男子高校生、川と問答す。
さて、本日のメインイベントである。
放課後、学校を出た俺は雅比のナビゲートに従い、晴れてきた空を眺めながら道を進んでいく。
「なぁ、雅比。今から会いにいく神さまって、どんなやつなんだ?」
『ふむ。平たく言えば土地神の一人じゃが……まぁ、会ってみればわかるじゃろ』
……ううむ。一体なにが待ち受けているのやら。
ちなみに久住にも声をかけてみたところ、今日は火狐神が待ってるから帰ると言い切った。
くそ、あの野郎、妙にイキイキしやがって。
う、羨ましくなんかないぜ……!
『――ここじゃな』
「え、ここか?」
雅比の案内で到着したのは、商店街のそばを流れる小さな川だった。
橋の上から見下ろすと水質はそこそこきれいで、川底には魚の姿もある。
そういえば子供の頃に、近所の友達とここで釣りの真似事をした覚えがある。
……まさかと思うが、河童でも棲んでるのだろうか。
時間帯が中途半端なせいか人通りは少ないが、一応用意してきたイヤホンマイクを装着。一人でぶつぶつ言ってる怪しいやつだと思われないよう対策したあとでスマホを川面へかざしてみる。
しかし、期待に反してスマホのカメラにはただただ流れる水が映るのみ。
「……こんなところに神がいるのか?」
『うむ。というよりも朝田。もう目の前におられるぞ。携帯に頼らずともお主にも見えておるじゃろう』
「はぁ?」
何を言ってるんだと聞き返すよりも早く、イヤホンを通じてそいつが語りかけてきた。
『ちょっとどっち見てるんですか人間ちゃん。さっきから人間ちゃんの前でずーーーっと流れてるでしょ。川ですよ川。かわいいでしょ? なんつて。あはあは!』
警戒警報レベルのオヤジギャグも気にならないほど驚いた。
か、川? 川って言ったのか? この目の前のせせらぎが?
動揺する俺をよそに、雅比は平然と挨拶する。
『初めてお目にかかります。出雲議会から参りました、雅比と申します。こちらはワシの補佐を務めてくれている朝田と申す者です』
『初めましてミヤビさん。人間ちゃん連れとは珍しいですね。ボクは
『ええ。なにかお困りごとでもあればお話を聞かせていただけませんか? 特に、携帯電話の電波の話が聞ければな、と』
『あー選挙対策っすかぁ大変ですねぇ。それにしたって、電波とは一体なんのことですか?」
『選挙対策ではないのですが。最近、神通力が電波に邪魔されるので皆が感情的になっておりましてな。なんとか解決することができればと』
『なるほどなるほど。解決できればミヤビさんの得点にも繋がると、そういうわけですね』
『あいや。確かにそれもないとは言いませんが、何よりも人間との関係が悪くなるのを避けられればと思っております』
『ほっほう、出雲議会から来たにしてはまぁまぁまともな性根をお持ちのようですね。川の神的には好印象。だけど残念。ボクは神通力とか使わないんで、電波なんて気にしたこともないですよ。それよりボクが許せないのは別のことです』
『ほう、別のことですか。よろしければお聞かせ願えますか』
『ええもちろん、それはなにかといいますと……』
そこで蝉川彦はタメを作り、大音声でブチ上げた。
『――川にゴミをポイ捨てしやがる人間どものことだぁぁぁっっっ!』
あああ、はいはい。納得だわ。
『もーなんなんですかねあいつらは! こっちが何も言わないのをいいことに次から次へと捨てるわ捨てるわ! 生ゴミやお菓子の袋はかわいい方で、大型家電やら自転車やらバイクまで捨てる人がいるんですよ! その中に液体燃料が残ってたりするともぉ最悪! でもですね、それよりももっとタチ悪いのがタバコなんですよ。あれはもう、本気でダメ! 汚染なんてもんじゃないです!』
息巻く蝉川彦へ、雅比は律儀に相槌を打つ。
『なるほどなるほど、苦労しておられますね』
『そうなんですよお。ボクにできることなんてせいぜい勢いよく流れることぐらいですからねぇ。抗議の一つでもできればいいんですが』
『……ふむ、事情はわかりました』
そこで雅比は俺に話を振ってくる。
『どうじゃろうか朝田。この問題について、ワシらにできることはないかのう』
「……え、いやちょっと待ってくれ」
なんかえらくストレートな質問をされた気がする。
「つまり、川へのポイ捨てを防ぐためにできることはないか、って言ってんのかお前?」
『その通りじゃ。なんぞ良いアイディアはないかの?』
しれっと肯定される。
……まさかとは思うが、馬鹿にされてるのだろうか。
「あー、例えば川の近くに張り紙でもしてみるか? 川へゴミを捨てるな、とか」
『おお、それは名案じゃな。それは実現可能かの?』
幼児でも相手にしているかのような物言いに、さすがに腹が立ってきた。
「あのなぁお前、そんなの誰にだってできるだろう?」
『それは、我ら神にでもかのう?』
…………あぁ、なるほど確かに。
『蝉川彦どの。張り紙を用意する事はできますか?』
『ご冗談を。濡れちゃいますって。それ以前に人間不干渉の大原則があるでしょう』
『そうでしょうな。ワシも今回の仕事で多くの権限を与えられておりますが、張り紙まではさすがに。――さて、そこの大原則とは無関係な人間よ。確認じゃが、実現は可能かの?』
「……そりゃもちろん。すぐにでもできる……けど、いいのかよそんな事してて? 携帯電話の有用性を探すとかなんとか言ってなかったか、お前?」
『今お主が握りしめているのはなんじゃったかの』
……………………いやまさか、まさかと思うがコイツ、
『それ抜きにして、ワシがお主に協力を頼むことは果たして可能じゃったかの』
これまでの雅比の行動を一つ一つ思い返す。
初対面のときの振る舞い。
事細かな説明。
補佐を頼んできたときの言葉。
『確かにワシは携帯電話の有用性を探すと言ったが、どのような形であれ有用であることがはっきりしているのであれば、この際使い方はどうでもいいと思わんか』
「…………お前さ、まさか出会ってから今の今まで、俺からの信頼を得ることを第一目的として行動してきたか? もしかすると、問題を解決することよりも優先して」
『おや、気づいたか。予想していたよりもかなり早い。さすがじゃな』
まるで悪びれることなく言ってのける。
くっそ、マジかよ!
「ってことはつまりこういう事だよな! お前は一連の問題を解決するために一番重要なのは俺――人間からの信頼だと思ってる。人間から信頼されていれば、お前らだけでは解決できなかった問題へも取り組めるようになる。そして人間からの信頼を得るための道具としてスマホを使う事を考えている。……最初からスマホを自分たちの役に立てるなんてこと、微塵も考えてなかったんだな、お前!」
『――明察じゃ。ヒントは幾つかあったが、この短期間でそこまで思い至るとは大したものじゃ』
雅比はこれまで見た事のない――もしかすればこれこそが彼女の本性かもしれない――未知の冒険へ無造作に人を誘うようなふてぶてしい笑みを浮かべた。
『ならば、その先も伝えておかねばな。携帯電話を媒介に神が人間と協力することで今回のような問題を解決できるなら、携帯電話に有用性ありと断言できる。結果、神々が抱く携帯電話や人間への不満を抑えられる。何より、政令指定都市における神と人間の新しい関係の一つの解を皆へ示す事ができる。このような関係を広めることができれば、人間に害をなそうという考え方は自ずと減っていくじゃろう。一朝一夕にとは言えぬが、このやり方であれば、いずれはすべての神と人間が互いの手を取り合うこともできるはずじゃ」
雅比は、その風景への道筋がはっきりと見えているような眼差しで言い切る。
「……朝田よ。そのためにワシはお主へ補佐を頼んだのじゃ。ワシとお主の関係性それ自身が、新しい未来を拓く鍵になると、そう信じてな』
――完全に絶句した。今の俺たちのようにスマートフォンを通じてすべての神と人間が手を取り合う。
その壮大なビジョンを自分が実現してみせると、そう雅比は言ったのだ。
……何がお飾りの議員だ。勝ちに行く気満々じゃねえか。
それまで黙っていた蝉川彦が、暗闇の中でガラスの杯を探るような慎重さで喋る。
『……ミヤビさん。今の話は、大原則に触れていませんか?』
『そうなりますな。ワシの話は、神と人間との新しい関係を提案するものです。人間への不干渉という従来の考え方とは真っ向から反する事になる。これを聞いたら狐神稲荷党の長老方などは黙ってはおらんでしょう。……ですが、先ほども申しましたが、政令指定都市というものが出てきましてな』
『政令指定都市。そういえば昨日上流から流れてきた回覧板に書いてありましたね。文字通りに流し読みしてそのまま下流へ送ってしまいましたが。確か、大原則を曲げるんでしたっけ』
『ええ。ワシはその調査官をしています。大臣どもの時間稼ぎが見え透いておりますが、今の立場を利用すれば大目に見てもらえるか、と』
『……腹に一物どころじゃないですねぇ、ミヤビさんは。先ほどまではもっと可愛らしい方かと思ってましたが、いやいやなかなかどうして大した方だ。面白いじゃないですか。なによりボクら小さな神のことまで考えてくれているのが嬉しいですね。応援しますよ』
『ありがとうございます。ですが、しばらくは内密に願います』
『ええ、それはもちろん』
そこまでやりとりを聞いたところで、俺はようやく衝撃から立ち直る。
「……今朝の学校の騒ぎはなんのつもりだよ」
『ああ、あれか。半分はあの時言ったとおりじゃよ。残り半分は、ワシはお主の期待を裏切る事もあるぞ、と予め伝えておくことにあった。頭から信じられてもそれはそれで困るのでな。……さて、そろそろ話を戻そうかの』
完全に手のひらの上で踊らされていたことが判明し、しかし不思議と裏切られたような気持ちはない。
……多分、想像してしまったからだろう。
今の俺たちのように、街中を歩く全ての人々のスマホに神が宿り、言葉を交わしながら日々を重ねていく。
そんな光景を思い描き、それを面白そうだと思ってしまったからだ。
してやられた。
その六文字が心に刻まれるのを感じつつ、俺は苦笑しながら答える。
「……張り紙だったか。用意はできる。休み明けでもいいか?」
『なに、構いはしませんよ人間ちゃん。一日も一年もそんなに違いはしませんからねぇ』
あー、そういう時間感覚なのか、こいつら。
「じゃあ、試しに用意してみるかな。どこまで効果があがるかはわかんねえけど」
『ゼロがイチになるだけでも違いますよ。そこまで期待しているわけでもないですから、どうぞ気楽に』
俺は川面に向かって頷く。
なるほど、こういうやりとりが普通になる未来か。悪くないな。
『話はつきましたな。それではまた後日ということで』
雅比の言葉を受けて俺が歩き出すのを、しかし蝉川彦が呼び止めた。
『ああ、お待ちくださいミヤビさん。実はいま手元に、来客用の美味しいお酒がありまして』
『……む、いやしかし、仕事中ですし』
『そんなに硬いことを言わずに。ミヤビさんも天狗の眷族ならイケる口でしょう? あ、もちろん地酒ですよ』
『うう……? で、ですが、未成年もおりますし』
『大丈夫ですよ。人間ちゃんも大目にみてくれますって。ねえ人間ちゃん?』
「あー」
人通りの少ない橋の上、今日はもう降りそうにない空を見上げる。
「まあ一杯ぐらいなら良いんじゃねえか? こういうのって付き合いが大事なんだろ」
『ほら、人間ちゃんも分かってくれてますよ。どうぞ一杯だけでも』
『……で、では、お言葉に甘えて一杯だけ』
…………だが、その一杯が命取りだった。
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