第六部 エピローグ

                第三十章



 エルフの集落、アルパを通り過ぎて数刻歩くと鉱山ピエドゥラへと辿り着く。武具や蹄鉄といった工業品に使われる鉄鉱石から装飾品に用いられる宝石、果ては召喚術に感応する応石まで採掘できるこの山の向こうにはまた広い大陸が広がっている。しかし西ボルンタ大陸へ渡るには海路を使うか大きく山を迂回するしか方法は無かった。そう、それは今では過去の話。

 ピエドゥラの坑道を確保すると同時に、山越えを容易にする整備された山道も既に用意されている。かつて坑道はゴーレムの暴走により幾つか封鎖されたが、山道に関しては特に変わりない。私達は石造りの遺跡の様な暗い登山道を歩きながらピエドゥラを抜けようとしていた。

 「これってドワーフがやったんですか?」

 「そうらしいわ。大昔の話だけどね」

 綺麗に四角い岩が積み重ねられて舗装された道は、とても山の中腹を歩いている感覚にはならない。薄暗く道が真っ暗な建物の中を歩いている様な気持ちになった。カルディナさんが言うのだから人間やエルフがやったものではないみたい。

 しかしひんやりした自然の空気はどう考えても屋内の物とは違う。どんどん寒気が強まって私は自分を抱き締める様にローブを引き寄せた。

 「ニクス様、先が段差になっています。足元にお気を付けて」

 「うむ」

 私とレブ、チコとフジタカ。カルディナさんとトーロ、ウーゴさんとライさん。召喚士四人とそのインヴィタド四人に加えて、契約者ニクス様を加えた九人でトロノ支所を出立したのが昨日。召喚士試験からは半月が経過している。

 ブラス所長からは契約者を危険に侵すかもしれない心配を最後までされていたが、そこを説き伏せたのがニクス様だった。契約者が今後も狙われないとは限らない中で、レブやフジタカといった別に狙われる者がいても状況は変えられない。寧ろ、生存率を上げるなら彼らが同行していた方が心強いと説得してくれたのだった。

 だから私とチコは浄戒召喚士になったばかりでも契約者の護衛任務に就けた。トロノの召喚士をフエンテから遠ざけ、私達で調査する目的で。

 「霊体のビアヘロはお前のナイフで消せるのか?」

 「れ、霊体?とりあえずサラマンデルみたいな精霊は消しちゃった事があるんだけど……」

 大層な目的を掲げても中身を見ればこんなもの。ランプで道を照らしながらする話は何も、これからの目的地や仕事の内容ばかりではない。分かり切った話はとうに終えて、トーロとフジタカが話している様な関係のない雑談も聞こえてくる。

 「…………」

 「…………」

 一方、ウーゴさんとライさんが口を開く気配は無かった。喋り出したら止まらない、という人達ではないけど同行が始まってからずっとこうだった。もしかしたらニクス様との同行に緊張しているのかな、と声を掛けると返してくれる。その落差が分からなくて私も距離が詰められなかった。試験前はずっと協力してくれていただけに気になった。

 「あ、カルディナさん」

 「どうかした?」

 ランプは前に向けたまま、先を歩くカルディナさんが顔だけ振り返る。

 「ソニアさんが言ってました。私はアナタの先を往く、って」

 「……そう」

 試験の事を考えなくなった途端に忘れてしまった自分を叱りたい。ふと、思い出して私も結局雑談に参加してしまう。

 「カルディナさんって召喚士の資格は……」

 「ザナさんと同じよ。私は浄戒召喚士だけ」

 腕輪を振って見せてもらうと影の奥に応石が一瞬だけランプの灯りを反射した。

 「確かにソニアは召喚士として、私の先に立っている。でもお互い役割や召喚士として成し遂げたい目的は違う」

 カルディナさんの声が山道の中に響く。

 「私は自分のしたい事を今はできている。今後は分からないから、ソニアは私にもっと頑張れって発破をかけてくれたみたいね」

 カルディナさんはくす、と笑って再び前へ向き直った。今後は分からない……今までの実績についてブラス所長から言われていたのかも。

 「私も、努力します」

 「お願いね、駆け出し召喚士さん」

 見習いからは脱却できたんだ、次の段階の先へ進まないと。胸に留めて私達は歩を進めた。

 それからしばらく歩くと更に寒気が強まった。山道の前半と後半を繋ぐ中腹地点が近い証拠だ。更に進んで私達は山道が開けた場所へと辿り着く。登山者の休憩地点として用意されたにしては少し雑で、この場は石造りになっていなかった。休憩所から後半の登山道までは普通に洞窟を歩く様な気持ちでいいのかな。

 「ここなら風は少し吹くかもしれないが火は焚けそうだな」

 トーロが簡易的な焚き火台を奥から引っ張り出して来た。カルディナさんとチコは食事の用意をしてくれている。だったら私は……。 

 「あ、薪もある!レブ、お願い」

 「うむ」

 道中、とフジタカはトーロと話していたし、私はカルディナさんと何度か話をしていたからレブはほとんど口を開いていない。今朝から黙ったままだったレブは私が見付けて抱えた薪を受け取ると、トーロが置いた焚き火台へ放り込む。

 「ぶぅっ!」

 口先を細める様にしてレブが火を吹く。極力拡散しない様に前方へ放射された火は薪を掠め、先端からパチパチと音を立てて燃やし始めた。

 「薪って……もう無いのかな」

 ランプを消しても十分な光源を得て、焚き火を全員で囲み温もり溢れる火の揺らめきを眺める。しかし火は木を焼き尽くす物であり、いつかは消える。探してはみたが薪の残りらしき物は見当たらなかった。

 「先に進めばあるかもな。後半の登山道の開始場所とかさ」

 「そうだよね」

 これだけ用意が良いのに肝心の薪が無いって事はないと思う。ボルンタ西と東、それぞれの鉱夫の人達がたまに利用しているとも聞いていたから補充する場所はありそう。

 「俺、探しに行くよ」

 「だったら私も。……レブもいい?」

 「よかろう」

 フジタカが率先して出ようとしたから私も続く。言い出しっぺだしね。レブも巻き込んで悪いけどとりあえずこの三人なら……。

 「俺も行こう」

 トーロも来ようとしてくれた。だけど私の方から断る。

 「大丈夫だよ、持ち運ぶなら私とフジタカがいるし。仮に木だけでもレブなら切れるし」

 「粉微塵にしてくれる」

 そこに火を点けて粉塵爆発とかさせないでよ……?

 「……では、無理に探さないようにな」

 「うん、あと外の天気も見ておこうかな。行ってきます!」

 疲れてるし、私だってあまり遠くには行きたくない。でも少し外の空気を吸うのも悪くないかもしれない。私はレブとフジタカを伴ってランプは持たずに先へ進んだ。

 「……あれじゃないか?」

 「あ、そうかも」

 外の光が登山道の中に入ってきている。そこに照らされて映る大きな塊と、それを覆う布。私とフジタカは歩を速めて一気に布を取り去った。

 「おぉー!うぉっほ、おほ!」

 「げほ……あったね!」

 布を退かして現れたのは積み上がった薪の数々。しかし積もった埃が勢いと風に乗って一気に広がり私とフジタカは噎せてしまった。

 「……これ、ここに置いてたんじゃ天気悪い日とかは湿気るんじゃねぇのか?」

 「明らかに濡れてる、ってわけじゃないけど」

 フジタカの言う通り、布が用意されていたにしても洞窟の出口にほとんど野ざらしで置かれている薪。普通に考えたらあまり使いたくないかも。

 「その為の魔法であり、私の様なインヴィタドがいるのだろう」

 レブが薪を一つ持ち上げて具合を確認する。そうだよね、サラマンデルとか、火を出すだけなら方法は何個もこの世界にはあるし。

 「何とかなりそうだと分かったところで見てみろよ、外の景色!」

 「わぁ……!」

 そこに、いつの間にか外へ出ていたフジタカの声がして向かう。一歩洞窟から出たら気温がグン、と下がったと肌が泡立って感じる。

 しかし、フジタカが呼びに来た理由が分かった。広がった足場の向こう、崖向こうの景色は私達が歩いてきた平原を一望できた。星明りが照らすその神秘的な光景は初めて見る物を魅了する。昨日の日中はあの街道を歩いていたと知っていても、こうして遠くから見るとまた違って見えてきた。

 「これ、カルディナさん達にも見せてあげようよ!」

 「来るの初めてじゃないんじゃ……?」

 「じゃあ、ウーゴさんとライさんかな?」

 さっきまでずっと喋ってなかったし。これを機に少しお喋りもできたら楽しいかも。

 「いいかもな、それ。じゃあ俺が……」

 「下手に動かん方が良いぞ」

 フジタカも笑顔を浮かべ、尻尾を揺らし引き返そうとした途端。レブが呼び止める。

 「レブ……」

 「出てこい」

 レブの目線の先、後半の登山道入り口から人影がぬっと出てくる。その数は四。

 「こんばんは」

 「あ……あ……!」

 その中の二人には見覚えがあった。白銀の甲殻人と……もう一人はその甲殻人の召喚士と思しき男。ベルナルド・ルシエンテスが私達の目の前に立っていた。

 「フジタカ……?」

 だけどフジタカはトロノの街道で遭遇した彼らを見ていない。その横に立つ人間とは若干異なる存在を、大きく目を広げて凝視していた。

 大きな耳にびっしりと全身に生えた毛皮。大きく伸びた鼻と口は狼の頭。鋭い眼光を携えた男は真っ直ぐにフジタカの視線を受け止めていた。

 「お、親父……!」

 「………」

 言われてすんなりと納得してしまう。フジタカがそのまま年齢を重ねた様な人狼がそこに立っていたからだ。しかし親父と呼ぼうと彼はフジタカに返事をしようとしない。

 「た、助けて!皆ぁ!」

 私はこの場に堪らず叫んだ。もしかしたら聞こえないかもしれない。だけど逃げ出すわけにもいかない。だったらできる事をしないと。

 「ちょっとちょっと。縁起でもない事を言わないでよ。まだ何もしてないでしょ?」

 へらへらと薄ら笑いを浮かべながらベルナルドは余裕然としている。私だって、助けてと言いつつもこの場はどうにかならないか画策していた。ただ怯えているだけじゃない。

 「おい、返事しろよ!」

 「………」

 しかしフジタカの落ち着きがない。今にも向こうに走って行ってしまいそうで私はハラハラしていた。

 レブはと言えば、向こうに立つもう一人の男の人を見ていた。人間で真っ白な頭髪を風に揺らした老人。長い顎鬚を撫でながらあの人もレブを眺めている。

 「あの男……」

 レブの目を細める。普通に考えればフジタカのお父さんらしき獣人の召喚士になるのかな。

 「だからこっちの話を聞いてよ。目移りするのも分かるけどね」

 「……!」

 ベルナルドに私は一歩だけ下がってしまう。しかし彼は楽しそうに笑うだけ。

 「ははは。怖がらないで。前の話の続きをしたいだけ。その為にこうして待っていたんだか……!」

 視界が白く染まり、バンッ、と音がした。私の胸に違和感が起き、レブが魔法を使ったと分かった時にはベルナルドの足元近くが焦げて煙を立ち上らせていた。

 「次は当てるぞ」

 「怖がるべきはこっちだったのかなぁ?」

 その時、私の耳に足音が聞こえた。目を向けると、洞窟の奥に二つの丸い小さな光が見えた。

 「グルルルルルァァァァァ!」

 「ライさん!」

 小さな光が誰かの目だと気付くと咆哮を上げてライさんが飛び出した。その手には剣がしっかりと握られ、ベルナルドへとその切っ先を向けている。

 「アル」

 ベルナルドは動こうともせずにボソリと呟くと、彼の隣に佇んでいた甲殻人が急に動いた。

 「ガァァァァ!」

 叫びながら繰り出された突きを躱すと、腕を掴んで持ち上げる。羽を展開して羽ばたくとライさんを持ち上げて飛び上がってしまった。

 「離せぇぇぇぇ!」

 「仰せのままに」

 わざとらしく頭を下げて見せ、指を鳴らすとそれを合図に甲殻人がライさんの腕を離した。落ちる場所は崖の下ではない。だけどこのままじゃ……。

 「おぉぉぉぉ!」

 そこに駆け込んだのはフジタカだった。

 「がぁっ!」

 「ぐ……!」

 ライさんの落下地点にフジタカが滑り込む様にして先回り。抱えて受け止めるなんてできるわけもなく、その体を激突させながらも衝撃をできるだけ和らげた。

 「う、うぅぅ……」

 「くっ、この!」

 ライさんが呻くフジタカを押し退けて起き上がる。

 「何故当てられるのに外したぁ!」

 怒号を飛ばすライさんの目線の先にいたレブは冷たく相手を見ていた。

 「君達がこの場に居る理由を考えろ!」

 「邪魔だ……!」

 ライさんは立ち上がると目の前の相手を無視してレブに掴みかかった。両腕を塞がれて鬱陶しそうにレブは腕を振るがライさんは離さない。

 「な、何してんすか……ライさん!」

 「うるさい!コイツらをぶち殺さないとココは!ココはぁぁぁぁ!」

 フジタカがライさんを後ろから羽交い絞めにしようとしても暴れて止まらない。レブだって未だに翻弄されている。私はライさんの叫びに、彼らから何歩か離れてしまう。

 ライさん、今、ココって……。

 「あーぁ、仲間割れ?話をするどころじゃないじゃん」

 びく、と肩が跳ねた。カルディナさん達もやっと洞窟から出てきてくれる。だけど私はこちらへやって来るベルナルドから目が離せなかった。

 「もう一度言うが、君を迎えに来たんだ。条件はそこのインヴィタドも一緒。それなら君にとっても悪くない条件でしょ?」

 「こ、来ないで……」

 「ザナさん!」

 カルディナさんが叫ぶし、トーロもこちらへ来ようとしてくれる。だけど甲殻人とフジタカのお父さんらしき人が立ち塞がって私の助けまでは難しい。

 「で、お願いするだけでも悪いから今日は君に贈り物があるんだ」

 「いらない!」

 もう、腕を伸ばせば届く距離まで来ている。魔法を撃てば倒せるかな、と考えたけどあの気味の悪い笑顔が近寄るだけで集中できない。

 「君の、元の召喚士としての魔力を解放してあげる。それで君はこの世界に住まう真の召喚士、フエンテになれる」

 「い、や……」

 走って逃げ出したい。だけど出るのは掠れた声だけ。ニィ、とベルナルドの口元が吊り上がっていくだけで震えが止まらない。

 「レブ!レブぅ!」

 「今行く!ザナぁ!」

 ライさんの腕を無理矢理振り解く。一枚二枚爪が剥がれた様でライさんの手から血が滴り落ちた。苦悶に顔を歪めたライさんをフジタカに任せて、レブは振り返り私の名を呼ぶと翼を広げる。

 「ザナァァァ!」


 でも、もう遅かった。目を少し動かして前を見ると、ベルナルドの指が私へ伸びる。

 「あ……ぅ……!」

 額にベルナルドの人差し指がそっと触れた。言い知れぬ痺れとも痛みともつかぬ何かが指先から全身を伝う。

 直後に訪れた、魔法発動時に経験する胸の痛み。視界が外側からぼやけ、そして全てが視えなくなる。足に力が入らなくなって、私はそのまま身を委ねてしまった。



                                     了

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