな竜人を、竜人を連れて歩く召喚士を見る人々の視線。

 不思議と、出掛けた頃に比べて視線はほとんど気にならなくなっていた。気にするようになったのも、ならなくなったのも竜人本人のおかげ。

 話してみる事で解決できる事がきっと、もっとある。試してみれば変えられるんだ。

 まだ少し引け目はある。だけど彼がいるのだから自信を持って言おう。見たいなら見ていてほしい。私達は、これからも一緒にいるのだから。

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